三章 熱意 21
ー/ー
「本当にさ、何やってたんだろうな」亮佑はため息をつく。重苦しい空気が身体から抜けていくようだった。「大志と凛は仕事続けて、俺はこの有様だ。情けないよ」
言葉に詰まっているのか、大志は口を開かない。辺りを沈黙が支配する。二人の足音だけが響いていた。
ちらりと目を向けると、大志は悲しそうに眉を下げていた。「なあ亮佑」
「なんだ?」
「走るか」
「なんで?」もう一度、言ってしまう。
「いいから行くぞ」大志は言い終わる前に走り出す。亮佑は慌てて、その背中を追いかけた。
喉が、熱い。息を吸うとひゅうひゅうと音が鳴り、その度に喉に熱が帯びる。先を走る大志の背中が、街灯に照らされ消えてを繰り返す。
「なあ、どこまで、走る、んだよ」と息絶え絶えの状態で亮佑は言葉を絞り出す。
「決めてない」大志はこともなさげに言う。彼は息が上がっていない。普段から体を動かしているのだろう。インドア人間とアウトドア人間の差を、亮佑は感じていた。
「そりゃ、ねえよ。酷い」と亮佑は抗議する。「せめて、目的地を、ゴールを、決めてくれ」
「じゃあ、あの坂の上まで」
大志が指差す先は長い坂あった。
「わかったから、ちょっと休もう。水飲まなきゃ死んでしまう」坂の手前に、これ見よがしに自販機があった。夜道にぽつんと、佇んでいる。誰かを待っているかのようで、寂しさを感じさせた。忠犬ハチ公ならぬ忠犬自販機だ、と亮佑はくだらないことを考える。
「じゃあ」と喉の渇きと体力が戻ってきたところで大志は話し始める。ペットボトルは自販機の前に置いた。「坂にある電柱にタッチした方が勝ちだ」
「オッケー」
「行くぞ」大志が目を向けてくる。「よーい、どん」
合図で走り出す。一度身体を休ませたからなのか、先程より脚がよく動いた。ぎこちなさが少しは減ったのではないだろうか。
亮佑達の足音と息遣いが、夜の闇に溶けていく。軽かった足取りも坂道に差しかかると次第に重くなっていく。後ろを見た大志と、一瞬目が合った。いつも勝負を持ちかけ、先を進む彼の背中を、手で掴むように追いかける。がむしゃらに足を動かす。『追い抜きたい』、頭を満たしているのは、それだった。
「くそう、あと少しだったのに」亮佑は声を上げる。電柱に先に触ったのは、大志だった。彼の背中に触れそうな程近づいたが、追い抜くことはできなかった。互いに、満身創痍だった。息が上がっている。
「どこがだよ」
「でも一瞬、焦っただろ」
「そうだな」大志は素直に認めた。「余裕で俺が、勝つと、思ってたんだけど、意外と、追い上げてきたから、驚いた」
「俺だってやればできるんだよ」亮佑は得意げに腕を組む。
「負けたくせに威張ってんじゃねえよ」
言い合いをしながら自販機のところまで戻り、水を飲む。達成感で気分が高揚していたのだろう。呼吸が安定し、亮佑も大志も、饒舌になっていた。
「亮佑、走ってる間はさ、考え事する暇なんてなかっただろ」
「ああ」
「どうせ運動しないで、パソコンとじっと向き合ってたんだろ」
偏見と悪意が込められた言葉だったが的を射ていたため、不承不承で頷いた。大志の突然勝負を持ちかける強引さと、憎まれ口を叩く姿が懐かしい。思い出されるのは『牛乳早飲み対決』である。
また始まったよ、とクラスの女子は呆れ、また始まったぞ、と男子は盛り上がっていた。ヨーイドン、の合図で喉に流し込まれていく牛乳。ビンを机に勢いよく置いたのは大志だった。彼は得意げな表情を浮かべるが、唇についた牛乳に亮佑は笑ってしまったのを覚えている。そして悔しがり、「明日は負けないぞ」とリベンジを誓うのだ。
呆れ声など、耳に入らない。そこにあるのは二人だけの世界だった。全力で闘い、全力で笑い、全力で悔しがる。あの頃の気持ちを、大志は思い出させてくれたのだ。
「ありがとな、大志。ごちゃごちゃと、余計なことを考えすぎてた」
「やっと分かったか」と大志は笑う。「考え込むから、上手くいかないんだよ。やりたい事、亮佑でいうなら、書きたい事、か。それと向き合っていればいいんだよ」
「書きたいこと」亮佑は呟き、復唱する。頭はスッキリしても、思考の靄は消えなかった。言葉にするならば『将来への不安』、だろうか。どうやらまだ、余計なことを考えているようだ。
「俺は気の利いた言葉をかけられないし、だったら身体を動かそうと思ってな。ほら、案ずるより産むがなんとかって言うだろ?」
「案ずるより産むが易し、な」
「そう、それだ」
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言葉に詰まっているのか、大志は口を開かない。辺りを沈黙が支配する。二人の足音だけが響いていた。
ちらりと目を向けると、大志は悲しそうに眉を下げていた。「なあ亮佑」
「なんだ?」
「走るか」
「なんで?」もう一度、言ってしまう。
「いいから行くぞ」大志は言い終わる前に走り出す。亮佑は慌てて、その背中を追いかけた。
喉が、熱い。息を吸うとひゅうひゅうと音が鳴り、その度に喉に熱が帯びる。先を走る大志の背中が、街灯に照らされ消えてを繰り返す。
「なあ、どこまで、走る、んだよ」と息絶え絶えの状態で亮佑は言葉を絞り出す。
「決めてない」大志はこともなさげに言う。彼は息が上がっていない。普段から体を動かしているのだろう。インドア人間とアウトドア人間の差を、亮佑は感じていた。
「そりゃ、ねえよ。酷い」と亮佑は抗議する。「せめて、目的地を、ゴールを、決めてくれ」
「じゃあ、あの坂の上まで」
大志が指差す先は長い坂あった。
「わかったから、ちょっと休もう。水飲まなきゃ死んでしまう」坂の手前に、これ見よがしに自販機があった。夜道にぽつんと、佇んでいる。誰かを待っているかのようで、寂しさを感じさせた。忠犬ハチ公ならぬ忠犬自販機だ、と亮佑はくだらないことを考える。
「じゃあ」と喉の渇きと体力が戻ってきたところで大志は話し始める。ペットボトルは自販機の前に置いた。「坂にある電柱にタッチした方が勝ちだ」
「オッケー」
「行くぞ」大志が目を向けてくる。「よーい、どん」
合図で走り出す。一度身体を休ませたからなのか、先程より脚がよく動いた。ぎこちなさが少しは減ったのではないだろうか。
亮佑達の足音と息遣いが、夜の闇に溶けていく。軽かった足取りも坂道に差しかかると次第に重くなっていく。後ろを見た大志と、一瞬目が合った。いつも勝負を持ちかけ、先を進む彼の背中を、手で掴むように追いかける。がむしゃらに足を動かす。『追い抜きたい』、頭を満たしているのは、それだった。
「くそう、あと少しだったのに」亮佑は声を上げる。電柱に先に触ったのは、大志だった。彼の背中に触れそうな程近づいたが、追い抜くことはできなかった。互いに、満身創痍だった。息が上がっている。
「どこがだよ」
「でも一瞬、焦っただろ」
「そうだな」大志は素直に認めた。「余裕で俺が、勝つと、思ってたんだけど、意外と、追い上げてきたから、驚いた」
「俺だってやればできるんだよ」亮佑は得意げに腕を組む。
「負けたくせに威張ってんじゃねえよ」
言い合いをしながら自販機のところまで戻り、水を飲む。達成感で気分が高揚していたのだろう。呼吸が安定し、亮佑も大志も、饒舌になっていた。
「亮佑、走ってる間はさ、考え事する暇なんてなかっただろ」
「ああ」
「どうせ運動しないで、パソコンとじっと向き合ってたんだろ」
偏見と悪意が込められた言葉だったが的を射ていたため、不承不承で頷いた。大志の突然勝負を持ちかける強引さと、憎まれ口を叩く姿が懐かしい。思い出されるのは『牛乳早飲み対決』である。
また始まったよ、とクラスの女子は呆れ、また始まったぞ、と男子は盛り上がっていた。ヨーイドン、の合図で喉に流し込まれていく牛乳。ビンを机に勢いよく置いたのは大志だった。彼は得意げな表情を浮かべるが、唇についた牛乳に亮佑は笑ってしまったのを覚えている。そして悔しがり、「明日は負けないぞ」とリベンジを誓うのだ。
呆れ声など、耳に入らない。そこにあるのは二人だけの世界だった。全力で闘い、全力で笑い、全力で悔しがる。あの頃の気持ちを、大志は思い出させてくれたのだ。
「ありがとな、大志。ごちゃごちゃと、余計なことを考えすぎてた」
「やっと分かったか」と大志は笑う。「考え込むから、上手くいかないんだよ。やりたい事、亮佑でいうなら、書きたい事、か。それと向き合っていればいいんだよ」
「書きたいこと」亮佑は呟き、復唱する。頭はスッキリしても、思考の|靄《もや》は消えなかった。言葉にするならば『将来への不安』、だろうか。どうやらまだ、余計なことを考えているようだ。
「俺は気の利いた言葉をかけられないし、だったら身体を動かそうと思ってな。ほら、案ずるより産むがなんとかって言うだろ?」
「案ずるより産むが易し、な」
「そう、それだ」