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雲が流れる

ー/ー



 翌年も、その翌年も、私たちは小学校を卒業するまで同じクラスだった。絶えざる注目を集め、交友関係が広がる中で、夏芽の魅力は日に日に磨かれていった。けれど、夏芽が一番信頼し、仲良くしていたのは変わることなく私だった。そして私も、そのポジションを誰かに譲るつもりはなかった。彼女を初めてみたときに感じた危うさが、眩い笑顔の奥にまだ綺麗なまま残っていたからだ。
 他の子たちが意に介さないような些細なことに傷つき、驚き、関心を示し、キラキラと輝く笑顔を見せる。からかわれると言い返しもせずにめそめそ泣いたり、言葉に潜む嘘を見抜けず簡単に騙されたり、私が仮病を使って学校を休もうとしたときには家までやってきて登校させようとしたり、国語の授業で虹の麓には宝物があるという話を聞くとその日の放課後は一目散に家に飛んで帰りキラキラと目を光らせながらランドセルの代わりに大きなデイパックを背負って私を誘ったり。
 そんな場面に出会うたびに、私は彼女の有する素直な感性を実感した。昏くじめじめした陰から日の当たる場所に躍り出ても、和久井夏芽という存在はまったく変わっていなかった。その事実が私には奇妙に、不可解に、そしてどこまでも美しく映った。
 そんなふうにつるりとした、裏表のない心を保ちながら、夏芽は勉強にもしっかり取り組んだし、運動もそこそこできた。祖父母と暮らしていることもありインターネット環境こそ身近にはなかったものの、私たちと一緒に漫画やドラマを楽しむし、音楽だって人並みに聴いているから、周りの話題についていけなくなるということもない。そこに、例の笑顔と人柄が加わる。一般的な観点から見ると、夏芽には一切の死角がなかった。
 そんなけちのつけようのない人気者となっても、夏芽は私に対してなんの疑いもなく、まるで抜身の魂を委ねるようにして関わってくる。夏芽にとって私がかけがえのない存在であると同時に、私にとってもまた、夏芽はかけがえのない存在になっていた。
 当時の私は、そんな風な自分の内面の動きを、一つの事実として客観視するように努めた。そういった作業は特に意識せずとも自然に実行できた。――おそらくそれも、おばあちゃんの死が残した教訓によって形作られた習慣だった。
 けれど、一人でつらつらと想像を巡らせているうちに、私たちの間で行き交っている好意が、友情よりも性愛に近いそれなのかもしれないと、そんな危惧をするようになった。
 だから、そうではないことを実証するために、六年生のとき、私は気になっていた男の子に告白して、ままごとのような恋人関係を結んだ。
 その男の子と一緒にいると、夏芽と一緒にいるときとは違う充実感や緊張感、高揚感を得られると気づくのに時間はかからなかった。そのように比較対象を得たことで、夏芽から向けられる目も、それがあくまでも親しみと信頼に裏付けられたものなのだと実感することができた。
 ままごとが始まり、なにかの拍子で終了しても、夏芽にその男の子とのことは打ち明けなかった。私の中で性の感覚やそういう問題に対する関心が萌芽しかけているという個人的な事情を、あの子に知られたくはなかったからだ。
 
 中学校に入学すると、夏芽は私の適当な勧めにあっさりと乗ってボランティア部に入った。部、と謳っているが、実際は夏芽しか部員がおらず、名目上の顧問である教頭と一緒に行うゴミ拾いや花壇の水やりなんかの雑務を主な活動内容としていた。勧めた手前、私も当初はそういった活動に付き添っていたけれど、次第に面倒くさくなった。夏芽も「一緒にやろうよ」としばらくはしつこく誘ってきたものの、やがてあきらめて教頭と二人で校内の清掃や地域のごみ拾いなどの奉仕活動に精を出すようになった。
 私は、なんとなく陽キャっぽい子が多そうで華やかな雰囲気の女子バスケ部に入った。練習を重ねるにつれて日に日にスキルが上達する感覚が快かったけれど、一部の先輩とどうしてもそりが合わず、夏休みに入る頃には退部届を出していた。
 運動部から帰宅部へと身を落とした娘を憂いた両親の図らいにより、夏休みのうちから私は塾に通わされた。その塾に通い始めたことが、後々私にとって大きな分岐点となる。
 夏芽の外見からは幼さが抜けつつあり、少しずつ女性らしさを纏うようになった。そして当然のように、異性の関心を集める存在となっていった。誰かが、「ボランティア部の天使」と言っていた。
 私は、夏芽の持つ素直な心はいずれ恋心を知ることで変わっていくのだろうと覚悟していた。誰かを好きになり、さわやかで瑞々しい好意が生々しい性を包含することで、彼女の持つ価値観に変化が生じるだろうと考えていた。単一的にではなく複合的に、多面的に物事を捉えるという点において恋というのはうってつけの体験なんだと、私自身、身をもって実感していたからだ。
 けれど夏芽は、第二次性徴を迎えてもなお、恋愛感情というものをまだ肌で理解できていない様子だった。男の子からアプローチを受けることも度々あったけれど、夏芽が異性に心を揺さぶられている様子はなかった。彼らから耳触りのいいことを言われれば額面通りに受け取り、ストレートに迫られれば戸惑いや、場合によっては単純な恐怖を感じているようだった。
 その反面、私自身は、夏芽への感情を確かめる過程で比較的早い段階から恋愛感情に限りなく近い感情や、異性と体を触れ合わせる心地よさを体感していたし、中学に上がってからは、何人かの男子と付き合ってみるという経験を積んでもいた。夏芽をはじめとした周囲に気取られないことをなにより意識しながら、学校帰りに手を繋いだり、キスをしたりした。おそらく同年代の中では、異性とのやり取りは豊富な方だったと思う。
 恋愛方面における私の関心は、着実に性的な方向へと高まっていった。それまでは、あくまでも男の子と肌や唇を触れ合わせるという行為の非日常感を味わっているだけにすぎなかったけれど、次第に興奮とも焦燥ともつかない高揚感が身体の奥からふつふつと湧き上がるようになっていった。そんな自分の状況を、私はできるだけ客観的に捉えようと意識した。
 そしてとうとう、性的欲求を伴う好奇心を抑えきれず、中学二年のゴールデンウィークに、塾で仲良くなった一つ上の先輩と初体験を済ませた。未知の恐怖と痛みを乗り切った先のほのかな快感と、合わさった肌の温度と、生温かくも親密な空気。そのどれもが私の知らない味で、セックスは良きものとしてインプットされた。
 私がそんなふうに事後の余韻に浸っていると、先輩は「付き合おう」と言った。私は「ごめんなさい」と返事をした。処女を抱いておきながら事後承諾的に告白するってムーブが気持ち悪い。そう感じたからだ。


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 翌年も、その翌年も、私たちは小学校を卒業するまで同じクラスだった。絶えざる注目を集め、交友関係が広がる中で、夏芽の魅力は日に日に磨かれていった。けれど、夏芽が一番信頼し、仲良くしていたのは変わることなく私だった。そして私も、そのポジションを誰かに譲るつもりはなかった。彼女を初めてみたときに感じた危うさが、眩い笑顔の奥にまだ綺麗なまま残っていたからだ。
 他の子たちが意に介さないような些細なことに傷つき、驚き、関心を示し、キラキラと輝く笑顔を見せる。からかわれると言い返しもせずにめそめそ泣いたり、言葉に潜む嘘を見抜けず簡単に騙されたり、私が仮病を使って学校を休もうとしたときには家までやってきて登校させようとしたり、国語の授業で虹の麓には宝物があるという話を聞くとその日の放課後は一目散に家に飛んで帰りキラキラと目を光らせながらランドセルの代わりに大きなデイパックを背負って私を誘ったり。
 そんな場面に出会うたびに、私は彼女の有する素直な感性を実感した。昏くじめじめした陰から日の当たる場所に躍り出ても、和久井夏芽という存在はまったく変わっていなかった。その事実が私には奇妙に、不可解に、そしてどこまでも美しく映った。
 そんなふうにつるりとした、裏表のない心を保ちながら、夏芽は勉強にもしっかり取り組んだし、運動もそこそこできた。祖父母と暮らしていることもありインターネット環境こそ身近にはなかったものの、私たちと一緒に漫画やドラマを楽しむし、音楽だって人並みに聴いているから、周りの話題についていけなくなるということもない。そこに、例の笑顔と人柄が加わる。一般的な観点から見ると、夏芽には一切の死角がなかった。
 そんなけちのつけようのない人気者となっても、夏芽は私に対してなんの疑いもなく、まるで抜身の魂を委ねるようにして関わってくる。夏芽にとって私がかけがえのない存在であると同時に、私にとってもまた、夏芽はかけがえのない存在になっていた。
 当時の私は、そんな風な自分の内面の動きを、一つの事実として客観視するように努めた。そういった作業は特に意識せずとも自然に実行できた。――おそらくそれも、おばあちゃんの死が残した教訓によって形作られた習慣だった。
 けれど、一人でつらつらと想像を巡らせているうちに、私たちの間で行き交っている好意が、友情よりも性愛に近いそれなのかもしれないと、そんな危惧をするようになった。
 だから、そうではないことを実証するために、六年生のとき、私は気になっていた男の子に告白して、ままごとのような恋人関係を結んだ。
 その男の子と一緒にいると、夏芽と一緒にいるときとは違う充実感や緊張感、高揚感を得られると気づくのに時間はかからなかった。そのように比較対象を得たことで、夏芽から向けられる目も、それがあくまでも親しみと信頼に裏付けられたものなのだと実感することができた。
 ままごとが始まり、なにかの拍子で終了しても、夏芽にその男の子とのことは打ち明けなかった。私の中で性の感覚やそういう問題に対する関心が萌芽しかけているという個人的な事情を、あの子に知られたくはなかったからだ。
 中学校に入学すると、夏芽は私の適当な勧めにあっさりと乗ってボランティア部に入った。部、と謳っているが、実際は夏芽しか部員がおらず、名目上の顧問である教頭と一緒に行うゴミ拾いや花壇の水やりなんかの雑務を主な活動内容としていた。勧めた手前、私も当初はそういった活動に付き添っていたけれど、次第に面倒くさくなった。夏芽も「一緒にやろうよ」としばらくはしつこく誘ってきたものの、やがてあきらめて教頭と二人で校内の清掃や地域のごみ拾いなどの奉仕活動に精を出すようになった。
 私は、なんとなく陽キャっぽい子が多そうで華やかな雰囲気の女子バスケ部に入った。練習を重ねるにつれて日に日にスキルが上達する感覚が快かったけれど、一部の先輩とどうしてもそりが合わず、夏休みに入る頃には退部届を出していた。
 運動部から帰宅部へと身を落とした娘を憂いた両親の図らいにより、夏休みのうちから私は塾に通わされた。その塾に通い始めたことが、後々私にとって大きな分岐点となる。
 夏芽の外見からは幼さが抜けつつあり、少しずつ女性らしさを纏うようになった。そして当然のように、異性の関心を集める存在となっていった。誰かが、「ボランティア部の天使」と言っていた。
 私は、夏芽の持つ素直な心はいずれ恋心を知ることで変わっていくのだろうと覚悟していた。誰かを好きになり、さわやかで瑞々しい好意が生々しい性を包含することで、彼女の持つ価値観に変化が生じるだろうと考えていた。単一的にではなく複合的に、多面的に物事を捉えるという点において恋というのはうってつけの体験なんだと、私自身、身をもって実感していたからだ。
 けれど夏芽は、第二次性徴を迎えてもなお、恋愛感情というものをまだ肌で理解できていない様子だった。男の子からアプローチを受けることも度々あったけれど、夏芽が異性に心を揺さぶられている様子はなかった。彼らから耳触りのいいことを言われれば額面通りに受け取り、ストレートに迫られれば戸惑いや、場合によっては単純な恐怖を感じているようだった。
 その反面、私自身は、夏芽への感情を確かめる過程で比較的早い段階から恋愛感情に限りなく近い感情や、異性と体を触れ合わせる心地よさを体感していたし、中学に上がってからは、何人かの男子と付き合ってみるという経験を積んでもいた。夏芽をはじめとした周囲に気取られないことをなにより意識しながら、学校帰りに手を繋いだり、キスをしたりした。おそらく同年代の中では、異性とのやり取りは豊富な方だったと思う。
 恋愛方面における私の関心は、着実に性的な方向へと高まっていった。それまでは、あくまでも男の子と肌や唇を触れ合わせるという行為の非日常感を味わっているだけにすぎなかったけれど、次第に興奮とも焦燥ともつかない高揚感が身体の奥からふつふつと湧き上がるようになっていった。そんな自分の状況を、私はできるだけ客観的に捉えようと意識した。
 そしてとうとう、性的欲求を伴う好奇心を抑えきれず、中学二年のゴールデンウィークに、塾で仲良くなった一つ上の先輩と初体験を済ませた。未知の恐怖と痛みを乗り切った先のほのかな快感と、合わさった肌の温度と、生温かくも親密な空気。そのどれもが私の知らない味で、セックスは良きものとしてインプットされた。
 私がそんなふうに事後の余韻に浸っていると、先輩は「付き合おう」と言った。私は「ごめんなさい」と返事をした。処女を抱いておきながら事後承諾的に告白するってムーブが気持ち悪い。そう感じたからだ。