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5月 なみおと、ふたつ

ー/ー



5月下旬。窓から見える青々とした葉桜が、自然の息吹と時の流れを感じさせる。この教室から見える景色にも慣れてきた。
 
「えー、じゃあこの問題を…大浪」
「はい」

 数学Ⅱの授業中。先生に指された俺は立ち上がり、黒板へ向かう。
 
 大浪琉海(オオナミ ルカ)、それが俺の名前だ。
 成績はそこそこ、運動もそこそこ、どこにでもいる犬獣人の高校2年生。
 強いて特徴を挙げるとすれば、周りよりも背が高いことくらいだ。大型の犬種ということもあってか、小学生の頃から背が高くて、先月の身体測定ではついに身長190cmを記録した。
 
 背の順はいつも1番後ろ。集合写真も1番後ろ。
 出席番号順で並べられた俺の机も、窓際の1番後ろ。……これは偶然だが、前の席になると後ろの席の人が見えなくなって気まずいから、ちょうどよかった。

 等間隔で並べられた机の間を縫って、教卓まで進む。俺が横を通る度に物珍しそうな視線を向けられている気がするが、気付かないふりを決め込んだ。
 白のチョークを手に取って、途中式を含めた解答を黒板に書き出す。ノートと違って、黒板はちょうどいい目線になるから書きやすい。
 
「できました」
「……うん、正解!途中式も完璧だな」

 教室のあちこちから小さな拍手が沸き起こり、俺は下を向いたままそそくさと自分の席へ戻った。
 
 こんな背丈をしておいて嫌味だと思われるかもしれないが、俺は注目されるのがあまり好きじゃない。
 
 誰かに直接何かを言われたわけでも、いじめられた過去があるわけでもない。でも、周りの声が自分に向けられたもののように感じたり、勝手に他人の視線を気にしたりしてしまう。目立たないように、邪魔にならないようにと、できるだけ体を縮こめて生きてきたから、知らない間に猫背になっていた。
 
 それに、威圧感があるからか、友達もできたことがない。1年の時のクラスメイトとも必要最低限の会話をするくらいで、友達と呼べるような関係性まで発展することはなかった。
 
 でも、それで十分だ。"身の丈にあった"という言葉は好きじゃないから使わないが、このくらいの生活が俺には合っている。今までどおりこのまま、卒業までの日々を穏やかに浪費していけばいい。そう思っていた。

 
「むにゃ…………」


 今まさに右隣の席で爆睡している、こいつに出会うまでは。

 
「おい、ナギサ。起きろ」

 ペンで肩をつつくが、完全に夢の中だ。起きる気配は一ミリもない。
 
 小浪汀(コナミ ナギサ)。
 バカ。アホ。居眠り常習犯。小型の犬種で身長は150cmらしい。明るさだけが取り柄の、どうしようもないやつ。
 
 始業式の日、目立ちたくないという俺のささやかな願いは、俺を見上げて大騒ぎするこいつによって完膚なきまでに破壊された。大声を出されたことで、クラス分けの結果に夢中になっていた生徒たちの注目が集まり、あちこちで「本当だ、背高すぎ」「身長差やば…」と囁かれる始末。
 
 逃げるようにその場を離れたものの、なんとクラスが同じ、それに"お"おなみと"こ"なみで席まで隣同士になるなんて。ホームルーム中にひそひそ話が聞こえてきたときは、流石に終わったと思った。
 
「んぇ……もうちょい…まだ食べれるから……」
 
 そこは「もう食べられない」だろ…どんだけ食い意地張ってるんだよ。気持ちよさそうに寝やがって。あーもう、ヨダレでプリントがビチャビチャじゃねーか……しかも白紙。授業終わりに提出なのにどうするつもりだよ…

「小浪!」
「ふがっ!?」

 先生に名前を呼ばれ、ナギサは意識を取り戻す。
 
「また居眠りか…ちゃんと聞いとけよ」
「へへ、すいません…」

 頭をぽりぽりと掻くナギサに、先生も呆れ気味でため息をつく。
 
「へへ、じゃない。授業終わったら、みんなのプリント回収して持ってこい」
「えーー!」

 ほら言わんこっちゃない……。自業自得だろ、と俺は顔に手を当てた。
 
「それじゃあ、今から10分間ペアワークな。隣の席の人と話し合って、答えを記入するように」

 水色のキッチンタイマーが黒板に掲げられ、カウントダウンが始まる。
 
「お、お、な、み?」
 
 右隣から、俺の名前を呼ぶ声がする。もうお察しだろうが、俺のペアワーク相手は…
 
「プリント見せて♡」

 そう、こいつだ。先ほどまで夢の中を散歩していたナギサは、上目遣いで俺の顔を覗き込む。
 
「断る」

 きゅるんとした瞳に惑わされそうになるが、プリントの丸写しはすぐバレるし、こいつのためにならない。断固拒否する。
 
「そこをなんとか!次はちゃんと起きて授業聞くからさぁ!」
「やっぱ聞いてねえじゃねえか…そんなんで大丈夫かよ」
「だーいじょうぶ!次の期末で挽回するって!」
「中間、何点だったんだ?」

 今月中旬に実施された中間テスト。数学Ⅱの学年平均は68点だった。1学期の中間テストは、まだ範囲が狭く、勉強もしやすい。点数を稼ぐチャンスだ。
 だが、明らかにナギサの目は泳いでいる。
 
「ま、まあ、そこそこかな〜、へへへ…」
「何点、だったんだ?」

 へらへらと誤魔化すナギサに、もう一度聞き返す。
 
「えーっと……にじゅう、ごてん…」
 
「……」
「あー!やめろよその目!そんな哀れみの目で俺を見るな!」
 
 ちなみに、うちの高校は30点未満、もしくは平均点の半分が30点に満たなかった場合は、その点数を下回ると赤点になる。まあ、どっちにしろお手上げってわけだ。
 
「哀れにも程があるだろ…プリントは自分でやれ」
「えー!もう5分もねえのに!?無理だって!」
 
 嘆くナギサ。慌てて教科書をめくるが、全く違うページを開いている。さてはこいつ、授業始まってすぐ寝てたな。
 
 黒板のカウントダウンは、無情にも進み続ける。残り2分を切ったが、ナギサのプリントは白紙のまま。ヨダレで濡れた部分が少し乾いただけだ。

「うぅ〜〜〜、こんなの、わかんねぇよ……」

 残り1分。なんかもう、だんだん可哀想になってくる。
 痺れを切らした俺は、ついに自分のプリントを、半泣きになっているナギサの机にそっと置いた。

「え……」
「……丸写しはマズイから、若干変えて書けよ」

 結局、また甘やかしてしまった。もう何度目か忘れてしまった"今回だけ"を、再び行使する。

「おおなみぃ〜〜〜!!」

 天からの救いを賜るかのように、俺のプリントを横に並べ、勢いよくペンを走らせるナギサ。あの速度は絶対丸写しだな。バレないといいが……多分無理だろう。

 最後の空欄が埋まるのとほぼ同時に、タイマーが10分の経過を知らせる。その電子音に続くようにして、終業のチャイムが鳴った。

「よーし!ギリギリセーフ!」
 ガッツポーズをするナギサ。
 何がセーフだ。やってることは完全にアウトだからな。
 
「よし。じゃあ今日はここまで。プリントは一旦後ろから前に回して、出席番号順でこのカゴに入れておくように。小浪、持ってくるの忘れるなよ」
「はーい!」
 
 染みが残る自身のプリントをひらひらと振りながら、ナギサは元気よく返事をした。



「へへ……」
「何笑ってんだ」
 
 休み時間を迎えた教室。俺は黒板消しを滑らせながら、にやにやとするナギサに尋ねる。
 
「さっきはありがとな!なんだかんだ見せてくれると思ってたぜ〜!大浪、優しいもんな!」
「…………別に」
「じゃ、プリント持って行ってくる!」
 
 プリントが入ったカゴを抱えて、教室を飛び出すナギサ。しかし、数歩進んだところで立ち止まったかと思うと、すぐに踵を返して戻ってきた。
 
「なあ、数学準備室?って、どこだっけ…?」
「……」

 もう、ため息も出ない。
 黒板消しを置いて、手に付いた粉を払う。
 
「一緒に行ってやる」
「よろしく!」
 
 よろしく、じゃねえよ。へらへらしやがって。
 

 小浪汀。バカ。アホ。居眠り常習犯で、方向音痴。明るさだけが取り柄の、ほんとどうしようもなくて、ほっとけないやつ。
 
 でも、初めてできた、俺の……友達だ。


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5月下旬。窓から見える青々とした葉桜が、自然の息吹と時の流れを感じさせる。この教室から見える景色にも慣れてきた。
「えー、じゃあこの問題を…大浪」
「はい」
 数学Ⅱの授業中。先生に指された俺は立ち上がり、黒板へ向かう。
 大浪琉海(オオナミ ルカ)、それが俺の名前だ。
 成績はそこそこ、運動もそこそこ、どこにでもいる犬獣人の高校2年生。
 強いて特徴を挙げるとすれば、周りよりも背が高いことくらいだ。大型の犬種ということもあってか、小学生の頃から背が高くて、先月の身体測定ではついに身長190cmを記録した。
 背の順はいつも1番後ろ。集合写真も1番後ろ。
 出席番号順で並べられた俺の机も、窓際の1番後ろ。……これは偶然だが、前の席になると後ろの席の人が見えなくなって気まずいから、ちょうどよかった。
 等間隔で並べられた机の間を縫って、教卓まで進む。俺が横を通る度に物珍しそうな視線を向けられている気がするが、気付かないふりを決め込んだ。
 白のチョークを手に取って、途中式を含めた解答を黒板に書き出す。ノートと違って、黒板はちょうどいい目線になるから書きやすい。
「できました」
「……うん、正解!途中式も完璧だな」
 教室のあちこちから小さな拍手が沸き起こり、俺は下を向いたままそそくさと自分の席へ戻った。
 こんな背丈をしておいて嫌味だと思われるかもしれないが、俺は注目されるのがあまり好きじゃない。
 誰かに直接何かを言われたわけでも、いじめられた過去があるわけでもない。でも、周りの声が自分に向けられたもののように感じたり、勝手に他人の視線を気にしたりしてしまう。目立たないように、邪魔にならないようにと、できるだけ体を縮こめて生きてきたから、知らない間に猫背になっていた。
 それに、威圧感があるからか、友達もできたことがない。1年の時のクラスメイトとも必要最低限の会話をするくらいで、友達と呼べるような関係性まで発展することはなかった。
 でも、それで十分だ。"身の丈にあった"という言葉は好きじゃないから使わないが、このくらいの生活が俺には合っている。今までどおりこのまま、卒業までの日々を穏やかに浪費していけばいい。そう思っていた。
「むにゃ…………」
 今まさに右隣の席で爆睡している、こいつに出会うまでは。
「おい、ナギサ。起きろ」
 ペンで肩をつつくが、完全に夢の中だ。起きる気配は一ミリもない。
 小浪汀(コナミ ナギサ)。
 バカ。アホ。居眠り常習犯。小型の犬種で身長は150cmらしい。明るさだけが取り柄の、どうしようもないやつ。
 始業式の日、目立ちたくないという俺のささやかな願いは、俺を見上げて大騒ぎするこいつによって完膚なきまでに破壊された。大声を出されたことで、クラス分けの結果に夢中になっていた生徒たちの注目が集まり、あちこちで「本当だ、背高すぎ」「身長差やば…」と囁かれる始末。
 逃げるようにその場を離れたものの、なんとクラスが同じ、それに"お"おなみと"こ"なみで席まで隣同士になるなんて。ホームルーム中にひそひそ話が聞こえてきたときは、流石に終わったと思った。
「んぇ……もうちょい…まだ食べれるから……」
 そこは「もう食べられない」だろ…どんだけ食い意地張ってるんだよ。気持ちよさそうに寝やがって。あーもう、ヨダレでプリントがビチャビチャじゃねーか……しかも白紙。授業終わりに提出なのにどうするつもりだよ…
「小浪!」
「ふがっ!?」
 先生に名前を呼ばれ、ナギサは意識を取り戻す。
「また居眠りか…ちゃんと聞いとけよ」
「へへ、すいません…」
 頭をぽりぽりと掻くナギサに、先生も呆れ気味でため息をつく。
「へへ、じゃない。授業終わったら、みんなのプリント回収して持ってこい」
「えーー!」
 ほら言わんこっちゃない……。自業自得だろ、と俺は顔に手を当てた。
「それじゃあ、今から10分間ペアワークな。隣の席の人と話し合って、答えを記入するように」
 水色のキッチンタイマーが黒板に掲げられ、カウントダウンが始まる。
「お、お、な、み?」
 右隣から、俺の名前を呼ぶ声がする。もうお察しだろうが、俺のペアワーク相手は…
「プリント見せて♡」
 そう、こいつだ。先ほどまで夢の中を散歩していたナギサは、上目遣いで俺の顔を覗き込む。
「断る」
 きゅるんとした瞳に惑わされそうになるが、プリントの丸写しはすぐバレるし、こいつのためにならない。断固拒否する。
「そこをなんとか!次はちゃんと起きて授業聞くからさぁ!」
「やっぱ聞いてねえじゃねえか…そんなんで大丈夫かよ」
「だーいじょうぶ!次の期末で挽回するって!」
「中間、何点だったんだ?」
 今月中旬に実施された中間テスト。数学Ⅱの学年平均は68点だった。1学期の中間テストは、まだ範囲が狭く、勉強もしやすい。点数を稼ぐチャンスだ。
 だが、明らかにナギサの目は泳いでいる。
「ま、まあ、そこそこかな〜、へへへ…」
「何点、だったんだ?」
 へらへらと誤魔化すナギサに、もう一度聞き返す。
「えーっと……にじゅう、ごてん…」
「……」
「あー!やめろよその目!そんな哀れみの目で俺を見るな!」
 ちなみに、うちの高校は30点未満、もしくは平均点の半分が30点に満たなかった場合は、その点数を下回ると赤点になる。まあ、どっちにしろお手上げってわけだ。
「哀れにも程があるだろ…プリントは自分でやれ」
「えー!もう5分もねえのに!?無理だって!」
 嘆くナギサ。慌てて教科書をめくるが、全く違うページを開いている。さてはこいつ、授業始まってすぐ寝てたな。
 黒板のカウントダウンは、無情にも進み続ける。残り2分を切ったが、ナギサのプリントは白紙のまま。ヨダレで濡れた部分が少し乾いただけだ。
「うぅ〜〜〜、こんなの、わかんねぇよ……」
 残り1分。なんかもう、だんだん可哀想になってくる。
 痺れを切らした俺は、ついに自分のプリントを、半泣きになっているナギサの机にそっと置いた。
「え……」
「……丸写しはマズイから、若干変えて書けよ」
 結局、また甘やかしてしまった。もう何度目か忘れてしまった"今回だけ"を、再び行使する。
「おおなみぃ〜〜〜!!」
 天からの救いを賜るかのように、俺のプリントを横に並べ、勢いよくペンを走らせるナギサ。あの速度は絶対丸写しだな。バレないといいが……多分無理だろう。
 最後の空欄が埋まるのとほぼ同時に、タイマーが10分の経過を知らせる。その電子音に続くようにして、終業のチャイムが鳴った。
「よーし!ギリギリセーフ!」
 ガッツポーズをするナギサ。
 何がセーフだ。やってることは完全にアウトだからな。
「よし。じゃあ今日はここまで。プリントは一旦後ろから前に回して、出席番号順でこのカゴに入れておくように。小浪、持ってくるの忘れるなよ」
「はーい!」
 染みが残る自身のプリントをひらひらと振りながら、ナギサは元気よく返事をした。
「へへ……」
「何笑ってんだ」
 休み時間を迎えた教室。俺は黒板消しを滑らせながら、にやにやとするナギサに尋ねる。
「さっきはありがとな!なんだかんだ見せてくれると思ってたぜ〜!大浪、優しいもんな!」
「…………別に」
「じゃ、プリント持って行ってくる!」
 プリントが入ったカゴを抱えて、教室を飛び出すナギサ。しかし、数歩進んだところで立ち止まったかと思うと、すぐに踵を返して戻ってきた。
「なあ、数学準備室?って、どこだっけ…?」
「……」
 もう、ため息も出ない。
 黒板消しを置いて、手に付いた粉を払う。
「一緒に行ってやる」
「よろしく!」
 よろしく、じゃねえよ。へらへらしやがって。
 小浪汀。バカ。アホ。居眠り常習犯で、方向音痴。明るさだけが取り柄の、ほんとどうしようもなくて、ほっとけないやつ。
 でも、初めてできた、俺の……友達だ。