表示設定
表示設定
目次 目次




ー/ー



 きみが書いた長編小説はおもしろかった。文章も相変わらず丁寧で美しく、誤字脱字も見当たらない。なぜこの小説が受賞できないのかと疑問だった。きみの小説が如何に私を満たしてくれるのかを感想に詰めこんで送った。
『こんなにお褒めの言葉をいただけて嬉しいです! また新しい小説を書かなきゃって気合いが入ります……! カロンさん、次の作品もまた読んでいただけると幸いです。』
 きみに自己肯定をするための証拠を与えられているようで、私もうれしい。しかし同じ日にSNSを覗くと、きみは『やっぱり才能の世界なんですよね。憧れの作家さんたちと肩を並べられたらとがむしゃらに書いてきましてが、最近はその夢のビジョンが薄れつつあります……。』と投稿している。私は下唇を噛んだ。
 そうやってきみと連絡を取り合っているうちに、あっという間に出会ってから二年が経過した。季節は冬で、きみから畏まった言葉遣いのダイレクトメッセージが届いた。
『カロンさんには真っ先にお伝えしておかなければと思いまして、DMにて失礼いたします。実は先日、前々からお付き合いしている男性にプロポーズされまして、結婚することとなりました。いずれ彼の実家に住むことになりそうですし、彼は子どもがほしいそうで、大きく生活が変わりそうでして……。おそらくこれまでのような同人活動……というか、執筆活動もままならなくなってしまうと思います。先日新人賞に出した小説の結果が、来月に発表されるのですが、それ次第で筆をしまおうかなと。なので、即売会の参加も次回のイベントで最後になりそうです。突然のことで申し訳ありません。カロンさん、今まで応援してくださって本当にありがとうございました。』
 頭の中が、乾いた空気に震えるこの季節にぴったりの色になった。きみからのメッセージにある『新人賞に出した小説』は、例によってデータをもらって、読ませてもらっている最中だ。次のイベントまでには読み終わるだろうと踏んでいた。きみの時間が許せば、直接感想を伝えようと考えていた。
『とても寂しいです』と正直に伝えた。でもきみに罪悪感を与えたくはなかった。決断を迷わせたくもないし、返信に困らせたくもない。だから『ですが、これまで砂夏先生の小説に、本当にたくさん楽しませてもらいました。贅沢な時間でした。こちらこそありがとうございます。』と付け加える。全て本心だ。
『不安です。』
『なにがですか?』
『私ね、きっと新人賞、とれていないと思うんです。私の言葉はカロンさんには刺さってくれていて、それはとても誇らしくて、かけがえなくて……。ですが、この世界の大半には届かないんだなって思ってしまいまして。いけませんね。いつも読んでくれて、褒めてくださるカロンさんに、こんな弱音を吐いて……すみません。』
『砂夏先生の小説はおもしろいです。気づかない世界が悪いと思います。なので、どうか自信をもってほしいです。でないと、今夜も眠れなくなってしまいそうで、心配です。』
『ありがとうございます。お恥ずかしながら、やっぱり夜はなかなか眠れませんね。どうしたらすんなり眠れるようになるのでしょうか……。』
 SNS上のきみは、気丈に次のイベントの参加と新刊の発売を告知している。私はそれを拡散するために、引用した投稿をする。私では影響力などまるでないことを承知の上で、祈るように、きみの小説のすばらしさを発言する。きみだけからいいねがくる。
 私が長編小説を読み終わったのは、きみが最後の参加になると言っていた即売会の四日前だった。この一ヶ月の間、きみは準備に明け暮れているようでほとんど連絡をとっていなかった。邪魔だけはしたくないので、私からは絶対に声をかけない。
 メモ帳アプリを開いて感想を書いた。以前、きみは講評もほしいと言っていたけれど、何を書いていいのか分からないし偉そうに指摘をして嫌な気持ちにさせないか不安で、これまで書いたことがなかった。しかし今回は講評も書こうとした。でもやはり何を書いていいのか分からない。だって不満なんてない。きみの書く文章、描く情景、紡ぐ物語はどれもすてきだ。それでも書くことを探した。揚げ足をとるように登場人物の行動の違和感を拾った。比喩がいつも似たり寄ったりだと書いた。オチが読めたとも書いた。どれも嘘ではなかった。でも不満なんてないのも本当だった。
 即売会の前日、私はきみに感想を送った。結局、講評は送らなかった。今夜はきみにゆっくり眠ってほしかったから。スマートフォンの画面に収まりきっていない感想文に、既読の印がついたのを確認してから、私は布団に入った。寒い夜だった。思い思いに書いた感想はとんでもない文字数になっていて、でも推敲もせずに送った。祈るように送った。どうか私の言葉がきみに良い影響を与えるように。自信に繋がって、達成感を与えて、安心して眠れるように。
 きみと私の関係性は同人誌作家とただのいち読者だ。恋心があるわけではない。友だちとも呼べない。そもそも本名すら知らない。でも今、私は布団の中で、胸のあたりにわけのわからない痛みを感じながら、祈り続けている。どうか、日々の仕事や家事や人間関係や創作活動で疲れてへとへとなきみが、あたたかい毛布で眠れていますように。私は、もうじき結婚するきみを表立ってあたためることはできない。その手段も、権利もない。求められてもいないだろう。私はきみの毛布になれないのだ。だからこうやって布団の中でくの字になって、無様に祈ることしかできない。
 翌朝、スマートフォンを開いたが、きみからの返信はなかった。即売会の会場は遠いので、私は新幹線で移動した。会場に到着して、まっすぐにきみのブースに向かった。私の顔を見るなり、きみはいつもどおりの丸眼鏡の向こうの、一重まぶたの切れ長の目をふわりと細めた。並べられた本は相変わらず赤と黒を基調とした表紙ばかりだ。新刊をこちらに差し出すきみの左手の薬指には指輪がある。
「砂夏先生、昨日は眠れましたか」
 きみは苦笑いで首を横に振った。
「いえ、全然です。今日の準備があって。あと、買ってもらえるか不安で。あ、でもね、カロンさんからのDMを見たら、あんまりにも長い感想をくれてたから、読んでる間に寝ちゃってたような気がします。うれしかったです。ありがとうございます」
 私はきみの新刊を購入して、帰路についた。帰りの新幹線でさっそく読み始める。内容は相変わらずホラー小説だった。暗闇の中で乾いた風が吹いて、草木を揺らして、そこかしこから何かが軋む音が聞こえる。足元はぬかるんでいて、ねちょねちょと気味の悪い足音が響く。背後に誰かが立っているような感覚に鳥肌が立って、足が震える。けれど、やはりきみが、真っ白で柔らかな手で私の手をとって導いてくれるから、歩ける。
 私と出会う前のきみの、私が惹かれた文章、物語から少しも変わっていないことに、私は安心して、なぜかほんの少しだけ落胆したのだった。


スタンプを贈って作者を応援しよう!



みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 きみが書いた長編小説はおもしろかった。文章も相変わらず丁寧で美しく、誤字脱字も見当たらない。なぜこの小説が受賞できないのかと疑問だった。きみの小説が如何に私を満たしてくれるのかを感想に詰めこんで送った。
『こんなにお褒めの言葉をいただけて嬉しいです! また新しい小説を書かなきゃって気合いが入ります……! カロンさん、次の作品もまた読んでいただけると幸いです。』
 きみに自己肯定をするための証拠を与えられているようで、私もうれしい。しかし同じ日にSNSを覗くと、きみは『やっぱり才能の世界なんですよね。憧れの作家さんたちと肩を並べられたらとがむしゃらに書いてきましてが、最近はその夢のビジョンが薄れつつあります……。』と投稿している。私は下唇を噛んだ。
 そうやってきみと連絡を取り合っているうちに、あっという間に出会ってから二年が経過した。季節は冬で、きみから畏まった言葉遣いのダイレクトメッセージが届いた。
『カロンさんには真っ先にお伝えしておかなければと思いまして、DMにて失礼いたします。実は先日、前々からお付き合いしている男性にプロポーズされまして、結婚することとなりました。いずれ彼の実家に住むことになりそうですし、彼は子どもがほしいそうで、大きく生活が変わりそうでして……。おそらくこれまでのような同人活動……というか、執筆活動もままならなくなってしまうと思います。先日新人賞に出した小説の結果が、来月に発表されるのですが、それ次第で筆をしまおうかなと。なので、即売会の参加も次回のイベントで最後になりそうです。突然のことで申し訳ありません。カロンさん、今まで応援してくださって本当にありがとうございました。』
 頭の中が、乾いた空気に震えるこの季節にぴったりの色になった。きみからのメッセージにある『新人賞に出した小説』は、例によってデータをもらって、読ませてもらっている最中だ。次のイベントまでには読み終わるだろうと踏んでいた。きみの時間が許せば、直接感想を伝えようと考えていた。
『とても寂しいです』と正直に伝えた。でもきみに罪悪感を与えたくはなかった。決断を迷わせたくもないし、返信に困らせたくもない。だから『ですが、これまで砂夏先生の小説に、本当にたくさん楽しませてもらいました。贅沢な時間でした。こちらこそありがとうございます。』と付け加える。全て本心だ。
『不安です。』
『なにがですか?』
『私ね、きっと新人賞、とれていないと思うんです。私の言葉はカロンさんには刺さってくれていて、それはとても誇らしくて、かけがえなくて……。ですが、この世界の大半には届かないんだなって思ってしまいまして。いけませんね。いつも読んでくれて、褒めてくださるカロンさんに、こんな弱音を吐いて……すみません。』
『砂夏先生の小説はおもしろいです。気づかない世界が悪いと思います。なので、どうか自信をもってほしいです。でないと、今夜も眠れなくなってしまいそうで、心配です。』
『ありがとうございます。お恥ずかしながら、やっぱり夜はなかなか眠れませんね。どうしたらすんなり眠れるようになるのでしょうか……。』
 SNS上のきみは、気丈に次のイベントの参加と新刊の発売を告知している。私はそれを拡散するために、引用した投稿をする。私では影響力などまるでないことを承知の上で、祈るように、きみの小説のすばらしさを発言する。きみだけからいいねがくる。
 私が長編小説を読み終わったのは、きみが最後の参加になると言っていた即売会の四日前だった。この一ヶ月の間、きみは準備に明け暮れているようでほとんど連絡をとっていなかった。邪魔だけはしたくないので、私からは絶対に声をかけない。
 メモ帳アプリを開いて感想を書いた。以前、きみは講評もほしいと言っていたけれど、何を書いていいのか分からないし偉そうに指摘をして嫌な気持ちにさせないか不安で、これまで書いたことがなかった。しかし今回は講評も書こうとした。でもやはり何を書いていいのか分からない。だって不満なんてない。きみの書く文章、描く情景、紡ぐ物語はどれもすてきだ。それでも書くことを探した。揚げ足をとるように登場人物の行動の違和感を拾った。比喩がいつも似たり寄ったりだと書いた。オチが読めたとも書いた。どれも嘘ではなかった。でも不満なんてないのも本当だった。
 即売会の前日、私はきみに感想を送った。結局、講評は送らなかった。今夜はきみにゆっくり眠ってほしかったから。スマートフォンの画面に収まりきっていない感想文に、既読の印がついたのを確認してから、私は布団に入った。寒い夜だった。思い思いに書いた感想はとんでもない文字数になっていて、でも推敲もせずに送った。祈るように送った。どうか私の言葉がきみに良い影響を与えるように。自信に繋がって、達成感を与えて、安心して眠れるように。
 きみと私の関係性は同人誌作家とただのいち読者だ。恋心があるわけではない。友だちとも呼べない。そもそも本名すら知らない。でも今、私は布団の中で、胸のあたりにわけのわからない痛みを感じながら、祈り続けている。どうか、日々の仕事や家事や人間関係や創作活動で疲れてへとへとなきみが、あたたかい毛布で眠れていますように。私は、もうじき結婚するきみを表立ってあたためることはできない。その手段も、権利もない。求められてもいないだろう。私はきみの毛布になれないのだ。だからこうやって布団の中でくの字になって、無様に祈ることしかできない。
 翌朝、スマートフォンを開いたが、きみからの返信はなかった。即売会の会場は遠いので、私は新幹線で移動した。会場に到着して、まっすぐにきみのブースに向かった。私の顔を見るなり、きみはいつもどおりの丸眼鏡の向こうの、一重まぶたの切れ長の目をふわりと細めた。並べられた本は相変わらず赤と黒を基調とした表紙ばかりだ。新刊をこちらに差し出すきみの左手の薬指には指輪がある。
「砂夏先生、昨日は眠れましたか」
 きみは苦笑いで首を横に振った。
「いえ、全然です。今日の準備があって。あと、買ってもらえるか不安で。あ、でもね、カロンさんからのDMを見たら、あんまりにも長い感想をくれてたから、読んでる間に寝ちゃってたような気がします。うれしかったです。ありがとうございます」
 私はきみの新刊を購入して、帰路についた。帰りの新幹線でさっそく読み始める。内容は相変わらずホラー小説だった。暗闇の中で乾いた風が吹いて、草木を揺らして、そこかしこから何かが軋む音が聞こえる。足元はぬかるんでいて、ねちょねちょと気味の悪い足音が響く。背後に誰かが立っているような感覚に鳥肌が立って、足が震える。けれど、やはりきみが、真っ白で柔らかな手で私の手をとって導いてくれるから、歩ける。
 私と出会う前のきみの、私が惹かれた文章、物語から少しも変わっていないことに、私は安心して、なぜかほんの少しだけ落胆したのだった。