五章 回顧 33
ー/ー
次に思い出されるのは四年生の頃だ。学校が終わった後は皆、帰宅をし、家の手伝いをする。両親が稼ぎに出て、子供達が家の家事をすることは、当時では当たり前の光景だった。
ある日私達は話を合わせて家の仕事を放棄した。
「家帰ったら、私達、怒られちゃうね」鶴子ちゃんがこめかみを掻く。幸江ちゃんは家に帰ったら怒られる、と気もそぞろでもない様子だ。私は母にげんこつをされる場面を想像して青ざめてしまう。それでも私達は他愛もない話をして笑い合っていた。
三人で石段に座り、海を眺めていた。鴎が、長閑に鳴いて青空を飛んでいる。何も制限がなさそうで、自由で、楽しそうに見えた。家のお手伝いなど、ないのだろう。私も空を飛んで、島の外へ行ってみたい気分になる。
「ん?あれ、たっちゃんと弘じゃない?」鶴子ちゃんが砂浜を指差した。目を凝らすと、木の枝を振り回した少年が走ってくる。
「あ、本当だ」幸江ちゃんも同じように指を差す。
たっちゃんはいつも走っているような気がする。今日も学校でイタズラを仕掛け、吉川先生に追われているのを目撃したばかりだ。『またやってるよ』と呆れつつも、どこか許してしまうような抜け目のなさ、愛嬌が彼にはあった。私はたっちゃんのそのような姿を見る度に笑っていた。鶴子ちゃんが肘を突いてくる。「ちょっとー。何笑ってるのよ」
どうやら顔がほころんでいたらしい。「たっちゃんは今日も元気だな、と思って」
「えっちゃんはたっちゃんのことが大好きだもんねえ」幸江ちゃんがのんびりと言う。
「別に、そんなんじゃないよ」私は反射的に答えてしまう。「ただ、家が近いだけだし」
私は『さっちゃん』、辰二は『たっちゃん』という愛称で呼ばれている。あだ名が酷似しているため、周りからひとまとまりにされるのだ。家が隣同士というのも、幸江達が盛り上がる要因の一つだった。いつの間にかたっちゃんが目の前に来ていた。
「えっちゃん達じゃん。何しとるん?」たっちゃんは膝が擦りむけて瘡蓋ができている。如何にもやんちゃ少年という風貌だった。「この時間に外いるの、珍しいな」
「今日は三人で仕事しないで遊ぶって決めたんだ」鶴子ちゃんが腕を組む。
「う、うんそうだよ」と幸江ちゃんは苦笑する。
「そう、なの」私は頷いた。たっちゃんは私達三人の顔を見渡して、鼻で笑う。
「どうせ、鶴子の発案で二人を巻き込んだんだろう?」
「何でわかるのよ」鶴子ちゃんは目を丸くする。
「幸江とえっちゃんはおっかさんが怖くてまず発案はしないだろう。残るはいつも阿呆なことばかり考える鶴子、お前しかおらん」
たっちゃんの予想は当たっており、私は噴き出してしまう。鶴子ちゃんは「合ってるけど、阿呆って何よ」と頬を膨らませている。
「猿でも分かるわい」たっちゃんは苦々しい表情を浮かべた。弘君が息を切らし、追いついてきた。膝に手を置いている。「たっちゃん、足速いよー」
「弘が遅いだけだべ」
たっちゃんが悪餓鬼とすれば弘君は真面目な少年だった。
「で、二人は何してたの?」鶴子ちゃんが木の枝を指す。
「これか?」たっちゃんが木の枝を高く掲げ、振り回す。「チャンバラの練習だ。日本男児たるもの、いつだって戦えるようにしとかんとな」
「そうそう。でもたっちゃんが飽きて、途中でかけっこになっちゃったけどね」
「バカ言え、体力作りも立派な鍛錬になるわい」
その頃は戦争が激化し、日本も参加するのでは?という空気感が漂っていた。
「私は、そのようなことには、ならないで欲しいな」幸江ちゃんが祈るように呟く。「妹が、健やかに育って欲しいもの」
幸江ちゃんには妹が生まれるまで数ヶ月、というところだった。「私、お姉ちゃんになるんだ」と嬉しそうに話す姿は、こちらも嬉しい気分になった。だからこそ家の手伝いをしなくてはならないのだが、今日は祖母に任せている。
「何言っとんだ」たっちゃんがぐい、と詰め寄った。「そうならないために戦うんだろうが。お国の為に死ねるなら本望じゃ」
「たっちゃん、冗談でも死ぬだなんて言わないで」男の子達は皆兵士に憧れ、讃えていたが、私には理解ができなかった。「死んだら何も残らないのよ」
たっちゃんは鼻を鳴らす。「あんたら女どもには分からんわい」
「ぼくもできれば、戦いたくはないなあ」弘君が気弱に呟く。
「そうやって女々しくしてるからもやしっ子と馬鹿にされるんじゃ。本ばかり読んでも、腕っ節は強くならんわい」
「猿のように阿呆らしく走り回っても、頭は良くならんわい」鶴子ちゃんが口調を真似た。
「弘は女らと一緒になって、飯炊と裁縫をしてればいい」たっちゃんはふんぞり変えるように腕を組む。「安心せい。俺が守っちゃるからな」粗暴だが、それは不器用さの裏返しで、照れ隠しのようなものだった。
「俺は、将来日本を背負う男になるんだ。見とれよお前ら」たっちゃんは弘君の手を掴み、海へと走っていく。鶴子ちゃんが「なんで海に走るのよ」と呆れ、私と幸江ちゃんはお腹を抑えて笑っていた。
その後、こっぴどく叱られたのは言うまでもない。母が目を吊り上げて叱責し、父は縮こまっている私の姿を見て間を取り持っていた。
「まあまあ、悦子も最近遊べていなかったんだから、大目ににみようよ」
我が家では母の方が権威が強い。父の甘い態度が気に障ったらしく次第に怒りの矛先が移っていく。嵐が過ぎ去った後、私は父と顔を見合わせて苦笑した。
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ある日私達は話を合わせて家の仕事を放棄した。
「家帰ったら、私達、怒られちゃうね」鶴子ちゃんがこめかみを掻く。幸江ちゃんは家に帰ったら怒られる、と気もそぞろでもない様子だ。私は母にげんこつをされる場面を想像して青ざめてしまう。それでも私達は他愛もない話をして笑い合っていた。
三人で石段に座り、海を眺めていた。|鴎《かもめ》が、長閑に鳴いて青空を飛んでいる。何も制限がなさそうで、自由で、楽しそうに見えた。家のお手伝いなど、ないのだろう。私も空を飛んで、島の外へ行ってみたい気分になる。
「ん?あれ、たっちゃんと弘じゃない?」鶴子ちゃんが砂浜を指差した。目を凝らすと、木の枝を振り回した少年が走ってくる。
「あ、本当だ」幸江ちゃんも同じように指を差す。
たっちゃんはいつも走っているような気がする。今日も学校でイタズラを仕掛け、吉川先生に追われているのを目撃したばかりだ。『またやってるよ』と呆れつつも、どこか許してしまうような抜け目のなさ、愛嬌が彼にはあった。私はたっちゃんのそのような姿を見る度に笑っていた。鶴子ちゃんが肘を突いてくる。「ちょっとー。何笑ってるのよ」
どうやら顔がほころんでいたらしい。「たっちゃんは今日も元気だな、と思って」
「えっちゃんはたっちゃんのことが大好きだもんねえ」幸江ちゃんがのんびりと言う。
「別に、そんなんじゃないよ」私は反射的に答えてしまう。「ただ、家が近いだけだし」
私は『さっちゃん』、辰二は『たっちゃん』という愛称で呼ばれている。あだ名が酷似しているため、周りからひとまとまりにされるのだ。家が隣同士というのも、幸江達が盛り上がる要因の一つだった。いつの間にかたっちゃんが目の前に来ていた。
「えっちゃん達じゃん。何しとるん?」たっちゃんは膝が擦りむけて|瘡蓋《かさぶた》ができている。|如何《いか》にもやんちゃ少年という風貌だった。「この時間に外いるの、珍しいな」
「今日は三人で仕事しないで遊ぶって決めたんだ」鶴子ちゃんが腕を組む。
「う、うんそうだよ」と幸江ちゃんは苦笑する。
「そう、なの」私は頷いた。たっちゃんは私達三人の顔を見渡して、鼻で笑う。
「どうせ、鶴子の発案で二人を巻き込んだんだろう?」
「何でわかるのよ」鶴子ちゃんは目を丸くする。
「幸江とえっちゃんはおっかさんが怖くてまず発案はしないだろう。残るはいつも阿呆なことばかり考える鶴子、お前しかおらん」
たっちゃんの予想は当たっており、私は噴き出してしまう。鶴子ちゃんは「合ってるけど、阿呆って何よ」と頬を膨らませている。
「猿でも分かるわい」たっちゃんは苦々しい表情を浮かべた。弘君が息を切らし、追いついてきた。膝に手を置いている。「たっちゃん、足速いよー」
「弘が遅いだけだべ」
たっちゃんが悪餓鬼とすれば弘君は真面目な少年だった。
「で、二人は何してたの?」鶴子ちゃんが木の枝を指す。
「これか?」たっちゃんが木の枝を高く掲げ、振り回す。「チャンバラの練習だ。日本男児たるもの、いつだって戦えるようにしとかんとな」
「そうそう。でもたっちゃんが飽きて、途中でかけっこになっちゃったけどね」
「バカ言え、体力作りも立派な鍛錬になるわい」
その頃は戦争が激化し、日本も参加するのでは?という空気感が漂っていた。
「私は、そのようなことには、ならないで欲しいな」幸江ちゃんが祈るように呟く。「妹が、健やかに育って欲しいもの」
幸江ちゃんには妹が生まれるまで数ヶ月、というところだった。「私、お姉ちゃんになるんだ」と嬉しそうに話す姿は、こちらも嬉しい気分になった。だからこそ家の手伝いをしなくてはならないのだが、今日は祖母に任せている。
「何言っとんだ」たっちゃんがぐい、と詰め寄った。「そうならないために戦うんだろうが。お国の為に死ねるなら本望じゃ」
「たっちゃん、冗談でも死ぬだなんて言わないで」男の子達は皆兵士に憧れ、讃えていたが、私には理解ができなかった。「死んだら何も残らないのよ」
たっちゃんは鼻を鳴らす。「あんたら女どもには分からんわい」
「ぼくもできれば、戦いたくはないなあ」弘君が気弱に呟く。
「そうやって女々しくしてるからもやしっ子と馬鹿にされるんじゃ。本ばかり読んでも、腕っ節は強くならんわい」
「猿のように阿呆らしく走り回っても、頭は良くならんわい」鶴子ちゃんが口調を真似た。
「弘は女らと一緒になって、飯炊と裁縫をしてればいい」たっちゃんはふんぞり変えるように腕を組む。「安心せい。俺が守っちゃるからな」粗暴だが、それは不器用さの裏返しで、照れ隠しのようなものだった。
「俺は、将来日本を背負う男になるんだ。見とれよお前ら」たっちゃんは弘君の手を掴み、海へと走っていく。鶴子ちゃんが「なんで海に走るのよ」と呆れ、私と幸江ちゃんはお腹を抑えて笑っていた。
その後、こっぴどく叱られたのは言うまでもない。母が目を吊り上げて叱責し、父は縮こまっている私の姿を見て間を取り持っていた。
「まあまあ、悦子も最近遊べていなかったんだから、大目ににみようよ」
我が家では母の方が権威が強い。父の甘い態度が気に障ったらしく次第に怒りの矛先が移っていく。嵐が過ぎ去った後、私は父と顔を見合わせて苦笑した。