三章 熱意 22
ー/ー
公園に戻るとなんとはなしにブランコに乗った。亮佑はゆっくりと、大志は勢いよく漕ぎ始めた。「俺さあ」とその勢いに任せるように、大声で話し始める。
「亮佑の書く作文、好きだったんだよ。今でも覚えてる。『僕は大志君と走るこの島が、優しい島の人達が大好きです』って書き出しから始まるんだ」
「そういえば、そんなことがあったな。忘れてたよ」むず痒い恥ずかしさと共に、それは色褪せたフィルムのように思い出された。亮佑は小学生の頃に作文コンクールで賞を取ったことがある。佳作だったが両親は大いに喜んだ。数少ない表彰だったからである。その頃は世間体や将来への不安など、余計な雑音が入らずに、今の楽しい気持ちを原稿用紙にぶつけていたのだろう。それが、文章を好きになるきっかけだった。
「亮佑が島を出て、文章に携わる仕事に就くって聞いて、嬉しかったんだ」大志はブランコから飛び降りた。月明かりが彼の笑顔を照らしている。「俺自身の気持ちとしては、文章を書くのだけは続けて欲しい。亮佑のファン一号なんだから」
「初めて聞いたよ。大志が、そんなことを考えていたなんて」亮佑は感情が込み上げ、目を背けた。思わず、憎まれ口を叩いてしまう。「大志も他人事じゃなくて、俺の現状を、他山の石にして学んでくれ」
「普段からこんなこと、言えるわけないだろ」照れ臭いのか、唇を尖らせた。そして首を傾げる。「たざ、なんだって?」
予想通りの反応に、亮佑は噴き出してしまう。「反面教師にしろってことだよ。大志は国語の勉強をしっかりした方がいいな」
「人が励ましてるってのになあ」大志は表情を引き攣らせる。「まあ、さっきのうじうじ人になってるよりはずっといい」
「うじうじ人?」
「誰かさんみたいに、『書けないよー。どうしよー』ってうじうじ悩んでいる人に対して使うんだ」
「頭、悪そうな言葉だな」
「うるせえ。亮佑はもっと運動しろ」
「はいはい」と適当にあしらった翌朝、亮佑は運動不足を痛感させられた。ベッドから降りると、太もも、ふくらはぎ、お尻の筋肉が悲鳴を上げていたのである。『もう動けないよ』と。運動会の親子参加型の競技で、父親が張り切ってしまう気持ちがわかってしまった。自分の力量、体力は衰えていないはずだ、と見誤ってるのだ。大志も全力で走っていが、亮佑のように、千鳥足で壁に寄りかかることにはなっていないだろう。
手すりを掴み、一段一段、ゆっくりと階段を降りる亮佑を見て、母は目を丸くした。「どうしたの?」
「運動会で、張り切りすぎちゃったんだよ」
一日、家でゴロゴロしようと思っていたが『もっと運動しろ』という大志の言葉が反芻し、自転車を走らせることにした。
悲鳴を上げる身体に鞭を打つようだったが、筋肉痛は頑張った証だと捉えると、不思議と悪い気分ではなかった。身体に刻まれる、勲章のようなものだった。加えて数日後ではなく、翌朝には筋肉痛が起こったことに、安心感を覚える。まだ若いのだ、と。
舗装された山道を抜け、展望台へと辿り着く。坂道を立ち漕ぎで越えようとしたが、あっさりと諦め、自転車を引くことにした。
街並みと海岸を見下ろしていると、汽笛が鳴った。フェリーが出港する時間らしい。大学進学を機に島を出る時に、見送られたのを思い出す。両親は両手を振り、隣にいた大志は片手を上げていたはずだ。その時の亮佑は寂しさよりも、自身の未来を期待する高揚感で、胸がいっぱいになっていた。追い風が後押しをしている、そのような想像までしていたほどだ。
「あれ?亮ちゃんじゃないの?」
驚いて振り向くと、老齢の女性だった。麻でできた籠を、手にかけている。山菜取りをしていたことが一目で分かる姿に、亮佑は時間が止まっているのではないのか、と錯覚してしまう。それ程に、変わっていなかったのだ。「もしかして、悦子おばちゃん?」
「そうだよお」悦子は嬉しそうに、顔をほころばせる。「忘れるわけねえだろう。だって」
亮佑は悦子の言葉を先回りする。昨日から何度も繰り返されていたからだ。「大志とセットで、有名人だったんでしょ」
「上がっていきな」と悦子に誘われたが、時間が有り余っている亮佑にとっては断る理由もなかった。仮にあったとしても優しそうな雰囲気に根負けし、ついて行っていただろう。
道中、彼女のことを『悦子さん』と呼ぶと悲しそうに眉を下げるので『悦子おばちゃん』と呼ぶことにした。あからさまに嬉しそうな表情を浮かべるのが、可愛らしかった。
悦子の家に上がると、懐かしい木の匂いに記憶が刺激された。縁側からは、海岸が見下すことができ、春には桜が咲くのだ。小学生の頃、この縁側で大志と一緒に、お花見をしたのを覚えている。海と桜が独占できるこの場所は、絶景だった。
「ちょっと待っててねえ」悦子はそう言い残し台所へ向かう。その後ろ姿が、歩き方がどこかぎこちなくて、亮佑は心許ない気分になる。父がメガネをかけ始めたことを思い出し、時間の経過を嫌でも感じさせられた。
居間を見渡した。座敷の香り、掘り炬燵と部屋の端に置かれているタンス。格言が貼られたカレンダーなど、変わらない雰囲気で、実家とはまた別の安心感が胸を包んでいる。唯一変わっていたのは、砂浜や花、近所の人達と何気なく歩いている悦子の写真が飾られていたことだった。猫の写真も、混じっている。きっと撮影者はこの島や悦子のことが大好きなのだろう。そうでなければ切り取れない一瞬だった。どの写真も優しい気持ちに溢れていた。亮佑は、自身の佳作の作文と重ねてしまう。聞こえてくるさざなみが、静かに語りかけてくる。波のように、気持ちが凪いていくのを感じていた。
悦子がお盆にお菓子や飲み物を乗せて戻ってくる。彼女の湯呑みには緑茶が、亮佑のコップにはオレンジジュースが注がれていた。煎餅やポテトチップス、当時と変わらないラインナップに安心感を覚えてしまう。幾つになっても彼女から見れば、近所の可愛い子供なのだろう。
「この写真は?」亮佑は腰を下ろし、訊ねる。悦子おばちゃんは「ふふっ、素敵な写真でしょう」と少女のように微笑み、目を細めた。「写真を撮ることを趣味にしてる子がね、この島にいるの。その子に『モデルになってくれ』と頼まれて、その時の写真なの」
「どの写真も、本当に素敵です」素直な本心だった。亮佑の作文も、気を衒わずに、素直な気持ちを書いたからこそ、大志の心に残っていたのだろう。その瞬間の外見を切り取るのが写真であれば、内面を描くのが文章なのだ。共通しているのは撮影者、執筆者の想いである。そこではたと気づく。「もしかして、広報誌の写真も同じ人が?」
「ああ、あの広報誌を読んだのかい」悦子は嬉しそうに表情をほころばせる。「そうよ。あの子が撮ったの」
「撮影者は、写真家なんですか?」亮佑自身が疎いだけで、きっと有名な写真家なのだろう。
「いいや」と悦子は首を振った。「あの子は趣味で撮ってるだけだよ。『おばあちゃんや島の人が喜んでくれればそれでいい』っていつも言ってるもの」
「そうなの?」思わず、口調が砕けてしまう。SNSに上げれば話題となるに違いない。素人目の亮佑から見ても、それほどに魅了される写真の数々だったのだ。「勿体無い」
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「亮佑の書く作文、好きだったんだよ。今でも覚えてる。『僕は大志君と走るこの島が、優しい島の人達が大好きです』って書き出しから始まるんだ」
「そういえば、そんなことがあったな。忘れてたよ」むず痒い恥ずかしさと共に、それは色褪せたフィルムのように思い出された。亮佑は小学生の頃に作文コンクールで賞を取ったことがある。佳作だったが両親は大いに喜んだ。数少ない表彰だったからである。その頃は世間体や将来への不安など、余計な雑音が入らずに、今の楽しい気持ちを原稿用紙にぶつけていたのだろう。それが、文章を好きになるきっかけだった。
「亮佑が島を出て、文章に携わる仕事に就くって聞いて、嬉しかったんだ」大志はブランコから飛び降りた。月明かりが彼の笑顔を照らしている。「俺自身の気持ちとしては、文章を書くのだけは続けて欲しい。亮佑のファン一号なんだから」
「初めて聞いたよ。大志が、そんなことを考えていたなんて」亮佑は感情が込み上げ、目を背けた。思わず、憎まれ口を叩いてしまう。「大志も他人事じゃなくて、俺の現状を、他山の石にして学んでくれ」
「普段からこんなこと、言えるわけないだろ」照れ臭いのか、唇を尖らせた。そして首を傾げる。「たざ、なんだって?」
予想通りの反応に、亮佑は噴き出してしまう。「反面教師にしろってことだよ。大志は国語の勉強をしっかりした方がいいな」
「人が励ましてるってのになあ」大志は表情を引き攣らせる。「まあ、さっきのうじうじ人になってるよりはずっといい」
「うじうじ人?」
「誰かさんみたいに、『書けないよー。どうしよー』ってうじうじ悩んでいる人に対して使うんだ」
「頭、悪そうな言葉だな」
「うるせえ。亮佑はもっと運動しろ」
「はいはい」と適当にあしらった翌朝、亮佑は運動不足を痛感させられた。ベッドから降りると、太もも、ふくらはぎ、お尻の筋肉が悲鳴を上げていたのである。『もう動けないよ』と。運動会の親子参加型の競技で、父親が張り切ってしまう気持ちがわかってしまった。自分の力量、体力は衰えていないはずだ、と見誤ってるのだ。大志も全力で走っていが、亮佑のように、千鳥足で壁に寄りかかることにはなっていないだろう。
手すりを掴み、一段一段、ゆっくりと階段を降りる亮佑を見て、母は目を丸くした。「どうしたの?」
「運動会で、張り切りすぎちゃったんだよ」
一日、家でゴロゴロしようと思っていたが『もっと運動しろ』という大志の言葉が反芻し、自転車を走らせることにした。
悲鳴を上げる身体に鞭を打つようだったが、筋肉痛は頑張った証だと捉えると、不思議と悪い気分ではなかった。身体に刻まれる、勲章のようなものだった。加えて数日後ではなく、翌朝には筋肉痛が起こったことに、安心感を覚える。まだ若いのだ、と。
舗装された山道を抜け、展望台へと辿り着く。坂道を立ち漕ぎで越えようとしたが、あっさりと諦め、自転車を引くことにした。
街並みと海岸を見下ろしていると、汽笛が鳴った。フェリーが出港する時間らしい。大学進学を機に島を出る時に、見送られたのを思い出す。両親は両手を振り、隣にいた大志は片手を上げていたはずだ。その時の亮佑は寂しさよりも、自身の未来を期待する高揚感で、胸がいっぱいになっていた。追い風が後押しをしている、そのような想像までしていたほどだ。
「あれ?亮ちゃんじゃないの?」
驚いて振り向くと、老齢の女性だった。麻でできた籠を、手にかけている。山菜取りをしていたことが一目で分かる姿に、亮佑は時間が止まっているのではないのか、と錯覚してしまう。それ程に、変わっていなかったのだ。「もしかして、悦子おばちゃん?」
「そうだよお」悦子は嬉しそうに、顔をほころばせる。「忘れるわけねえだろう。だって」
亮佑は悦子の言葉を先回りする。昨日から何度も繰り返されていたからだ。「大志とセットで、有名人だったんでしょ」
「上がっていきな」と悦子に誘われたが、時間が有り余っている亮佑にとっては断る理由もなかった。仮にあったとしても優しそうな雰囲気に根負けし、ついて行っていただろう。
道中、彼女のことを『悦子さん』と呼ぶと悲しそうに眉を下げるので『悦子おばちゃん』と呼ぶことにした。あからさまに嬉しそうな表情を浮かべるのが、可愛らしかった。
悦子の家に上がると、懐かしい木の匂いに記憶が刺激された。縁側からは、海岸が見下すことができ、春には桜が咲くのだ。小学生の頃、この縁側で大志と一緒に、お花見をしたのを覚えている。海と桜が独占できるこの場所は、絶景だった。
「ちょっと待っててねえ」悦子はそう言い残し台所へ向かう。その後ろ姿が、歩き方がどこかぎこちなくて、亮佑は心許ない気分になる。父がメガネをかけ始めたことを思い出し、時間の経過を嫌でも感じさせられた。
居間を見渡した。座敷の香り、掘り炬燵と部屋の端に置かれているタンス。格言が貼られたカレンダーなど、変わらない雰囲気で、実家とはまた別の安心感が胸を包んでいる。唯一変わっていたのは、砂浜や花、近所の人達と何気なく歩いている悦子の写真が飾られていたことだった。猫の写真も、混じっている。きっと撮影者はこの島や悦子のことが大好きなのだろう。そうでなければ切り取れない一瞬だった。どの写真も優しい気持ちに溢れていた。亮佑は、自身の佳作の作文と重ねてしまう。聞こえてくるさざなみが、静かに語りかけてくる。波のように、気持ちが凪いていくのを感じていた。
悦子がお盆にお菓子や飲み物を乗せて戻ってくる。彼女の湯呑みには緑茶が、亮佑のコップにはオレンジジュースが注がれていた。煎餅やポテトチップス、当時と変わらないラインナップに安心感を覚えてしまう。幾つになっても彼女から見れば、近所の可愛い子供なのだろう。
「この写真は?」亮佑は腰を下ろし、訊ねる。悦子おばちゃんは「ふふっ、素敵な写真でしょう」と少女のように微笑み、目を細めた。「写真を撮ることを趣味にしてる子がね、この島にいるの。その子に『モデルになってくれ』と頼まれて、その時の写真なの」
「どの写真も、本当に素敵です」素直な本心だった。亮佑の作文も、気を|衒《てら》わずに、素直な気持ちを書いたからこそ、大志の心に残っていたのだろう。その瞬間の外見を切り取るのが写真であれば、内面を描くのが文章なのだ。共通しているのは撮影者、執筆者の想いである。そこではたと気づく。「もしかして、広報誌の写真も同じ人が?」
「ああ、あの広報誌を読んだのかい」悦子は嬉しそうに表情をほころばせる。「そうよ。あの子が撮ったの」
「撮影者は、写真家なんですか?」亮佑自身が疎いだけで、きっと有名な写真家なのだろう。
「いいや」と悦子は首を振った。「あの子は趣味で撮ってるだけだよ。『おばあちゃんや島の人が喜んでくれればそれでいい』っていつも言ってるもの」
「そうなの?」思わず、口調が砕けてしまう。SNSに上げれば話題となるに違いない。素人目の亮佑から見ても、それほどに魅了される写真の数々だったのだ。「勿体無い」