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明け方近くなると、「闇」と書かれたポリタンクの液体ではなく、何も書いていないポリタンクの液体を、「闇」の液体が入ったバケツに注ぐ。
注ぐと、バケツの中の黒に近い紺色の液体から靄が上がるが、すぐに静まる。液体を混ぜ合わせると、キラキラした黄色の光が散りはじめる。
カナノさん
曰く、これは色を薄める水みたいなものらしい。でも、水じゃない。
少し薄めた「闇」を、端っこから塗り直していく。塗り始めたところから、明るい赤みを帯びた橙色が少しずつ強くなっていく。
「あぁ、暁バイトさんたちだ」
カナノさんは、空の端っこを指差す。
薄めた絵の具みたいな液体で塗ったところを、あざやかな橙色が塗り替えていた。
「暁バイトさんは忙しいよー? 暗いところを明るく塗らなきゃいけないからね」
暗い色を、明るい色で塗り直すのは大変だろう? とカナノさんが付け加える。
小学生の頃、図工でやった絵の具絵の記憶を思い出して、俺は頷いた。
色塗りに失敗した俺は、濃い色の部分を明るい色で隠そうとして、グラデーションを無視して、水で溶かない絵の具そのものを塗ってごまかした。
俺の人生は、いつもそうだ。
暗いところに蓋をしようとして、何も問題ないですよと言い張る。でも、バレバレなんだ。
闇バイトなんかに手を出そうとして、こんなことに気づかされるんだから。
そんなことをボーッと考えていると、カナノさんに怒られる。
暁バイトたちが空を明るくするには、こちらが暗く塗った色を、違和感なく薄めていかなくてはならないのだ。
明け方はほぼ、息切れしそうな勢いで、塗り直し作業に追われた。
カナノさんが言うには、暁バイトは闇バイトよりも人数が多いらしい。明るくなるスピードが半端じゃなかった。
暁バイトが塗り替えていった空は、綺麗な橙色で、顔を出した太陽を美しく映えさせていた。
天文台のベンチから見る朝空は、とても綺麗だ。
「このバイト、名前が悪いっスよ」
朝焼けの中、隣に座っているカナノさんに話しかける。
カナノさんは疲労困憊といった様子で、朝の太陽を力なく見つめていた。
「いやぁ、夜勤って言うと、人が来ないんだって。闇バイトって名前だと、なんか応募くるから」
カナノさんは苦笑いして、俺に顔を向ける。
俺も、その「闇バイト」の名称につられた一人だ。見抜かれた気がした。
「でも、募集見て来た人なのに、時給が安すぎるってみんな辞退しちゃう」
「それ絶対、闇バイトって名前のせいっス」
時給は、まぁ、居酒屋よりは高かったから、そこは良しとして。闇バイトを求める層には、響かない値段だと思う。
「で、新人くんは、明日も来てくれるかな?」
半信半疑といった顔のカナノさんは、薄く笑って尋ねてきた。
「あぁ……まぁ……大丈夫、です……交通費を当日、出してくれるなら……」
カナノさんの問いには、あまり乗り気じゃない返事をした。
カナノさんは、「あ、そーぉ?」と、薄く笑っていた。俺が明日来るのか来ないのか、半信半疑な気持ちが、この表情にしたんだと思う。
でも、明日、俺は必ずここに来るだろう。
久しぶりに、もしかしたら初めてじゃないかと思うくらい、楽しかった。
俺とカナノさんが空を塗って、世の中に夜が来ているなんて、最高にロマンチックで、ファンタジーじゃないか。
黒に近い紺色の空を貫く星の光は、綺麗だった。
それを知っただけ、前の俺より、今の俺は前に進めている気がする。
今の俺には、たぶん、この仕事が合っているんだ。