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 きみの誕生日は夏にしかこない。
 プレゼントであたたかい毛布を買ってあげたいのに。
 きみとの出会いは同人誌即売会だった。季節は冬で、きみは売り子だった。ブースに並べられた本の表紙はどれも黒や赤を基調としていて、タイトルもおどろおどろしいものばかりだった。手にとった本の表紙には、真っ黒な背景にピエロが歪めた口のように欠けた月が浮かんでいる。『太陽の溺死と再誕』と赤い文字でタイトルが書かれている。
 本越しにきみの顔を覗き見ると、遠慮がちな上目遣いで私を見ていて、そっと逸らした。ややきしんだ髪と、丸眼鏡と、その奥の化粧っけのない一重まぶたが、ひと目で脳裏に焼きついた。ひび割れた唇からどのような声が発されるのか気になった。
「ちょっとめくってみてもいいですか」
「はい、ぜひ」
 くすんだ青色をした声だった。
 本の中身は小説だった。『太陽が音も立てずに入水する姿を、わたしたちは御浜岬から眺めていた。』という冒頭文を読んで、行ったこともないどこにあるのかも分からない岬に立って、太陽が潰れて中身が絞り出されるように空と海が橙色に染められる光景がまざまざと脳裏に浮かんだ。そのノスタルジックでもあり、ものおそろしくもある空気感に惹かれて購入を決めた。
 本と一緒に名刺を手渡された。出展サークル名は『37.2度の海』で、ペンネームは『砂夏膿』。「砂夏(さなつ)と申します。あ、名前は『うみ』と読みます」と言ってきみは切れ長の目を弛ませた。その下はうっすらとくまで青くなっていた。その場で名刺に記されたSNSのアカウントをフォローすると、きみはお礼を言いながらフォローバックしてくれた。それから私のタイムライン上に、きみの創作活動に明け暮れる日々が映しだされるようになった。
『今日は1,200文字書きました。なかなか文字数が伸びないことが最近の悩みです。ある表現に納得がいかなくて、ああでもない、こうでもないと頭を抱えて1日が終わってしまいました……。まずはとにかく書き進めなければとは思うのですが、仮決定した表現って変に定着しちゃうことがあるので困りものなのです。』
『桃山文学新人賞、第2選考まで残っていましたが落選でした。取材やロケハンなど入念に行って書き上げたものなので非常に悔しいです。めげずにがんばらないと、と気合いを入れ直しているところです。うー、でも今日だけはハーゲンダッツを食べてごろごろさせてください……! 悔しい!』
『明日お休みなので今夜はがんばろうと思っていたのですが……また彼氏さんと喧嘩してしまって、いっぱい泣いてそれどころではなくなってしまいました。喧嘩するほど仲が良いとはいいますが、幾度となく心を擦り合わせ続けた先に、本当に分かり合う未来が訪れるのでしょうか。お互いに跡形もなく擦り切れてしまわないかと不安です。』
 ほとんど毎日、きみは丁寧な文章で近況を教えてくれた。
『太陽の溺死と再誕』は一週間ほどで読み終わった。SNSで見せるような生真面目な文体は読みやすくて、するすると情景が想起できた。物語のジャンルはホラーだった。終始、街灯のない夜道を歩いているような不安と緊迫を感じるような物語だ。でもきみが真っ白で柔らかい手で私の手をとって導いてくれるから、おぼつかずに歩ける。そんな文章だ。私は、指先が冷たいのに握られている間にあたたかくなるきみの手に惹かれた。翌月には隣の県で開かれた即売会できみの他の本を買った。こうして隣県で即売会が開かれるたびに、きみが参加すれば出向き、持っていない本を一冊ずつ買うようになった。
 飛び抜けて明るい小説は苦手だ。丹精込めたトリックで読者をわくわくさせる小説も押しつけがましくて苦手だ。こちらの感性に委ねてくるような気取った小説も読んでいて疲れるし、恋愛小説なんてもってのほか。きみの小説はどれとも違った。暗くて狭い場所に閉じこもって、ぬるい液体に半身を浸かっているような安堵があった。
 四度目できみの方から声をかけてくれたので、私はとても驚いた。
「いつも来てくれますね」
「え、あ、ですね。はい。砂夏先生の小説に惹かれてしまいまして」
「わ、うれしいです。いつもありがとうございます」
「あの失礼でなければ、感想とかお送りしてもいいですか?」
 つい口をついてそう尋ねたのは、少しでも多く会話をしたかったからだ。きみの小説を読むたびに、生み出してくれたことに感謝していたし、それを作者に伝えたいとは感じていた。もちろん必要以上にきみに近づきたいなどという下心はない。ただひと言でも多くきみの声が聞ければよかった。
「もちろんです。違ってたら申し訳ないのですが、カロンさんですよね」
 きみが私のSNSのユーザ名を口にするので、私はまた驚いた。唖然としてしまって、数秒してからようやく首肯した。きみはテーブルの上の『太陽の溺死と再誕』を指さす。
「この本を買ってくださった時のことが印象的で、その場でSNSもフォローさせていただいたので覚えちゃいました」
 きみはいたずらっぽく目を細めて、私は初めて心から笑うきみを見たような気がした。
 帰宅してすぐに『太陽の溺死と再誕』の感想を書いた。ダイレクトメッセージで送ると、数時間してから返信がきた。ダイレクトメッセージ上のきみは、即売会で会う時よりも、SNSの投稿よりも、ちょっとだけ大雑把な物言いをした。それに想定していたよりもずっと多くのことを話してくれた。
『カロンさん、さっそく熱烈な感想をありがとうございます! めっちゃ嬉しいです! 励みになります……! 実は最近、目指していた小説の新人賞に落選してしまって……。けっこう自信をなくし気味だったんです。カロンさんの言葉で少し立ち直れたような気がします。本当にありがとうございます!!』
 私は一つひとつの話題の種に律儀に反応を返した。新人賞ってどんな賞なんですか。新人賞ってどのくらいの長さの小説を書いたんですか。すでにSNSの投稿で知り得ている情報でも、会話が途切れないよう大切に広げた。きみは迷惑がる素振りを見せずに、新人賞に出した小説のあらすじを語りだす。長編小説で、やはりジャンルはホラー。主人公は大学生で、死後、幽霊になる死に方と、ならない死に方は異なるのかというテーマで論文を書くことになった。調査のために、とある集落へ取材に訪れるという物語だそうだ。読みたいと伝えると、感想とできたら講評を渡すことを条件に、原稿のデータをもらうことができた。さっそくきみが書いた十四万文字を読み始める。その文章の量に、きみが本気で小説家を目指していることを実感させられた。
 きみは創作活動以外のこともたくさん教えてくれた。誕生日は夏で、静岡県の東部に住んでいて、好きなチョコレートはジャンドゥーヤで、江戸川乱歩を尊敬している。食器を洗うのが苦手で、寝つきが悪いことが最近の悩み。今は恋人関係にある男性と同棲していて、恋人はきみの創作活動を受け入れてくれているし、応援してくれている。けれど小説を読んでくれたことはない。きみは不満はないと言った。「でもね許容と理解は違うし、応援と支援も違うんですよね」とも言った。
 私は、聴くと落ち着けるのでいつも寝る前に聴いている音楽をきみに教えた。その夜は普段よりもよく眠れたようで、ありがとうと頬を赤らめた顔文字をくれた。私は安堵の息をついた。きみの心が安らかなのであることがうれしかった。でも冷静に考えてみれば、それは音楽がすばらしかっただけだ。決して私の成果ではないような気がして、顔文字の頬の赤らみに後ろめたくなった。
 できたら私の言葉や行動できみを安眠に(いざな)いたいものだ。
 冷える夜にきみを包む毛布をプレゼントしたいのだけれど、きみの誕生日は夏にしかこない。私たちは、きっかけもないのに毛布をプレゼントできるような関係ではないのだ。しかし毛布を買ってあげてきみがよく眠れたとしても、それは毛布がふかふかであたたかいからであって、やはり私の成果ではないだろう。
 なら私自身がきみの毛布になれたらいいのに。
 そんなくだらないことを考えながら、きみの長編小説を読み進めていった。


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 きみの誕生日は夏にしかこない。
 プレゼントであたたかい毛布を買ってあげたいのに。
 きみとの出会いは同人誌即売会だった。季節は冬で、きみは売り子だった。ブースに並べられた本の表紙はどれも黒や赤を基調としていて、タイトルもおどろおどろしいものばかりだった。手にとった本の表紙には、真っ黒な背景にピエロが歪めた口のように欠けた月が浮かんでいる。『太陽の溺死と再誕』と赤い文字でタイトルが書かれている。
 本越しにきみの顔を覗き見ると、遠慮がちな上目遣いで私を見ていて、そっと逸らした。ややきしんだ髪と、丸眼鏡と、その奥の化粧っけのない一重まぶたが、ひと目で脳裏に焼きついた。ひび割れた唇からどのような声が発されるのか気になった。
「ちょっとめくってみてもいいですか」
「はい、ぜひ」
 くすんだ青色をした声だった。
 本の中身は小説だった。『太陽が音も立てずに入水する姿を、わたしたちは御浜岬から眺めていた。』という冒頭文を読んで、行ったこともないどこにあるのかも分からない岬に立って、太陽が潰れて中身が絞り出されるように空と海が橙色に染められる光景がまざまざと脳裏に浮かんだ。そのノスタルジックでもあり、ものおそろしくもある空気感に惹かれて購入を決めた。
 本と一緒に名刺を手渡された。出展サークル名は『37.2度の海』で、ペンネームは『砂夏膿』。「|砂夏《さなつ》と申します。あ、名前は『うみ』と読みます」と言ってきみは切れ長の目を弛ませた。その下はうっすらとくまで青くなっていた。その場で名刺に記されたSNSのアカウントをフォローすると、きみはお礼を言いながらフォローバックしてくれた。それから私のタイムライン上に、きみの創作活動に明け暮れる日々が映しだされるようになった。
『今日は1,200文字書きました。なかなか文字数が伸びないことが最近の悩みです。ある表現に納得がいかなくて、ああでもない、こうでもないと頭を抱えて1日が終わってしまいました……。まずはとにかく書き進めなければとは思うのですが、仮決定した表現って変に定着しちゃうことがあるので困りものなのです。』
『桃山文学新人賞、第2選考まで残っていましたが落選でした。取材やロケハンなど入念に行って書き上げたものなので非常に悔しいです。めげずにがんばらないと、と気合いを入れ直しているところです。うー、でも今日だけはハーゲンダッツを食べてごろごろさせてください……! 悔しい!』
『明日お休みなので今夜はがんばろうと思っていたのですが……また彼氏さんと喧嘩してしまって、いっぱい泣いてそれどころではなくなってしまいました。喧嘩するほど仲が良いとはいいますが、幾度となく心を擦り合わせ続けた先に、本当に分かり合う未来が訪れるのでしょうか。お互いに跡形もなく擦り切れてしまわないかと不安です。』
 ほとんど毎日、きみは丁寧な文章で近況を教えてくれた。
『太陽の溺死と再誕』は一週間ほどで読み終わった。SNSで見せるような生真面目な文体は読みやすくて、するすると情景が想起できた。物語のジャンルはホラーだった。終始、街灯のない夜道を歩いているような不安と緊迫を感じるような物語だ。でもきみが真っ白で柔らかい手で私の手をとって導いてくれるから、おぼつかずに歩ける。そんな文章だ。私は、指先が冷たいのに握られている間にあたたかくなるきみの手に惹かれた。翌月には隣の県で開かれた即売会できみの他の本を買った。こうして隣県で即売会が開かれるたびに、きみが参加すれば出向き、持っていない本を一冊ずつ買うようになった。
 飛び抜けて明るい小説は苦手だ。丹精込めたトリックで読者をわくわくさせる小説も押しつけがましくて苦手だ。こちらの感性に委ねてくるような気取った小説も読んでいて疲れるし、恋愛小説なんてもってのほか。きみの小説はどれとも違った。暗くて狭い場所に閉じこもって、ぬるい液体に半身を浸かっているような安堵があった。
 四度目できみの方から声をかけてくれたので、私はとても驚いた。
「いつも来てくれますね」
「え、あ、ですね。はい。砂夏先生の小説に惹かれてしまいまして」
「わ、うれしいです。いつもありがとうございます」
「あの失礼でなければ、感想とかお送りしてもいいですか?」
 つい口をついてそう尋ねたのは、少しでも多く会話をしたかったからだ。きみの小説を読むたびに、生み出してくれたことに感謝していたし、それを作者に伝えたいとは感じていた。もちろん必要以上にきみに近づきたいなどという下心はない。ただひと言でも多くきみの声が聞ければよかった。
「もちろんです。違ってたら申し訳ないのですが、カロンさんですよね」
 きみが私のSNSのユーザ名を口にするので、私はまた驚いた。唖然としてしまって、数秒してからようやく首肯した。きみはテーブルの上の『太陽の溺死と再誕』を指さす。
「この本を買ってくださった時のことが印象的で、その場でSNSもフォローさせていただいたので覚えちゃいました」
 きみはいたずらっぽく目を細めて、私は初めて心から笑うきみを見たような気がした。
 帰宅してすぐに『太陽の溺死と再誕』の感想を書いた。ダイレクトメッセージで送ると、数時間してから返信がきた。ダイレクトメッセージ上のきみは、即売会で会う時よりも、SNSの投稿よりも、ちょっとだけ大雑把な物言いをした。それに想定していたよりもずっと多くのことを話してくれた。
『カロンさん、さっそく熱烈な感想をありがとうございます! めっちゃ嬉しいです! 励みになります……! 実は最近、目指していた小説の新人賞に落選してしまって……。けっこう自信をなくし気味だったんです。カロンさんの言葉で少し立ち直れたような気がします。本当にありがとうございます!!』
 私は一つひとつの話題の種に律儀に反応を返した。新人賞ってどんな賞なんですか。新人賞ってどのくらいの長さの小説を書いたんですか。すでにSNSの投稿で知り得ている情報でも、会話が途切れないよう大切に広げた。きみは迷惑がる素振りを見せずに、新人賞に出した小説のあらすじを語りだす。長編小説で、やはりジャンルはホラー。主人公は大学生で、死後、幽霊になる死に方と、ならない死に方は異なるのかというテーマで論文を書くことになった。調査のために、とある集落へ取材に訪れるという物語だそうだ。読みたいと伝えると、感想とできたら講評を渡すことを条件に、原稿のデータをもらうことができた。さっそくきみが書いた十四万文字を読み始める。その文章の量に、きみが本気で小説家を目指していることを実感させられた。
 きみは創作活動以外のこともたくさん教えてくれた。誕生日は夏で、静岡県の東部に住んでいて、好きなチョコレートはジャンドゥーヤで、江戸川乱歩を尊敬している。食器を洗うのが苦手で、寝つきが悪いことが最近の悩み。今は恋人関係にある男性と同棲していて、恋人はきみの創作活動を受け入れてくれているし、応援してくれている。けれど小説を読んでくれたことはない。きみは不満はないと言った。「でもね許容と理解は違うし、応援と支援も違うんですよね」とも言った。
 私は、聴くと落ち着けるのでいつも寝る前に聴いている音楽をきみに教えた。その夜は普段よりもよく眠れたようで、ありがとうと頬を赤らめた顔文字をくれた。私は安堵の息をついた。きみの心が安らかなのであることがうれしかった。でも冷静に考えてみれば、それは音楽がすばらしかっただけだ。決して私の成果ではないような気がして、顔文字の頬の赤らみに後ろめたくなった。
 できたら私の言葉や行動できみを安眠に|誘《いざな》いたいものだ。
 冷える夜にきみを包む毛布をプレゼントしたいのだけれど、きみの誕生日は夏にしかこない。私たちは、きっかけもないのに毛布をプレゼントできるような関係ではないのだ。しかし毛布を買ってあげてきみがよく眠れたとしても、それは毛布がふかふかであたたかいからであって、やはり私の成果ではないだろう。
 なら私自身がきみの毛布になれたらいいのに。
 そんなくだらないことを考えながら、きみの長編小説を読み進めていった。