慣れないやもめ暮らしにすっかり疲弊していた昭太郎は、再婚を考え始めた。
美代子……亜寿未……
俺と暮らしてくれるだろうか……
昭太郎は厚顔無恥だと分かっていながらも美代子に思いを打ち明けた。
美代子も亜寿未も初めは戸惑っていたが、やがて昭太郎を赦し受け入れた。
喪が明けた春に昭太郎と美代子はささやかな祝言を挙げた。
昭太郎と美代子そして|松吉《しょうきち》と|亜寿未《あすみ》、四人での暮らしが始まった。
亜寿未は美しく成長していた。
年頃の娘なので急に父と同居するのは受け入れ難いかと思われたが、憧れ続けた父とやっと同居できるということで、すぐに打ち解けることができた。
昭太郎も今まで父親らしいことを何もできなかった分、大いに亜寿未を甘やかした。
松吉は急に姉ができて動揺していた。
尊敬していた父には実は愛人がいて自分には腹違いの姉がいたのだ。
昭太郎は松吉が非行に走るのではないか心配であった。
しかし、これも杞憂だったようだ。
父の予想に反して松吉は事態をすんなりと受け入れたようだった。
亜寿未も一人っ子として育ってきたため、弟ができて嬉しそうであった。
子供たち二人が仲良く過ごしているのを見て昭太郎も美代子も安心した。
昭太郎は再婚してよかったとしみじみ思ったのだった。
こうして数年が過ぎた。
父、昭太郎には一つの大きな不安が生まれていた。
息子、松吉が腹違いの姉、亜寿未に恋心を抱いているのではないか。
自分の息子のことだ、分別はあるはず。間違いは犯さないだろう。
そう信じていた。
しかし、ある日、昭太郎が忘れ物を取りに帰宅した時、そこで体を重ねている二人を目撃してしまう。
昭太郎は激怒した。
すぐさま亜寿未を他家へ奉公に出した。
美代子は反対したが昭太郎の意思は堅かった。
亜寿未がいなくなり、松吉はすっかり生きる気力をなくしてしまっていた。
父の会社に就職できたものの仕事でまったく結果を出せないでいた。
松吉は親の七光りで入社した。そういう陰口がささやかれるようになった。
昭太郎は研究開発部の副部長の娘に、|鈴音《すずね》という年頃の子がいることを知っていた。
そこで松吉との縁組を考えた。
初めは乗り気ではなかった松吉も、お見合いの席で|鈴音《すずね》を一目見るなり気に入ったようだった。
昭太郎はまるで過去の自分を見るようだった。血は争えないものだ。
鈴音の方も松吉を気に入り、話はとんとん拍子で進んでいった。
そして、松吉と鈴音の祝言が挙げられた。
式にはたくさんの社員が招待され、盛大に行われた。
所帯をもった松吉は、今までの昼行灯とは別人のようになり、しっかり働き家では妻を支える良き夫になっていた。
昭太郎は安心した。
しかし、幸せは束の間だった。
妻、美代子が病に倒れた。
結核だった。
美代子は|保養施設《サナトリウム》に隔離された。
それを聞き奉公先から亜寿未が戻ってきた。
自分を産み育ててくれた母がサナトリウムに入れられてしまったのだ。
亜寿未はサナトリウムに住み込み、つきっきりで母を看病した。
昭太郎は自分の無力さを嘆いた。
こんなにも薬の研究に人生を捧げてきたのに、妻の病を薬で治すことができないなんて……
時代遅れの祈祷などに頼らず、現代医学の力で人々を救う。それが昭太郎の夢であった。
そして、次々と新薬を開発し昭太郎は出世してきた。社内でも大きな発言力を持つに至った。
そんな昭太郎でも妻の病を治すことはできなかったのである。
サナトリウムで美代子は何やら呪文を唱えていた。
母から教わった祈祷の呪文だった。
美代子は祈祷師になんて本当はなりたくなかった。
しかし、死を前にこうして霊能力に頼っている自分を情けなく思っていた。
ある日、昭太郎が美代子を見舞うと、美代子は亜寿未を部屋から出し、昭太郎にこう打ち明けた。
「私、あなたと結婚したくて、沙織さんを呪っていたの。秘術を使って……そうしたら、本当に沙織さんは駅で事故に遭って……」
「いや、違う。あれは呪いなんかではない。お前が何かの術を使おうと使うまいと、沙織は事故で死んでいた。お前のせいではない」
昭太郎はそう言って慰めた。
しかし、美代子は自分が沙織を呪い殺したと信じているようだった。
一方、松吉は継母である美代子の見舞いに乗じて密かに亜寿未との逢瀬を続けていた。
亜寿未の方も母の病に気を落とし介護の疲れも重なっていたこともあって、人目を忍んで自分と会ってくれる松吉に心を寄せていた。
やがて、美代子は毎晩うなされるようになる。
夢に沙織が出てくるようになったのだ。
美代子が駅のホームで汽車を待っていると、ホームの下から血まみれの沙織が顔を出し美代子の足をつかんで線路に引きずりおろす。
「ユルサナイ……」
その声と共に汽車がホームに入ってくる……
汽笛を鳴らし轟音と共にやってくる汽車が目の前に迫り、そして目が覚める。
こんな夢を毎晩見続けていた。
やがて、美代子は朝になっても目を覚まさなくなり、うわごとで苦しそうな声を上げるようになった。
昭太郎も亜寿未もその声を聞いているのが辛く、心をえぐられる思いだった。
こうして苦悶の表情を浮かべたまま、美代子は息を引き取った。
昭太郎は妻を二人とも失ってしまった。
美代子の四十九日が明け、居間のソファーで放心状態で座っていた昭太郎の横に、松吉が座った。そして、こう言った。
「父さん、あの薬、俺にくれないか?」
「……? 何の薬だ?」
「ボクの母さんを殺したあの薬だよ」
昭太郎は急にソファーから立ち上がると松吉の顔をまじまじと見た。
「何のことだ? 母さんは、ホームから落ちて死んだんだ。事故死だ。薬は関係ない……」
松吉はにやりと笑うと、父の正面に立ち、目を見据えてこう言った。
「鈴音の父さんが副部長なのはどうして?」
「そ、それは……仕事ができるからだ。だから、俺が副部長に推薦したんだ……」
「ふ~ん、そんなに仕事、できる人だったかな?」
松吉は父に背中を向けると暖炉の上に置いてある葉巻を口にくわえ、マッチで火をつけた。
煙を吐きながら松吉は言った。
「あの薬を持ち出したことを口止めするために副部長にしてあげたんでしょ?」
昭太郎は観念した。
副部長は娘の婿となった松吉に全てを話してしまっていたのだ。
「まあいいよ、ボクは鈴音と結婚出来て、それなりに幸せだった。鈴音のお腹にはボクの子がいる。ボクのようなボンクラでもパパになれそうだし、出世ルートにも乗れそうだし、父さん、さまさまだよ」
松吉は再びソファーに座り、重厚なガラスの灰皿に葉巻の灰を落とした。
昭太郎は言葉を失い、息子が言うことを血の気の引いた顔で聞いていた。
「母さんは父さんが浮気していることを知っていた。あの日、母さんは浮気相手に会って問い詰めるつもりだったんだ。父さんはそのことを分かっていたんでしょ?」
何も知らないと思っていた息子は、すべてを知っていた。
「父さんは母さんの食事に薬を混ぜた。睡眠薬だね」
図星だった。
「普通の薬ではない。幻覚が見えたり夢遊病のように立ち歩いたりする副作用がある薬だ。母さんはそれで駅で眠ってしまい、夢遊病のように立ち歩いてホームから落ちたんだ。父さんは母さんを殺したんだ! 幼馴染と結婚するために!」
「ちがう! そんなつもりはなかった」
昭太郎は諦観し、息子にすべてを明かした。
「確かにあの日、母さんが美代子に会いに行くだろうことは見当がついていた。薬を飲んで寝坊すれば汽車には乗らないだろう、そう思っていただけだ。まさか、ホームから落ちるなんて……」
「今となってはなんとでも言えるよね、父さん。でもね、ボクは父さんを『ユルサナイ』なんて思ってはいないよ。だってね、亜寿未に出会わせてくれたんだから」
「亜寿未はお前の姉だろ! 変な気を起こすな!」
「父さんがしたことは黙っていてあげる。だからね、あの薬、ボクにもくれないかな?」
「……お前、まさか……」
「さすがはボクの父さん、察しが早いね。ボクはやっぱり父さんの子だ。ねぇ、父さん……」
昭太郎は、運命を呪った。
しかし、その種はすべて自分が蒔いたものであった。
「それでね、父さん。亜寿未も俺の子を宿しているんだ」
昭太郎は息を呑んだ。
自分の犯した罪を今、息子がそっくりなぞろうとしている。
「ボク、鈴音を殺して、亜寿未と一緒になるよ」
< 了 >