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理想郷の中で

ー/ー



 そして当然の帰結として、私は次の相手を求めた。付き合ったりするのではなく、安心して愉しくセックスができる相手を。けれど、それは決して簡単に見つかるものではなかった。
 まず、前提として、自分の動きを夏芽にだけは絶対に気づかれないようにする必要があった。そんなわけで、対象は夏芽が属するコミュニティから離れた所で見繕う必要があったのだけれど、その相手を選ぶ上で最も適した場所があった。それが、両親によって無理やり通わされていた塾だった。その塾には、同じ中学の生徒がいなかったのだ。
 見るからに童貞という風貌の子や、見るからにがっついている子は除外して、その中から講義中の仕草や佇まいを観察したり、実際に話したりしてコミュニケーションをとることで、人となりや私に対する関心の有無を探る。多少異性慣れしていて、その一方でリスク管理をしっかりと徹底できそうなタイプの子、というふうに、条件を絞りながら、段階的に相手を見繕うのは簡単な作業ではなかったけれど、欲求を理性で抑え込みながら観察眼を養う一種のゲームだと割り切れば苦ではなかった。そういった経験が自分には必要なのだと、当時の私はごく自然に納得していた。
 けっきょく、塾に在籍していた一年半の間に五人の男の子と関係を持った。関係性としては恋人ではなくて、言ってしまえばセフレに近いそれだったけれど、同時に複数人と関係を持つことはなく、あくまでも一人の相手と私なりの真摯さをもって向き合った。周囲にバレるリスクを少しでも抑えたかったし、そもそも三年になってからは受験が控えていたので、複数人と同時に関係を持つだけの時間なんてなかった。
 事前の選別が功を奏したのか、私が関係を持った人たちの多くは勉強のストレスを少しでも発散するためか、継続的な恋人関係よりも一時的なセフレ関係を望んでおり、その点も私にとって都合が良かった。前提条件として、双方に共犯意識があれば関係を持った事実が露見する可能性は著しく下がるからだ。
 実際、いい雰囲気になり、いざ相手が服を脱がせにかかろうとする段階で「このこと、誰にも言わないって約束できる?」と確認すると、まず間違いなく「約束する」と返ってくる。そしてセックスのあと、改めて言質をとる。大事なのは、決して懇願するような態度で口にしないこと。あくまでも優位なのはこちら側であり、今後も同じようにできるかどうかは私の裁量次第だと相手に理解させて、性の手綱を握っておくこと。そういったフォローと、事前に行った選別のおかげで、いざ関係を持った相手とは、基本的には大きなトラブルもなくその関係を終えられた。あるいはフェードアウトすることができた。
 それでも例外として、正式に付き合いたいと言ってくる子がいた。私が拒否すると、別れ際に口汚い言葉で罵られた。けれど、そのことで心が痛んだり消耗したりすることはなかった。好意を抱いていない相手から向けられる言葉というのは、私を傷つけるだけの鋭利さを孕んではいなかった。
 とはいえ、人間の意志なんて脆いものだし、きっと私と関係を持っていたことを得意げに(あるいは憎々しげに)吹聴して回った人もいただろうと思う。というより、そうであるはずだと考えるようにしていた。それは私にとって一種の自戒であり、自己防衛だった。
 セックスの回数を重ねていくにつれ、二つのことに気がついた。一つは、自分が性に対して貪欲なわけではないということ。決して底なしの欲求不満というわけでもなければ、探究心に衝き動かされてアブノーマルなプレイに走るということもなかった。私の性欲はきっと平均よりも多少旺盛な程度で、他の子たちとの一番の違いは、きっと性的な行為に対する抵抗が、ほとんど皆無なところなのだと思う。
 もう一つは、セックスそのものに加えて、その後の他愛無い会話ややりとり、いわゆるピロートークが自分は嫌いではないのだということ。
 身体を合わせることで、本来であれば様々なやり取りと相応の時間を経て縮めるはずの心理的な距離が――多少歪な形ではあるにせよ――一足飛びに縮まっていく。その事実がとても愉快だった。裸のまま一つの布団にくるまり、色々な話をするのが楽しかった。受験のこと、初恋のこと、好きなお笑い芸人のこと、親や学校の愚痴、今までにしてきた悪事、将来の夢。さっきまで全てを晒して抱き合っていた相手と、お互いの人となりや取り巻く環境が透けて見えるような個人的な話をするその場限りの時間が、はっきりと愛おしかった。
 もちろん、関わりを持った相手全員と理想的な時間を過ごせたわけではない。中にはセックスを終えるとすぐに鼾をかいて眠ってしまう人や、塾帰りの公園の茂みで行為のみを手短かに済ませる人がいた。そうした目に遭っても決して相手を責めることはしなかったし、自分が損なわれたと感じることもなかったけれど、やはりピロートークで楽しませてくれる人との関係の方が長く続いた。
 誰かと付き合いたいという気持ちも、理想の恋人像も、気がつけば私にとって重要なものではなくなっていた。私の中の渇きは、身体を重ねることと、その後に相手がちらつかせる無防備な人間性を観測することで満たされていった。
 自分が異性に求めるものと、他の子たちが異性に求めるもの。それらの違いを考えるとき、彼女たちが善で自分は悪だと、そう認識するようにしていた。そして、私は悪だけれど、愚かではない。そのことを、常に己に言い聞かせ続けていた。
 自分がなにに価値を見出し、なにを優先するのか。そしてその価値観は客観的にどう映るのか。それらを常に俯瞰で捉えておく意識こそが道を踏み外さないための命綱だ。それが、誰に教えられたわけでもなく自分で見つけ出した、私だけの真理だった。


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 そして当然の帰結として、私は次の相手を求めた。付き合ったりするのではなく、安心して愉しくセックスができる相手を。けれど、それは決して簡単に見つかるものではなかった。
 まず、前提として、自分の動きを夏芽にだけは絶対に気づかれないようにする必要があった。そんなわけで、対象は夏芽が属するコミュニティから離れた所で見繕う必要があったのだけれど、その相手を選ぶ上で最も適した場所があった。それが、両親によって無理やり通わされていた塾だった。その塾には、同じ中学の生徒がいなかったのだ。
 見るからに童貞という風貌の子や、見るからにがっついている子は除外して、その中から講義中の仕草や佇まいを観察したり、実際に話したりしてコミュニケーションをとることで、人となりや私に対する関心の有無を探る。多少異性慣れしていて、その一方でリスク管理をしっかりと徹底できそうなタイプの子、というふうに、条件を絞りながら、段階的に相手を見繕うのは簡単な作業ではなかったけれど、欲求を理性で抑え込みながら観察眼を養う一種のゲームだと割り切れば苦ではなかった。そういった経験が自分には必要なのだと、当時の私はごく自然に納得していた。
 けっきょく、塾に在籍していた一年半の間に五人の男の子と関係を持った。関係性としては恋人ではなくて、言ってしまえばセフレに近いそれだったけれど、同時に複数人と関係を持つことはなく、あくまでも一人の相手と私なりの真摯さをもって向き合った。周囲にバレるリスクを少しでも抑えたかったし、そもそも三年になってからは受験が控えていたので、複数人と同時に関係を持つだけの時間なんてなかった。
 事前の選別が功を奏したのか、私が関係を持った人たちの多くは勉強のストレスを少しでも発散するためか、継続的な恋人関係よりも一時的なセフレ関係を望んでおり、その点も私にとって都合が良かった。前提条件として、双方に共犯意識があれば関係を持った事実が露見する可能性は著しく下がるからだ。
 実際、いい雰囲気になり、いざ相手が服を脱がせにかかろうとする段階で「このこと、誰にも言わないって約束できる?」と確認すると、まず間違いなく「約束する」と返ってくる。そしてセックスのあと、改めて言質をとる。大事なのは、決して懇願するような態度で口にしないこと。あくまでも優位なのはこちら側であり、今後も同じようにできるかどうかは私の裁量次第だと相手に理解させて、性の手綱を握っておくこと。そういったフォローと、事前に行った選別のおかげで、いざ関係を持った相手とは、基本的には大きなトラブルもなくその関係を終えられた。あるいはフェードアウトすることができた。
 それでも例外として、正式に付き合いたいと言ってくる子がいた。私が拒否すると、別れ際に口汚い言葉で罵られた。けれど、そのことで心が痛んだり消耗したりすることはなかった。好意を抱いていない相手から向けられる言葉というのは、私を傷つけるだけの鋭利さを孕んではいなかった。
 とはいえ、人間の意志なんて脆いものだし、きっと私と関係を持っていたことを得意げに(あるいは憎々しげに)吹聴して回った人もいただろうと思う。というより、そうであるはずだと考えるようにしていた。それは私にとって一種の自戒であり、自己防衛だった。
 セックスの回数を重ねていくにつれ、二つのことに気がついた。一つは、自分が性に対して貪欲なわけではないということ。決して底なしの欲求不満というわけでもなければ、探究心に衝き動かされてアブノーマルなプレイに走るということもなかった。私の性欲はきっと平均よりも多少旺盛な程度で、他の子たちとの一番の違いは、きっと性的な行為に対する抵抗が、ほとんど皆無なところなのだと思う。
 もう一つは、セックスそのものに加えて、その後の他愛無い会話ややりとり、いわゆるピロートークが自分は嫌いではないのだということ。
 身体を合わせることで、本来であれば様々なやり取りと相応の時間を経て縮めるはずの心理的な距離が――多少歪な形ではあるにせよ――一足飛びに縮まっていく。その事実がとても愉快だった。裸のまま一つの布団にくるまり、色々な話をするのが楽しかった。受験のこと、初恋のこと、好きなお笑い芸人のこと、親や学校の愚痴、今までにしてきた悪事、将来の夢。さっきまで全てを晒して抱き合っていた相手と、お互いの人となりや取り巻く環境が透けて見えるような個人的な話をするその場限りの時間が、はっきりと愛おしかった。
 もちろん、関わりを持った相手全員と理想的な時間を過ごせたわけではない。中にはセックスを終えるとすぐに鼾をかいて眠ってしまう人や、塾帰りの公園の茂みで行為のみを手短かに済ませる人がいた。そうした目に遭っても決して相手を責めることはしなかったし、自分が損なわれたと感じることもなかったけれど、やはりピロートークで楽しませてくれる人との関係の方が長く続いた。
 誰かと付き合いたいという気持ちも、理想の恋人像も、気がつけば私にとって重要なものではなくなっていた。私の中の渇きは、身体を重ねることと、その後に相手がちらつかせる無防備な人間性を観測することで満たされていった。
 自分が異性に求めるものと、他の子たちが異性に求めるもの。それらの違いを考えるとき、彼女たちが善で自分は悪だと、そう認識するようにしていた。そして、私は悪だけれど、愚かではない。そのことを、常に己に言い聞かせ続けていた。
 自分がなにに価値を見出し、なにを優先するのか。そしてその価値観は客観的にどう映るのか。それらを常に俯瞰で捉えておく意識こそが道を踏み外さないための命綱だ。それが、誰に教えられたわけでもなく自分で見つけ出した、私だけの真理だった。