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机上の手紙

ー/ー



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 残念ながら、僕には何もないのです。他人より抜きん出た才能は無く、笑いのタネになるような面白い欠点もありません。
 音楽をやろうとしたことがありました。絵を描こうとしたこともありました。諦めました。僕には才能が無かったのです。
 クルアーンを買いました。聖書でないのは、僕が天邪鬼だからです。本当はアッラーでもお釈迦様でも何でもよかったのだと思います。何かに縋りたかったのです。自分を満たしてくれる存在を求めた僕は、神様にそれを見出そうとしました。二、三頁めくって、閉じました。慈悲深き、慈愛遍くアッラーも、からっぽの僕にはお手上げです。

 神様が駄目なら、人間に縋ろう。先生に、同級生に、親に、褒めてもらって満足しよう。幸い、僕は勉強ができるふりだけは上手でした。
 お前ならどんな大学でも目指せる、と先生に褒められました。勉強を教えて欲しい、と同級生に頼まれました。お前は私たちの自慢だ、と両親は僕を褒めました。
 ちっとも満たされませんでした。大学を目指せるから何なのだ。あそこは学問のできる人間の行く場所だ。ふりは通じない。そこに僕の求めるものがある確証もないではないか。勉強を教えて欲しい? 無理な話だ。勉強が出来るふりをしているだけなのだから。る、らる、す、さすと唱えていれば良いのだ。自慢だなんて、そんな筈はない。ただの親不孝者だ。こんな人間を態々育てたあなたたちは随分とお人好しに見える。
 こういう人間なのです。心の内で毒づくだけ。自分に自信がない。心の内を曝け出すことができない。どうしようもない人間なのです。僕を満たしてくれるものはどこにあるのだろう。ずっとそんなことだけ考えていました。
 太宰の真似事だと、嘲笑う者もいるでしょう。その通りです。真似事です。からっぽなので、他人の真似事しかできないのです。つまらない人間です。

 こんな人間を好いてくれる人間がいることには驚きました。相手からの好意を断る勇気もないので、僕はその人と付き合うことにしました。
 彼女は多才でした。音楽が得意でした。絵も上手でした。学問もできました。彼女は満たされているようでした。
 何故僕を好きになったのか、尋ねたことがありました。優しくしてくれたから、だそうです。僕は彼女を可哀想に思いました。その、人を見る目の無さを、可哀想に思いました。
 僕は、利用してやろうと思いました。彼女のことを。からっぽの僕に、ほんの少し、一滴だけでも、彼女の満足を分けてもらえないかと考えました。僕は目一杯彼女に優しくしました。彼女の我儘にも、でき得る限り応えました。彼女の好きなものを、好きになったふりをしました。人は、自分の好きなものを好きになってくれる人に良い感情を抱くものです。そうやって彼女を利用していました。

 付き合ってから一年ほどでしょうか。別れ話を切り出されました。悲しくはありませんでした。そもそもこんな人間を好きになったことがおかしいのです。
 何故別れたいのか尋ねました。悲しみも、未練も何も無いのですが、何と無くそれが気になったのです。彼女は答えました。あなたはつまらない。私への愛情が感ぜられない。あなたは物質的な満足は与えてくれたが、私の心を満たしてくれない。満たして欲しかった。私がどんなに愛情を注いでも、あなたは応えてくれない。あなたはからっぽだ。穴の空いたコップのようだ、と。彼女は僕の愛情を求めて、僕に愛情を注ぎ続けたのです。愛情は、枯れました。
 僕は嬉しかった。ああ、ついに真の理解者が現れた。そうです。僕はからっぽなのです。先生にも、親でさえも見抜けなかった僕の正体に初めて気づいてくれた! アッラーよ、僕を見よ! あなたにさえ救えなかった僕は、たった一人の人間によって救われた!
 初めて満たされた気分です。心地が良い。この世界に、たった一人、僕を理解した人間がいる。満足です。とても満足しました。駄文を連ね、失礼しました。僕は満足したのでここでお暇しようと思います。

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 息子の遺書をテーブルに置き、私は椅子に深く腰掛けた。窓の外には雲一つない伽藍堂の青空が広がっていた。


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 残念ながら、僕には何もないのです。他人より抜きん出た才能は無く、笑いのタネになるような面白い欠点もありません。
 音楽をやろうとしたことがありました。絵を描こうとしたこともありました。諦めました。僕には才能が無かったのです。
 クルアーンを買いました。聖書でないのは、僕が天邪鬼だからです。本当はアッラーでもお釈迦様でも何でもよかったのだと思います。何かに縋りたかったのです。自分を満たしてくれる存在を求めた僕は、神様にそれを見出そうとしました。二、三頁めくって、閉じました。慈悲深き、慈愛遍くアッラーも、からっぽの僕にはお手上げです。
 神様が駄目なら、人間に縋ろう。先生に、同級生に、親に、褒めてもらって満足しよう。幸い、僕は勉強ができるふりだけは上手でした。
 お前ならどんな大学でも目指せる、と先生に褒められました。勉強を教えて欲しい、と同級生に頼まれました。お前は私たちの自慢だ、と両親は僕を褒めました。
 ちっとも満たされませんでした。大学を目指せるから何なのだ。あそこは学問のできる人間の行く場所だ。ふりは通じない。そこに僕の求めるものがある確証もないではないか。勉強を教えて欲しい? 無理な話だ。勉強が出来るふりをしているだけなのだから。る、らる、す、さすと唱えていれば良いのだ。自慢だなんて、そんな筈はない。ただの親不孝者だ。こんな人間を態々育てたあなたたちは随分とお人好しに見える。
 こういう人間なのです。心の内で毒づくだけ。自分に自信がない。心の内を曝け出すことができない。どうしようもない人間なのです。僕を満たしてくれるものはどこにあるのだろう。ずっとそんなことだけ考えていました。
 太宰の真似事だと、嘲笑う者もいるでしょう。その通りです。真似事です。からっぽなので、他人の真似事しかできないのです。つまらない人間です。
 こんな人間を好いてくれる人間がいることには驚きました。相手からの好意を断る勇気もないので、僕はその人と付き合うことにしました。
 彼女は多才でした。音楽が得意でした。絵も上手でした。学問もできました。彼女は満たされているようでした。
 何故僕を好きになったのか、尋ねたことがありました。優しくしてくれたから、だそうです。僕は彼女を可哀想に思いました。その、人を見る目の無さを、可哀想に思いました。
 僕は、利用してやろうと思いました。彼女のことを。からっぽの僕に、ほんの少し、一滴だけでも、彼女の満足を分けてもらえないかと考えました。僕は目一杯彼女に優しくしました。彼女の我儘にも、でき得る限り応えました。彼女の好きなものを、好きになったふりをしました。人は、自分の好きなものを好きになってくれる人に良い感情を抱くものです。そうやって彼女を利用していました。
 付き合ってから一年ほどでしょうか。別れ話を切り出されました。悲しくはありませんでした。そもそもこんな人間を好きになったことがおかしいのです。
 何故別れたいのか尋ねました。悲しみも、未練も何も無いのですが、何と無くそれが気になったのです。彼女は答えました。あなたはつまらない。私への愛情が感ぜられない。あなたは物質的な満足は与えてくれたが、私の心を満たしてくれない。満たして欲しかった。私がどんなに愛情を注いでも、あなたは応えてくれない。あなたはからっぽだ。穴の空いたコップのようだ、と。彼女は僕の愛情を求めて、僕に愛情を注ぎ続けたのです。愛情は、枯れました。
 僕は嬉しかった。ああ、ついに真の理解者が現れた。そうです。僕はからっぽなのです。先生にも、親でさえも見抜けなかった僕の正体に初めて気づいてくれた! アッラーよ、僕を見よ! あなたにさえ救えなかった僕は、たった一人の人間によって救われた!
 初めて満たされた気分です。心地が良い。この世界に、たった一人、僕を理解した人間がいる。満足です。とても満足しました。駄文を連ね、失礼しました。僕は満足したのでここでお暇しようと思います。
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 息子の遺書をテーブルに置き、私は椅子に深く腰掛けた。窓の外には雲一つない伽藍堂の青空が広がっていた。