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3-3・だけど、付き合いたいかどうかで言われると、

ー/ー



「奈保のおうち久しぶり。中等部卒業したときにお泊りしたよね」
 キッチンから美穂ちゃんの嬉しそうな声が聴こえる。
「もっと遊びに来てもいいんだよ? うちの妹もお母さんも美穂のこと好きなんだし」
 奈保ちゃんの声も聴こえてくる。俺に向かって話しているときとは随分声のトーンが違う。
 前を歩きながらも案内された奈保ちゃんの家は、都内のマンションだった。
 タワマンではないが、良さげなマンションだ。俺のワンルームのアパートとは雲泥の差だ。
 6階建てマンションの3階の角部屋。奈保ちゃんと妹さん、そして両親の4人家族で暮らしているそうなのだが、今この家には奈保ちゃんしかいない。中学生の妹は遊びに出かけていて、両親は共働きで家を空けているらしい。
 そんな状況でよく男を家にあげられるな。しかも危険視してる男を。もし俺が奈保ちゃんの想像する通りのゲスな男だとしたら家へ上げるのは明らかな悪手だと思うが、まぁそこは高校1年生の女の子だ。よく分かっていないのだろう。
 奈保ちゃんの部屋は妹さんと共同らしく、俺達が案内されたのはリビングだった。壁際に液晶テレビ。カーペットの上にはローテーブル、クッションがいくつか置かれている。3人座れるソファと1人用のソファがあり、俺はソファのはじっこに座らされている。
「……どうぞ」
 少し待っていると奈保ちゃんが紅茶を持ってきた。ガラス製のティーカップは来客用だろうか。随分と丁寧なおもてなしに内心驚きながらも「ありがとう」とだけ返事をした。
 俺の隣には美穂ちゃん。1人用のソファには奈保ちゃんが座り、妙な空気が流れる。
 もしかしなくてもこの空間に俺という存在は邪魔かもしれない。そりゃそうだ。普段は2人で仲良くおしゃべりをしているというのに、今は知らない奴が間に入っているわけだし。
「それじゃあ早速だけど、いいですか? 日之太さん」
 紅茶を半分ほど飲んだところで美穂ちゃんが振り向く。膝にはいつの間にかタオルケットがあって、既に眠る気満々だ。
 こんな状況でよく眠れるものだ。俺は「どうぞ」と言って姿勢を正して肩の力を抜く。
「失礼しまーす」
 言って、美穂ちゃんがコテンと俺の方に倒れ込んでくる。そのまま左腕に寄りかかるよう倒れて――くると思ったら、腕をスルーして太ももに頭をのせてきた。
 ふわっと柔らかい感触と温かい重みが伝わってくる。いやまぁ、確かに身体を貸したけど、まさか膝枕をすることになるとは。
 なんで俺が美少女に膝枕を――やばい、奈保ちゃんが『なにこいつ』って顔でこっち見てる。
「あ、あの。美穂ちゃん?」
「んぅ、なんですか日之太さん……あっ、もしかして私重いですか?」
「いや、重いとかは全然ないけど」
「よかったぁ」
 ふにゃっと笑い、俺の左手をとる美穂ちゃん。まいった。こんな可愛い感じでこられたら断れないぞ。ていうか普通に可愛くて困る。
「なにデレデレしてるんですか」
 手を握ったまま彼女の寝顔を見下ろしていると、不意に奈保ちゃんの冷たい声がとんできた。
 顔をあげると呆れ顔の奈保ちゃん。曖昧に笑って見せると彼女ははぁっとため息を吐いた。
 それから少しすると、下から美穂ちゃんの寝息が聴こえてきた。上下する胸と微かな呼吸音に俺は静かに息を吐く。良かった。どうやら眠れたみたいだ。
「……ほんとに寝た」
 目を丸くして奈保ちゃんが呟く。やはり信じられなかったようで、俺と美穂ちゃんの顔を何度か交互に見て、難しい表情を浮かべる。
 俺が美穂ちゃんを寝かせられたのが悔しい。だけど久しぶりに友達がぐっすり眠っていることが嬉しい。そんな感情が入り混じって、彼女の諸々を踏み止まらせているようだった。
「どんな魔法を使ったんですか。これまでずっと眠れてなかったのに」
「……それなんだけどさ、奈保ちゃん」
 美穂ちゃんがぐっすりと寝ていることを確認し、俺は声を絞って奈保ちゃんへ呼びかける。
 彼女は眉を顰める。しかし何も言わないことから俺の次の言葉を待っているようだった。
「美穂ちゃんは、どうして眠れてないの? それといつから眠れてない?」
 俺からの疑問に奈保ちゃん不服そうには唇を尖らせる。と思ったらすぐにふんっと鼻で息を抜き、目を伏せた。フルフルと首を横に振り、また冷たい目で俺を見る。
「どうしてって、美穂から聞いてないんですか?」
「正直理由はなんでもいいんだけどさ。だから聞いてない。けど知ってはおきたい」
「聞かされてない、の間違いじゃないですか?」
「それも別になんでもいいかな。それで? 奈保ちゃんは知ってるの?」
 嫌味が効いてないうえに切り返されたのが響いたのか、奈保ちゃんが目に見えてムッとする。顔に出やすい素直な子だ。
「……美穂が言ってないなら私も言いません」
「じゃあ……いつから眠れてないっていうのは分かる?」
「それも、美穂が言ってないなら」
「まぁまぁ、憶えてる限りでいいからさ。憶えてないなら、別にいいんだけど」
 言い切られる前に口を挟む。煽るような言い方に奈保ちゃんは一瞬言葉を詰まらせてムッとし、やがておずおずと口を開いた。
「私が憶えてる限りだと、高校生になってすぐだと思います。あの時くらいから、多分」
 俺が美穂ちゃんと出会ったのは6月頃だ。高校生になってすぐだとしたら、2ヶ月近くロクに眠れてなかったことになる。
 あくまで奈保ちゃんの認識だ。実際はもっと早くから兆候は出ていたのかもしれない。
 そもそも、不眠の原因を取り除いたところで彼女は眠れるようになるのだろうか。ストレス性のものだと決めつけているが、実態はもっと複雑だろう。
 一番いいのは専門の医療機関を受診することだが、それは美穂ちゃんが望むところでは――
「美穂とのこと、これからどうするつもりなんですか」
 考え込んでいると、奈保ちゃんが低い声で訊ねてきた。
 先ほどの呆れた感じだったり、冷めた感じだったりとはまた違う、真剣な、心配しているような表情で俺を見つめてくる。
 俺はチラッと膝元にいる美穂ちゃんの寝顔を見て、すぐに視線を戻した。
「どうするつもりっていうのは?」
「とぼけないで。付き合うつもりですよね。だから美穂の無茶な誘いに毎回乗ってるんでしょ」
「うーん、下心が一切ないとは言い切れないけど、でも、付き合うつもりではないよ。誘いに乗ってるのは、純粋に親切心かな。自分で言うとなんとも胡散臭いけど」
「本当に付き合うつもりはないんですか?」
「今のところはね」
「付き合うつもりもないくせに、こんなことやってるんですか? おかしいですよ」
 信じられないといった調子で、奈保ちゃんが言葉を吐き捨てる。
 奈保ちゃんの言うことが分からないわけではない。実際友人である宗志は会うたび「いつ付き合うの?」と聞いてくるくらいだ。
 確かに美穂ちゃんは可愛いし、明るくていい子だ。好感が持てるだなんて、そんな適当な言葉では片付けられないくらいにはよくできた子だと思う。
 だけど、付き合いたいかどうかで言われると、少し疑問が残る。
 俺は潔白ぶりたいだけなのか。それとも、彼女のことが単純に好きじゃないのか。
 そもそもなんで俺は美穂ちゃんと今こうやって一緒にいるんだ。
 視線が下がっていく。太ももに頭を乗せて眠っている彼女。あのとき、電車の中で見つけた彼女はひどく真っ白な顔をしていた。
 血の気の失せた不健康な顔で、少しでも力を籠めればすぐに壊れてしまいそうな、そんな危うげな身体でかろうじて立っていたことを憶えている。
「……なんか放っておけなかったんだよな。自分を見てるみたいってわけじゃないけど」
 なんとか言葉にして自嘲する。でもそれはあくまできっかけに過ぎない。ここまで色々と何の見返りもなく世話をしているわけは一体なんだというのだろう。
 明日部美穂という美少女の身体が欲しいわけでも、心が欲しいわけでもない。
 一体俺はなにを求めて美穂ちゃんと一緒にいるのか。


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「奈保のおうち久しぶり。中等部卒業したときにお泊りしたよね」
 キッチンから美穂ちゃんの嬉しそうな声が聴こえる。
「もっと遊びに来てもいいんだよ? うちの妹もお母さんも美穂のこと好きなんだし」
 奈保ちゃんの声も聴こえてくる。俺に向かって話しているときとは随分声のトーンが違う。
 前を歩きながらも案内された奈保ちゃんの家は、都内のマンションだった。
 タワマンではないが、良さげなマンションだ。俺のワンルームのアパートとは雲泥の差だ。
 6階建てマンションの3階の角部屋。奈保ちゃんと妹さん、そして両親の4人家族で暮らしているそうなのだが、今この家には奈保ちゃんしかいない。中学生の妹は遊びに出かけていて、両親は共働きで家を空けているらしい。
 そんな状況でよく男を家にあげられるな。しかも危険視してる男を。もし俺が奈保ちゃんの想像する通りのゲスな男だとしたら家へ上げるのは明らかな悪手だと思うが、まぁそこは高校1年生の女の子だ。よく分かっていないのだろう。
 奈保ちゃんの部屋は妹さんと共同らしく、俺達が案内されたのはリビングだった。壁際に液晶テレビ。カーペットの上にはローテーブル、クッションがいくつか置かれている。3人座れるソファと1人用のソファがあり、俺はソファのはじっこに座らされている。
「……どうぞ」
 少し待っていると奈保ちゃんが紅茶を持ってきた。ガラス製のティーカップは来客用だろうか。随分と丁寧なおもてなしに内心驚きながらも「ありがとう」とだけ返事をした。
 俺の隣には美穂ちゃん。1人用のソファには奈保ちゃんが座り、妙な空気が流れる。
 もしかしなくてもこの空間に俺という存在は邪魔かもしれない。そりゃそうだ。普段は2人で仲良くおしゃべりをしているというのに、今は知らない奴が間に入っているわけだし。
「それじゃあ早速だけど、いいですか? 日之太さん」
 紅茶を半分ほど飲んだところで美穂ちゃんが振り向く。膝にはいつの間にかタオルケットがあって、既に眠る気満々だ。
 こんな状況でよく眠れるものだ。俺は「どうぞ」と言って姿勢を正して肩の力を抜く。
「失礼しまーす」
 言って、美穂ちゃんがコテンと俺の方に倒れ込んでくる。そのまま左腕に寄りかかるよう倒れて――くると思ったら、腕をスルーして太ももに頭をのせてきた。
 ふわっと柔らかい感触と温かい重みが伝わってくる。いやまぁ、確かに身体を貸したけど、まさか膝枕をすることになるとは。
 なんで俺が美少女に膝枕を――やばい、奈保ちゃんが『なにこいつ』って顔でこっち見てる。
「あ、あの。美穂ちゃん?」
「んぅ、なんですか日之太さん……あっ、もしかして私重いですか?」
「いや、重いとかは全然ないけど」
「よかったぁ」
 ふにゃっと笑い、俺の左手をとる美穂ちゃん。まいった。こんな可愛い感じでこられたら断れないぞ。ていうか普通に可愛くて困る。
「なにデレデレしてるんですか」
 手を握ったまま彼女の寝顔を見下ろしていると、不意に奈保ちゃんの冷たい声がとんできた。
 顔をあげると呆れ顔の奈保ちゃん。曖昧に笑って見せると彼女ははぁっとため息を吐いた。
 それから少しすると、下から美穂ちゃんの寝息が聴こえてきた。上下する胸と微かな呼吸音に俺は静かに息を吐く。良かった。どうやら眠れたみたいだ。
「……ほんとに寝た」
 目を丸くして奈保ちゃんが呟く。やはり信じられなかったようで、俺と美穂ちゃんの顔を何度か交互に見て、難しい表情を浮かべる。
 俺が美穂ちゃんを寝かせられたのが悔しい。だけど久しぶりに友達がぐっすり眠っていることが嬉しい。そんな感情が入り混じって、彼女の諸々を踏み止まらせているようだった。
「どんな魔法を使ったんですか。これまでずっと眠れてなかったのに」
「……それなんだけどさ、奈保ちゃん」
 美穂ちゃんがぐっすりと寝ていることを確認し、俺は声を絞って奈保ちゃんへ呼びかける。
 彼女は眉を顰める。しかし何も言わないことから俺の次の言葉を待っているようだった。
「美穂ちゃんは、どうして眠れてないの? それといつから眠れてない?」
 俺からの疑問に奈保ちゃん不服そうには唇を尖らせる。と思ったらすぐにふんっと鼻で息を抜き、目を伏せた。フルフルと首を横に振り、また冷たい目で俺を見る。
「どうしてって、美穂から聞いてないんですか?」
「正直理由はなんでもいいんだけどさ。だから聞いてない。けど知ってはおきたい」
「聞かされてない、の間違いじゃないですか?」
「それも別になんでもいいかな。それで? 奈保ちゃんは知ってるの?」
 嫌味が効いてないうえに切り返されたのが響いたのか、奈保ちゃんが目に見えてムッとする。顔に出やすい素直な子だ。
「……美穂が言ってないなら私も言いません」
「じゃあ……いつから眠れてないっていうのは分かる?」
「それも、美穂が言ってないなら」
「まぁまぁ、憶えてる限りでいいからさ。憶えてないなら、別にいいんだけど」
 言い切られる前に口を挟む。煽るような言い方に奈保ちゃんは一瞬言葉を詰まらせてムッとし、やがておずおずと口を開いた。
「私が憶えてる限りだと、高校生になってすぐだと思います。あの時くらいから、多分」
 俺が美穂ちゃんと出会ったのは6月頃だ。高校生になってすぐだとしたら、2ヶ月近くロクに眠れてなかったことになる。
 あくまで奈保ちゃんの認識だ。実際はもっと早くから兆候は出ていたのかもしれない。
 そもそも、不眠の原因を取り除いたところで彼女は眠れるようになるのだろうか。ストレス性のものだと決めつけているが、実態はもっと複雑だろう。
 一番いいのは専門の医療機関を受診することだが、それは美穂ちゃんが望むところでは――
「美穂とのこと、これからどうするつもりなんですか」
 考え込んでいると、奈保ちゃんが低い声で訊ねてきた。
 先ほどの呆れた感じだったり、冷めた感じだったりとはまた違う、真剣な、心配しているような表情で俺を見つめてくる。
 俺はチラッと膝元にいる美穂ちゃんの寝顔を見て、すぐに視線を戻した。
「どうするつもりっていうのは?」
「とぼけないで。付き合うつもりですよね。だから美穂の無茶な誘いに毎回乗ってるんでしょ」
「うーん、下心が一切ないとは言い切れないけど、でも、付き合うつもりではないよ。誘いに乗ってるのは、純粋に親切心かな。自分で言うとなんとも胡散臭いけど」
「本当に付き合うつもりはないんですか?」
「今のところはね」
「付き合うつもりもないくせに、こんなことやってるんですか? おかしいですよ」
 信じられないといった調子で、奈保ちゃんが言葉を吐き捨てる。
 奈保ちゃんの言うことが分からないわけではない。実際友人である宗志は会うたび「いつ付き合うの?」と聞いてくるくらいだ。
 確かに美穂ちゃんは可愛いし、明るくていい子だ。好感が持てるだなんて、そんな適当な言葉では片付けられないくらいにはよくできた子だと思う。
 だけど、付き合いたいかどうかで言われると、少し疑問が残る。
 俺は潔白ぶりたいだけなのか。それとも、彼女のことが単純に好きじゃないのか。
 そもそもなんで俺は美穂ちゃんと今こうやって一緒にいるんだ。
 視線が下がっていく。太ももに頭を乗せて眠っている彼女。あのとき、電車の中で見つけた彼女はひどく真っ白な顔をしていた。
 血の気の失せた不健康な顔で、少しでも力を籠めればすぐに壊れてしまいそうな、そんな危うげな身体でかろうじて立っていたことを憶えている。
「……なんか放っておけなかったんだよな。自分を見てるみたいってわけじゃないけど」
 なんとか言葉にして自嘲する。でもそれはあくまできっかけに過ぎない。ここまで色々と何の見返りもなく世話をしているわけは一体なんだというのだろう。
 明日部美穂という美少女の身体が欲しいわけでも、心が欲しいわけでもない。
 一体俺はなにを求めて美穂ちゃんと一緒にいるのか。