後編
ー/ー街中の駐車場で夜を明かすと、翌朝エリックは地元の新聞社を訪れ、アーカイブを調べ直した。
過去の殺人事件の記録を再確認し、記事の詳細を照合するためだった。
しかし、すぐにおかしなことに気づいた。
“スマイリング・マン”に関する報道記事が、どこにもない。
何度も調べたはずの事件、遺族の証言、過去の新聞の見出し――
それらが、まるで最初から存在しなかったかのように消えている。
エリックは資料室の係員を呼び止めた。
「すまないが、数年前に起きたこの事件の記事を探しているんだ。確か、2018年の……」
あれだけ調べた内容、頭の中にはちゃんと残っていた。
記事の内容を仔細に伝えるが――
「――そのような事件の記録はありませんね」
係員は淡々と答えた。
「そんなはずはない。確かに存在していたんだ」
「いいえ……記録にはありません」
「そんなバカな……」
エリックは苛立ちを抑え、オンラインの記事アーカイブにもアクセスしてみた。
しかし――やはり、ない。
それどころか、過去に取材した自分のメモすら、データから消えていた。
パソコンのフォルダを開く。
メールの送信履歴を遡る。
だが“スマイリング・マン”に関するファイルはすべて消去されていた。
「……何が起きてる?」
エリックは動揺しながらスマホを手に取り、SNSの検索バーに“スマイリング・マン”と打ち込んだ。
検索結果が瞬時に表示される――が、違和感があった。
昨夜まで無数にあった目撃証言や議論のスレッドが、なぜか激減している。
それどころか、検索結果の上位には明らかに冗談めいたネタ投稿や、古い都市伝説のまとめ記事ばかりが並んでいた。
「笑顔の殺人鬼、スマイリング・マンの正体とは?」
「深夜に“スマイル”と呟くと現れるってマジ?」
「スマイリング・マンの正体は、100年前に処刑されたピエロだった!?」
――バカバカしい。
エリックは眉をひそめながら、スクロールを続けた。
だが、何かがおかしい。
数時間前に読んだはずの目撃証言が、見つからない。
被害者についての具体的な言及が、ほとんどない。
昨夜まで確かにあった「真剣な議論のスレッド」が、まるで最初から存在しなかったかのように消えている。
代わりに、“スマイリング・マン”はあたかも昔からあるただの怪談であり、都市伝説としての側面だけが誇張された情報ばかりが目立つ。
「……こんなはずはない」
焦りながら更に深掘りしていくと、奇妙な矛盾が目につき始めた。
ある匿名掲示板には、こう書かれていた。
「スマイリング・マンは都市伝説にすぎない」
「証拠なんて何もない」
「目撃証言は全部デマだよ」
だが、そのすぐ下に、まるでそれを否定するような別の書き込みがあった。
「いや、いる」
「俺は見た」
「消される前に、これだけは言っておく」
だが、その最後の投稿を開こうとすると――
“このページは存在しません。”
エリックは思わず息を呑んだ。
彼は慌ててブラウザの履歴を遡る。
だが、そのスレッドそのものが消えていた。
焦燥感に駆られながら、画面をスクロールする。
スマイリング・マンに関する投稿の多くが、いつの間にか消え去っている。
だが、単に削除されたわけではない。
消されたはずの投稿の「痕跡」は、奇妙な形で残っていた。
消えたはずのスレッドの直後に、ぽつんと浮かぶコメント――
“Keep smiling.”
――笑い続けろ。
エリックの指が止まる。
瞬間、スマホの画面が一瞬だけ乱れた。
白いノイズが走り、ほんの一瞬だけ別の文字列が浮かぶ。
“Smile, even when you no longer can.”
(――笑え、お前がもう笑えなくなるその時まで。)
エリックは息を呑んだ。
それは、封筒の中に入っていた詩の一節と同じものだった。
偶然ではない。
これは、「誰か」が意図的に見せている。
まるで、彼の行動がすべて見透かされているかのように。
彼はスマホを置き、ゆっくりと背後を振り返った。
何もない。
だが、そこには「誰か」がいたはずだという確信だけが残る。
静かすぎる部屋。時計の針の音が、やけに耳につく。
エリックは、今この瞬間も、自分の調査が「見られている」のだと悟った。
闇の中、静まり返った寝室には異様な静けさが満ちていた。耳鳴りにも似た微かな音が耳に届く。今にも消え入りそうなほど小さいが、確かに存在する音だった。彼は布団の中で息を呑み、暗闇に目を凝らし耳を澄ました。
しかし、部屋には自分ひとりきりだった。鼓動と荒い息遣いだけがやけに大きく感じられる。気のせいだ、と自分に言い聞かせてみたが、それでも奇妙な音はまとわりつき、なかなか消えてくれなかった――
翌朝、エリックはひどい寝不足で目を覚ました。昨夜のことは悪い夢だったのだと思い込もうとした。しかしこめかみには鈍い痛みが残り、枕は汗で湿っていた。
昨夜の音の余韻がまだ頭の奥に残っている気がした。シャワーを浴びても不快感は消えなかった。その日一日、頭の片隅で何かが軋む音がして、何をしても集中できなかった。
夜、アパートに戻りドアを閉めた途端、周囲の物音がぴたりと止み、静寂が耳を圧迫した。明かりを点け、深呼吸し「大丈夫、気のせいだ…」と自分に言い聞かせる。
するとエリックのスマートフォンが震え、新着通知が表示された。画面に映ったのは――自分自身の死亡記事だった。
「殺害されたのは、エリック・ウォード(32)、遺体が発見されたのは郊外の――」
彼は息を呑み、震える指で記事を開こうとする。しかし、画面は瞬時に白くなり、「お探しの記事は見つかりませんでした」とだけ表示された。
次の瞬間、不意に頭の芯を釘で刺すような鋭い音が響いた。「うっ…!」思わず耳を塞いだ。しかし音は頭蓋の内側で鳴っているかのようで、防げなかった。
甲高い金属音に紛れて、誰かの微かな笑い声が聞こえた気がした。背筋に悪寒が走った。恐る恐る辺りを見回した。しかしやはり誰もいなかった。
現実と悪夢の境界が消えかけ、エリックはついに限界に達した。彼は部屋中の明かりをつけ、音の出所を暴こうと家具をひっくり返し、四方の壁を拳で殴りつけた。
額から血が滴り、拳の皮が剥けても痛みは感じなかった。
笑い声が頭内に反響し、異常な高音が鼓膜を突き破らんばかりに響き渡った。
遂には立っていられず床に崩れ落ち、視界がぐにゃりと歪んだ。耳鳴りの洪水の中、鼓動さえも遠のき、世界が暗転し始めた。
薄れゆく意識の中、暗い天井に人影が浮かぶのが見えた――いや、違う。
あれは笑っている自分自身の顔だろうか?闇に歪んだ笑みが浮かび、こちらを見下ろしていた。
エリックの脳裏にこれまでの追跡の記憶が閃光のように駆け巡った。自身の疑念、確信、恐怖、そして使命感――すべてが今や音を立てて崩れていく。彼は悟った。
自分は、すでに“次の犠牲者”として選ばれていたのだ――
いつの間にか彼はスマイリング・マンの影の世界に誘い込まれていたのだ。ジャーナリストとして怪物の正体を暴くはずが、逆にその伝説を自ら体現する役目を負わされようとしている。
足元に力が入らず崩れ落ちるエリックを見下ろし、その影が覆い被さった。
それから数日後――
ノースウェイド州の外れの森で、男性の遺体が発見された。エリック・ウォード、失踪していたジャーナリストの成れの果て――無惨にも彼の口元は両頬が縫い合わされ、苦痛に歪んだ笑顔のまま固まっていた。
モーテルの一室で発見された彼のパソコンには、彼自身の手による記事が残されていた。
『スマイリング・マンは実在する』
その記事を面白がった地元紙が掲載した事で人々の噂となり、インターネット上で瞬く間に拡散されていった。
そして奇しくも、エリックが残した調査メモや書きかけの原稿も注目を集め、スマイリング・マンの存在を裏付ける“証拠”のように語られ始める。
皮肉にも、彼が追い求めた真実は彼自身の最期によって強烈な現実味を帯びてしまった。
彼は、伝説を打ち壊すどころか、その証人となってしまったのだ。
そして、どこかの街角で新聞を折りたたむ人物がいた。
顔は見えない。
ただ、白い歯を見せて微笑んでいるだけだった。
──スマイリング・マンは、今もどこかで見ている。
過去の殺人事件の記録を再確認し、記事の詳細を照合するためだった。
しかし、すぐにおかしなことに気づいた。
“スマイリング・マン”に関する報道記事が、どこにもない。
何度も調べたはずの事件、遺族の証言、過去の新聞の見出し――
それらが、まるで最初から存在しなかったかのように消えている。
エリックは資料室の係員を呼び止めた。
「すまないが、数年前に起きたこの事件の記事を探しているんだ。確か、2018年の……」
あれだけ調べた内容、頭の中にはちゃんと残っていた。
記事の内容を仔細に伝えるが――
「――そのような事件の記録はありませんね」
係員は淡々と答えた。
「そんなはずはない。確かに存在していたんだ」
「いいえ……記録にはありません」
「そんなバカな……」
エリックは苛立ちを抑え、オンラインの記事アーカイブにもアクセスしてみた。
しかし――やはり、ない。
それどころか、過去に取材した自分のメモすら、データから消えていた。
パソコンのフォルダを開く。
メールの送信履歴を遡る。
だが“スマイリング・マン”に関するファイルはすべて消去されていた。
「……何が起きてる?」
エリックは動揺しながらスマホを手に取り、SNSの検索バーに“スマイリング・マン”と打ち込んだ。
検索結果が瞬時に表示される――が、違和感があった。
昨夜まで無数にあった目撃証言や議論のスレッドが、なぜか激減している。
それどころか、検索結果の上位には明らかに冗談めいたネタ投稿や、古い都市伝説のまとめ記事ばかりが並んでいた。
「笑顔の殺人鬼、スマイリング・マンの正体とは?」
「深夜に“スマイル”と呟くと現れるってマジ?」
「スマイリング・マンの正体は、100年前に処刑されたピエロだった!?」
――バカバカしい。
エリックは眉をひそめながら、スクロールを続けた。
だが、何かがおかしい。
数時間前に読んだはずの目撃証言が、見つからない。
被害者についての具体的な言及が、ほとんどない。
昨夜まで確かにあった「真剣な議論のスレッド」が、まるで最初から存在しなかったかのように消えている。
代わりに、“スマイリング・マン”はあたかも昔からあるただの怪談であり、都市伝説としての側面だけが誇張された情報ばかりが目立つ。
「……こんなはずはない」
焦りながら更に深掘りしていくと、奇妙な矛盾が目につき始めた。
ある匿名掲示板には、こう書かれていた。
「スマイリング・マンは都市伝説にすぎない」
「証拠なんて何もない」
「目撃証言は全部デマだよ」
だが、そのすぐ下に、まるでそれを否定するような別の書き込みがあった。
「いや、いる」
「俺は見た」
「消される前に、これだけは言っておく」
だが、その最後の投稿を開こうとすると――
“このページは存在しません。”
エリックは思わず息を呑んだ。
彼は慌ててブラウザの履歴を遡る。
だが、そのスレッドそのものが消えていた。
焦燥感に駆られながら、画面をスクロールする。
スマイリング・マンに関する投稿の多くが、いつの間にか消え去っている。
だが、単に削除されたわけではない。
消されたはずの投稿の「痕跡」は、奇妙な形で残っていた。
消えたはずのスレッドの直後に、ぽつんと浮かぶコメント――
“Keep smiling.”
――笑い続けろ。
エリックの指が止まる。
瞬間、スマホの画面が一瞬だけ乱れた。
白いノイズが走り、ほんの一瞬だけ別の文字列が浮かぶ。
“Smile, even when you no longer can.”
(――笑え、お前がもう笑えなくなるその時まで。)
エリックは息を呑んだ。
それは、封筒の中に入っていた詩の一節と同じものだった。
偶然ではない。
これは、「誰か」が意図的に見せている。
まるで、彼の行動がすべて見透かされているかのように。
彼はスマホを置き、ゆっくりと背後を振り返った。
何もない。
だが、そこには「誰か」がいたはずだという確信だけが残る。
静かすぎる部屋。時計の針の音が、やけに耳につく。
エリックは、今この瞬間も、自分の調査が「見られている」のだと悟った。
闇の中、静まり返った寝室には異様な静けさが満ちていた。耳鳴りにも似た微かな音が耳に届く。今にも消え入りそうなほど小さいが、確かに存在する音だった。彼は布団の中で息を呑み、暗闇に目を凝らし耳を澄ました。
しかし、部屋には自分ひとりきりだった。鼓動と荒い息遣いだけがやけに大きく感じられる。気のせいだ、と自分に言い聞かせてみたが、それでも奇妙な音はまとわりつき、なかなか消えてくれなかった――
翌朝、エリックはひどい寝不足で目を覚ました。昨夜のことは悪い夢だったのだと思い込もうとした。しかしこめかみには鈍い痛みが残り、枕は汗で湿っていた。
昨夜の音の余韻がまだ頭の奥に残っている気がした。シャワーを浴びても不快感は消えなかった。その日一日、頭の片隅で何かが軋む音がして、何をしても集中できなかった。
夜、アパートに戻りドアを閉めた途端、周囲の物音がぴたりと止み、静寂が耳を圧迫した。明かりを点け、深呼吸し「大丈夫、気のせいだ…」と自分に言い聞かせる。
するとエリックのスマートフォンが震え、新着通知が表示された。画面に映ったのは――自分自身の死亡記事だった。
「殺害されたのは、エリック・ウォード(32)、遺体が発見されたのは郊外の――」
彼は息を呑み、震える指で記事を開こうとする。しかし、画面は瞬時に白くなり、「お探しの記事は見つかりませんでした」とだけ表示された。
次の瞬間、不意に頭の芯を釘で刺すような鋭い音が響いた。「うっ…!」思わず耳を塞いだ。しかし音は頭蓋の内側で鳴っているかのようで、防げなかった。
甲高い金属音に紛れて、誰かの微かな笑い声が聞こえた気がした。背筋に悪寒が走った。恐る恐る辺りを見回した。しかしやはり誰もいなかった。
現実と悪夢の境界が消えかけ、エリックはついに限界に達した。彼は部屋中の明かりをつけ、音の出所を暴こうと家具をひっくり返し、四方の壁を拳で殴りつけた。
額から血が滴り、拳の皮が剥けても痛みは感じなかった。
笑い声が頭内に反響し、異常な高音が鼓膜を突き破らんばかりに響き渡った。
遂には立っていられず床に崩れ落ち、視界がぐにゃりと歪んだ。耳鳴りの洪水の中、鼓動さえも遠のき、世界が暗転し始めた。
薄れゆく意識の中、暗い天井に人影が浮かぶのが見えた――いや、違う。
あれは笑っている自分自身の顔だろうか?闇に歪んだ笑みが浮かび、こちらを見下ろしていた。
エリックの脳裏にこれまでの追跡の記憶が閃光のように駆け巡った。自身の疑念、確信、恐怖、そして使命感――すべてが今や音を立てて崩れていく。彼は悟った。
自分は、すでに“次の犠牲者”として選ばれていたのだ――
いつの間にか彼はスマイリング・マンの影の世界に誘い込まれていたのだ。ジャーナリストとして怪物の正体を暴くはずが、逆にその伝説を自ら体現する役目を負わされようとしている。
足元に力が入らず崩れ落ちるエリックを見下ろし、その影が覆い被さった。
それから数日後――
ノースウェイド州の外れの森で、男性の遺体が発見された。エリック・ウォード、失踪していたジャーナリストの成れの果て――無惨にも彼の口元は両頬が縫い合わされ、苦痛に歪んだ笑顔のまま固まっていた。
モーテルの一室で発見された彼のパソコンには、彼自身の手による記事が残されていた。
『スマイリング・マンは実在する』
その記事を面白がった地元紙が掲載した事で人々の噂となり、インターネット上で瞬く間に拡散されていった。
そして奇しくも、エリックが残した調査メモや書きかけの原稿も注目を集め、スマイリング・マンの存在を裏付ける“証拠”のように語られ始める。
皮肉にも、彼が追い求めた真実は彼自身の最期によって強烈な現実味を帯びてしまった。
彼は、伝説を打ち壊すどころか、その証人となってしまったのだ。
そして、どこかの街角で新聞を折りたたむ人物がいた。
顔は見えない。
ただ、白い歯を見せて微笑んでいるだけだった。
──スマイリング・マンは、今もどこかで見ている。
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