夢はベッドからはじまる。ベッドにはユウくんが寝ている。やすらかに眠るユウくんの枕もとで携帯電話のアラームが鳴りだす。何度目かのアラーム音で、ユウくんは観念したようにようやくもぞもぞと布団から出る。眠たそうな目をこすりながら、ユウくんは寝室を出ていく。
ユウくんは洗面所で顔を洗い、続けて歯を磨く。鏡に映るユウくんの顔はいつも見ているユウくんの顔よりすこしやせている。とがった顎の先には髭が生えていて、目の周りには細かいしわがある。歯磨きを終えたユウくんは、髭を剃って、服を着替える。ワイシャツにネクタイ、黒いスーツ。いつものユウくんとはちょっとイメージちがうけど、こういうユウくんも、これはこれでしぶくていいかんじだ。
朝ごはんも食べずにユウくんは家を出る。普段散歩に行くときのような軽やかさはなく、表情も暗く浮かない様子だ。ユウくんが出ていったあとにはからっぽになった部屋だけが残る。ソファにテーブル、部屋のつくりもわたしとユウくんが普段暮らしている家とまったく同じ。けれどそこにわたしのすがたはない。夢のなかにわたしは出てこない。
それからずいぶんと時間が経って、ユウくんが家に帰ってくる。ユウくんはいつも同じ時間に家に帰る。帰ってきたユウくんはとても疲れた顔をしている。ビニール袋から取り出した出来合いのおかずで、あまりおいしくなさそうにごはんを食べる。夢のなかのユウくんは料理をしない。
食事を済ませると、ユウくんはお風呂に入る。歯を磨き、そして寝室に向かう。ひとりで寝るにはすこし大きすぎるベッドの枕もとには、一冊のアルバムが置いてある。いまもまだ捨てることができずにいるアルバム。そこには、亡くなった大切な人との思い出がたくさんつまっている。
その人は病気で亡くなった。死んでしまったその人のことを、ユウくんはいまも忘れられずにいる。彼女ともっと一緒にいたかった。彼女が行きたがっていた場所に、もっとたくさん連れていってあげたかった。その思いがユウくんにひとつの世界を描かせる。そこには仕事も病気もなくて、魔法の力で彼女の望んだ場所にひとっ飛びで連れていってあげられる――そんな、ふたりだけの夢の世界。
ベッドに横になったユウくんの目から、ひと筋の涙がこぼれた。彼女のことを思いながら、ユウくんは目を閉じる。
まどろみのなかで、ユウくんと目が合った。ユウくんの瞳が濡れたようにきらきらと光っている。きれい。思わずわたしは声に出す。なにが? 瞳。瞳? うん、ユウくんの、瞳。
ユウくん。わたしはユウくんの背中に手をまわす。ユウくんの体からはあまいにおいがする。わたしからもきっと似たにおいがしていて、だけどユウくんのとはすこしちがっているんだろう。
「夢を見ていたの」
「どんな?」
「ううん」わたしは静かに首を振る。「忘れちゃった」
そっか、とユウくんは微笑む。それからわたしにそっとキスをする。暗闇のなか、ふたりだけの秘密のキス。
「ありがとう、ユウくん」
「どうしたの、急に?」
「ううん、なんとなく」わたしは言って、「幸せだから」とつけ足す。
「僕も、紗羽と一緒にいられて幸せだよ」
そう言ってユウくんはおだやかに微笑む。
ありがとう、ユウくん。ユウくんのおかげで、わたしはずっと幸せだった。仕事が忙しくてあまり旅行には行けなくても、ユウくんと一緒に行きたい場所ややりたいことを話してるだけで、わたしは楽しかった。ふたりの記念日に一緒に病室で食べたティラミスは、世界中のどんなケーキよりもおいしかった。
この世界はユウくんによってつくられた。そして、わたしも。それはきっと、永遠には続かない。
最近、ユウくんはときどきふっといなくなることが増えた。この世界にいない時間が増えるということは、きっとそういうことなのだと思う。ユウくんはすこしずつ、現実と向き合おうとしている。ユウくんに会えなくなっちゃうのはさみしいけれど、でもいつか、ユウくんにも本当の意味でちゃんと幸せになってほしい。ユウくんがわたしのことを大切に思ってくれているように、わたしにとってもユウくんは、自分の命と同じくらい大切な人だから。
「ユウくんは、いつわたしを殺すの?」
「そのうちね」
わたしの死神はそう言って、わたしをやさしく抱きしめる。
がまんできなくて、焦らせるようなこと言っちゃって、ごめんね。
ゆっくりでいい。ユウくんのペースでいいから。
いつかちゃんと、わたしを殺してね。
(了)