俺の名は晴彦。
音大の声楽科に通う大学生だ。
今日は七夕。
俺は一人で車を海に走らせた。
そして、海岸に車を停め、誰もいない海岸に降り立った。
漆黒の海と、満天の星空だけが俺を見ている。
俺はちょうど一年前の今日、付き合っていた佳織と共にこの海岸に来ていた。
あの日、佳織と話したことは今でも鮮明に覚えている。
何千年も昔のものを見せる、なんてカッコつけたことを言っていたっけ。
佳織は天の川を見て感動していた。
俺も、何度見ても満天の星空には感動させられる。
特に大好きな佳織と一緒に見た星空は格別だった。
俺は調子に乗って星の蘊蓄を語っていた。
そんなことを思い出した。
北の空を見上げてみる。
|北極星《ポーラスター》が目に入る。
佳織は北海道から来ていた、肌の白い美人であった。
南十字星を見たい、そう言っていたっけ。
いつか沖縄に行く。その約束は叶わなかった。
あの後、佳織は北海道に帰った。
俺は南の空を見上げた。
水平線近くに、アンタレスが赤く輝く。
佳織は『銀河鉄道の夜』が好きだった。
特に、サソリの火の話。
佳織は、自分の命が誰かの役に立ちますようにと、いつも考えている子だった。
佳織は白血病と闘っていた。
白い肌にできるあざは、夏になると余計に目立ってしまう。
それでも、俺とのデートでは夏らしいおしゃれをしてくれた。
佳織は大学を休学し、札幌の病院に入院した。
俺はあの日、サソリ座の近くにある、へびつかい座に祈っていた。
死者すら生き返らせる名医アスクレピオスに、佳織の病を治してほしいとお願いしていたのだ。
しかし、それは叶わなかった。
佳織は星になった。
俺は天の川を見上げた。そして、|織姫《ベガ》と|彦星《アルタイル》を見つけ出した。
織姫と彦星は、一年に一度逢える。
子供の頃、七夕の話を聞いたとき、一年に一度しか逢えないなんて辛すぎる、そう思っていたものだ。
今となっては、織姫と彦星が羨ましい、そう思うようになった。
なぜって、織姫と彦星は一年に一度、《《逢える》》のだから。
一年に一度でいい。
俺は佳織に会いたい……
流れ星が一つ、水平線の彼方に落ちていった。
俺の願い、叶えてくれるかな。
イヤホンを耳に付け、プレーヤーの再生ボタンを押す。
佳織が演奏してくれたピアノ伴奏が耳に流れてくる。
それを聞きながら、あの日と同じ歌を、俺は誰もいない海岸で歌った。
暗く広い海と輝く満天の星たちが、俺の歌を聴いてくれた。
サソリの火のように自分の身体を燃やして誰かの役に立ちたい、と佳織はいつも願っていた。
佳織の願いは叶った。
俺はそう信じている。
佳織が残してくれた数々のピアノ曲。
今でも多くの人を魅了する素晴らしい演奏だ。
死してなお、人の役に立つ、そんな人に佳織はなることができた。俺はそう思っている。
俺は星空の下の、ソロコンサートを終えた。
拍手はなかった。
代わりに聞こえてくるのは、波の音だけ。
夜空を見上げた。
満天の星が俺を見つめている。
星はこれからも、ずっと輝き続けるのだろう。
< 了 >