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五章 回顧 32

ー/ー



「あれ?その子は?」
 次に亮ちゃん達が来たのは、三ヶ月が経った頃だ。私が驚いているのに反し、彼は落ち着いた様子で自己紹介を始めた。
「初めまして、ハルトといいます」ハルトと名乗る青年は、玄関先で深々と頭を下げた。名前を聞き、ああ、と私は思い至る。「あなたが『ハルト兄ちゃん』なのね」
 歩美ちゃんの息子である望睦君と幸登君が『今日ハルト兄ちゃんと遊んだんだー』と喜んで話していたのだ。名前は聞いていたが直接顔を合わせるのは初めてだった。
 ハルトは君は照れくさそうに頭を掻く。「二人から、聞いてたんですね。同じく僕も、悦子おばちゃんの話は聞いていたので、何だか、初めて会う感じはしないです」
「そうね。私もよ」 
 彼らを居間に通し、話を聞いた。ハルト君は高校で、島について調べたことを発表する会があるらしい。彼がテーマに困っていたところ、奈々ちゃんが提案したという流れだ。『悦子おばちゃんから話を聞かない?』と。
 ハルト君は私の目の前で、畳に頭が付くくらい頭を下げる。「悦子おばちゃんの昔の話を、聞きたいんです」
「ちょっ、ちょっとハルト君、顔を上げて」元々、話そうと思っていたのだ。ハルト君は顔を上げ、続けて話すため、私は切り出すタイミングを逃してしまう。
「この島の、いや、これからの未来のために、どうしても悦子おばちゃんの話を、聞いておきたいんです」
「お願いします」と亮ちゃんと奈々ちゃんも頭を下げた。
 真剣な若者達の目に、私は気圧(けお)される。『未来』、その言葉は、今の私にとっては縁遠いものだ。だからこそ、託すべきなのかもしれない。
「私はね、元々、話そうと思っていたの」亮ちゃんと奈々ちゃんに目を向ける。「この間はごめんなさいね。利用だなんて言ってしまって。若者が頑張っているのに、それを妨げるのはどうかしていたわ」
「じゃあ」奈々ちゃんが嬉しそうに声を上げた。
「ええ」テーブルを支えにし、立ち上がる。「ちょっと、お茶を淹れてくるわね」
 台所に向かった私はオレンジジュースではなく、四人分の緑茶を淹れることにした。今まで亮ちゃん達が遊びに来た時に、私はジュースを出していた。彼らが喜んで飲む年齢ではないとわかっていたが、子供の頃が忘れられなくて、敢えて出していたのだ。いつまでも子供だと、思っていたかったのかもしれない。しかし、彼らの目を見て、もう大人なのだと理解した。私も変わらなければ、と思ったのだ。次の世代に、繋ぐために。
 お盆に四人分の湯呑みを乗せて、持ち上げる。水面が、揺れていることに気づく。どうやら、手が震えていたらしい。一度置いてから、深呼吸をする。震えが止まってから、再び持ち上げ、居間への暖簾をくぐる。「お茶を淹れたことだし、ゆっくり話しましょう」
 
 私にとってそれは、忘れたい記憶だった。同時に、忘れたくない記憶でもあった。
 まず思い出されるのが小学一年生の頃だ。当時の校舎は木造で、木の香りがしていたのを覚えている。西口鶴子(にしぐちつるこ)ちゃんと和田幸江(わださちえ)ちゃんの二人と仲が良く、毎日三人で登校をしていた。貧しいけれど島の人達が助け合って日々を暮らしている。幸せな時代だった。おはじきやメンコをしたり、民謡を歌うなど。当然ゲームなどはなく、遊びは自分たちで考えるものだった。
 吉川先生が教室に入ってくる。彼は新人の男先生で、一年生の頃の担任だ。背丈の低い私たちに必ず膝を曲げ、目線を合わせてくれる、優しい先生だった。声を上げ、生徒達をまとめる先生が多い時代だったからこそ、吉川先生の穏やかさはより珍しく、私の目に映っていた。
「吉川せんせ、おはようございます」私達が大声で挨拶をすると吉川先生は表情をほころばせる。
「おはよう。今日もみんな元気だねえ」
「吉川せんせ、たっちゃんと(ひろし)君がまだ来てないよ」鶴子ちゃんが優等生よろしく挙手をする。「多分、たっちゃんが寝坊したんだと思う!」
 吉川先生は二人の席に目を向ける。「どうだろう?弘君まで遅刻するのは珍しいね」
「弘君はたっちゃんを待ってるんだよ。絶対、そうだよ」幸江ちゃんが頷く。そんな話をしていると、「遅刻遅刻」と廊下から、どたどたと騒がしい足音と声が聞こえてきた。生徒達が、ああ来たぞ、とくすくす笑っている。
 二人の男の子が息を切らし、教室に飛び込んできた。
「吉川せんせ、おはよう。間に合った?」辰二(たつじ)こと、たっちゃんは申し訳なさを微塵も見せない表情だ。彼はやんちゃな悪餓鬼でいつもいたずらをして吉川先生に追いかけ回されていた。鶴子ちゃんの予想通り、寝坊などの理由で遅刻をしてしまったのだろう。
「吉川せんせ、遅れてごめんなさい」弘君は申し訳なさそうに吉川先生を覗き込む。大人しく真面目な性格で、丸刈りの頭と丸眼鏡がより拍車をかけている。正反対、水と油のような性格の二人だが、馬が合うのか、いつも一緒に遊んでいた。
「二人とも、どうして遅刻したんだ?」
「俺が寝坊したんだ」たっちゃんは弘君に指を向ける。「弘君は俺のことを待ってくれてた」
「ほらやっぱり」と鶴子ちゃんが呆れ声を上げる。「ね、先生。言った通りでしょ」
「そうだな」吉川先生は眉を下げる。「遅刻は遅刻です」
「えぇー」
「たっちゃん、仕方ないよ」
 弘君は受け入れ、たっちゃんの方に手を置いた。反応まで正反対で私は笑ってしまう。それが日常の光景だった。


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「あれ?その子は?」
 次に亮ちゃん達が来たのは、三ヶ月が経った頃だ。私が驚いているのに反し、彼は落ち着いた様子で自己紹介を始めた。
「初めまして、ハルトといいます」ハルトと名乗る青年は、玄関先で深々と頭を下げた。名前を聞き、ああ、と私は思い至る。「あなたが『ハルト兄ちゃん』なのね」
 歩美ちゃんの息子である望睦君と幸登君が『今日ハルト兄ちゃんと遊んだんだー』と喜んで話していたのだ。名前は聞いていたが直接顔を合わせるのは初めてだった。
 ハルトは君は照れくさそうに頭を掻く。「二人から、聞いてたんですね。同じく僕も、悦子おばちゃんの話は聞いていたので、何だか、初めて会う感じはしないです」
「そうね。私もよ」 
 彼らを居間に通し、話を聞いた。ハルト君は高校で、島について調べたことを発表する会があるらしい。彼がテーマに困っていたところ、奈々ちゃんが提案したという流れだ。『悦子おばちゃんから話を聞かない?』と。
 ハルト君は私の目の前で、畳に頭が付くくらい頭を下げる。「悦子おばちゃんの昔の話を、聞きたいんです」
「ちょっ、ちょっとハルト君、顔を上げて」元々、話そうと思っていたのだ。ハルト君は顔を上げ、続けて話すため、私は切り出すタイミングを逃してしまう。
「この島の、いや、これからの未来のために、どうしても悦子おばちゃんの話を、聞いておきたいんです」
「お願いします」と亮ちゃんと奈々ちゃんも頭を下げた。
 真剣な若者達の目に、私は|気圧《けお》される。『未来』、その言葉は、今の私にとっては縁遠いものだ。だからこそ、託すべきなのかもしれない。
「私はね、元々、話そうと思っていたの」亮ちゃんと奈々ちゃんに目を向ける。「この間はごめんなさいね。利用だなんて言ってしまって。若者が頑張っているのに、それを妨げるのはどうかしていたわ」
「じゃあ」奈々ちゃんが嬉しそうに声を上げた。
「ええ」テーブルを支えにし、立ち上がる。「ちょっと、お茶を淹れてくるわね」
 台所に向かった私はオレンジジュースではなく、四人分の緑茶を淹れることにした。今まで亮ちゃん達が遊びに来た時に、私はジュースを出していた。彼らが喜んで飲む年齢ではないとわかっていたが、子供の頃が忘れられなくて、敢えて出していたのだ。いつまでも子供だと、思っていたかったのかもしれない。しかし、彼らの目を見て、もう大人なのだと理解した。私も変わらなければ、と思ったのだ。次の世代に、繋ぐために。
 お盆に四人分の湯呑みを乗せて、持ち上げる。水面が、揺れていることに気づく。どうやら、手が震えていたらしい。一度置いてから、深呼吸をする。震えが止まってから、再び持ち上げ、居間への暖簾をくぐる。「お茶を淹れたことだし、ゆっくり話しましょう」
 私にとってそれは、忘れたい記憶だった。同時に、忘れたくない記憶でもあった。
 まず思い出されるのが小学一年生の頃だ。当時の校舎は木造で、木の香りがしていたのを覚えている。|西口鶴子《にしぐちつるこ》ちゃんと|和田幸江《わださちえ》ちゃんの二人と仲が良く、毎日三人で登校をしていた。貧しいけれど島の人達が助け合って日々を暮らしている。幸せな時代だった。おはじきやメンコをしたり、民謡を歌うなど。当然ゲームなどはなく、遊びは自分たちで考えるものだった。
 吉川先生が教室に入ってくる。彼は新人の男先生で、一年生の頃の担任だ。背丈の低い私たちに必ず膝を曲げ、目線を合わせてくれる、優しい先生だった。声を上げ、生徒達をまとめる先生が多い時代だったからこそ、吉川先生の穏やかさはより珍しく、私の目に映っていた。
「吉川せんせ、おはようございます」私達が大声で挨拶をすると吉川先生は表情をほころばせる。
「おはよう。今日もみんな元気だねえ」
「吉川せんせ、たっちゃんと|弘《ひろし》君がまだ来てないよ」鶴子ちゃんが優等生よろしく挙手をする。「多分、たっちゃんが寝坊したんだと思う!」
 吉川先生は二人の席に目を向ける。「どうだろう?弘君まで遅刻するのは珍しいね」
「弘君はたっちゃんを待ってるんだよ。絶対、そうだよ」幸江ちゃんが頷く。そんな話をしていると、「遅刻遅刻」と廊下から、どたどたと騒がしい足音と声が聞こえてきた。生徒達が、ああ来たぞ、とくすくす笑っている。
 二人の男の子が息を切らし、教室に飛び込んできた。
「吉川せんせ、おはよう。間に合った?」|辰二《たつじ》こと、たっちゃんは申し訳なさを微塵も見せない表情だ。彼はやんちゃな悪餓鬼でいつもいたずらをして吉川先生に追いかけ回されていた。鶴子ちゃんの予想通り、寝坊などの理由で遅刻をしてしまったのだろう。
「吉川せんせ、遅れてごめんなさい」弘君は申し訳なさそうに吉川先生を覗き込む。大人しく真面目な性格で、丸刈りの頭と丸眼鏡がより拍車をかけている。正反対、水と油のような性格の二人だが、馬が合うのか、いつも一緒に遊んでいた。
「二人とも、どうして遅刻したんだ?」
「俺が寝坊したんだ」たっちゃんは弘君に指を向ける。「弘君は俺のことを待ってくれてた」
「ほらやっぱり」と鶴子ちゃんが呆れ声を上げる。「ね、先生。言った通りでしょ」
「そうだな」吉川先生は眉を下げる。「遅刻は遅刻です」
「えぇー」
「たっちゃん、仕方ないよ」
 弘君は受け入れ、たっちゃんの方に手を置いた。反応まで正反対で私は笑ってしまう。それが日常の光景だった。