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第七頁 VS毒の王子様2

ー/ー



「やぁ、見つけたよ」

 そう言って姿を現したのは、先程交戦した少年、テトラだった。見たところ、テトラもパラメラも毒に侵されているような気配は無い。

「あら、まだ追ってくる体力なんてあったのね。きっちり勝敗をつけに来たの?」

 私は、レイナの姿で少年に語りかけた。けれど、私は逃げたい一心だった。だって私は、戦いなんて望んでいないのだから。

 先程のように魔法を使って突き飛ばす気力も意思もなく、どうすればいいのかも分からないまま、右手をスライム状の液体、触手のようなものに変化させた。

「それなら、お望み通りやってあげるわよ」

「パラメラ、危ないからそこでじっとしててね」

 私が右腕を奥に引き、攻撃の構えを見せると、テトラは一度立ち止まり頭に乗せていたパラメラをそっと地面へ下ろした。

 しゃがみ込んで目線を合わせ、子供と会話をする時みたいに優しく微笑んだ。しかしその後、立ち上がってこちらへと歩み寄るテトラのその顔には、微笑みの面影など感じられなかった。

 何を考えているのか読み取れない無の表情をしている。だがその視界の中で、私のただ一点を見つめていることだけは確実に分かった。

 私は、鞭を振るうように右腕をしならせ、その手のひらから少量の粘液をテトラに向かって投げ飛ばす。魔法じゃない、ポイズンスライム(わたし)自身のただの攻撃だ。

 無意識のうちに、毒の量を減らしていた。いつからだろう、人に攻撃するのすら躊躇するようになったのは。

 倒すつもりはない。追い払うんだ、威嚇射撃のように、相手を追い払うための一撃……そのはずだ。どうせ向こうは何かの魔法で毒弾を防いでくるだろう。それでそのまま毒に怯えて逃げてくれればいい、そうすればまた、私はここで王子様を待ち始める。

「……なっ、どうして」

 私の放った毒は、テトラの頬に直撃した。避ける素振りなんて一切見せなかった。……わざと受けたんだ、私の攻撃を。

 テトラは受けた毒を払い除ける訳でもなく、ただ一歩ずつ、着実に私の方へと歩みを進めていく。何の動揺も見せなかったのだ。

「……っ容赦しないわよ!」

 それならばと私は、今度こそ手加減なく、毒弾を幾つか放った。

 散弾銃のように放たれたそれだったが、テトラはまたそれを避けようとはしなかった。

 テトラの身体の末端部分、指の先や手の甲にうっすらと、私の毒の証である黒い薔薇が咲き始める。

 ……何がしたいの?

「な、なんで避けないのよ! 避けなさいよ! 死ぬわよ!」

 私は叫んだ。彼への畏怖でも心配でもなく、ただ彼が何をしようとしているのか、理解ができなかったからだ。

 まだ、進んでくる。その歩みが止まる気配は一切として無かった。

「……ならっ!」

 右手を人のものに戻し、テトラに向けて(かざ)した。黄土色の魔法陣を形成する。

 どこからともなく集まってきた小さな精霊、岩の精霊達がその魔法陣の中に小粒の粒子を送り込んでいるのが目に見えた。

付与(エンチャント)(ロック)

 岩の付与魔法を発動し、そのまま精霊魔法を撃つ構えへと移行する。

 付与魔法とはまた別の黄土色の魔法陣を形成した。その表面には、魔法発動の為の術式が刻まれている。一部の術式を読み取ると、「何者にも破れぬその拳で全てを穿て」と書いてあるのが分かった。

 彼の足元にも同じような魔法陣が形成され、そこから何かが出ようとする雰囲気が漂っていた。

 もういくら毒弾を打ち込んだところで怯みはしない。それならいっそ、先程のように()()()()()()しまえばいい。

 そうして逃げるんだ、王子様が来るまで。私を受け入れてくれる王子様が現れてくれるまで。

 この少年なんかに、打ち倒されてたまるものか。あなたに私の物語を終わらせる隙なんて与えない。私は、私の好きな物語を夢見て生きていく。

 王子様を待ち続ける。

「精霊魔法、ロックファ─」

 言いかけて、魔法陣の中から岩の拳が具現化される寸前までいった。けれど、私の右手に誰かの温もりが重なったその瞬間、魔法の発動が中断されてしまう。

 その温もりは、テトラの手の温かみだった。

「落ち着いてよ、レイナお嬢様」

 瞬間、私は彼のその言葉に驚いて後退し、言葉を詰まらせた。けれど、何とか喉の奥から言葉を引きずり出してみる。

「な、なんで……なんでその名前で呼ぶのよ。さっきまでポイズンスライムって言ってたじゃない」

 初めてだった、私の正体を知った上でレイナの名前を呼んでくるやつは。

 テトラはその重ねた手をそっと離し、先程パラメラに話しかけていた時のような微笑みを私にも向けてきた。

「だって、お姫様に憧れていたんでしょ?」

 見破られてる……? はは、まさか。

「何言ってるのよ、私はポイズンスライム、レイナという一人の人間を捕食して、力を利用してるモンスターよ。まだ分からないの?」

 一体テトラが何を根拠にそんなことを言っているのか分からないが、好都合だ。この至近距離まで近づいて来たのならどんな攻撃でも掠りはする。

 私は、焦燥に駆られながら右手を突き出した。

「お姫様になんて憧れてない。さっきので分かったでしょ? どきなさいよ。あんたもレイナみたいになりたいの?」

 手の汗腺からじわじわと粘液質な毒液を送り出し、発射の準備をする。

 私は、テトラを睨んだ。

 敵としてというよりも、「あんたなんかに何がわかるの」という気持ちの方が先行していたような気もする。

 人ではないモンスターなのに、人と同じような、少女が憧れるような光景を夢見て、この小さな森の中でもがく私の気持ちがわかるはずなんてない。

「そう。なら」

 瞬間、テトラは私の手に何かを押し当てた。表面は硬く、木のようなザラザラとした感触がある。でも、それが何かはすぐに分かった。

 異世界書物だ。それも、私の好きな毒の王子様。

 気がつかなかったが、テトラの右手にはそれが握られていたようだ。……なるほど、テトラがもう拾っていたのね。

「撃ってみてよ。お姫様になんて憧れていない、ただレイナの力を利用するモンスターなら、撃てるはずだよ」

 テトラの目は、自信に満ち溢れていた。億が一にも展開が覆されることは無いと、そう踏んでいる表情をしていた。

 躊躇(ためら)う。この本を撃つべきなのかどうか。

 でも、その答えはとっくに自分の中で出ていた。

 ……本当に、テトラは何がしたいの? わざわざお姫様に憧れるモンスター(わたし)を嘲笑いに来たの?

 分からない。

 でも、これだけは確実だった。

「……撃てない」

 幾度かの葛藤を繰り返した後、私は突き出した右手と、焦っていた顔を伏せて遠くを眺めた。自分に失望しながら。

 ああ、このまま私は()られるのかしら。王子様に救われるお姫様ではなく、お姫様を守る王子様の引き立て役、道中のモンスターとして。

 はは、だったらお姫様役は誰かしら。テトラにとっては、パラメラなのかしらね。

 テトラは手に持った異世界書物を自分の方へ戻して、そのページをパラパラとめくっていく。

「見たよ、中身。全部じゃないけど、ほとんどのページに毒の形跡が残ってる。これは君が、今の状態になってからも読み続けている証拠だよ。待ってたんだよね、君を(ここ)から連れ出してくれる王子様をずっと」

「……だったら何よ」

「やっぱり好きなんだね、毒の王子様」

 どうやら、全てバレているらしい。

 私は顔を上げて、テトラを見つめた。憎い笑顔をしている。なんで、そんなに笑顔でいられるのだろう。

 私はもう諦めていた。攻撃しようとも思えない。何も考えずにただ、流れるままに結果を待っていた。

「だから何、小さな女の子みたいに王子様を待ち続けるブラッドモンスターの私を嘲笑いに来たわけ? それとも、あなたが王子様になってくれるって言うの?」

 もうヤケクソだった。ただ感情をテトラにぶつけて、ヒステリックを起こした時のように声を荒ぶらせる。

 少しだけ間が空いた。その間、テトラは私から目を離さなかった。私の反応を見て、笑うでもなくただじっと私を見ている。

 そしてその静寂を、テトラ自身が微かな笑みをもって打ち破った。

「いや、僕は本当の王子様にはなれないよ」

「はは、そうでしょうね」

 想定していた応えだった。

 冒険者含む、今までに出会ってきた人達は皆そうだった。私の正体を知って、王子様を続けてくれる人なんて一人も現れなかった。

 当たり前なんだろうけど、現実を突きつけられているようで苦しい。

「じゃあ何、冒険者として、私を金に変える? 私を倒して、私の毒液か何かを持ち帰って、ギルドに売る? まぁ私もレイナを利用しているのだから、何も言い返すことはできないけれどね」

 そこまで言って、覚悟した。今日、私の物語が幕を閉じることを。

 だってそうでしょう?

 王子様の現れないお姫様に救いは無い。所詮(しょせん)私は、ただのお姫様を演じていたポイズンスライムなのだから、お姫様になる資格なんてなかったのよ。

 斜め下に視線を落とし、足元を見た。戦闘もあってボロボロだ。ふふ、そうよね、これじゃ王子様も引いてしまうわ。

 ……来世に期待しましょう。本当の人としてお姫様になれることを。

 すると、視界の端で何かが瞬時に動いた。テトラの手だった。私の方にその手を突き出してきたものだから反射的に目を閉じる。

 撃たれる、そう思った。

 でも、数秒ほど経っても何も起きない。何かと思い、私はそっと目を開けてテトラの方を見た。

 そこには、魔法を撃つ時のように手を突き出したテトラではなく、王子様がお姫様に手を差し伸べる時のようにように(てのひら)を上に向けているテトラがの姿があった。

「一緒に行こうよ」

「……な、何言ってるのよ」

 私は驚いた。というか、テトラの言っていることが信じられなかった。正気なの? この男は。

 怪訝(けげん)な顔で彼を見つめ、テトラの次の言葉を待った。

 そんな私とは反対に、テトラは変わらず私に笑顔を向けている。曇りの無い笑顔、そこに悪意などなく、ただ純粋な気持ちだけが広がっていることは明らかだった。

 だから尚更困惑する。

「正気なの? 私はモンスターよ。それもあなたが連れているようなブルーモンスターじゃない、ブラッドモンスターよ? それも、ただのモンスターでもない。あなた達を傷つけもした、なのに何で」

「関係ないよ」

 私の言葉を塞ぐようにして、テトラが割って入った。

「僕が君を誘いたいと思っただけ。そこに他の事情は要らないよ。確かに僕たちは君にやられたけど、それはそれでこれはこれ、君も本当は僕たちと戦いたかった訳じゃないでしょ?」

 どこまでお人好しなんだと思いながら、それを言うことはできなかった。

 彼の目は真っ直ぐで、決してあやふやな気持ちでお人好しな言葉を発している訳じゃなないと分かっていたからだ。

「……でも、あなたも言ったじゃない。王子様にはなれないって」

「うん、なれないよ。これは、一人の冒険者として誘ってる」

「冒険者として?」

「そうだよ。実はさ、僕も冒険者なりたてで心細くってさ。パラメラはいるけど、喋ったりはできないし。それに好きでしょ、異世界書物」

 彼にそう聞かれて、私は彼が左手に持っている一冊の本を見て口を開いた。

「ええ、そうね。好きよ、毒の王子様」

 不思議と笑みがこぼれていた。なぜだろう、私は安心していた。

 もうここには、今までのような張り詰めた緊張の糸は無く、私達を照らす日差しのようなふんわりとした暖かさが充満している。

 ただの日常会話、私にはそんな風に感じられた。

「僕も好き。毒の王子様じゃないけど、ペイン&マジックって異世界書物がね。だから語り合おうよ、異世界書物について、一緒に冒険しながらさ」

「……本当に言ってるの?」

 さっきまでは皮肉や焦燥、イラつき、マイナスな感情を溢れさせながらそんなことを聞いていたが、今回は違った。

 ただの心配だ。なんでここまで私の手を握ろうとしてくれるのか、不思議で仕方なかった。ただそれだけだ。

 でも、そんな私の不安も打ち消すくらいの濁りの無い笑顔で彼は応える。

「本当だよ。それに、こういう普通じゃ有り得ない出会いも含めての冒険でしょ。一緒に来てよ。まぁ、君の望んだ形じゃないかもしれないけどさ」

 彼は冗談混じりにそう言った。

 彼のその言葉に裏は無い。何も考えていないとかじやなくて、ただ純粋にテトラは言っているだけなんだ。

 私と異世界書物の語り合いがしたいって。

 そこには何の濁りも無く、一点の曇りも無く、ただ夢と冒険に憧れる少年の姿があった。

 だからこそ私は、彼のその言葉に惹かれてしまう。

「ふ、ふふふ、ははは! あなた本当にお人好しなのね」

 不思議と笑ってしまった。久しぶりにこんな風に笑った気がする。口元に手を当て、笑い涙を出しながら心の底から笑った。

 今までこんな冒険者には会ったことが無かった。

 なにより、私は嬉しかったのだ。私をポイズンスライムと知った上で私に手を伸ばしてくれたことが。

 形式に囚われすぎていて忘れていたかもしれない。毒に侵される毒のお姫様じゃなく、私自身の素性を明かしてこその毒のお姫様だったんじゃないのかと。

 まぁ、今更そんなことを気にしても仕方がないけれど。

 私は呼吸を整えて少し考えてから、答えを出した。

「いいわよ、これからよろしくね、テトラ」

 彼の伸ばした(てのひら)に手を重ね。優しい握手をする。

 初めはそっと私の指先を添え、お姫様が王子様の手を取るようにしようとも思ったが、テトラが冒険者として私を勧誘してくれると言ったのだから、それに乗ってあげるのが筋だろう。

 冒険者だから握手というのも、浅はかだったかもしれないけれどね。

「うん、よろしく。ああそうだ、名前なんだけどね」

「? ええ、名前がどうかしたの?」

「ただレイナって呼ぶのも違う気がして、それで考えてみたんだ、今の君の名前」

 そこまで考えていたのかと思いつつ、悪い気はしなかった。

「あら、そうだったの。別にレイナでもいいのに」

「それだと何か違うような気がしてさ。まぁでも、今の君があるのはレイナの想いもあってこそだから、無理に変えてはないんだけどね」

「へぇ、なんて名前?」

「レイナ・スライム。どう? やっぱりそのまんますぎるかな」

 テトラはそう言って、照れ笑いをしながら私の反応を待っている。

 確かに、そのままな名前だ。でも、私はそれに決して悪い気は起こさなかった。

「レイナ・スライム、ね。いえ、いい名前じゃない。気に入ったわ」

「本当!? よかった、ドキドキしたよ」

 テトラは飛び跳ねる勢いで喜ぶと、ホッと胸を撫で下ろした。

 嘘ではなかった。レイナの名前自体はそのままに、私のことを取り入れた、私だけの新しい名前、それは間違いなく、私という存在が認められたという証だった。

 ただ一言、心の中で声が漏れる。嬉しい。

「それじゃあ改めてよろしくね、レイナ・スライムお嬢様」

「ええ、よろしくテトラ。呼ぶ時はレイナでいいわよ」

「うん、そうするよ。ああそうだこれ、はい、毒の王子様、返しとくよ」

「ありがとう」

 改めての挨拶を交わし終えると、テトラは「じゃあパラメラ読んでくるね」と言ってパラメラの方へと駆け寄っていった。

 パラメラは家で飼い主を待ち望む犬や猫のようで、テトラが近づいて来ると飛び跳ねながらテトラに体当たりをかました。

 狙い所が悪かったのか、テトラは相当痛がっている。ふふ、何してるんだか。

 私は遠くからそのじゃれあっている様子を笑いながら眺めていた。

 パラメラの柔らかくふんわりとした毛並みの体を手で激しく撫でているテトラの姿から、本当にパラメラのことを愛しているのが伝わる。

 私は彼から受け取った毒の王子様に視線を落とし、胸ポケットに入れていたマジックペンを取り出す。そして、その表紙に(つたな)いながらも文字を書いてみた。

 レイナ・スライム、新しく毒の王子様に刻まれたその名前が、私にとってはどんな言葉よりも大切だった。

 そして少しだけ、テトラ達がじゃれ合っている間に自分の物思いにふけった。

 もしかしたら既に、私は夢を叶えたのかもしれない。

 だってテトラ、あなたは冒険者として私を誘ってくれたのでしょうけれど、ポイズンスライムであることを受け止めた上で私を迎え入れてくれたあなたは、私にとって……。

 王子様、ですもの。


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「やぁ、見つけたよ」
 そう言って姿を現したのは、先程交戦した少年、テトラだった。見たところ、テトラもパラメラも毒に侵されているような気配は無い。
「あら、まだ追ってくる体力なんてあったのね。きっちり勝敗をつけに来たの?」
 私は、レイナの姿で少年に語りかけた。けれど、私は逃げたい一心だった。だって私は、戦いなんて望んでいないのだから。
 先程のように魔法を使って突き飛ばす気力も意思もなく、どうすればいいのかも分からないまま、右手をスライム状の液体、触手のようなものに変化させた。
「それなら、お望み通りやってあげるわよ」
「パラメラ、危ないからそこでじっとしててね」
 私が右腕を奥に引き、攻撃の構えを見せると、テトラは一度立ち止まり頭に乗せていたパラメラをそっと地面へ下ろした。
 しゃがみ込んで目線を合わせ、子供と会話をする時みたいに優しく微笑んだ。しかしその後、立ち上がってこちらへと歩み寄るテトラのその顔には、微笑みの面影など感じられなかった。
 何を考えているのか読み取れない無の表情をしている。だがその視界の中で、私のただ一点を見つめていることだけは確実に分かった。
 私は、鞭を振るうように右腕をしならせ、その手のひらから少量の粘液をテトラに向かって投げ飛ばす。魔法じゃない、|ポイズンスライム《わたし》自身のただの攻撃だ。
 無意識のうちに、毒の量を減らしていた。いつからだろう、人に攻撃するのすら躊躇するようになったのは。
 倒すつもりはない。追い払うんだ、威嚇射撃のように、相手を追い払うための一撃……そのはずだ。どうせ向こうは何かの魔法で毒弾を防いでくるだろう。それでそのまま毒に怯えて逃げてくれればいい、そうすればまた、私はここで王子様を待ち始める。
「……なっ、どうして」
 私の放った毒は、テトラの頬に直撃した。避ける素振りなんて一切見せなかった。……わざと受けたんだ、私の攻撃を。
 テトラは受けた毒を払い除ける訳でもなく、ただ一歩ずつ、着実に私の方へと歩みを進めていく。何の動揺も見せなかったのだ。
「……っ容赦しないわよ!」
 それならばと私は、今度こそ手加減なく、毒弾を幾つか放った。
 散弾銃のように放たれたそれだったが、テトラはまたそれを避けようとはしなかった。
 テトラの身体の末端部分、指の先や手の甲にうっすらと、私の毒の証である黒い薔薇が咲き始める。
 ……何がしたいの?
「な、なんで避けないのよ! 避けなさいよ! 死ぬわよ!」
 私は叫んだ。彼への畏怖でも心配でもなく、ただ彼が何をしようとしているのか、理解ができなかったからだ。
 まだ、進んでくる。その歩みが止まる気配は一切として無かった。
「……ならっ!」
 右手を人のものに戻し、テトラに向けて|翳《かざ》した。黄土色の魔法陣を形成する。
 どこからともなく集まってきた小さな精霊、岩の精霊達がその魔法陣の中に小粒の粒子を送り込んでいるのが目に見えた。
「|付与《エンチャント》、|岩《ロック》」
 岩の付与魔法を発動し、そのまま精霊魔法を撃つ構えへと移行する。
 付与魔法とはまた別の黄土色の魔法陣を形成した。その表面には、魔法発動の為の術式が刻まれている。一部の術式を読み取ると、「何者にも破れぬその拳で全てを穿て」と書いてあるのが分かった。
 彼の足元にも同じような魔法陣が形成され、そこから何かが出ようとする雰囲気が漂っていた。
 もういくら毒弾を打ち込んだところで怯みはしない。それならいっそ、先程のように|吹《・》|き《・》|飛《・》|ば《・》|し《・》|て《・》しまえばいい。
 そうして逃げるんだ、王子様が来るまで。私を受け入れてくれる王子様が現れてくれるまで。
 この少年なんかに、打ち倒されてたまるものか。あなたに私の物語を終わらせる隙なんて与えない。私は、私の好きな物語を夢見て生きていく。
 王子様を待ち続ける。
「精霊魔法、ロックファ─」
 言いかけて、魔法陣の中から岩の拳が具現化される寸前までいった。けれど、私の右手に誰かの温もりが重なったその瞬間、魔法の発動が中断されてしまう。
 その温もりは、テトラの手の温かみだった。
「落ち着いてよ、レイナお嬢様」
 瞬間、私は彼のその言葉に驚いて後退し、言葉を詰まらせた。けれど、何とか喉の奥から言葉を引きずり出してみる。
「な、なんで……なんでその名前で呼ぶのよ。さっきまでポイズンスライムって言ってたじゃない」
 初めてだった、私の正体を知った上でレイナの名前を呼んでくるやつは。
 テトラはその重ねた手をそっと離し、先程パラメラに話しかけていた時のような微笑みを私にも向けてきた。
「だって、お姫様に憧れていたんでしょ?」
 見破られてる……? はは、まさか。
「何言ってるのよ、私はポイズンスライム、レイナという一人の人間を捕食して、力を利用してるモンスターよ。まだ分からないの?」
 一体テトラが何を根拠にそんなことを言っているのか分からないが、好都合だ。この至近距離まで近づいて来たのならどんな攻撃でも掠りはする。
 私は、焦燥に駆られながら右手を突き出した。
「お姫様になんて憧れてない。さっきので分かったでしょ? どきなさいよ。あんたもレイナみたいになりたいの?」
 手の汗腺からじわじわと粘液質な毒液を送り出し、発射の準備をする。
 私は、テトラを睨んだ。
 敵としてというよりも、「あんたなんかに何がわかるの」という気持ちの方が先行していたような気もする。
 人ではないモンスターなのに、人と同じような、少女が憧れるような光景を夢見て、この小さな森の中でもがく私の気持ちがわかるはずなんてない。
「そう。なら」
 瞬間、テトラは私の手に何かを押し当てた。表面は硬く、木のようなザラザラとした感触がある。でも、それが何かはすぐに分かった。
 異世界書物だ。それも、私の好きな毒の王子様。
 気がつかなかったが、テトラの右手にはそれが握られていたようだ。……なるほど、テトラがもう拾っていたのね。
「撃ってみてよ。お姫様になんて憧れていない、ただレイナの力を利用するモンスターなら、撃てるはずだよ」
 テトラの目は、自信に満ち溢れていた。億が一にも展開が覆されることは無いと、そう踏んでいる表情をしていた。
 |躊躇《ためら》う。この本を撃つべきなのかどうか。
 でも、その答えはとっくに自分の中で出ていた。
 ……本当に、テトラは何がしたいの? わざわざお姫様に憧れる|モンスター《わたし》を嘲笑いに来たの?
 分からない。
 でも、これだけは確実だった。
「……撃てない」
 幾度かの葛藤を繰り返した後、私は突き出した右手と、焦っていた顔を伏せて遠くを眺めた。自分に失望しながら。
 ああ、このまま私は|殺《や》られるのかしら。王子様に救われるお姫様ではなく、お姫様を守る王子様の引き立て役、道中のモンスターとして。
 はは、だったらお姫様役は誰かしら。テトラにとっては、パラメラなのかしらね。
 テトラは手に持った異世界書物を自分の方へ戻して、そのページをパラパラとめくっていく。
「見たよ、中身。全部じゃないけど、ほとんどのページに毒の形跡が残ってる。これは君が、今の状態になってからも読み続けている証拠だよ。待ってたんだよね、君を|森《ここ》から連れ出してくれる王子様をずっと」
「……だったら何よ」
「やっぱり好きなんだね、毒の王子様」
 どうやら、全てバレているらしい。
 私は顔を上げて、テトラを見つめた。憎い笑顔をしている。なんで、そんなに笑顔でいられるのだろう。
 私はもう諦めていた。攻撃しようとも思えない。何も考えずにただ、流れるままに結果を待っていた。
「だから何、小さな女の子みたいに王子様を待ち続けるブラッドモンスターの私を嘲笑いに来たわけ? それとも、あなたが王子様になってくれるって言うの?」
 もうヤケクソだった。ただ感情をテトラにぶつけて、ヒステリックを起こした時のように声を荒ぶらせる。
 少しだけ間が空いた。その間、テトラは私から目を離さなかった。私の反応を見て、笑うでもなくただじっと私を見ている。
 そしてその静寂を、テトラ自身が微かな笑みをもって打ち破った。
「いや、僕は本当の王子様にはなれないよ」
「はは、そうでしょうね」
 想定していた応えだった。
 冒険者含む、今までに出会ってきた人達は皆そうだった。私の正体を知って、王子様を続けてくれる人なんて一人も現れなかった。
 当たり前なんだろうけど、現実を突きつけられているようで苦しい。
「じゃあ何、冒険者として、私を金に変える? 私を倒して、私の毒液か何かを持ち帰って、ギルドに売る? まぁ私もレイナを利用しているのだから、何も言い返すことはできないけれどね」
 そこまで言って、覚悟した。今日、私の物語が幕を閉じることを。
 だってそうでしょう?
 王子様の現れないお姫様に救いは無い。|所詮《しょせん》私は、ただのお姫様を演じていたポイズンスライムなのだから、お姫様になる資格なんてなかったのよ。
 斜め下に視線を落とし、足元を見た。戦闘もあってボロボロだ。ふふ、そうよね、これじゃ王子様も引いてしまうわ。
 ……来世に期待しましょう。本当の人としてお姫様になれることを。
 すると、視界の端で何かが瞬時に動いた。テトラの手だった。私の方にその手を突き出してきたものだから反射的に目を閉じる。
 撃たれる、そう思った。
 でも、数秒ほど経っても何も起きない。何かと思い、私はそっと目を開けてテトラの方を見た。
 そこには、魔法を撃つ時のように手を突き出したテトラではなく、王子様がお姫様に手を差し伸べる時のようにように|掌《てのひら》を上に向けているテトラがの姿があった。
「一緒に行こうよ」
「……な、何言ってるのよ」
 私は驚いた。というか、テトラの言っていることが信じられなかった。正気なの? この男は。
 |怪訝《けげん》な顔で彼を見つめ、テトラの次の言葉を待った。
 そんな私とは反対に、テトラは変わらず私に笑顔を向けている。曇りの無い笑顔、そこに悪意などなく、ただ純粋な気持ちだけが広がっていることは明らかだった。
 だから尚更困惑する。
「正気なの? 私はモンスターよ。それもあなたが連れているようなブルーモンスターじゃない、ブラッドモンスターよ? それも、ただのモンスターでもない。あなた達を傷つけもした、なのに何で」
「関係ないよ」
 私の言葉を塞ぐようにして、テトラが割って入った。
「僕が君を誘いたいと思っただけ。そこに他の事情は要らないよ。確かに僕たちは君にやられたけど、それはそれでこれはこれ、君も本当は僕たちと戦いたかった訳じゃないでしょ?」
 どこまでお人好しなんだと思いながら、それを言うことはできなかった。
 彼の目は真っ直ぐで、決してあやふやな気持ちでお人好しな言葉を発している訳じゃなないと分かっていたからだ。
「……でも、あなたも言ったじゃない。王子様にはなれないって」
「うん、なれないよ。これは、一人の冒険者として誘ってる」
「冒険者として?」
「そうだよ。実はさ、僕も冒険者なりたてで心細くってさ。パラメラはいるけど、喋ったりはできないし。それに好きでしょ、異世界書物」
 彼にそう聞かれて、私は彼が左手に持っている一冊の本を見て口を開いた。
「ええ、そうね。好きよ、毒の王子様」
 不思議と笑みがこぼれていた。なぜだろう、私は安心していた。
 もうここには、今までのような張り詰めた緊張の糸は無く、私達を照らす日差しのようなふんわりとした暖かさが充満している。
 ただの日常会話、私にはそんな風に感じられた。
「僕も好き。毒の王子様じゃないけど、ペイン&マジックって異世界書物がね。だから語り合おうよ、異世界書物について、一緒に冒険しながらさ」
「……本当に言ってるの?」
 さっきまでは皮肉や焦燥、イラつき、マイナスな感情を溢れさせながらそんなことを聞いていたが、今回は違った。
 ただの心配だ。なんでここまで私の手を握ろうとしてくれるのか、不思議で仕方なかった。ただそれだけだ。
 でも、そんな私の不安も打ち消すくらいの濁りの無い笑顔で彼は応える。
「本当だよ。それに、こういう普通じゃ有り得ない出会いも含めての冒険でしょ。一緒に来てよ。まぁ、君の望んだ形じゃないかもしれないけどさ」
 彼は冗談混じりにそう言った。
 彼のその言葉に裏は無い。何も考えていないとかじやなくて、ただ純粋にテトラは言っているだけなんだ。
 私と異世界書物の語り合いがしたいって。
 そこには何の濁りも無く、一点の曇りも無く、ただ夢と冒険に憧れる少年の姿があった。
 だからこそ私は、彼のその言葉に惹かれてしまう。
「ふ、ふふふ、ははは! あなた本当にお人好しなのね」
 不思議と笑ってしまった。久しぶりにこんな風に笑った気がする。口元に手を当て、笑い涙を出しながら心の底から笑った。
 今までこんな冒険者には会ったことが無かった。
 なにより、私は嬉しかったのだ。私をポイズンスライムと知った上で私に手を伸ばしてくれたことが。
 形式に囚われすぎていて忘れていたかもしれない。毒に侵される毒のお姫様じゃなく、私自身の素性を明かしてこその毒のお姫様だったんじゃないのかと。
 まぁ、今更そんなことを気にしても仕方がないけれど。
 私は呼吸を整えて少し考えてから、答えを出した。
「いいわよ、これからよろしくね、テトラ」
 彼の伸ばした|掌《てのひら》に手を重ね。優しい握手をする。
 初めはそっと私の指先を添え、お姫様が王子様の手を取るようにしようとも思ったが、テトラが冒険者として私を勧誘してくれると言ったのだから、それに乗ってあげるのが筋だろう。
 冒険者だから握手というのも、浅はかだったかもしれないけれどね。
「うん、よろしく。ああそうだ、名前なんだけどね」
「? ええ、名前がどうかしたの?」
「ただレイナって呼ぶのも違う気がして、それで考えてみたんだ、今の君の名前」
 そこまで考えていたのかと思いつつ、悪い気はしなかった。
「あら、そうだったの。別にレイナでもいいのに」
「それだと何か違うような気がしてさ。まぁでも、今の君があるのはレイナの想いもあってこそだから、無理に変えてはないんだけどね」
「へぇ、なんて名前?」
「レイナ・スライム。どう? やっぱりそのまんますぎるかな」
 テトラはそう言って、照れ笑いをしながら私の反応を待っている。
 確かに、そのままな名前だ。でも、私はそれに決して悪い気は起こさなかった。
「レイナ・スライム、ね。いえ、いい名前じゃない。気に入ったわ」
「本当!? よかった、ドキドキしたよ」
 テトラは飛び跳ねる勢いで喜ぶと、ホッと胸を撫で下ろした。
 嘘ではなかった。レイナの名前自体はそのままに、私のことを取り入れた、私だけの新しい名前、それは間違いなく、私という存在が認められたという証だった。
 ただ一言、心の中で声が漏れる。嬉しい。
「それじゃあ改めてよろしくね、レイナ・スライムお嬢様」
「ええ、よろしくテトラ。呼ぶ時はレイナでいいわよ」
「うん、そうするよ。ああそうだこれ、はい、毒の王子様、返しとくよ」
「ありがとう」
 改めての挨拶を交わし終えると、テトラは「じゃあパラメラ読んでくるね」と言ってパラメラの方へと駆け寄っていった。
 パラメラは家で飼い主を待ち望む犬や猫のようで、テトラが近づいて来ると飛び跳ねながらテトラに体当たりをかました。
 狙い所が悪かったのか、テトラは相当痛がっている。ふふ、何してるんだか。
 私は遠くからそのじゃれあっている様子を笑いながら眺めていた。
 パラメラの柔らかくふんわりとした毛並みの体を手で激しく撫でているテトラの姿から、本当にパラメラのことを愛しているのが伝わる。
 私は彼から受け取った毒の王子様に視線を落とし、胸ポケットに入れていたマジックペンを取り出す。そして、その表紙に|拙《つたな》いながらも文字を書いてみた。
 レイナ・スライム、新しく毒の王子様に刻まれたその名前が、私にとってはどんな言葉よりも大切だった。
 そして少しだけ、テトラ達がじゃれ合っている間に自分の物思いにふけった。
 もしかしたら既に、私は夢を叶えたのかもしれない。
 だってテトラ、あなたは冒険者として私を誘ってくれたのでしょうけれど、ポイズンスライムであることを受け止めた上で私を迎え入れてくれたあなたは、私にとって……。
 王子様、ですもの。