五章 回顧 30
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人との縁が、断ち切られていく。轟音が響き、防空壕の中が揺れる。その揺れと共に、土がぱらぱらと私の頭に落ちた。崩れ落ちるのではないか、と不安になり、頭を抑え、身を屈める。
「悦子、大丈夫だからね」母は守るように私を抱きしめる。母の服の裾をギュッと掴む。「大丈夫。大丈夫だから。たっちゃんは無事、帰ってくる」
母は自分自身に言い聞かせるように、何度も大丈夫と呟いた。私は耳を塞ぎ、ぎゅっと目を瞑る。耐えることで精一杯で、声を出すことができなかった。
飛び起きるように、私は目を覚ます。辺りを見渡すと、テレビと掛け軸、奈々ちゃんに撮られた写真の数々が目に入り、私は安堵する。ああ、夢だったのか、と。
「あ、おばあちゃん、起きたのね」娘の照美が居間に入ってくる。隣には白衣に身を包んだ女性がいた。「あら、お友達?こんにちは」私はベッドから起きあがろうとして身を捩る。
「悦子さん、そのままで大丈夫ですよ」白衣の女性がベット脇にあるスイッチを押すと、車の座席のように動き始めた。首から下げられた名札には『小野田』と書かれている。
それを見て私は思い出す。へるぱあさんだったと。どうも最近、身体と記憶が思うように働かない。気がついた時には近所で旦那と暮らしていたはずの照美が家に顔を出す時間が増え、彼女の疲れた表情を見ることが多くなった。
雨漏りだろうか。廊下にある水溜りを、照美が雑巾で拭いている時だった。「あれ、鶴子ちゃん、なにしてんのお?」私が聞くと「照美だよ。ばあちゃん」と悲しそうに眉を下げて、振り返った。
小野田さんが顔を出すようになり、ご飯やお風呂、トイレなどのお手伝いをしてくれるようになった。おむつを履くことを勧められたが、「そんなもの必要ない」と私は強く拒んだ。屈辱的で、人を小馬鹿にしていると思ったからだ。けれど、気がつくと履いていた。まるでずっとそのように過ごしていたような気分だった。
次第に私はこの居間から、季節を見守るようになった。もう少しで、桜が咲き始めることだろう。何となく、最後になる予感がしていた。
混濁する記憶の中で、小学生の頃の思い出だけは、はっきりと残っていた。それまでは塞いでおり、ぼんやりとしていた記憶が、亮ちゃん達に話して以来、輪郭を帯び始めたのだ。
その日、亮ちゃんは、先日渡した野菜のお礼を伝えに来た。とても嬉しそうな表情で話す彼を見て、私は一安心する。島に戻ってきたばかりの頃は、先行きが見通せない不安があったのだろう。思い詰めたように、浮かない表情をしていたのだ。今はしっかりと、前を見据えている。
「悦子おばちゃん、話を、聞かせてください」
居間に上がった亮ちゃんは、表情を引き締めて切り出した。どうやら、私の半生が聞きたいらしい。理由を訊ねると彼は、真剣な眼差しで話し始めた。
「この間、悦子おばちゃんと話して、改めて気づいたんだ。この島が好きなんだ、って。それだけじゃない。見える景色も、住む人達も。だからこそ、もっと多くの人で賑わって欲しいんだ。『何もない島』だなんて揶揄する人もいるけど、そんなことはないと思うんだ」
私は亮ちゃんの想いを、感心した気持ちで聞いていた。島が好きで、話を聞きたいと、面と向かって伝えてくれている。これほど嬉しいことはない。私は胸を打たれていた。しかし次の言葉で、その考えも変わってしまう。
「それで、何かできることはないかと思って、考えてみたら俺は記事を書く仕事をしていたし、それを活かせるんじゃないかって」
「活かす?」
亮ちゃんは白黒の写真に目を向けた。「この間は聞きそびれちゃったけど、知りたいんだ。何があったのかを。それを色んな人に伝えたい」その内容を『いんたあねっと』とやらに公開したいとのことだ。記事を書く仕事していたからこそ、取材、インタビューとして私の生き様を残したいらしい。
「ええと、そのいんたあねっと?とやらは何なんだい?」私にとってはあまりわからない内容だった。
「何だろうな」亮ちゃんは腕を組む。「色んな人が話しているのを見たり聞いたり、直接、参加することができる場所のことかな。そこには国籍や年齢、性別、を問わずに誰でも集まれる。集会所といえば、イメージしやすいかな?」
「集会場」
つまり、知らない人に話を伝えるようなものだ。無闇矢鱈に大勢の人へ、公開する理由が私には分からなかった。ずっと幼少期から見守ってきた亮ちゃんだからこそ、私は話したいのだ。時々、テレビで語り部なる人が取材されているが、彼ら彼女らのように語ることはできなかった。安易に口を開き、他人に語れる内容ではないからだ。私は首を振る。
「ごめんなさい。亮ちゃんの頼みでも、話すことはできない」
断られることを想定していなかったのだろう。亮ちゃんは意表を突かれたような表情をし「報酬、謝礼は出すので」と口走った時には悲しくなってしまった。
「お金で交渉できると思ったの?」先ほどまでの私の想いは、お金によって、踏み躙られたのだ。本心でないのはわかっていたが、やはりショックだった。「この歳でそんなもの、いらないわ。それ以上に大切なものがあるから、話せないのよ」
亮ちゃんが口を開こうとするのを、私は遮った。「ごめんなさい。今日は帰ってください」
彼は何か言おうとしていたが、深々と頭を下げ、居間を後にした。
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人との縁が、断ち切られていく。轟音が響き、防空壕の中が揺れる。その揺れと共に、土がぱらぱらと私の頭に落ちた。崩れ落ちるのではないか、と不安になり、頭を抑え、身を屈める。
「悦子、大丈夫だからね」母は守るように私を抱きしめる。母の服の裾をギュッと掴む。「大丈夫。大丈夫だから。たっちゃんは無事、帰ってくる」
母は自分自身に言い聞かせるように、何度も大丈夫と呟いた。私は耳を塞ぎ、ぎゅっと目を|瞑《つぶ》る。耐えることで精一杯で、声を出すことができなかった。
飛び起きるように、私は目を覚ます。辺りを見渡すと、テレビと掛け軸、奈々ちゃんに撮られた写真の数々が目に入り、私は安堵する。ああ、夢だったのか、と。
「あ、おばあちゃん、起きたのね」娘の|照美《てるみ》が居間に入ってくる。隣には白衣に身を包んだ女性がいた。「あら、お友達?こんにちは」私はベッドから起きあがろうとして身を|捩《よじ》る。
「悦子さん、そのままで大丈夫ですよ」白衣の女性がベット脇にあるスイッチを押すと、車の座席のように動き始めた。首から下げられた名札には『小野田』と書かれている。
それを見て私は思い出す。へるぱあさんだったと。どうも最近、身体と記憶が思うように働かない。気がついた時には近所で旦那と暮らしていたはずの照美が家に顔を出す時間が増え、彼女の疲れた表情を見ることが多くなった。
雨漏りだろうか。廊下にある水溜りを、照美が雑巾で拭いている時だった。「あれ、鶴子ちゃん、なにしてんのお?」私が聞くと「照美だよ。ばあちゃん」と悲しそうに眉を下げて、振り返った。
小野田さんが顔を出すようになり、ご飯やお風呂、トイレなどのお手伝いをしてくれるようになった。おむつを履くことを勧められたが、「そんなもの必要ない」と私は強く拒んだ。屈辱的で、人を小馬鹿にしていると思ったからだ。けれど、気がつくと履いていた。まるでずっとそのように過ごしていたような気分だった。
次第に私はこの居間から、季節を見守るようになった。もう少しで、桜が咲き始めることだろう。何となく、最後になる予感がしていた。
|混濁《こんだく》する記憶の中で、小学生の頃の思い出だけは、はっきりと残っていた。それまでは塞いでおり、ぼんやりとしていた記憶が、亮ちゃん達に話して以来、輪郭を帯び始めたのだ。
その日、亮ちゃんは、先日渡した野菜のお礼を伝えに来た。とても嬉しそうな表情で話す彼を見て、私は一安心する。島に戻ってきたばかりの頃は、先行きが見通せない不安があったのだろう。思い詰めたように、浮かない表情をしていたのだ。今はしっかりと、前を見据えている。
「悦子おばちゃん、話を、聞かせてください」
居間に上がった亮ちゃんは、表情を引き締めて切り出した。どうやら、私の半生が聞きたいらしい。理由を訊ねると彼は、真剣な眼差しで話し始めた。
「この間、悦子おばちゃんと話して、改めて気づいたんだ。この島が好きなんだ、って。それだけじゃない。見える景色も、住む人達も。だからこそ、もっと多くの人で賑わって欲しいんだ。『何もない島』だなんて揶揄する人もいるけど、そんなことはないと思うんだ」
私は亮ちゃんの想いを、感心した気持ちで聞いていた。島が好きで、話を聞きたいと、面と向かって伝えてくれている。これほど嬉しいことはない。私は胸を打たれていた。しかし次の言葉で、その考えも変わってしまう。
「それで、何かできることはないかと思って、考えてみたら俺は記事を書く仕事をしていたし、それを活かせるんじゃないかって」
「活かす?」
亮ちゃんは白黒の写真に目を向けた。「この間は聞きそびれちゃったけど、知りたいんだ。何があったのかを。それを色んな人に伝えたい」その内容を『いんたあねっと』とやらに公開したいとのことだ。記事を書く仕事していたからこそ、取材、インタビューとして私の生き様を残したいらしい。
「ええと、そのいんたあねっと?とやらは何なんだい?」私にとってはあまりわからない内容だった。
「何だろうな」亮ちゃんは腕を組む。「色んな人が話しているのを見たり聞いたり、直接、参加することができる場所のことかな。そこには国籍や年齢、性別、を問わずに誰でも集まれる。集会所といえば、イメージしやすいかな?」
「集会場」
つまり、知らない人に話を伝えるようなものだ。|無闇矢鱈《むやみやたら》に大勢の人へ、公開する理由が私には分からなかった。ずっと幼少期から見守ってきた亮ちゃんだからこそ、私は話したいのだ。時々、テレビで語り部なる人が取材されているが、彼ら彼女らのように語ることはできなかった。安易に口を開き、他人に語れる内容ではないからだ。私は首を振る。
「ごめんなさい。亮ちゃんの頼みでも、話すことはできない」
断られることを想定していなかったのだろう。亮ちゃんは意表を突かれたような表情をし「報酬、謝礼は出すので」と口走った時には悲しくなってしまった。
「お金で交渉できると思ったの?」先ほどまでの私の想いは、お金によって、踏み|躙《にじ》られたのだ。本心でないのはわかっていたが、やはりショックだった。「この歳でそんなもの、いらないわ。それ以上に大切なものがあるから、話せないのよ」
亮ちゃんが口を開こうとするのを、私は遮った。「ごめんなさい。今日は帰ってください」
彼は何か言おうとしていたが、深々と頭を下げ、居間を後にした。