表示設定
表示設定
目次 目次




四章 友達 26

ー/ー



「どうしてあさひ君は怒らないの?」ありえないんだけど、と怒った顔で、さゆりちゃんが振り向く。帰り道だ。いつものように三人で帰っていた。
「ノート返してくれたし、ぼくは大丈夫だよ」
「そうじゃなくて」さゆりちゃんはため息をつく。「いつまでもやられっぱなしでいいの?」
「うーん。まさる君がそこまで悪い人には見えないんだよなあ」あさひ君はのんびりと言う。のそのそと歩き、牧場で鳴いている牛みたいだった。
「あたしが代わりに、殴っておいてあげようか?」さゆりちゃんがグーの手をつくる。
「いや、殴るのはダメだって」ぼくは慌てて割って入る。「ダメだよお」あさひ君は、これまたのんびりと言う。ぼくたちの中で、さゆりちゃんが一番男らしい。
「いい?まさる君はどうせ子分がいないとなにもできない弱虫なの」さゆりちゃんは声を上げ、早口で話す。「一発、ドカンとかましてやんなさい。そうすれば、大人しくなるんだから」
 あさひ君が『ドカンとかます』のを想像するが、どうしても弱々しく笑っている姿しか、浮かんでこない。そしてその通り、言われたあさひ君は困ったように笑い返した。
 
 嫌なこと、というのは立て続けにやってくるらしい。それは帰宅をし、ぼくがリビングでおやつを食べている時に起こった。
 お母さんはぼくが家に帰ると、必ずおやつを用意してくれている。今日は牛乳寒天だった。白くてゼリーのようにプルプルとしており、中にはみかんとビスケットが入っていた。ぼくは食べながらテレビを見ていると、隣の部屋でお昼寝をしていた幸登(ゆきと)が起きてきた。眠たそうに、目がとろんとしている。「にいちゃん、お帰り」
「幸登、ただいま。幼稚園楽しかった?」
「うん、楽しかったよ」頷いて満面の笑みを見せた。その笑顔があさひ君と重なった。二人とも、似た表情をするのだ。
「あっ、いいなあ」ぼくの牛乳寒天に幸登は目をつけた。「いいなあ、にいちゃん、幸登も食べたい」
「帰ってきてから食べたんだろ?さっきママ……お母さんが言ってたぞ」最近になってぼくは『お母さん』と呼ぶようにしている。一度、先生をママと呼んでしまったのがきっかけだ。その時のまさる君はとても嬉しそうな表情を浮かべていた。新しいおもちゃを見つけたと言わんばかりに、からかってきたのを今でも覚えている。やっぱりまさる君は嫌いだ。
「だって、ぼくもまた食べたいんだもん」幸登はわんわんと泣きはしめた。「食べたい食べたい食べたい」
 ぼくがもっと小さい頃に、お店でおもちゃを買ってくれなくて駄々をこねたことがある。お母さんはとても困った顔で、ため息をついていた。その時のお母さんの気持ちが、少しだけ分かったような気がする。
「嫌だよ。ぼくのおやつだもん」このままでは食べられてしまう。そう判断したぼくは牛乳寒天をあっという間に平らげた。一息で食べてしまったので、ビスケットのかけらが喉に詰まり咽せてしまった。急いでオレンジジュースを流し込む。苦しくて、涙目になってしまう。ゆっくり食べようと思ったのに、どうしてこんなことになっているのだ。
 幸登は咽せているぼくを心配するどころか、牛乳寒天を食べられてしまったことにショックを受け更に泣き始めた。音量を上げたテレビのようだった。
「どうしたの?」様子に気づいただろう。お母さんが慌てて台所からやってきた。
「にいちゃんがおやつを全部食べちゃったんだー」幸登が指を向けてくる。「幸登も食べたかったのにー」
 お母さんは幸登を泣き止ませるために抱っこをし、頭を撫でる。そしてぼくと同じことを聞いた。「でも、幸登はさっき食べたでしょう?」
「でも食べたかったのー」幸登は一度泣き始めると止まらない。ぼくもお母さんも困り果ててしまう。
「そうなのねえ」お母さんと目が合った。「望睦も一口くらい、食べさせてあげればよかったのに」ぼくはその次に言われる言葉がわかった。「お兄ちゃんなんだから」
 ぼくの頭はカッと熱くなった。「なんでぼくが悪いの?いつも幸登ばっかりじゃん」火山のように浮かんだ言葉が、次々と噴火する。「ずるいよ。ぼくはぼくのおやつを食べただけで、何にも悪いことしてないんだよ。なんで怒られなきゃいけないの」
「望睦……」お母さんはハッとしたように、ぼくの名前を呼ぶ。幸登はびっくりして泣き止んでいた。
「もう知らない」ぼくは立ち上がって玄関に向かう。声が震えていたけれど、ビスケットが咽せていたせいだ。
 
 泥団子を作って、海に投げる。ぼちゃん、と音を立てて、沈んでいく。家を飛び出して向かったのは海岸だ。特に行くところがなかったのである。靴を履いた状態で砂浜に行くと、『足が砂だらけになって汚れる』とお母さんに怒られるが今は気にしない。ぼくにとっては反抗のつもりだった。潮の満ち引きに合わせて、靴が濡れないように後ろに下がる。砂を取った場所に水が流れると、その穴が埋められていた。乾いた砂と濡れた砂を混ぜ合わせて、泥団子を作る。最初は砂が固まらなくてべちゃっとしていたけれど、分量のバランスが分かってきた。嫌な気持ちを、泥団子に込めるようにして何個も作り、投げる。段々と、楽しくなってきた。作っては投げる。その繰り返しだった。
 お母さんはいつも幸登の面倒を見ていて、何かにつけて『お兄ちゃんなんだから』と言ってくる。でも、もう少しぼくのことを見てよ、と思ってしまうのだ。小学生になって、大人になっていたと思っていたけど、ぼくはまだ、子供なのかもしれない。
「なーにやってるの?」カメラのシャッター音が鳴り、振り返ると奈々姉ちゃんだった。スマートフォンを構え、操作をしながら歩いてくる。首には茶色の、大きいカメラがぶら下がっていた。
「別に。一人で遊んでるだけだよ」ぼくはぶっきらぼうに答える。
 奈々姉ちゃんはお母さんの友達で、いつもカメラを持ち歩いている人だ。七五三や誕生日など、お祝いの日には写真を撮ってくれる。ぼくのお家にはお姉ちゃんの写真が沢山飾られているのだ。他のカメラマンから写真を撮られる時は緊張してしまうけれど、奈々姉ちゃんの時にはそれがない。自然と笑顔になってしまうのだ。
「うっそだー。顔にママと幸登と喧嘩したって書いてあるよ」ぼくの顔に指を向けてくる。
「ぼくは悪くない。幸登は勝手に泣いたし、お母さんはするんだ」ぼくは最近覚えた言葉を使う。「それとママじゃなくてお母さんだし」
 ぼくは幸登がお菓子をせがんで泣いたこと、お母さんが味方をしてくれなかったことを話した。奈々お姉ちゃんは「そっかあ。それは大変だったねえ」とけらけら笑うけれど、まさる君のように相手をバカにする感じはしない。全身がお布団で優しく包まれるような、暖かい感じがした。
「よし」と奈々姉ちゃんは腕を組み、発明を思いついた科学者のように提案する。「お姉ちゃんとお散歩しようか」
 いつもそうだ。姉ちゃんは人の話を聞かないで巻き込んでくることがある。「なんでそうなるの?」
「なんとなく」
 大人なのに子供みたいだ、とぼくは思った。でもワクワクしている自分もいた。「わかった!行こう」つい、声が弾んでしまう。
「その前に」奈々姉ちゃんはしゃがみ、ぼくの服をぱんぱんと叩く。「服、泥だらけだよ」
「本当だ」夢中で、気がつかなかった。奈々姉ちゃんは水飲み場に指を向けた。「しっかり手を洗うこと。泥だらけだと、みんなに笑われちゃうよ」
 ぼくは頷き、急いで水飲み場へと向かった。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 四章 友達 27


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



「どうしてあさひ君は怒らないの?」ありえないんだけど、と怒った顔で、さゆりちゃんが振り向く。帰り道だ。いつものように三人で帰っていた。
「ノート返してくれたし、ぼくは大丈夫だよ」
「そうじゃなくて」さゆりちゃんはため息をつく。「いつまでもやられっぱなしでいいの?」
「うーん。まさる君がそこまで悪い人には見えないんだよなあ」あさひ君はのんびりと言う。のそのそと歩き、牧場で鳴いている牛みたいだった。
「あたしが代わりに、殴っておいてあげようか?」さゆりちゃんがグーの手をつくる。
「いや、殴るのはダメだって」ぼくは慌てて割って入る。「ダメだよお」あさひ君は、これまたのんびりと言う。ぼくたちの中で、さゆりちゃんが一番男らしい。
「いい?まさる君はどうせ子分がいないとなにもできない弱虫なの」さゆりちゃんは声を上げ、早口で話す。「一発、ドカンとかましてやんなさい。そうすれば、大人しくなるんだから」
 あさひ君が『ドカンとかます』のを想像するが、どうしても弱々しく笑っている姿しか、浮かんでこない。そしてその通り、言われたあさひ君は困ったように笑い返した。
 嫌なこと、というのは立て続けにやってくるらしい。それは帰宅をし、ぼくがリビングでおやつを食べている時に起こった。
 お母さんはぼくが家に帰ると、必ずおやつを用意してくれている。今日は牛乳寒天だった。白くてゼリーのようにプルプルとしており、中にはみかんとビスケットが入っていた。ぼくは食べながらテレビを見ていると、隣の部屋でお昼寝をしていた|幸登《ゆきと》が起きてきた。眠たそうに、目がとろんとしている。「にいちゃん、お帰り」
「幸登、ただいま。幼稚園楽しかった?」
「うん、楽しかったよ」頷いて満面の笑みを見せた。その笑顔があさひ君と重なった。二人とも、似た表情をするのだ。
「あっ、いいなあ」ぼくの牛乳寒天に幸登は目をつけた。「いいなあ、にいちゃん、幸登も食べたい」
「帰ってきてから食べたんだろ?さっきママ……お母さんが言ってたぞ」最近になってぼくは『お母さん』と呼ぶようにしている。一度、先生をママと呼んでしまったのがきっかけだ。その時のまさる君はとても嬉しそうな表情を浮かべていた。新しいおもちゃを見つけたと言わんばかりに、からかってきたのを今でも覚えている。やっぱりまさる君は嫌いだ。
「だって、ぼくもまた食べたいんだもん」幸登はわんわんと泣きはしめた。「食べたい食べたい食べたい」
 ぼくがもっと小さい頃に、お店でおもちゃを買ってくれなくて駄々をこねたことがある。お母さんはとても困った顔で、ため息をついていた。その時のお母さんの気持ちが、少しだけ分かったような気がする。
「嫌だよ。ぼくのおやつだもん」このままでは食べられてしまう。そう判断したぼくは牛乳寒天をあっという間に平らげた。一息で食べてしまったので、ビスケットのかけらが喉に詰まり咽せてしまった。急いでオレンジジュースを流し込む。苦しくて、涙目になってしまう。ゆっくり食べようと思ったのに、どうしてこんなことになっているのだ。
 幸登は咽せているぼくを心配するどころか、牛乳寒天を食べられてしまったことにショックを受け更に泣き始めた。音量を上げたテレビのようだった。
「どうしたの?」様子に気づいただろう。お母さんが慌てて台所からやってきた。
「にいちゃんがおやつを全部食べちゃったんだー」幸登が指を向けてくる。「幸登も食べたかったのにー」
 お母さんは幸登を泣き止ませるために抱っこをし、頭を撫でる。そしてぼくと同じことを聞いた。「でも、幸登はさっき食べたでしょう?」
「でも食べたかったのー」幸登は一度泣き始めると止まらない。ぼくもお母さんも困り果ててしまう。
「そうなのねえ」お母さんと目が合った。「望睦も一口くらい、食べさせてあげればよかったのに」ぼくはその次に言われる言葉がわかった。「お兄ちゃんなんだから」
 ぼくの頭はカッと熱くなった。「なんでぼくが悪いの?いつも幸登ばっかりじゃん」火山のように浮かんだ言葉が、次々と噴火する。「ずるいよ。ぼくはぼくのおやつを食べただけで、何にも悪いことしてないんだよ。なんで怒られなきゃいけないの」
「望睦……」お母さんはハッとしたように、ぼくの名前を呼ぶ。幸登はびっくりして泣き止んでいた。
「もう知らない」ぼくは立ち上がって玄関に向かう。声が震えていたけれど、ビスケットが咽せていたせいだ。
 泥団子を作って、海に投げる。ぼちゃん、と音を立てて、沈んでいく。家を飛び出して向かったのは海岸だ。特に行くところがなかったのである。靴を履いた状態で砂浜に行くと、『足が砂だらけになって汚れる』とお母さんに怒られるが今は気にしない。ぼくにとっては反抗のつもりだった。潮の満ち引きに合わせて、靴が濡れないように後ろに下がる。砂を取った場所に水が流れると、その穴が埋められていた。乾いた砂と濡れた砂を混ぜ合わせて、泥団子を作る。最初は砂が固まらなくてべちゃっとしていたけれど、分量のバランスが分かってきた。嫌な気持ちを、泥団子に込めるようにして何個も作り、投げる。段々と、楽しくなってきた。作っては投げる。その繰り返しだった。
 お母さんはいつも幸登の面倒を見ていて、何かにつけて『お兄ちゃんなんだから』と言ってくる。でも、もう少しぼくのことを見てよ、と思ってしまうのだ。小学生になって、大人になっていたと思っていたけど、ぼくはまだ、子供なのかもしれない。
「なーにやってるの?」カメラのシャッター音が鳴り、振り返ると奈々姉ちゃんだった。スマートフォンを構え、操作をしながら歩いてくる。首には茶色の、大きいカメラがぶら下がっていた。
「別に。一人で遊んでるだけだよ」ぼくはぶっきらぼうに答える。
 奈々姉ちゃんはお母さんの友達で、いつもカメラを持ち歩いている人だ。七五三や誕生日など、お祝いの日には写真を撮ってくれる。ぼくのお家にはお姉ちゃんの写真が沢山飾られているのだ。他のカメラマンから写真を撮られる時は緊張してしまうけれど、奈々姉ちゃんの時にはそれがない。自然と笑顔になってしまうのだ。
「うっそだー。顔にママと幸登と喧嘩したって書いてあるよ」ぼくの顔に指を向けてくる。
「ぼくは悪くない。幸登は勝手に泣いたし、お母さんは《《エコヒイキ》》するんだ」ぼくは最近覚えた言葉を使う。「それとママじゃなくてお母さんだし」
 ぼくは幸登がお菓子をせがんで泣いたこと、お母さんが味方をしてくれなかったことを話した。奈々お姉ちゃんは「そっかあ。それは大変だったねえ」とけらけら笑うけれど、まさる君のように相手をバカにする感じはしない。全身がお布団で優しく包まれるような、暖かい感じがした。
「よし」と奈々姉ちゃんは腕を組み、発明を思いついた科学者のように提案する。「お姉ちゃんとお散歩しようか」
 いつもそうだ。姉ちゃんは人の話を聞かないで巻き込んでくることがある。「なんでそうなるの?」
「なんとなく」
 大人なのに子供みたいだ、とぼくは思った。でもワクワクしている自分もいた。「わかった!行こう」つい、声が弾んでしまう。
「その前に」奈々姉ちゃんはしゃがみ、ぼくの服をぱんぱんと叩く。「服、泥だらけだよ」
「本当だ」夢中で、気がつかなかった。奈々姉ちゃんは水飲み場に指を向けた。「しっかり手を洗うこと。泥だらけだと、みんなに笑われちゃうよ」
 ぼくは頷き、急いで水飲み場へと向かった。