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一度死んだ身。だから、あいつをぶちのめす

ー/ー



「なみ! リングに行くぞ!」

 親父さんが声を掛ける。

 あぁ。昔の記憶を見ていたようだ。瞼を開いて今を確認する。テンションはいい。

 俺はあの戦争後にボクサーとして復帰した。ただ一人の男を追い求めて。

「長かったな。タイトルマッチまで」

「ああ。俺に三年は長すぎたよ」

 俺の言葉を聞いた親父さんは、右隣で重苦しい表情をしていた。

「……なみの因縁の相手っちゅうのはわかる。自衛隊であの島でローウィア軍と抗戦した時の話も知っとる。……キリルがそれをわかった上で聞いて、お前さんとワシら含めた全ての日本人を馬鹿にしとるのも知っとる。その上で言いたい事がある」

 俺は黙っている。言いたいことは大体わかるが。

「アイツは、えげつなく強い。……正直、今すぐにでも棄権したいくらいじゃ。受けとうなかった。そのくらいアイツは強いし、拳で人を殺すのも厭わん。……それでもお前さんが、浪川龍(なみかわりゅう)がやると言ってるから、ワシはこの試合を組んだ。じゃが、お前さんが少しでも逝きそうなら、ワシは躊躇なく止める。それだけは覚えといてくれ」

「わかった。ただ、俺は生きてベルトを持って帰ってくるだけだ」

 背中に巻いたタオルをグローブで掴んで、親父さんに投げた。




「よお! 久しぶり」

 キリルが俺に気安く声をかける。ショートだがさらりと靡く金髪と、見下している碧眼と良すぎる顔はいつ見ても最低だ。

 俺は何も返さない。

「まさか、お前程度の雑魚がここまで来るとはな! まあ、もう歯向かう雑魚はいないから、テメェのような最弱人種のクソジャップが来るしかなかったんだがな! ガッハッハッ!」

 試合前だと言うのに高笑いをしている。会場はこの様子に大ブーイング。前日の記者会見で俺だけじゃなく日本人を馬鹿にしたんだから仕方ない。会場は日本だから。

「あの戦争でローウィアは負けたが、俺は死ななかった。それどころかジャップをたくさん葬った! 女の兵士もいたが、殴れば何もできなかったな。いい締まり具合で、気持ちよかったぜ! 女のレベルは流石の日本人だな。だから、お前も女を紹介すれば、負けてやるよ! もうベルトに興味ねえからな!」

 言いたい放題言いやがって。だが、怒ったら思う壺だ。ただ、少しだけ言ってやろう。

「そうだな。女は知らん。それを捨てて生きてきたから」

「じゃあ交渉決裂。お前の墓地を用意しといてやるよ」

「……そうだな。お前はその道徳心の欠如と油断で負けて死ぬんだから、それはお前の墓地になるだろう。ボクサーとして。火葬はしてちゃんと弔ってやるよ」

 この一言でキリルはこめかみの血管が浮かんでいた。作戦成功だ。

「いいだろう。テメエも殺してやる。命ごとこの両手で刈り取ってやる」

 両のグローブをかち合わせて叩く。ゴングの時間が近づいた。



 カーン!

 甲高いゴングが鳴る。瞬間、パンチの火花が飛び散る。レフェリーがギリギリ避け大惨事にはならなかった。

「ほぅ……」

 キリルの顔が少し引き締まる。俺は感じた。今ならそこまで差がないと。この時間にケリをつけに行こう。ダッシュで距離を詰めに行った。

 三年は長いと感じた。ただ、無駄ではなかったと噛み締めて。




「はぁ……はぁ……」

 6Rが終わる。お互い顔がボロボロ。互角と言う状況に、周囲は見えるだろう。前のラウンドにいい感じのカウンターが決まったから。

「なみさん! いいぞー! あのローウィア人をやっつけてくれー!」

「なみさん! あと少しだ! 頑張ってくれ!」

 ありがたい大きな声援が降り注ぐ。ありがたい。ありがたすぎるが、正直勝率は五%だ。倒すならさっきのカウンターが一番のチャンスだった。だが、アイツはダウンどころか持ち堪えた。パンチも重い癖に、耐久力も鬼みたいだ。ディフェンスの隙をそれで補ってると言う事か。伊達に20回防衛はしてねえな。憎き敵ながら感心していた。

「なみ、行けるか? ワシは……」

「行く。止めたらアンタを殺す」

 そろそろ休憩(インターバル)が終わる。椅子から立ち上がりリング中央に向かう。息は整っている。5%に掛ける。次のラウンドで、勝つ。俺は覚悟を決めた。

 7R。開始と同時にキリルのジャブが次々と襲う。あの時の銃撃の雨を思い出す程だ。これがキリルの本領。カウンターが入ったのは俺を舐めてこれをしなかったから。普段は早い段階でこれをして、瞬殺している。憎い奴だ。ただ、笑えないレベルで銃弾が飛び交っている。

 シュシュシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッ!

 これじゃ近づけねえ。仕方ないか。5Rにリバーとボディーにいいのを3発入れたからな。こんだけ警戒してくれてるのはありがたい。ただ、このレベルの速さだと、差し合いに持ち込めねえ。下手に手を出したらカウンターで入る。そうなったら無惨に貰い続ける。俺の意識が浮きかけた瞬間に右が入るから俺は死ぬ。天に昇る。とは言え手を出さなきゃ負ける。

 マシンガンがずっと連射されている中に入るのも無理。かと言ってこっちのショットガンじゃ応戦も不可能。どうすりゃいい。

 憎たらしく笑ってやがる。これなら近づけねえだろと言っている。金髪碧眼で顔がいいのが憎い。小川……琥太郎ならどうするよ。ボクサー琥太郎、俺が一生勝てないボクサーの姿を思い出す。

 ――アイツは、こう言う時は突っ込む。怖がらず。もらっても当てる。覚悟を決めて当てる。それしかない。遠距離性能に劣るなら、突っ込むしかない。腕の長いアイツの隙はそこしかない。

 両手で顔面を覆うピーカブースタイルに切り替える。キリルのジャブはさらに早くなり、横の変化も加わる。野郎、俺の横のジャブも会得してるのか。パクった技も使って倒すと言うのか。面白え。お前を超えらぁ!

 脚に力を溜めて突っ込む。銃弾が腕に全部命中する。痛いなんてもんじゃない。一発でも貰えば、多分意識を失って倒れる威力だ。ただ早すぎるから倒れる事が許されず顔を完全に無防備な状態で跳ね上げられ続けダメージが蓄積して、最後に渾身の右をこめかみに当てられて死ぬ。それがキリルの相手が死ぬカラクリだ。あのジャブの嵐が"死のマシンガン"と呼ばれるのも納得できる。

 ガードを開けないように、しっかり閉じて前に進む。顔は見てねえが、嫌がってるはず。スピードが加速している。あの長い腕でこの回転だから人外もいいところだ。だが、止まれねえ。

 ビキィ!

 左腕にヒビが入る感覚がある。

 グギィ!

 右肘付近もやられている。それを知ってかそこを中心に銃撃が飛ぶ。痛さで意識が飛びそうだが、耐えろ。耐えないと俺は俺を許せぬまま逝く。琥太郎に顔向けできんっ。亀裂が入り続ける腕を盾にし続け銃弾の中を進む。

 ガンっと何かに当たる。銃弾が来ない。どっちかの肘に当たった。この距離なら、俺のボディが刺さる。ここしかねえ!

 ガードを少し開き、左腕と大胸筋をフル稼働。ボディ目掛けてそれは当たるはずだった。



 ぐしゃぁと顎から鈍く段々と鋭くなる痛みと不快で砕けた音がする。

 何故か俺が被弾している。顔が跳ね上がる中でキリルを見るとにやけていやがった。

 狙われてた。狙われてた。狙われてた……。俺の策は見破られていた。このまま距離を置かれて俺は磔刑にされる。終わった。もう終わった。意識は途切れるはずだった。

『おいおい。それじゃワイの真髄を体現できとらんぜよ』

 琥太郎の声が聞こえてくる。天国? いや、まだ起きてる。ただ時は何故か止まっている。キリルも周り全てが動いていないみたいだ。

『もらっても当てるは今やるものだ。今もらったこの瞬間、油断しとるじゃろ? あいつは。笑っとる。それが隙じゃ。人間この瞬間は緩む。そこにカチ込む! それが当てられて当てる。小川流"後の先"じゃ。浪川龍ならワイの流儀をできるはずじゃ』
 
 声が消えた。

 ――琥太郎。お前の声を俺は活かすよ。お前の流儀がわかった今、俺は絶対に勝てる。

 意識を繋ぎ止め、脚を踏ん張り、もう一度左腕と大胸筋を全力で動かす。キリルは勝った気でいて気づいていない。次の一撃に。

 ごきぃん!

 と会心の感覚が俺の拳に伝わる。肋骨を叩き折った感覚が。鮮明に伝わる。

 キリルはマウスピースを吐き出し悶絶する。勝率は10000%。コイツを殺してやる。ボクサーとしても、人としても。絶対に逃さん。ダッシュで距離を詰める。テレポートが決まったように一瞬で目の前。

 倒れ込みそうに後ろに引こうとするキリルに追撃のサイドの左ボディ。鳩尾に決まり上体を無理やり起こす。胃液を吐いているようだが、気にしない。左をもう一回引いてもう一発同じ箇所にお見舞い。グチャっと内臓が破裂したような感覚がした。顔は見てねえが、何か熱いものがかかる。少し距離を空けて今度は右でガラ空きの顎を突き上げる。俺がされたように、バラバラに砕けている事だろう。右拳がそう言っている。

 キリルの顔が跳ね上がり、白目になっている。これがフィニッシュブローだ。右拳に力を入れる。琥太郎と慰み者にされた女性の無念、日本人の誇り。全てを乗せて、俺の拳で葬り去る。

 道徳心に欠けたコイツの脳みそをぶっ壊して、あの世に送ってやる。

「しねええええええええええええええええええええっっ!!!!!!!」

 キリルの左のこめかみに渾身の打ち下ろし、チョッピングライトが炸裂。頭蓋骨の砕けた音と感覚が響く。金髪碧眼で鼻が高いイケメンと評されるあいつが、情けない無様な顔でキャンバスに叩きつけられる。

 俺の勝ちだ。

 糸のないキリルが倒れた場所には血溜まりができていた。ゴングが鳴る。アイツを地獄に送れた。

 やったよ、みんな。琥太郎……仇は取ったぞ。

 右拳を天高く突き上げた。





 2ヶ月後。琥太郎が眠る場所にベルトを見せびらかしに来た。琥太郎がつけたがっていたベルト。今日だけは渡そう。墓石にいい感じに飾った。

 俺のやりたかった事はあの試合で終わった。もう、ボクシングはやめた。これからは自由に、やった事ないタバコとか酒とかバンバンやってやるわ。手始めに、タバコ、今吸ってみるわ。初心者におすすめって聞いたから多分行けるはず。ライターの練習もしたから大丈夫。

 少しだけ慣れた手つきで火をつけ、タバコに火をつける。煙が上がり口に加える。

「ゲホっ! まっず……。二度と吸わねえわ」

 煙たくて不味い味だった。ただ、これが平和の味なのかもしれない。修羅ではなく、人の世に生きる人間の為の。タバコの火を脚で消して、缶チューハイを口に運んだ。


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 親父さんが声を掛ける。
 あぁ。昔の記憶を見ていたようだ。瞼を開いて今を確認する。テンションはいい。
 俺はあの戦争後にボクサーとして復帰した。ただ一人の男を追い求めて。
「長かったな。タイトルマッチまで」
「ああ。俺に三年は長すぎたよ」
 俺の言葉を聞いた親父さんは、右隣で重苦しい表情をしていた。
「……なみの因縁の相手っちゅうのはわかる。自衛隊であの島でローウィア軍と抗戦した時の話も知っとる。……キリルがそれをわかった上で聞いて、お前さんとワシら含めた全ての日本人を馬鹿にしとるのも知っとる。その上で言いたい事がある」
 俺は黙っている。言いたいことは大体わかるが。
「アイツは、えげつなく強い。……正直、今すぐにでも棄権したいくらいじゃ。受けとうなかった。そのくらいアイツは強いし、拳で人を殺すのも厭わん。……それでもお前さんが、|浪川龍《なみかわりゅう》がやると言ってるから、ワシはこの試合を組んだ。じゃが、お前さんが少しでも逝きそうなら、ワシは躊躇なく止める。それだけは覚えといてくれ」
「わかった。ただ、俺は生きてベルトを持って帰ってくるだけだ」
 背中に巻いたタオルをグローブで掴んで、親父さんに投げた。
「よお! 久しぶり」
 キリルが俺に気安く声をかける。ショートだがさらりと靡く金髪と、見下している碧眼と良すぎる顔はいつ見ても最低だ。
 俺は何も返さない。
「まさか、お前程度の雑魚がここまで来るとはな! まあ、もう歯向かう雑魚はいないから、テメェのような最弱人種のクソジャップが来るしかなかったんだがな! ガッハッハッ!」
 試合前だと言うのに高笑いをしている。会場はこの様子に大ブーイング。前日の記者会見で俺だけじゃなく日本人を馬鹿にしたんだから仕方ない。会場は日本だから。
「あの戦争でローウィアは負けたが、俺は死ななかった。それどころかジャップをたくさん葬った! 女の兵士もいたが、殴れば何もできなかったな。いい締まり具合で、気持ちよかったぜ! 女のレベルは流石の日本人だな。だから、お前も女を紹介すれば、負けてやるよ! もうベルトに興味ねえからな!」
 言いたい放題言いやがって。だが、怒ったら思う壺だ。ただ、少しだけ言ってやろう。
「そうだな。女は知らん。それを捨てて生きてきたから」
「じゃあ交渉決裂。お前の墓地を用意しといてやるよ」
「……そうだな。お前はその道徳心の欠如と油断で負けて死ぬんだから、それはお前の墓地になるだろう。ボクサーとして。火葬はしてちゃんと弔ってやるよ」
 この一言でキリルはこめかみの血管が浮かんでいた。作戦成功だ。
「いいだろう。テメエも殺してやる。命ごとこの両手で刈り取ってやる」
 両のグローブをかち合わせて叩く。ゴングの時間が近づいた。
 カーン!
 甲高いゴングが鳴る。瞬間、パンチの火花が飛び散る。レフェリーがギリギリ避け大惨事にはならなかった。
「ほぅ……」
 キリルの顔が少し引き締まる。俺は感じた。今ならそこまで差がないと。この時間にケリをつけに行こう。ダッシュで距離を詰めに行った。
 三年は長いと感じた。ただ、無駄ではなかったと噛み締めて。
「はぁ……はぁ……」
 6Rが終わる。お互い顔がボロボロ。互角と言う状況に、周囲は見えるだろう。前のラウンドにいい感じのカウンターが決まったから。
「なみさん! いいぞー! あのローウィア人をやっつけてくれー!」
「なみさん! あと少しだ! 頑張ってくれ!」
 ありがたい大きな声援が降り注ぐ。ありがたい。ありがたすぎるが、正直勝率は五%だ。倒すならさっきのカウンターが一番のチャンスだった。だが、アイツはダウンどころか持ち堪えた。パンチも重い癖に、耐久力も鬼みたいだ。ディフェンスの隙をそれで補ってると言う事か。伊達に20回防衛はしてねえな。憎き敵ながら感心していた。
「なみ、行けるか? ワシは……」
「行く。止めたらアンタを殺す」
 そろそろ|休憩《インターバル》が終わる。椅子から立ち上がりリング中央に向かう。息は整っている。5%に掛ける。次のラウンドで、勝つ。俺は覚悟を決めた。
 7R。開始と同時にキリルのジャブが次々と襲う。あの時の銃撃の雨を思い出す程だ。これがキリルの本領。カウンターが入ったのは俺を舐めてこれをしなかったから。普段は早い段階でこれをして、瞬殺している。憎い奴だ。ただ、笑えないレベルで銃弾が飛び交っている。
 シュシュシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッ!
 これじゃ近づけねえ。仕方ないか。5Rにリバーとボディーにいいのを3発入れたからな。こんだけ警戒してくれてるのはありがたい。ただ、このレベルの速さだと、差し合いに持ち込めねえ。下手に手を出したらカウンターで入る。そうなったら無惨に貰い続ける。俺の意識が浮きかけた瞬間に右が入るから俺は死ぬ。天に昇る。とは言え手を出さなきゃ負ける。
 マシンガンがずっと連射されている中に入るのも無理。かと言ってこっちのショットガンじゃ応戦も不可能。どうすりゃいい。
 憎たらしく笑ってやがる。これなら近づけねえだろと言っている。金髪碧眼で顔がいいのが憎い。小川……琥太郎ならどうするよ。ボクサー琥太郎、俺が一生勝てないボクサーの姿を思い出す。
 ――アイツは、こう言う時は突っ込む。怖がらず。もらっても当てる。覚悟を決めて当てる。それしかない。遠距離性能に劣るなら、突っ込むしかない。腕の長いアイツの隙はそこしかない。
 両手で顔面を覆うピーカブースタイルに切り替える。キリルのジャブはさらに早くなり、横の変化も加わる。野郎、俺の横のジャブも会得してるのか。パクった技も使って倒すと言うのか。面白え。お前を超えらぁ!
 脚に力を溜めて突っ込む。銃弾が腕に全部命中する。痛いなんてもんじゃない。一発でも貰えば、多分意識を失って倒れる威力だ。ただ早すぎるから倒れる事が許されず顔を完全に無防備な状態で跳ね上げられ続けダメージが蓄積して、最後に渾身の右をこめかみに当てられて死ぬ。それがキリルの相手が死ぬカラクリだ。あのジャブの嵐が"死のマシンガン"と呼ばれるのも納得できる。
 ガードを開けないように、しっかり閉じて前に進む。顔は見てねえが、嫌がってるはず。スピードが加速している。あの長い腕でこの回転だから人外もいいところだ。だが、止まれねえ。
 ビキィ!
 左腕にヒビが入る感覚がある。
 グギィ!
 右肘付近もやられている。それを知ってかそこを中心に銃撃が飛ぶ。痛さで意識が飛びそうだが、耐えろ。耐えないと俺は俺を許せぬまま逝く。琥太郎に顔向けできんっ。亀裂が入り続ける腕を盾にし続け銃弾の中を進む。
 ガンっと何かに当たる。銃弾が来ない。どっちかの肘に当たった。この距離なら、俺のボディが刺さる。ここしかねえ!
 ガードを少し開き、左腕と大胸筋をフル稼働。ボディ目掛けてそれは当たるはずだった。
 ぐしゃぁと顎から鈍く段々と鋭くなる痛みと不快で砕けた音がする。
 何故か俺が被弾している。顔が跳ね上がる中でキリルを見るとにやけていやがった。
 狙われてた。狙われてた。狙われてた……。俺の策は見破られていた。このまま距離を置かれて俺は磔刑にされる。終わった。もう終わった。意識は途切れるはずだった。
『おいおい。それじゃワイの真髄を体現できとらんぜよ』
 琥太郎の声が聞こえてくる。天国? いや、まだ起きてる。ただ時は何故か止まっている。キリルも周り全てが動いていないみたいだ。
『もらっても当てるは今やるものだ。今もらったこの瞬間、油断しとるじゃろ? あいつは。笑っとる。それが隙じゃ。人間この瞬間は緩む。そこにカチ込む! それが当てられて当てる。小川流"後の先"じゃ。浪川龍ならワイの流儀をできるはずじゃ』
 声が消えた。
 ――琥太郎。お前の声を俺は活かすよ。お前の流儀がわかった今、俺は絶対に勝てる。
 意識を繋ぎ止め、脚を踏ん張り、もう一度左腕と大胸筋を全力で動かす。キリルは勝った気でいて気づいていない。次の一撃に。
 ごきぃん!
 と会心の感覚が俺の拳に伝わる。肋骨を叩き折った感覚が。鮮明に伝わる。
 キリルはマウスピースを吐き出し悶絶する。勝率は10000%。コイツを殺してやる。ボクサーとしても、人としても。絶対に逃さん。ダッシュで距離を詰める。テレポートが決まったように一瞬で目の前。
 倒れ込みそうに後ろに引こうとするキリルに追撃のサイドの左ボディ。鳩尾に決まり上体を無理やり起こす。胃液を吐いているようだが、気にしない。左をもう一回引いてもう一発同じ箇所にお見舞い。グチャっと内臓が破裂したような感覚がした。顔は見てねえが、何か熱いものがかかる。少し距離を空けて今度は右でガラ空きの顎を突き上げる。俺がされたように、バラバラに砕けている事だろう。右拳がそう言っている。
 キリルの顔が跳ね上がり、白目になっている。これがフィニッシュブローだ。右拳に力を入れる。琥太郎と慰み者にされた女性の無念、日本人の誇り。全てを乗せて、俺の拳で葬り去る。
 道徳心に欠けたコイツの脳みそをぶっ壊して、あの世に送ってやる。
「しねええええええええええええええええええええっっ!!!!!!!」
 キリルの左のこめかみに渾身の打ち下ろし、チョッピングライトが炸裂。頭蓋骨の砕けた音と感覚が響く。金髪碧眼で鼻が高いイケメンと評されるあいつが、情けない無様な顔でキャンバスに叩きつけられる。
 俺の勝ちだ。
 糸のないキリルが倒れた場所には血溜まりができていた。ゴングが鳴る。アイツを地獄に送れた。
 やったよ、みんな。琥太郎……仇は取ったぞ。
 右拳を天高く突き上げた。
 2ヶ月後。琥太郎が眠る場所にベルトを見せびらかしに来た。琥太郎がつけたがっていたベルト。今日だけは渡そう。墓石にいい感じに飾った。
 俺のやりたかった事はあの試合で終わった。もう、ボクシングはやめた。これからは自由に、やった事ないタバコとか酒とかバンバンやってやるわ。手始めに、タバコ、今吸ってみるわ。初心者におすすめって聞いたから多分行けるはず。ライターの練習もしたから大丈夫。
 少しだけ慣れた手つきで火をつけ、タバコに火をつける。煙が上がり口に加える。
「ゲホっ! まっず……。二度と吸わねえわ」
 煙たくて不味い味だった。ただ、これが平和の味なのかもしれない。修羅ではなく、人の世に生きる人間の為の。タバコの火を脚で消して、缶チューハイを口に運んだ。