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1話

ー/ー




「私さ、彼氏出来たんだ。お前はどうなんだよ?」
 夜勤を終えた私達は帰宅途中だったが、満開の桜の並木道に思わず足を止めていた。
 見上げたその先には広がる青空と太陽があり、それは寝不足な目に強く染みる。
 いつもなら逸らすが、今日はしない。
 その方が、都合が良いからだ。

「え?」
 私の話に間抜けな声を出すのは、職場の後輩である斉藤(さいとう) 健太郎(けんたろう)
 五つ年下で二十五歳のこいつは、バカ真面目で優しく、そして相手に気を使い過ぎて自分を軽んじているバカヤロウだ。
 ……そして、そんなヤツを縛りつけてしまった私は、大バカヤロウだろう。

「本当ですか?」
 気遣いの声をかけてくるこいつを、納得させなければならない。
 だから私は、嘘を吐く。
 今日だけは良いよね?
 だって今日は、一年に一度嘘を吐いて良い日なのだから。


(あかね)。人は堅実さが一番だからな」
 それが口癖だった両親の、その後に続く言葉は「偽りを述べてはならない」だった。
 「嘘を吐くことは相手を傷付けることであり、そして信頼を失うことでもある。だから、絶対に嘘を吐く人間になるな」
 私は幼少期より、その言葉を胸に生きている。

 それは正しく、私は誰に対しても堅実に関わっていき、周りの信頼を得てきた。
 そんな両親は一人娘の私が二十歳になる前に亡くなってしまい、祖父母とも疎遠だった為、私はひとりぼっちになってしまった。
 ただ一つの希望は、就職が決まっていたこと。
 短大で介護について勉強していた私は、四月より特別養護老人ホームで働くことになっており、仕事を支えにこれからを生きていくと入社した。

 就職して四年。
 一般棟から、認知症専門棟へ異動となった。
 そこは名称通り認知症を抱えた利用者さんが暮らしている病棟であり、私は今まで一般棟しか経験がなく、やっていけるか不安だった。
 介護自習で経験しているし知識はある。
 だから大丈夫、やっていける。
 そう思ってきたけど。

 カシャン!
「ふざけるな! ワシはまだ昼を食べてないと言ってるだろ! お前は信用出来ん!」
 食堂に、その怒鳴り声が響き渡る。
「ごめんなさい」
 私は、利用者の木下(きのした)さんが投げつけてきたコップを拾い、床に広がったお茶をタオルで拭き取る。
 また、やってしまった。

「ごめんなさいね。今、食事を作ってもらってるから、もう少し待って下さいね」
 対応を代わってくれた先輩が、優しく声をかけている。
「じゃあ出来たら呼んでくれ」
 そう言い、部屋に戻っていく木下さん。先程と大違いだ。

「木下さんは気難しいからねー」
 先輩はそう言ってくれるけど、怒らせてしまうのは私のせい。
 認知症を抱えた方との関わりの基本は、「寄り添うこと」。
 さっき先輩はご飯を作ってもらっていると言っていたけど、あれは嘘。
 ううん、合わせての対応だ。
 認知症の方に事実を伝えても、その言葉は信じてくれないこともある。
 何故なら、「その記憶がない」のだから。
 それが認知症という病気。だからこそこちらは話を聞き、それに合わせないといけない。
 否定されることは、それほど辛いことなのだから。

 だけど私にはそれが出来ない。
 嘘が吐けないから。
 どうやら嘘を吐く時に、不自然なぐらい顔がにやけるらしい。
 それを見た相手は当然怒り、先程みたいな騒ぎになる。
 私は初めて、嘘が吐けない自分に悩むことになった。
 こうして一年が経ち、就職して五年。二十五歳の春。
 そんな私に、一つの出会いが舞い込んだ。


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「私さ、彼氏出来たんだ。お前はどうなんだよ?」
 夜勤を終えた私達は帰宅途中だったが、満開の桜の並木道に思わず足を止めていた。
 見上げたその先には広がる青空と太陽があり、それは寝不足な目に強く染みる。
 いつもなら逸らすが、今日はしない。
 その方が、都合が良いからだ。
「え?」
 私の話に間抜けな声を出すのは、職場の後輩である|斉藤《さいとう》 |健太郎《けんたろう》。
 五つ年下で二十五歳のこいつは、バカ真面目で優しく、そして相手に気を使い過ぎて自分を軽んじているバカヤロウだ。
 ……そして、そんなヤツを縛りつけてしまった私は、大バカヤロウだろう。
「本当ですか?」
 気遣いの声をかけてくるこいつを、納得させなければならない。
 だから私は、嘘を吐く。
 今日だけは良いよね?
 だって今日は、一年に一度嘘を吐いて良い日なのだから。
「|茜《あかね》。人は堅実さが一番だからな」
 それが口癖だった両親の、その後に続く言葉は「偽りを述べてはならない」だった。
 「嘘を吐くことは相手を傷付けることであり、そして信頼を失うことでもある。だから、絶対に嘘を吐く人間になるな」
 私は幼少期より、その言葉を胸に生きている。
 それは正しく、私は誰に対しても堅実に関わっていき、周りの信頼を得てきた。
 そんな両親は一人娘の私が二十歳になる前に亡くなってしまい、祖父母とも疎遠だった為、私はひとりぼっちになってしまった。
 ただ一つの希望は、就職が決まっていたこと。
 短大で介護について勉強していた私は、四月より特別養護老人ホームで働くことになっており、仕事を支えにこれからを生きていくと入社した。
 就職して四年。
 一般棟から、認知症専門棟へ異動となった。
 そこは名称通り認知症を抱えた利用者さんが暮らしている病棟であり、私は今まで一般棟しか経験がなく、やっていけるか不安だった。
 介護自習で経験しているし知識はある。
 だから大丈夫、やっていける。
 そう思ってきたけど。
 カシャン!
「ふざけるな! ワシはまだ昼を食べてないと言ってるだろ! お前は信用出来ん!」
 食堂に、その怒鳴り声が響き渡る。
「ごめんなさい」
 私は、利用者の|木下《きのした》さんが投げつけてきたコップを拾い、床に広がったお茶をタオルで拭き取る。
 また、やってしまった。
「ごめんなさいね。今、食事を作ってもらってるから、もう少し待って下さいね」
 対応を代わってくれた先輩が、優しく声をかけている。
「じゃあ出来たら呼んでくれ」
 そう言い、部屋に戻っていく木下さん。先程と大違いだ。
「木下さんは気難しいからねー」
 先輩はそう言ってくれるけど、怒らせてしまうのは私のせい。
 認知症を抱えた方との関わりの基本は、「寄り添うこと」。
 さっき先輩はご飯を作ってもらっていると言っていたけど、あれは嘘。
 ううん、合わせての対応だ。
 認知症の方に事実を伝えても、その言葉は信じてくれないこともある。
 何故なら、「その記憶がない」のだから。
 それが認知症という病気。だからこそこちらは話を聞き、それに合わせないといけない。
 否定されることは、それほど辛いことなのだから。
 だけど私にはそれが出来ない。
 嘘が吐けないから。
 どうやら嘘を吐く時に、不自然なぐらい顔がにやけるらしい。
 それを見た相手は当然怒り、先程みたいな騒ぎになる。
 私は初めて、嘘が吐けない自分に悩むことになった。
 こうして一年が経ち、就職して五年。二十五歳の春。
 そんな私に、一つの出会いが舞い込んだ。