五章 回顧 34
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それから数ヶ月が経ち、幸江ちゃんが満面の笑みを浮かべて教室に飛び込んできた。
「妹が産まれたの!」
幸江ちゃんの家に向かうと彼女の母親が大事そうに赤ちゃんを抱き抱えていた。大きな目をくりくりとさせて不思議そうに私を見ている。愛らしいその姿は天使のようで、私は自身の表情が溶けるように緩むのを感じていた。「可愛いねえ。お名前は?」
「紗江よ」母親がゆっくりと呟く。その愛情のこもった温かい視線は紗江ちゃんに注がれていた。
「いいお名前ですね」紗江ちゃんの頭を撫でる。まだ少ない髪の毛だが、さらさらで、柔らかい。なぜだか私は胸に込み上げるものを感じていた。幸江ちゃんが嬉しそうに話し始める。
「私ね、毎日が楽しいの。紗江の成長を見るのが楽しくて仕方がないの!ねえ、二人とも紗江の手の平に、指を置いてみて」
私は紗江ちゃんの右手に、鶴子ちゃんは左手に人差し指を添える。すると、力強く握ってきたのだ。吹けば飛んでいきそうな小さな身体のどこに、このような力があったのだろう。真っ先に感じたのは生命力の強さだった。生きている、その当たり前が理屈ではなく本能で感じたのだ。思わず「すごい」と呟いていた。
鶴子ちゃんは驚いた表情を浮かべ、同じ反応をする。「わ、すごい」
「でしょう」幸江ちゃんが自分のことのように得意げなのが、微笑ましい。
「守ってあげなきゃ、って思っちゃうね」これ程に非力なのに、全身から溢れんばかりの生命力が発散されている。両親がどれだけ大切に育ててくれたのか、少しだけわかったような気がした。母親が、優しく微笑みかける。
「えっちゃんと鶴子ちゃん。この子が大きくなったら、一緒に遊んでくれるかしら?」
「うん!」私と鶴子ちゃんは元気いっぱいの返事をした。
私はいつもの三人組の中に、紗江ちゃんが加わった姿を想像する。私と鶴子ちゃんは彼女を連れ回し、責任感の強い幸江ちゃんが姉として見守っているのかもしれない。そんな光景が浮かんできた。もしかしたら紗江ちゃんは口うるさいお姉ちゃんに、辟易しているのかもしれない。どうなろうとも、今がもっと楽しくなることは想像に難くない。私はこれからの紗江ちゃんの成長が楽しみで仕方がなかった。
「写真屋さんが来てるのよ。えっちゃん、おいでおいで」たっちゃんの母親がそう声をかけてきたのは、母の監視の目が緩んできた頃だった。彼女に手を引かれ、たっちゃんの家の玄関に連れて行かれる。「早く早く」
玄関先にはたっちゃんが立っていた。大きな望遠レンズを前に緊張しているのか、肩が上がっている。私の姿に気づくと、安心したように表情を緩ませた。
「何、緊張してるのよ」私は軽口を叩くが、内心では同じように緊張していた。「私は別に、怖くはないんだから」
当時カメラは珍しいもので、一般家庭には普及していなかった。写真屋さんが町を回っている時や、必要な時にこちらからお店に出向いていたのだ。
「お、俺だって怖くないわい」たっちゃんはふん、と鼻を鳴らし腕を組む。
「はい、撮りますよ」と写真屋さんが大きな望遠レンズを覗き込む。私はどのような顔をすれば分からなくて、身体に力が入ってしまう。カシャっ、と目の前が光る。「はい、撮りました」
数日が経ち、現像された写真を受け取ると、私は可笑しくて噴き出した。写真機から何かが飛び出すと思ったのか、たっちゃんはきゅっ、と目をつぶっていたからだ。
「えっちゃんだって可笑しかろう。びっくりして、目、見開いとるもん」たっちゃんは写真に指を向けると、同じように噴き出した。「二人して、阿呆な写真だのう」
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「妹が産まれたの!」
幸江ちゃんの家に向かうと彼女の母親が大事そうに赤ちゃんを抱き抱えていた。大きな目をくりくりとさせて不思議そうに私を見ている。愛らしいその姿は天使のようで、私は自身の表情が溶けるように緩むのを感じていた。「可愛いねえ。お名前は?」
「|紗江《さえ》よ」母親がゆっくりと呟く。その愛情のこもった温かい視線は紗江ちゃんに注がれていた。
「いいお名前ですね」紗江ちゃんの頭を撫でる。まだ少ない髪の毛だが、さらさらで、柔らかい。なぜだか私は胸に込み上げるものを感じていた。幸江ちゃんが嬉しそうに話し始める。
「私ね、毎日が楽しいの。紗江の成長を見るのが楽しくて仕方がないの!ねえ、二人とも紗江の手の平に、指を置いてみて」
私は紗江ちゃんの右手に、鶴子ちゃんは左手に人差し指を添える。すると、力強く握ってきたのだ。吹けば飛んでいきそうな小さな身体のどこに、このような力があったのだろう。真っ先に感じたのは生命力の強さだった。生きている、その当たり前が理屈ではなく本能で感じたのだ。思わず「すごい」と呟いていた。
鶴子ちゃんは驚いた表情を浮かべ、同じ反応をする。「わ、すごい」
「でしょう」幸江ちゃんが自分のことのように得意げなのが、微笑ましい。
「守ってあげなきゃ、って思っちゃうね」これ程に非力なのに、全身から溢れんばかりの生命力が発散されている。両親がどれだけ大切に育ててくれたのか、少しだけわかったような気がした。母親が、優しく微笑みかける。
「えっちゃんと鶴子ちゃん。この子が大きくなったら、一緒に遊んでくれるかしら?」
「うん!」私と鶴子ちゃんは元気いっぱいの返事をした。
私はいつもの三人組の中に、紗江ちゃんが加わった姿を想像する。私と鶴子ちゃんは彼女を連れ回し、責任感の強い幸江ちゃんが姉として見守っているのかもしれない。そんな光景が浮かんできた。もしかしたら紗江ちゃんは口うるさいお姉ちゃんに、辟易しているのかもしれない。どうなろうとも、今がもっと楽しくなることは想像に難くない。私はこれからの紗江ちゃんの成長が楽しみで仕方がなかった。
「写真屋さんが来てるのよ。えっちゃん、おいでおいで」たっちゃんの母親がそう声をかけてきたのは、母の監視の目が緩んできた頃だった。彼女に手を引かれ、たっちゃんの家の玄関に連れて行かれる。「早く早く」
玄関先にはたっちゃんが立っていた。大きな望遠レンズを前に緊張しているのか、肩が上がっている。私の姿に気づくと、安心したように表情を緩ませた。
「何、緊張してるのよ」私は軽口を叩くが、内心では同じように緊張していた。「私は別に、怖くはないんだから」
当時カメラは珍しいもので、一般家庭には普及していなかった。写真屋さんが町を回っている時や、必要な時にこちらからお店に出向いていたのだ。
「お、俺だって怖くないわい」たっちゃんはふん、と鼻を鳴らし腕を組む。
「はい、撮りますよ」と写真屋さんが大きな望遠レンズを覗き込む。私はどのような顔をすれば分からなくて、身体に力が入ってしまう。カシャっ、と目の前が光る。「はい、撮りました」
数日が経ち、現像された写真を受け取ると、私は可笑しくて噴き出した。写真機から何かが飛び出すと思ったのか、たっちゃんはきゅっ、と目をつぶっていたからだ。
「えっちゃんだって可笑しかろう。びっくりして、目、見開いとるもん」たっちゃんは写真に指を向けると、同じように噴き出した。「二人して、阿呆な写真だのう」