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前編

ー/ー



ネット上では、「スマイリング・マン」という不気味な都市伝説が、まるで真実であるかのように囁かれていた。
深夜に現れる“連続殺人鬼(シリアルキラー)”が人を殺し、その遺体に無理やり笑顔を貼り付ける――

そんな噂話がSNSや匿名掲示板を通じて街に広まっている。警察は事件の詳細を公表していないはずなのに、なぜ人々は被害者の「笑顔」のことまで知っているのか。誰からともなく漏れ出した情報が、恐怖を増幅させながら独り歩きしていた。

エリックはノートパソコンの画面に映る掲示板の書き込みを読み、背筋に冷たいものが走るのを感じた。記者として培った直感が、この噂の背後にただならぬ意図を嗅ぎ取っていた。
 
「またスマイリング・マンの仕業だ」
「死体の顔が笑ってたって本当?」
 
――書き込みの一つ一つは無責任な好奇心と恐怖に満ちている。それなのに、事件現場の状況を知っている者しか語れないような詳細まで散見された。

画面を凝視しながらエリックは唇を噛んだ。
ここ数年で発見された複数の遺体――いずれも他殺体――はいずれも口元に不気味な笑みを浮かべていたという。その異様さに最初に気づいた警官が同僚に漏らし、そこから都市伝説めいて広まったとも聞く。
しかし警察上層部は市民の混乱を恐れ、早い段階で「笑顔」の件を報道規制したはずだった。にもかかわらず、この“スマイリング・マン”の噂だけが独り歩きしている。
まるで誰かが意図的に人々の恐怖を煽り、物語を作り上げているかのように。

彼、エリック・ウォードは都市伝説を解体することを生業とするジャーナリストだった。
幽霊屋敷、悪魔召喚、政府の陰謀――人々が恐れたり信じたりする怪談の類を、徹底的に論理で切り裂いてきた。元々は小さな新聞社の記者であり、持ち前の執念深さで過去にも幾つか難事件をものにしてきた。だが今回ばかりは、記事一本で終わるような相手ではないと肌で感じていた。
次々と犠牲者が出ているにも関わらず、警察の捜査は難航し、公式には「連続殺人の可能性を排除しない」としかコメントが出ていない。匿名の内部情報では、犯人像すら掴めていないという。まるで闇に手を伸ばしているような捜査状況だった。

「気をつけろよ、エリック」
 
捜査に関わる知り合いの刑事、トムはいつになく険しい表情で忠告した。エリックは取材の合間にトムと人気のない路地裏で落ち合い、極秘の会話を交わしていた。

「お前が追ってることは上には秘密にしてるが……実はな、過去にこの事件を探っていた奴らが何人か行方不明になってる」
 
「行方不明?」
 
 エリックは眉をひそめた。
 
「ああ。表向きは単なる失踪事件として処理されてるがな。中にはフリーの記者や、うちの元捜査官まで含まれている」
 
トムの低い声には、抑えきれない苛立ちと不安が滲んでいた。

「妙なんだよ……警察は情報を出していないはずなのに、街中がこの“スマイリング・マン”の噂で持ちきりだ。それに呼応するように捜査に首を突っ込んだ連中が、次々と消えていく…まるで誰かが糸を引いているみたいじゃないか」
 
「犯人が情報をばら撒いていると?」
 
「可能性の一つとしては、な」
 
トムは煙草に火をつけ、一息吸い込んだ。
 
「確証はない。何しろ何もかもが掴めないままだ。しかも俺達刑事(デカ)ですら、妙な圧力で動きにくくなってる」
 
「圧力――?」
 
「…上層部がやけに及び腰なんだ」
 
トムは声を潜めた。
 
「市民の不安を煽るな、無闇に噂を口にするな、とお達しが出ている。まるで何かに怯えているようにな」

エリックはトムの言葉にゾクリとした。唯の殺人事件ではなく、警察内部にまで何かしらの恐れが広がっているというのか。
 
「とにかく、お前も深追いしすぎるな……命あっての物種だぞ?」

それでもエリックの決意は揺らがなかった。

「ありがとう、トム。でも俺は進むよ、何か掴んだらまた連絡する」
 
そう言って固く握手を交わすと、二人は闇に溶けるように別れた。

薄暗いモーテルの一室に戻ったエリックはまず、独自に集めた情報を洗い直した。
部屋の灯りは古びた蛍光灯がかすかに唸りをあげている。窓の外では、州間道路を走るトラックのエンジン音が時折響いた。

彼はノートパソコンを開き、過去に“スマイリング・マン”を追って失踪した人物たちの記録を辿った。

ネットで都市伝説を調査していたブロガー、危険を顧みず真相を暴こうとしたフリーランスのジャーナリスト――彼らは、消える直前に必ず何か“決定的な証拠”を掴んだと周囲に漏らしていた。

だが、その証拠が何であったのか、肝心な部分はどこにも記録が残されていない。
まるで切り取られたように、彼らの足取りは闇の中へと消えていた。

彼らの家族や友人に話を聞くと、彼らが最後に口にした言葉は不気味なほど似通っていた。

「ついに証拠を掴んだ」
「もうすぐすべてが明らかになる」

しかし、その“時”は来なかった。

彼らは音もなく消えた。

それから数ヶ月、あるいは数年後、彼らの失踪は事件性なしとして処理され、忘れ去られた。
残されたのは、バラバラに点在する証言と、都市伝説として語り継がれる“スマイリング・マン”の噂だけだった。

エリックは肩をもたげ、低く息を吐いた。

「証拠を掴んだ……か」

失踪者たちが手にしたものが、本当に“証拠”だったのなら――それを見た彼らは、何を感じたのか?

エリックは指先でパソコンのタッチパッドを撫でながら、考え込んだ。

その時だった。

コツン――

ドアの下から、何かが滑り込んできた。
封筒だ。
茶色い紙封筒が、無造作に床に落ちていた。

不審に思いながらも、エリックは椅子を引き、慎重に手を伸ばした。

送り主不明。差出人の名も記されていない。

胸騒ぎを覚えながら開封すると、中から一枚の写真が滑り落ちた。

血塗られた犯罪現場。

壁に飛び散った血痕。
そしてその中央に横たわる遺体――

被害者の口元は耳まで裂かれ、縫い合わされ、まるで無理やりに笑わされたかのような表情を浮かべている。

エリックは思わず息を呑んだ。

血に濡れた床、無惨な笑顔に歪められた遺体、壁に飛び散った痕跡――
これらの光景は、彼が過去に調べた事件の特徴と酷似していた。

しかし、決定的に違う点があった。

彼がこれまで目にした新聞記事や報道写真には、この現場と完全に一致するものは存在しない。

以前、知人の捜査関係者に頼み込んで秘密裏に確認した警察の未公開資料にも、該当するものはなかった。

つまり――

この写真は、公には存在しない“未発表の犯罪現場”を映したものだった。

そんなものが、なぜ自分の手元に……?

エリックは封筒の中にまだ何か入っていることに気づく。

それは、折りたたまれた一枚の便箋。

そこには、赤黒いインクで乱雑に書かれた文字があった。

いや、乱雑に見えながらも、それは意図的に“そう書かれた”ものだった。
掠れ、滲み、幾重にも重ねられた筆跡は、誰かがこの言葉を何度も書き直したようにも見える。
あるいは、書いた者が笑っていたのかもしれない――震える筆跡が、それを物語っていた。

“Laugh, laugh, laugh.”
“Laugh, though you know not why.”
“Laugh, for there is nothing else.”

笑え、笑え、笑え。
理由など知らずとも、ただ笑え。
他に何もないのだから、笑え。

エリックの喉がひくりと動いた。

――これは何だ?
――誰に向けた言葉だ?

指先でなぞると、インクはすでに乾いているはずなのに、なぜか生々しく感じられた。
まるで、それを書いた者の感情が、まだそこに宿っているかのように。

彼は無意識に机に置いた写真を見た。

裂けた口元、無理やり作られた不気味な笑み。

そして、再び便箋に目を遣ると、裏にまだ何か書いてあることに気づく。

そこには続きがあった。

“Smile wide, and the world will smile back.”
“Smile, even if the abyss stares back.”
“Smile, even when you no longer can.”

“Keep smiling.”

大きく笑え。そうすれば、世界も笑い返すだろう。
笑え、たとえ深淵が見つめ返してきても。
笑え、お前がもう笑えなくなるその時まで。

――笑い続けろ。

その最後の一文が、エリックの背筋を凍らせた。

これは、“誰”の言葉なのか。
“誰”が、こんな言葉を残したのか。

写真の向こうで、誰かがこちらを見つめているような気がした。
笑いながら。

エリックは、指先にじっとりと汗が滲むのを感じながら、写真をそっとテーブルに置いた。
まるで、それに触れ続けることすら拒むかのように。

これは挑戦状なのか?
それとも真実への誘いなのか?

彼の胸の内で、ジャーナリストの本能がざわめいた。

エリックは写真と便箋をテーブルに置いたまま、モーテルの部屋をぐるりと見回した。
誰かが自分を見ている。
そんな気配が、皮膚の内側を這うようにまとわりついていた。

しかし、窓の外には人気のない駐車場が広がっているだけで、人影はない。
ドアの覗き穴を覗くが、廊下も静まり返っている。

では、封筒を滑り込ませたのは誰だ?
一体、いつの間に?

彼は舌打ちし、手早く荷物をまとめた。
このモーテルには長く滞在しない方がいい。

時計を見ると、午後九時を回っていた。
外はすでに暗く、夜の帳が街を覆い始めている。

エリックはモーテルを出て、駐車場に止めていた自分の車へと向かった。
歩くたびに、靴の底がアスファルトを擦る音がやけに大きく響く。

それ以外の音が、なかった。

いつもなら、夜の州道を走るトラックのエンジン音や、遠くで響く犬の鳴き声があるはずだった。

しかし、今夜は異様なほど静かだった。

……いや、違う。

静かすぎる。

まるで世界が息を潜め、何かを待ち構えているような――
そんな、異様な沈黙。

彼は込み上げる不快感を振り払うように、車のドアを開け、運転席に滑り込んだ。
キーを差し込み、エンジンをかける。

ヘッドライトが闇を切り裂く。

その光の端――駐車場の片隅に、一瞬、何かが見えた気がした。

……影?

いや――そこに誰かがいた。

暗がりの中、電柱の影に隠れるように立ち、じっとこちらを見つめている。

顔は見えない。
エリックは喉の奥で唾を飲み込み、目を逸らさずにギアを入れた。
タイヤが軋み、車がゆっくりと前へ動き出す。

視線を戻した。

――もう、そこには何もいなかった。

エリックはアクセルを踏み込み、街の中心部へと向かった。


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深夜に現れる“|連続殺人鬼《シリアルキラー》”が人を殺し、その遺体に無理やり笑顔を貼り付ける――
そんな噂話がSNSや匿名掲示板を通じて街に広まっている。警察は事件の詳細を公表していないはずなのに、なぜ人々は被害者の「笑顔」のことまで知っているのか。誰からともなく漏れ出した情報が、恐怖を増幅させながら独り歩きしていた。
エリックはノートパソコンの画面に映る掲示板の書き込みを読み、背筋に冷たいものが走るのを感じた。記者として培った直感が、この噂の背後にただならぬ意図を嗅ぎ取っていた。
「またスマイリング・マンの仕業だ」
「死体の顔が笑ってたって本当?」
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画面を凝視しながらエリックは唇を噛んだ。
ここ数年で発見された複数の遺体――いずれも他殺体――はいずれも口元に不気味な笑みを浮かべていたという。その異様さに最初に気づいた警官が同僚に漏らし、そこから都市伝説めいて広まったとも聞く。
しかし警察上層部は市民の混乱を恐れ、早い段階で「笑顔」の件を報道規制したはずだった。にもかかわらず、この“スマイリング・マン”の噂だけが独り歩きしている。
まるで誰かが意図的に人々の恐怖を煽り、物語を作り上げているかのように。
彼、エリック・ウォードは都市伝説を解体することを生業とするジャーナリストだった。
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「気をつけろよ、エリック」
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「お前が追ってることは上には秘密にしてるが……実はな、過去にこの事件を探っていた奴らが何人か行方不明になってる」
「行方不明?」
 エリックは眉をひそめた。
「ああ。表向きは単なる失踪事件として処理されてるがな。中にはフリーの記者や、うちの元捜査官まで含まれている」
トムの低い声には、抑えきれない苛立ちと不安が滲んでいた。
「妙なんだよ……警察は情報を出していないはずなのに、街中がこの“スマイリング・マン”の噂で持ちきりだ。それに呼応するように捜査に首を突っ込んだ連中が、次々と消えていく…まるで誰かが糸を引いているみたいじゃないか」
「犯人が情報をばら撒いていると?」
「可能性の一つとしては、な」
トムは煙草に火をつけ、一息吸い込んだ。
「確証はない。何しろ何もかもが掴めないままだ。しかも俺達|刑事《デカ》ですら、妙な圧力で動きにくくなってる」
「圧力――?」
「…上層部がやけに及び腰なんだ」
トムは声を潜めた。
「市民の不安を煽るな、無闇に噂を口にするな、とお達しが出ている。まるで何かに怯えているようにな」
エリックはトムの言葉にゾクリとした。唯の殺人事件ではなく、警察内部にまで何かしらの恐れが広がっているというのか。
「とにかく、お前も深追いしすぎるな……命あっての物種だぞ?」
それでもエリックの決意は揺らがなかった。
「ありがとう、トム。でも俺は進むよ、何か掴んだらまた連絡する」
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薄暗いモーテルの一室に戻ったエリックはまず、独自に集めた情報を洗い直した。
部屋の灯りは古びた蛍光灯がかすかに唸りをあげている。窓の外では、州間道路を走るトラックのエンジン音が時折響いた。
彼はノートパソコンを開き、過去に“スマイリング・マン”を追って失踪した人物たちの記録を辿った。
ネットで都市伝説を調査していたブロガー、危険を顧みず真相を暴こうとしたフリーランスのジャーナリスト――彼らは、消える直前に必ず何か“決定的な証拠”を掴んだと周囲に漏らしていた。
だが、その証拠が何であったのか、肝心な部分はどこにも記録が残されていない。
まるで切り取られたように、彼らの足取りは闇の中へと消えていた。
彼らの家族や友人に話を聞くと、彼らが最後に口にした言葉は不気味なほど似通っていた。
「ついに証拠を掴んだ」
「もうすぐすべてが明らかになる」
しかし、その“時”は来なかった。
彼らは音もなく消えた。
それから数ヶ月、あるいは数年後、彼らの失踪は事件性なしとして処理され、忘れ去られた。
残されたのは、バラバラに点在する証言と、都市伝説として語り継がれる“スマイリング・マン”の噂だけだった。
エリックは肩をもたげ、低く息を吐いた。
「証拠を掴んだ……か」
失踪者たちが手にしたものが、本当に“証拠”だったのなら――それを見た彼らは、何を感じたのか?
エリックは指先でパソコンのタッチパッドを撫でながら、考え込んだ。
その時だった。
コツン――
ドアの下から、何かが滑り込んできた。
封筒だ。
茶色い紙封筒が、無造作に床に落ちていた。
不審に思いながらも、エリックは椅子を引き、慎重に手を伸ばした。
送り主不明。差出人の名も記されていない。
胸騒ぎを覚えながら開封すると、中から一枚の写真が滑り落ちた。
血塗られた犯罪現場。
壁に飛び散った血痕。
そしてその中央に横たわる遺体――
被害者の口元は耳まで裂かれ、縫い合わされ、まるで無理やりに笑わされたかのような表情を浮かべている。
エリックは思わず息を呑んだ。
血に濡れた床、無惨な笑顔に歪められた遺体、壁に飛び散った痕跡――
これらの光景は、彼が過去に調べた事件の特徴と酷似していた。
しかし、決定的に違う点があった。
彼がこれまで目にした新聞記事や報道写真には、この現場と完全に一致するものは存在しない。
以前、知人の捜査関係者に頼み込んで秘密裏に確認した警察の未公開資料にも、該当するものはなかった。
つまり――
この写真は、公には存在しない“未発表の犯罪現場”を映したものだった。
そんなものが、なぜ自分の手元に……?
エリックは封筒の中にまだ何か入っていることに気づく。
それは、折りたたまれた一枚の便箋。
そこには、赤黒いインクで乱雑に書かれた文字があった。
いや、乱雑に見えながらも、それは意図的に“そう書かれた”ものだった。
掠れ、滲み、幾重にも重ねられた筆跡は、誰かがこの言葉を何度も書き直したようにも見える。
あるいは、書いた者が笑っていたのかもしれない――震える筆跡が、それを物語っていた。
“Laugh, laugh, laugh.”
“Laugh, though you know not why.”
“Laugh, for there is nothing else.”
笑え、笑え、笑え。
理由など知らずとも、ただ笑え。
他に何もないのだから、笑え。
エリックの喉がひくりと動いた。
――これは何だ?
――誰に向けた言葉だ?
指先でなぞると、インクはすでに乾いているはずなのに、なぜか生々しく感じられた。
まるで、それを書いた者の感情が、まだそこに宿っているかのように。
彼は無意識に机に置いた写真を見た。
裂けた口元、無理やり作られた不気味な笑み。
そして、再び便箋に目を遣ると、裏にまだ何か書いてあることに気づく。
そこには続きがあった。
“Smile wide, and the world will smile back.”
“Smile, even if the abyss stares back.”
“Smile, even when you no longer can.”
“Keep smiling.”
大きく笑え。そうすれば、世界も笑い返すだろう。
笑え、たとえ深淵が見つめ返してきても。
笑え、お前がもう笑えなくなるその時まで。
――笑い続けろ。
その最後の一文が、エリックの背筋を凍らせた。
これは、“誰”の言葉なのか。
“誰”が、こんな言葉を残したのか。
写真の向こうで、誰かがこちらを見つめているような気がした。
笑いながら。
エリックは、指先にじっとりと汗が滲むのを感じながら、写真をそっとテーブルに置いた。
まるで、それに触れ続けることすら拒むかのように。
これは挑戦状なのか?
それとも真実への誘いなのか?
彼の胸の内で、ジャーナリストの本能がざわめいた。
エリックは写真と便箋をテーブルに置いたまま、モーテルの部屋をぐるりと見回した。
誰かが自分を見ている。
そんな気配が、皮膚の内側を這うようにまとわりついていた。
しかし、窓の外には人気のない駐車場が広がっているだけで、人影はない。
ドアの覗き穴を覗くが、廊下も静まり返っている。
では、封筒を滑り込ませたのは誰だ?
一体、いつの間に?
彼は舌打ちし、手早く荷物をまとめた。
このモーテルには長く滞在しない方がいい。
時計を見ると、午後九時を回っていた。
外はすでに暗く、夜の帳が街を覆い始めている。
エリックはモーテルを出て、駐車場に止めていた自分の車へと向かった。
歩くたびに、靴の底がアスファルトを擦る音がやけに大きく響く。
それ以外の音が、なかった。
いつもなら、夜の州道を走るトラックのエンジン音や、遠くで響く犬の鳴き声があるはずだった。
しかし、今夜は異様なほど静かだった。
……いや、違う。
静かすぎる。
まるで世界が息を潜め、何かを待ち構えているような――
そんな、異様な沈黙。
彼は込み上げる不快感を振り払うように、車のドアを開け、運転席に滑り込んだ。
キーを差し込み、エンジンをかける。
ヘッドライトが闇を切り裂く。
その光の端――駐車場の片隅に、一瞬、何かが見えた気がした。
……影?
いや――そこに誰かがいた。
暗がりの中、電柱の影に隠れるように立ち、じっとこちらを見つめている。
顔は見えない。
エリックは喉の奥で唾を飲み込み、目を逸らさずにギアを入れた。
タイヤが軋み、車がゆっくりと前へ動き出す。
視線を戻した。
――もう、そこには何もいなかった。
エリックはアクセルを踏み込み、街の中心部へと向かった。