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5 桟原香織③

ー/ー



 結論から言うと結衣は見送りの場に来なかった。綾奈がいた手前、表情や口に出すようなことはしなかったが今思えば多分あの時の私は落ち着きがなかったと思う。そんな私を見てか、はたまた彼女自身も思うところがあったのか、綾奈も会話中に何度か上の空になっているときがあったような気がした。かといって時間も待ってはくれず、きちんとお別れに集中できないまま綾奈が倉石村から離れていくのを見届けるしかなかった。
 一人になると近くにあるブランコに座ってみた。鎖の揺れる音が人気のなくなったコミュニティセンターの前を裂くように鳴る。まだほんのりと暗い空が覆う村を渡るように車のランプが線を描いていくのが見える。何をするでもなくただ茫然とその光が山に入って消えていくまで目で追い続けていた。
 体を揺らたびにギイッと辺りに響く。最近は夜遅くまで夏祭りの準備をしているというのに今日は日が昇る前に起きて家から出たものだから少し頭がぼんやりする。眠いというのも若干あるがそれよりも疲れが取れていないというのが大きい。綾奈を見送るという大事な用事を終えたということもあって、一気に他のことがどうでもよく感じ始めていた。思いっきりため息をついて前のめりに肘を太ももにつく。ブランコの軋む音が小さく、私にしか聞こえないくらいの大きさで鳴った。
 家に帰ってもう一度寝ると目を覚ましたのはいつもと同じ時間だった。本当に今日綾奈を見送ったのかと疑うほどいつも通りの日常が始まる。いつもと違うのは朝礼の後、周りの友人たちがざわついていたことくらいだろうか。綾奈のいたクラスでは朝礼の時に学校を止めたということが先生から知らされたらしい。誰にも伝えていないとは言っていたがまさか本当に私たち以外に伝えていないとは思ってもいなかった。綾奈は人気者だ。朝礼が終わるとすぐに他のクラスの生徒たちにも伝わってちょっとした騒ぎになっていたのだった。
「桟原は知ってたの?西岡が転校すること」
 前の席に座っていた女の子が訊いてきた。友人たちが私の前で話していたのも私の話を聞いたり反応を見たいからなのだろう。あれだけ綾奈とずっと一緒にいたのだ。気になるというのも分かる。
「まあ……ちょこっとね」
 とはいえどこまで話していいものかまだ分からないものだからなるべく濁したいというふうに思った。綾奈のクラスの先生がどう説明したのかは知らないが「転校」と目の前の子が訊いてきているのだからなおさら難しい。
 ふと恵太の方を見てみると普段と何ら変わらずに窓の外を眺めているのが見える。恵太は綾奈から話を聞いたのだろうか。学校から一人いなくなったのだ。しかも関りが全くないというわけでもない人間が。少しは驚いた様子をみせてもいいものだが、特に何の反応も見せないというのはそうなのだろうという気がした。
「ちょこっとって?」
「んー……学校からいなくなるってこととかいつ出発するとかかな。でもそんなに詳しい事情までは知らないよ。多分いま知ってることはみんなと同じくらいだと思う」
「そっかあ……でも羨ましいよ」
「羨ましい?」
「西岡とはもっと話したいこととかあったんだけどね。しかもなんか急なお別れ過ぎて実感とか湧かないし。全くの他人っていうわけでもないんだから一言くらい欲しかった」
 そういえばこの子は中学のときよく綾奈と一緒にいたっけ。そう考えると綾奈から一言もないことに思うところがあるのも当然だろう。
「まあ、それもそうだよね。たぶん照れくさくて話せなかっただけだと思う」
「そうであってほしいよ」
「安心して良いと思うけどな」
「分からないものに安心しろっていうのは難しいかも」
「でも分からないものを不安がってても仕方なくない?」
「……確かに」
 女の子は深く息を吸い込むと大きく吐いた。
「何はともあれ西岡が元気だといいね、と思うしかないか。何もできることはないし」
 彼女の中で綾奈のことは考え終わったようで、昨日見たテレビや今日の授業についての話などを続けてしだした。
 一限が始まる頃には教室のざわつきは収まりつつあって、その授業が終わった後にはもう何日も前に綾奈が去ってしまったかのように話題にも上がらなくなっていた。当たり前と言えば当たり前のことなのだが、いつもと何ら変わりのない空気がどんよりと重い胸の奥に覆いかぶさって冷たかった。
 誰か同じように感じている人はいないだろうか。誰かと本心を共有したかった。思い当たるのは一人しかいない。席を立って教室を出ると隣の隣の教室へと向かう。扉を開けようと取手に指をかけてスライド、と思ったが扉についた窓から教室の中を見た瞬間その気が失せた。
 結衣は楽しそうに友人たちと談笑していた。その笑い声は扉を挟んだ廊下にも聞こえてくる。扉を閉め切っているからか実際よりもその声は遠くから聞こえているみたいだったが、蝉の声が響いている中でも一際大きく感じた。
「どうかした?」
 少しすると話しかけられた。このクラスの子だ。教室に入りたいのだろう。
「あ、いや……ボーっとしてたら教室間違えちゃった」
 笑ってごまかして慌てて扉から離れる。
「大丈夫?具合悪いの?」
「全然!そういうのじゃないから心配しないで」
「そっか。熱中症とか今年多いみたいだから気を付けてね」
「お互いにね」
 その子が教室の扉を閉めると私は自分の教室に戻ることにした。楽しそうにしているところに水を差すのは悪いだろう。言い聞かせるように呟く。誰もいなくなった廊下に足音が静かに響いていた。


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 結論から言うと結衣は見送りの場に来なかった。綾奈がいた手前、表情や口に出すようなことはしなかったが今思えば多分あの時の私は落ち着きがなかったと思う。そんな私を見てか、はたまた彼女自身も思うところがあったのか、綾奈も会話中に何度か上の空になっているときがあったような気がした。かといって時間も待ってはくれず、きちんとお別れに集中できないまま綾奈が倉石村から離れていくのを見届けるしかなかった。
 一人になると近くにあるブランコに座ってみた。鎖の揺れる音が人気のなくなったコミュニティセンターの前を裂くように鳴る。まだほんのりと暗い空が覆う村を渡るように車のランプが線を描いていくのが見える。何をするでもなくただ茫然とその光が山に入って消えていくまで目で追い続けていた。
 体を揺らたびにギイッと辺りに響く。最近は夜遅くまで夏祭りの準備をしているというのに今日は日が昇る前に起きて家から出たものだから少し頭がぼんやりする。眠いというのも若干あるがそれよりも疲れが取れていないというのが大きい。綾奈を見送るという大事な用事を終えたということもあって、一気に他のことがどうでもよく感じ始めていた。思いっきりため息をついて前のめりに肘を太ももにつく。ブランコの軋む音が小さく、私にしか聞こえないくらいの大きさで鳴った。
 家に帰ってもう一度寝ると目を覚ましたのはいつもと同じ時間だった。本当に今日綾奈を見送ったのかと疑うほどいつも通りの日常が始まる。いつもと違うのは朝礼の後、周りの友人たちがざわついていたことくらいだろうか。綾奈のいたクラスでは朝礼の時に学校を止めたということが先生から知らされたらしい。誰にも伝えていないとは言っていたがまさか本当に私たち以外に伝えていないとは思ってもいなかった。綾奈は人気者だ。朝礼が終わるとすぐに他のクラスの生徒たちにも伝わってちょっとした騒ぎになっていたのだった。
「桟原は知ってたの?西岡が転校すること」
 前の席に座っていた女の子が訊いてきた。友人たちが私の前で話していたのも私の話を聞いたり反応を見たいからなのだろう。あれだけ綾奈とずっと一緒にいたのだ。気になるというのも分かる。
「まあ……ちょこっとね」
 とはいえどこまで話していいものかまだ分からないものだからなるべく濁したいというふうに思った。綾奈のクラスの先生がどう説明したのかは知らないが「転校」と目の前の子が訊いてきているのだからなおさら難しい。
 ふと恵太の方を見てみると普段と何ら変わらずに窓の外を眺めているのが見える。恵太は綾奈から話を聞いたのだろうか。学校から一人いなくなったのだ。しかも関りが全くないというわけでもない人間が。少しは驚いた様子をみせてもいいものだが、特に何の反応も見せないというのはそうなのだろうという気がした。
「ちょこっとって?」
「んー……学校からいなくなるってこととかいつ出発するとかかな。でもそんなに詳しい事情までは知らないよ。多分いま知ってることはみんなと同じくらいだと思う」
「そっかあ……でも羨ましいよ」
「羨ましい?」
「西岡とはもっと話したいこととかあったんだけどね。しかもなんか急なお別れ過ぎて実感とか湧かないし。全くの他人っていうわけでもないんだから一言くらい欲しかった」
 そういえばこの子は中学のときよく綾奈と一緒にいたっけ。そう考えると綾奈から一言もないことに思うところがあるのも当然だろう。
「まあ、それもそうだよね。たぶん照れくさくて話せなかっただけだと思う」
「そうであってほしいよ」
「安心して良いと思うけどな」
「分からないものに安心しろっていうのは難しいかも」
「でも分からないものを不安がってても仕方なくない?」
「……確かに」
 女の子は深く息を吸い込むと大きく吐いた。
「何はともあれ西岡が元気だといいね、と思うしかないか。何もできることはないし」
 彼女の中で綾奈のことは考え終わったようで、昨日見たテレビや今日の授業についての話などを続けてしだした。
 一限が始まる頃には教室のざわつきは収まりつつあって、その授業が終わった後にはもう何日も前に綾奈が去ってしまったかのように話題にも上がらなくなっていた。当たり前と言えば当たり前のことなのだが、いつもと何ら変わりのない空気がどんよりと重い胸の奥に覆いかぶさって冷たかった。
 誰か同じように感じている人はいないだろうか。誰かと本心を共有したかった。思い当たるのは一人しかいない。席を立って教室を出ると隣の隣の教室へと向かう。扉を開けようと取手に指をかけてスライド、と思ったが扉についた窓から教室の中を見た瞬間その気が失せた。
 結衣は楽しそうに友人たちと談笑していた。その笑い声は扉を挟んだ廊下にも聞こえてくる。扉を閉め切っているからか実際よりもその声は遠くから聞こえているみたいだったが、蝉の声が響いている中でも一際大きく感じた。
「どうかした?」
 少しすると話しかけられた。このクラスの子だ。教室に入りたいのだろう。
「あ、いや……ボーっとしてたら教室間違えちゃった」
 笑ってごまかして慌てて扉から離れる。
「大丈夫?具合悪いの?」
「全然!そういうのじゃないから心配しないで」
「そっか。熱中症とか今年多いみたいだから気を付けてね」
「お互いにね」
 その子が教室の扉を閉めると私は自分の教室に戻ることにした。楽しそうにしているところに水を差すのは悪いだろう。言い聞かせるように呟く。誰もいなくなった廊下に足音が静かに響いていた。