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ー/ー



「私は赤の他人です。それでも寂しいと思いますか」
 間髪を容れず、魔女は頷いた。
「ジュキレさんは先生みたく私に色々教えてくれました。覚えてませんか? 私がお客さんに怒鳴られて泣いて、お店を早く閉めた日」
 思い出せないのが、ジュキレの心を痛めた。
「一のミスより、九の愛を信じろ。一の悲しみより、九の笑顔を大事にしろ。そう教わって、私はそれまでより笑顔を大事にするようになったんです」
 魔女にとって目の前の紳士は偉大な存在だった。人生の師であり、変わる切っ掛けをくれたのだから。
 もう一度コーヒーを飲んだ彼は、目を瞑った。
「まずは、ありがとうございます。魔女さん。こんな老いぼれの言葉を覚えていてくれて」
「他にも色々覚えてるんですよ。辛い時はため息を吐くと、毒素が抜けていくんだとか。真面目に生きれば、短期的に見れば損をしていても長期的に見れば実は得しているんだとか!」
 魔女は、本当はジュキレの本を読みたいとずっと思っていた。しかし、読む時間がまったくない。だから彼は、自分が小説の中に取り入れた人生の教訓みたいなものを、時折彼女に話していた。上手く人生を生きるコツというのも教えたような。
「じゃあ、これが私から魔女さんに教えられる最後の言葉になりますね。寂しさの克服。もしかしたら魔女さん、あなたには納得できないかもしれませんが、良いですか」
 難しい課題だからだ。万人が納得できるような答えを、ジュキレは持ち合わせていない。
「大丈夫です! ジュキレさんも寂しいと感じる日があったと思います。そういう時、どうやって自分を慰めていたんですか?」
 次々と忘れてしまっていく記憶の中で、母を喪った日だけはよく覚えていた。まだジュキレが二十歳だった頃だ。重い病を患い、この世を去っていった。
 何日もふさぎ込んでいた。食欲も湧かず、その時勤務していた製糸工場も何日間か休みをもらっていた。父親は酒をたらふく飲んで劇場に出向いていたうえに、友達がいなかった彼は孤独という言葉が相応しい。
 きっと最後まで残っている記憶が、この日出会った兵士の言葉だろう。
「寂しいと思えるのは、あなたが優しい証拠である。それは、とても誇らしいことである」
 人は争い合う生き物だ。どうしても競争は止められない。その結果大いなる損失を得て後悔をしても、その感情を忘れてまた新たな争いが生まれていく。人間の根底にあるのは創造と破壊なのだから。
 だが、それを食い止めてくれるのが優しさだ。
「魔女さん、寂しいという気持ちにネガティブになってはいけないんです。むしろ、そんな自分を好きになってあげてください」
「寂しいと思う自分を、好きに」
「人は、大人になるにつれて忙しくなる。忙しくなると、優しさすら忘れてしまう。誰かが居なくなって寂しいと感じた瞬間、その時に感謝するのもいいかもしれません。それほど価値のある人と出会えたのですから」
 出会いとは賭けだ。それが悪い道に進む悪魔になるかもしれないし、正しい道に率いてくれる天使のような存在になるかもしれない。出会った時に未来は分からないものだ。
 出会ったのが悪魔であったのならば、寂しいという感情は生まれないだろう。
「分かりました。ジュキレさん、私また自信がついたかもしれません!」
「それでいいんですよ。魔女さんは魅力的で、愛される。もっと自信をもって、たくさんの人を幸せにしてあげてください」
「ジュキレさんのことももっと幸せにします!」
「はは。嬉しいですが、私はもう十分幸せです」
 もう憂いはなくなった。未練もない。最後に小説を書いてしまえば、彼は永遠の眠りについても良いとさえ思えた。
 小さなパン屋の、店主が気がかりだったのだ。寂しい思いはしないだろうかと、本当は気にしていた。だけど自分で言うには少し勇気が必要で、中々言えずにいたのだ。
 魔女ももう、同じような瞳をしていた。いつ彼がいなくなっても、覚悟はできているといった決意の瞳だ。
 来店を知らせる鈴の音が鳴った。慌てて立ち上がった魔女は、いらっしゃいませと言って歩いていこうとした。
 その時、彼女はふと振り向いた。
「ジュキレさん、ちょっとだけリクエストしてもいいですか?」
「はい、なんでしょう」
 いつものニッコリ顔になって、魔女は言った。
「今書いてる物語。ハッピーエンドにしてください。私、ハッピーエンドが好きなので!」
 それだけ言うと、返事も聞かずに来客を出迎えにいくのだった。
 危ないところだった。最後は主人公が死んでしまう悲しいストーリーになる予定だったからだ。
 ならば最後はどうしようか……プロットを書き直さないといけないと、ジュキレは苦笑した。

 五年経ち、彼は最後の作品を書き終えた後、永遠の眠りについた。記憶疾病ではなく、老衰という最期だ。家族に看取られ、彼は笑いながら逝った。
 逝去した後、小説は出版された。人気作家最後の作品という売り出し文句もあり彼の作品は再び日の目を見たのだ。
 ()しくも、小説の主人公と同じ最期だった。
 その小説には、ジュキレが通っていたパン屋が出て来るのだ。店主の名前は砂の魔女。
 それからというもの、ウィライトは大盛況になっていった。店員も増やし、お店を拡大しなくてはならないくらいに。
 奇しくも、砂の魔女はジュレキと同じ年齢で人気が出始めたというのは……今はまだ、彼女は知る由もなかった。


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「私は赤の他人です。それでも寂しいと思いますか」
 間髪を容れず、魔女は頷いた。
「ジュキレさんは先生みたく私に色々教えてくれました。覚えてませんか? 私がお客さんに怒鳴られて泣いて、お店を早く閉めた日」
 思い出せないのが、ジュキレの心を痛めた。
「一のミスより、九の愛を信じろ。一の悲しみより、九の笑顔を大事にしろ。そう教わって、私はそれまでより笑顔を大事にするようになったんです」
 魔女にとって目の前の紳士は偉大な存在だった。人生の師であり、変わる切っ掛けをくれたのだから。
 もう一度コーヒーを飲んだ彼は、目を瞑った。
「まずは、ありがとうございます。魔女さん。こんな老いぼれの言葉を覚えていてくれて」
「他にも色々覚えてるんですよ。辛い時はため息を吐くと、毒素が抜けていくんだとか。真面目に生きれば、短期的に見れば損をしていても長期的に見れば実は得しているんだとか!」
 魔女は、本当はジュキレの本を読みたいとずっと思っていた。しかし、読む時間がまったくない。だから彼は、自分が小説の中に取り入れた人生の教訓みたいなものを、時折彼女に話していた。上手く人生を生きるコツというのも教えたような。
「じゃあ、これが私から魔女さんに教えられる最後の言葉になりますね。寂しさの克服。もしかしたら魔女さん、あなたには納得できないかもしれませんが、良いですか」
 難しい課題だからだ。万人が納得できるような答えを、ジュキレは持ち合わせていない。
「大丈夫です! ジュキレさんも寂しいと感じる日があったと思います。そういう時、どうやって自分を慰めていたんですか?」
 次々と忘れてしまっていく記憶の中で、母を喪った日だけはよく覚えていた。まだジュキレが二十歳だった頃だ。重い病を患い、この世を去っていった。
 何日もふさぎ込んでいた。食欲も湧かず、その時勤務していた製糸工場も何日間か休みをもらっていた。父親は酒をたらふく飲んで劇場に出向いていたうえに、友達がいなかった彼は孤独という言葉が相応しい。
 きっと最後まで残っている記憶が、この日出会った兵士の言葉だろう。
「寂しいと思えるのは、あなたが優しい証拠である。それは、とても誇らしいことである」
 人は争い合う生き物だ。どうしても競争は止められない。その結果大いなる損失を得て後悔をしても、その感情を忘れてまた新たな争いが生まれていく。人間の根底にあるのは創造と破壊なのだから。
 だが、それを食い止めてくれるのが優しさだ。
「魔女さん、寂しいという気持ちにネガティブになってはいけないんです。むしろ、そんな自分を好きになってあげてください」
「寂しいと思う自分を、好きに」
「人は、大人になるにつれて忙しくなる。忙しくなると、優しさすら忘れてしまう。誰かが居なくなって寂しいと感じた瞬間、その時に感謝するのもいいかもしれません。それほど価値のある人と出会えたのですから」
 出会いとは賭けだ。それが悪い道に進む悪魔になるかもしれないし、正しい道に率いてくれる天使のような存在になるかもしれない。出会った時に未来は分からないものだ。
 出会ったのが悪魔であったのならば、寂しいという感情は生まれないだろう。
「分かりました。ジュキレさん、私また自信がついたかもしれません!」
「それでいいんですよ。魔女さんは魅力的で、愛される。もっと自信をもって、たくさんの人を幸せにしてあげてください」
「ジュキレさんのことももっと幸せにします!」
「はは。嬉しいですが、私はもう十分幸せです」
 もう憂いはなくなった。未練もない。最後に小説を書いてしまえば、彼は永遠の眠りについても良いとさえ思えた。
 小さなパン屋の、店主が気がかりだったのだ。寂しい思いはしないだろうかと、本当は気にしていた。だけど自分で言うには少し勇気が必要で、中々言えずにいたのだ。
 魔女ももう、同じような瞳をしていた。いつ彼がいなくなっても、覚悟はできているといった決意の瞳だ。
 来店を知らせる鈴の音が鳴った。慌てて立ち上がった魔女は、いらっしゃいませと言って歩いていこうとした。
 その時、彼女はふと振り向いた。
「ジュキレさん、ちょっとだけリクエストしてもいいですか?」
「はい、なんでしょう」
 いつものニッコリ顔になって、魔女は言った。
「今書いてる物語。ハッピーエンドにしてください。私、ハッピーエンドが好きなので!」
 それだけ言うと、返事も聞かずに来客を出迎えにいくのだった。
 危ないところだった。最後は主人公が死んでしまう悲しいストーリーになる予定だったからだ。
 ならば最後はどうしようか……プロットを書き直さないといけないと、ジュキレは苦笑した。
 五年経ち、彼は最後の作品を書き終えた後、永遠の眠りについた。記憶疾病ではなく、老衰という最期だ。家族に看取られ、彼は笑いながら逝った。
 逝去した後、小説は出版された。人気作家最後の作品という売り出し文句もあり彼の作品は再び日の目を見たのだ。
 奇《く》しくも、小説の主人公と同じ最期だった。
 その小説には、ジュキレが通っていたパン屋が出て来るのだ。店主の名前は砂の魔女。
 それからというもの、ウィライトは大盛況になっていった。店員も増やし、お店を拡大しなくてはならないくらいに。
 奇しくも、砂の魔女はジュレキと同じ年齢で人気が出始めたというのは……今はまだ、彼女は知る由もなかった。