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三章 熱意 16

ー/ー



台所からカレーの香りにのって、母の鼻歌が聞こえてくる。鼻と耳が刺激された。加えて、お腹も鳴り始める。お昼の時間だった。荷物を軽く整理した亮佑はリビングでくつろいでいた。
 亮佑はテレビをザッピングし、父はテーブルに広げた新聞を食い入るように読んでいた。そこではたと気づく。数年前までは裸眼で読んでいたが、いつの間にかメガネをかけているのだ。時間の流れと寂しさを、感じさせられてしまう。
「父さん、メガネをかけるようになったんだ」
 父は顔を上げる。「ああ、そうなんだ。どうだ?似合うか?」と照れくさそうに目尻を下げる。好々爺(こうこうや)で知的な雰囲気を醸し出していた。案外、悪くないのかも知れない。亮佑はそんなことを思った。
「似合ってるよ。頭、良さそうに見える」
「前までは頭が悪そうな言い方をするんじゃない」父が笑うと、それまでのリビングに充満していた緊張感がふわっと弛緩したような気がした。
「あら、頭が良かったの?」母がカレーの入ったお皿をテーブルに並べていく。
「少なくとも母さんよりは良かったよ」父は自身の頭を指で叩く。
「じゃあ食べ終えた食器くらい、自分で片付けられるんでしょうね」母が皮肉めいた笑みを浮かべる。「きっと夫婦円満のために、日頃からさぞかし、頭を使ってるんでしょうねえ」
「ああ、そうだな」父は笑みを浮かべるが、その口角は引き攣っている。
 亮佑は両親の掛け合いを見て、戦々恐々としていた。しかし互いに皮肉や憎まれ口を叩きながらも、息苦しさを感じなかった。以前は言葉の揚げ足を取り、喧嘩をすることが多かったのだ。亮佑が外に出たからこそ、父は少し丸くなったのかもしれない。そもそも父は無口で、寡黙な人だったのだ。
 
「父さん、母さん、ちょっと出かけてくるね」
 カレーを食べた後、亮佑は自転車で島を回ることにした。ちなみに父は、自分で食器を片付けた。ペダルを漕ぎ、坂道を登っていく。あっという間に息が上がり、体力が落ちていることを実感する。島にいた頃は毎日自転車を走らせていた通学路も、今では懐かしい。隣にはいつも、大志がいた。
「坂道で自転車を降りた方が負けね」島田(しまだ)大志(たいし)は嬉々とした表情で提案をする。牛乳早飲み対決、教室に戻るまでの競走など、彼は何かにつけて勝負を持ちかける男だった。亮佑も負けじと競い合い、終わる頃には互いに満身創痍となっているのがいつもの光景である。きっと周りは、呆れながら見ていたのだろう。今となって振り返ると恥ずかしい限りだが、同時にかけがえのない思い出となっていた。
 外に出ることを伝えた時、大志は悲しそうに眉を下げ、「寂しくなるな」と呟いた。その後で笑顔を見せ「亮佑も頑張れよ」と応援してくれた。『島を出た方が負けね』などと勝負を持ちかけることはなかった。
 大学生にもなると分別がつくようになり、大志のように勝負を持ちかける人はいなくなった。島から出た亮佑にとって環境や価値観の違う人と関わることは刺激的だったが、物寂しさと張り合いのなさを感じていたのも事実である。その中で仲良くなった宮本凛(みやもとりん)は彼とは正反対のような性格だった。冷静沈着でいつも落ちついていている。名前負けしない凛とした男だった。
「亮佑がいつも話す大志君、だっけ?会ってみたいな」
 宅飲みをしていたある日、凛はそう言った。お酒を飲んだことによる頬の赤みが、妙な色気を醸し出していた。
「え、いいけど、がさつで、やかましい男だぞ」亮佑は柿の種を手に取って、頬張る。「多分タイプが違くて、合わないと思うけど」
 凛は勉強やスポーツ、なんでもそつなくこなしてきたタイプだ。断言できるのは、彼自身がそのように話していたからである。「羨ましいな」と亮佑が言うと彼は「器用貧乏なだけさ」と困ったような笑みを見せた。彼と話していく中で、大志に関する話題は事欠かなかった。というよりは、島について話すときはいつも大志が隣にいたことに気づく。
「それがいいんじゃないか。それにさ、自然に囲まれた島も行ってみたかったんだ」凛が笑うと、清涼な風が吹いたように感じる。その目は、好奇心に満ち溢れていた。
 上り坂が終わり、下り坂を降りる。磯の匂いが混じった潮風が、汗の掻いた全身をすり抜けていく。涼しくて、気持ちが良かった。ペダルから足を離し、勢いのまま(くだ)っていく。昔ながらの民宿、『彩』が見えてくる。
 外で掃き掃除をしている女性がいた。彼女は自転車で向かってくる亮佑に気づくと会釈をした。
 亮佑は自転車をブレーキ音を響かせて停止させる。「どうも」
 彼女は虫眼鏡のようにじーっと亮佑の顔を見た後で人懐っこい笑みを浮かべた。「あ、前にご友人と来られてましたよね。確か、二年前くらいに」
「え、ええ、よく覚えてますね」
「そりゃ覚えてますよ。ああ、私は由梨です」と頭を下げる。「ご友人が子供のようにはしゃいでるのを見て、私も嬉しくなったんですもん」
 凛が島に遊びに来たのは、大学二年生の夏休みだった。由梨の話す通り、彼は海を見て喜び、子供のようにはしゃいでいた。亮佑の心配は杞憂だったようで、彼は大志とあっという間に意気投合していた。その様子を由梨は見ていたのだろう。『彩』は海に面した立地のため、騒いでいる大学生など、嫌でも目に入っていたはずだ。
「凛、息止め勝負しようぜ」という少年のような提案を凛はあっさり引き受け、勝負をしていた。小学生男子も大学生も、勝負事や、くだらないことに熱くなる本質は、同じなのかもしれない。その時の亮佑は砂浜に埋められ、胸の位置には盛られた山が二つできていた。
「今日は楽しかったー」凛は例によって爽やかな笑顔を浮かべている。亮佑達は砂浜の手前にある石段に腰を下ろし、地平線に沈んでいく夕陽を眺めていた。彼の手には缶チューハイが握られている。
「俺も楽しかったよ」大志も嬉しそうな表情を浮かべた後で、亮佑に指を向ける。「こいつは海に行きたがらないからさあ、久しぶりに遊んだよ」
「日焼けが嫌なんだよ」亮佑は唇を尖らせる。しかし、今日一日で完全に焼けてしまっていた。シャワーを浴びたら、激痛が走るだろう。
「亮佑はインドア人間だからな」大志は鼻で笑う。
「大学のみんなが見たらびっくりするだろうな」凛が指を差してくる。「コーヒー豆みてえ」
「凛も人のことは言えないだろ。お前も真っ黒だぞ」亮佑も負けじと言い返した。
「しっかし、ほんと、いい眺めだよなあ」凛が缶を掲げる。「近くのコンビニで買った安酒も、景色一つでこんなに変わるなんてなあ」
「俺らには、見慣れた光景なんだけどな」と大志は頭を掻く。
「都会のビルで囲まれている場所じゃ、絶対見れないからね」凛はしみじみと呟く。「百万ドルの夜景ならぬ、夕景(ゆうけい)ってやつかな」
「ちなみに、夕景(せっけい)ともいう」亮佑は指を立てる。
「うわ出たよ」大志が面倒くさそうな表情を浮かべた。「揚げ足取り」
「亮佑は物知りだもんな」凛が背中を叩いてくる。酔いが回っているのか力が強く、痛かった。
「別に」亮佑は顔を背ける。「本読んでたら、勝手に覚えただけだよ」
「昔っから、ガリ勉で本の虫だもんな」大志の場合は意図的に、力強く叩いてくる。
「痛いって」亮佑は腹が立ち、叩き返す。「この脳筋男が」
「二人は本当に、仲良いよね」凛はお腹を抱えて、笑っていた。「話で聞いてた通りだ」
 その夜、凛は『彩』に宿泊をした。亮佑が「うちに泊まっていけば?」と提案したが「せっかく観光に来たんだから」と断られたのだ。念の為、と亮佑も受付に付き添い、手続きが済んでから別れた。その時の受付が由梨で顔を合わせていたが、大して時間はかからなかったはずだ。よく、覚えていたものだ。
「あの頃は高校を卒業して、二年が経った頃なんです。本格的に一人で仕事を任されるようになって緊張していたので、よく覚えています」
「家業を継いだってことか。大したものだ」
「それまでは掃除や配膳の手伝いとかだったんですけどね。受付や案内など、幅が広がって、てんてこまいでしたよ」
「凛が褒めてたよ。受付の人が丁寧に案内してくれて助かった。いい旅行になったって」
「本当ですか?」由梨はその場で飛び上がらんばかりに喜んでいる。「あぁ、この仕事やっててよかったあ」
「そんなに嬉しいの?」亮佑は思わず聞いてしまう。
「はい!それに数年越しに聞けたというのがサプライズのようで尚更、嬉しいです」
 当時の苦労を含め、楽しそうに話す由梨の姿は、無垢な少女のようで微笑ましかった。それでいて明瞭な受け答えが、一本筋の通った意思を感じさせる。亮佑は仕事の話を、彼女のように話すことはできなくなっていた。あまり、振り返りたくはない出来事となっている。
「ああ、私も一つ思い出しました」由梨は指を立てる。「そのご友人の凛さんが、褒めてましたよ」
「褒めてた?ああ、島のことか」
「そうじゃなくて」と由梨は首を振り、ええと、と訊ねる。「すいません、お名前は?」
「亮佑」
「亮佑さんのこと、褒めてましたよ」
 何も褒められることはしてないぞ、と困惑してしまう。「凛のやつ、何て言ってたんだ?」
「羨ましいって、言ってましたよ」
「羨ましい?」
 由梨が言うには島について話す亮佑の姿はとても熱がこもっており、凛には羨ましく見えたらしい。彼自身は熱を込めて打ち込めるものがないため、そのように映ったのことだ。
 亮佑は困惑していた。俺はお前の器用な姿に憧れていたんだぞ、と。ライター業を辞めることを決めたとき、凛に相談したことを思い出す。


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 亮佑はテレビをザッピングし、父はテーブルに広げた新聞を食い入るように読んでいた。そこではたと気づく。数年前までは裸眼で読んでいたが、いつの間にかメガネをかけているのだ。時間の流れと寂しさを、感じさせられてしまう。
「父さん、メガネをかけるようになったんだ」
 父は顔を上げる。「ああ、そうなんだ。どうだ?似合うか?」と照れくさそうに目尻を下げる。|好々爺《こうこうや》で知的な雰囲気を醸し出していた。案外、悪くないのかも知れない。亮佑はそんなことを思った。
「似合ってるよ。頭、良さそうに見える」
「前までは頭が悪そうな言い方をするんじゃない」父が笑うと、それまでのリビングに充満していた緊張感がふわっと弛緩したような気がした。
「あら、頭が良かったの?」母がカレーの入ったお皿をテーブルに並べていく。
「少なくとも母さんよりは良かったよ」父は自身の頭を指で叩く。
「じゃあ食べ終えた食器くらい、自分で片付けられるんでしょうね」母が皮肉めいた笑みを浮かべる。「きっと夫婦円満のために、日頃からさぞかし、頭を使ってるんでしょうねえ」
「ああ、そうだな」父は笑みを浮かべるが、その口角は引き攣っている。
 亮佑は両親の掛け合いを見て、戦々恐々としていた。しかし互いに皮肉や憎まれ口を叩きながらも、息苦しさを感じなかった。以前は言葉の揚げ足を取り、喧嘩をすることが多かったのだ。亮佑が外に出たからこそ、父は少し丸くなったのかもしれない。そもそも父は無口で、寡黙な人だったのだ。
「父さん、母さん、ちょっと出かけてくるね」
 カレーを食べた後、亮佑は自転車で島を回ることにした。ちなみに父は、自分で食器を片付けた。ペダルを漕ぎ、坂道を登っていく。あっという間に息が上がり、体力が落ちていることを実感する。島にいた頃は毎日自転車を走らせていた通学路も、今では懐かしい。隣にはいつも、大志がいた。
「坂道で自転車を降りた方が負けね」|島田《しまだ》|大志《たいし》は嬉々とした表情で提案をする。牛乳早飲み対決、教室に戻るまでの競走など、彼は何かにつけて勝負を持ちかける男だった。亮佑も負けじと競い合い、終わる頃には互いに満身創痍となっているのがいつもの光景である。きっと周りは、呆れながら見ていたのだろう。今となって振り返ると恥ずかしい限りだが、同時にかけがえのない思い出となっていた。
 外に出ることを伝えた時、大志は悲しそうに眉を下げ、「寂しくなるな」と呟いた。その後で笑顔を見せ「亮佑も頑張れよ」と応援してくれた。『島を出た方が負けね』などと勝負を持ちかけることはなかった。
 大学生にもなると分別がつくようになり、大志のように勝負を持ちかける人はいなくなった。島から出た亮佑にとって環境や価値観の違う人と関わることは刺激的だったが、物寂しさと張り合いのなさを感じていたのも事実である。その中で仲良くなった|宮本凛《みやもとりん》は彼とは正反対のような性格だった。冷静沈着でいつも落ちついていている。名前負けしない凛とした男だった。
「亮佑がいつも話す大志君、だっけ?会ってみたいな」
 宅飲みをしていたある日、凛はそう言った。お酒を飲んだことによる頬の赤みが、妙な色気を醸し出していた。
「え、いいけど、がさつで、やかましい男だぞ」亮佑は柿の種を手に取って、頬張る。「多分タイプが違くて、合わないと思うけど」
 凛は勉強やスポーツ、なんでもそつなくこなしてきたタイプだ。断言できるのは、彼自身がそのように話していたからである。「羨ましいな」と亮佑が言うと彼は「器用貧乏なだけさ」と困ったような笑みを見せた。彼と話していく中で、大志に関する話題は事欠かなかった。というよりは、島について話すときはいつも大志が隣にいたことに気づく。
「それがいいんじゃないか。それにさ、自然に囲まれた島も行ってみたかったんだ」凛が笑うと、清涼な風が吹いたように感じる。その目は、好奇心に満ち溢れていた。
 上り坂が終わり、下り坂を降りる。磯の匂いが混じった潮風が、汗の掻いた全身をすり抜けていく。涼しくて、気持ちが良かった。ペダルから足を離し、勢いのまま降《くだ》っていく。昔ながらの民宿、『彩』が見えてくる。
 外で掃き掃除をしている女性がいた。彼女は自転車で向かってくる亮佑に気づくと会釈をした。
 亮佑は自転車をブレーキ音を響かせて停止させる。「どうも」
 彼女は虫眼鏡のようにじーっと亮佑の顔を見た後で人懐っこい笑みを浮かべた。「あ、前にご友人と来られてましたよね。確か、二年前くらいに」
「え、ええ、よく覚えてますね」
「そりゃ覚えてますよ。ああ、私は由梨です」と頭を下げる。「ご友人が子供のようにはしゃいでるのを見て、私も嬉しくなったんですもん」
 凛が島に遊びに来たのは、大学二年生の夏休みだった。由梨の話す通り、彼は海を見て喜び、子供のようにはしゃいでいた。亮佑の心配は杞憂だったようで、彼は大志とあっという間に意気投合していた。その様子を由梨は見ていたのだろう。『彩』は海に面した立地のため、騒いでいる大学生など、嫌でも目に入っていたはずだ。
「凛、息止め勝負しようぜ」という少年のような提案を凛はあっさり引き受け、勝負をしていた。小学生男子も大学生も、勝負事や、くだらないことに熱くなる本質は、同じなのかもしれない。その時の亮佑は砂浜に埋められ、胸の位置には盛られた山が二つできていた。
「今日は楽しかったー」凛は例によって爽やかな笑顔を浮かべている。亮佑達は砂浜の手前にある石段に腰を下ろし、地平線に沈んでいく夕陽を眺めていた。彼の手には缶チューハイが握られている。
「俺も楽しかったよ」大志も嬉しそうな表情を浮かべた後で、亮佑に指を向ける。「こいつは海に行きたがらないからさあ、久しぶりに遊んだよ」
「日焼けが嫌なんだよ」亮佑は唇を尖らせる。しかし、今日一日で完全に焼けてしまっていた。シャワーを浴びたら、激痛が走るだろう。
「亮佑はインドア人間だからな」大志は鼻で笑う。
「大学のみんなが見たらびっくりするだろうな」凛が指を差してくる。「コーヒー豆みてえ」
「凛も人のことは言えないだろ。お前も真っ黒だぞ」亮佑も負けじと言い返した。
「しっかし、ほんと、いい眺めだよなあ」凛が缶を掲げる。「近くのコンビニで買った安酒も、景色一つでこんなに変わるなんてなあ」
「俺らには、見慣れた光景なんだけどな」と大志は頭を掻く。
「都会のビルで囲まれている場所じゃ、絶対見れないからね」凛はしみじみと呟く。「百万ドルの夜景ならぬ、|夕景《ゆうけい》ってやつかな」
「ちなみに、|夕景《せっけい》ともいう」亮佑は指を立てる。
「うわ出たよ」大志が面倒くさそうな表情を浮かべた。「揚げ足取り」
「亮佑は物知りだもんな」凛が背中を叩いてくる。酔いが回っているのか力が強く、痛かった。
「別に」亮佑は顔を背ける。「本読んでたら、勝手に覚えただけだよ」
「昔っから、ガリ勉で本の虫だもんな」大志の場合は意図的に、力強く叩いてくる。
「痛いって」亮佑は腹が立ち、叩き返す。「この脳筋男が」
「二人は本当に、仲良いよね」凛はお腹を抱えて、笑っていた。「話で聞いてた通りだ」
 その夜、凛は『彩』に宿泊をした。亮佑が「うちに泊まっていけば?」と提案したが「せっかく観光に来たんだから」と断られたのだ。念の為、と亮佑も受付に付き添い、手続きが済んでから別れた。その時の受付が由梨で顔を合わせていたが、大して時間はかからなかったはずだ。よく、覚えていたものだ。
「あの頃は高校を卒業して、二年が経った頃なんです。本格的に一人で仕事を任されるようになって緊張していたので、よく覚えています」
「家業を継いだってことか。大したものだ」
「それまでは掃除や配膳の手伝いとかだったんですけどね。受付や案内など、幅が広がって、てんてこまいでしたよ」
「凛が褒めてたよ。受付の人が丁寧に案内してくれて助かった。いい旅行になったって」
「本当ですか?」由梨はその場で飛び上がらんばかりに喜んでいる。「あぁ、この仕事やっててよかったあ」
「そんなに嬉しいの?」亮佑は思わず聞いてしまう。
「はい!それに数年越しに聞けたというのがサプライズのようで尚更、嬉しいです」
 当時の苦労を含め、楽しそうに話す由梨の姿は、無垢な少女のようで微笑ましかった。それでいて明瞭な受け答えが、一本筋の通った意思を感じさせる。亮佑は仕事の話を、彼女のように話すことはできなくなっていた。あまり、振り返りたくはない出来事となっている。
「ああ、私も一つ思い出しました」由梨は指を立てる。「そのご友人の凛さんが、褒めてましたよ」
「褒めてた?ああ、島のことか」
「そうじゃなくて」と由梨は首を振り、ええと、と訊ねる。「すいません、お名前は?」
「亮佑」
「亮佑さんのこと、褒めてましたよ」
 何も褒められることはしてないぞ、と困惑してしまう。「凛のやつ、何て言ってたんだ?」
「羨ましいって、言ってましたよ」
「羨ましい?」
 由梨が言うには島について話す亮佑の姿はとても熱がこもっており、凛には羨ましく見えたらしい。彼自身は熱を込めて打ち込めるものがないため、そのように映ったのことだ。
 亮佑は困惑していた。俺はお前の器用な姿に憧れていたんだぞ、と。ライター業を辞めることを決めたとき、凛に相談したことを思い出す。