表示設定
表示設定
目次 目次




二章 未来 12

ー/ー



「颯太くんは観光案内の仕事してるんだって?」愛菜は枝豆を食べながら聞いてきた。颯太もつられ、手を伸ばす。酔い潰れた京介は、テーブルに突っ伏していた。「そうですよ。今日も案内してました」
「すごいじゃん。時々、会社名が書かれた車を見るけど、実は颯太くんが運転してたのかもね」愛菜が底の深い皿を差し出してくる。枝豆の殻入れとして使うのだろう。颯太は殻を入れ、軽く会釈をすると、「今日はどこ行ってきたの?」と聞いてきた。
「山の展望台に行きましたよ」舗装された山道を通り、駐車場に車を停めて頂上の展望台まで歩く、ハイキングのようなプランだった。その場所からは三十分ほどで登頂が可能だ。武雄が人工関節を入れているため、今回の距離は短かったが、場合によっては一番下からスタートする場合もある。健康増進になる、ということで、シニアツアーでは好評なのだ。
「へえ、すごいじゃん」愛菜の反応は大きく、目がキラキラと輝いていた。「どこを回るかは自分で決められるの?」
「そうですね。申請が通ればですが。観光客相手より、シニアツアーの方が、ある程度の融通は利きやすいです」
「いいなあ。楽しそうな仕事で」
「そうですけど、大変なことも色々ありますよ」颯太は腕を組む。「良くも悪くもお客さんの意見が直に伝わってきますからね」
『話がつまらない』と達筆な字で、匿名の意見が入っていたことがあった。会社の待合室には意見箱が設置しており、お客さんが気軽に感想や要望を伝えることができるのだ。意見への回答を、掲示することもある。「自分のことだ」と颯太が落ち込んでいると小野田が声をかけてきた。
「誰の事かなんて、書いてないだろ」颯太の手から意見用紙を奪い取り、面倒臭そうに呟いた。
「そうですけど、皆さんの中で僕が一番つまらないじゃないですか」一人でツアーを受け持ち始めた矢先の出来事だった。だって、と颯太は続ける。
「だって、この間、終始しかめ面をしているお客さんがいたんですよ。きっとその人ですって」 
 小野田は話し終えるまで口を挟まずに聞いてくれた。その後で、「あのなあ」と話し始めた。声のトーンが低く、辺りの空気が引き締まるのを感じた。
「あのなあ。お客様を疑うんじゃない」
「で、ですが」このような意見を投函されては、疑心暗鬼にならざるを得なかった。
「その気持ちは態度や目線、声色に現れるぞ。特に俺らみたいな仕事はな、尚更気をつけなきゃいけないんだ」小野田は教え諭すように話し、その後で表情を緩める。「その代わり、俺らの前では不満げな顔を浮かべとけ」
「え、そんな顔してますか?」颯太は顔に手を当てる。当時は失敗の連続で、落ち込んでいたことは自覚していた。人前で出さないように振る舞っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
「してるよ」小野田は即答し、付け加える。「別に、責めてるわけじゃない。表情豊かで分かりやすいのはいいことだからな。俺だって若い頃は反発してたしさ」
「それにな」と小野田は意見用紙をひらひらと振ってみせる。「颯太の頑張りは、しっかり伝わってるんだぞ」
「そうなんですか?」
「俺が担当した時に言われるんだぞ『宇津木先生頑張ってますね』って」小野田は嫌味たらしく続ける。「颯太ばかり褒められて気に食わなかったから、『きっと教えた人が優れていたんですね』って言ってやったよ」
 颯太は噴き出してしまう。いつの間にか、胸の中を覆っていた黒い霧のようなものは消え去っていた。不器用なりに、励ましてくれていることが伝わってくる。照れ隠しに憎まれ口を叩くところが、彼らしい。
「指摘を素直に受け入れるのも大事だけど、そればかりに囚われるな。肯定する意見もしっかりあることは忘れるなよ」
 
「いいなあ。頼れる先輩がいて」話を聞いた愛菜が、ぽつりと呟く。「羨ましい」
「おかげで、前よりは落ち込むことは減りましたね」以来、颯太は良い面にも目を向けるようになり、塞ぎ込むことも少なくなったのだ。「酒蔵のお仕事も、大変そうですが、やりがいがありそうじゃないですか」蔵で大きな鍋をかき回す、そんなイメージが颯太にはあった。
「力仕事の面があるからね。結構、大変だよ」愛菜は『結構』の部分を強調するように言った。「今は社員さんと一緒に仕事してるけどさ、そのうち、お父さんの代わりに指示や管理をするようになるんだろうなあ」
 ああ、と颯太は小さく声を出す。武藤に目を向けてしまう。愛菜は一人っ子らしい。そのため、家業を継ぐしかなかったのだろう。そのプレッシャーを想像するだけで胃が痛くなる。「それは大変ですね」と曖昧な返答しかできなかったため、京介のことに話題を戻す。
「にしても、今の京介先輩を見てると、小さい頃の話が想像できないですね」当の本人は「なんだよう」と突っ伏した腕の間から覗き込むように目を向けている。
「大きくなってからは、生意気な口をきいてくるクソガキになったよ」愛菜は拳を握りしめ、その場で軽く振り下ろす。「その度にこうしてやったわよ」
「仲良しですねえ」
 愛菜は心外だ、と言わんばかりに苦い表情を浮かべた。「腐れ縁ってやつよ」
「颯太さん、いつもお世話になってますー」
 颯太は名前を呼ばれ、振り返る。にこやかな表情を浮かべている女性、由梨だった。彼女は先ほど注文したサラダを、テーブルに置く。
「いえいえ、こちらこそ、いつもお世話になっております」颯太は頭を下げる。「今日は忙しそうだねえ」
「そうなんですよ。あちこち行ったり来たりで、大変です」由梨は苦笑するが、表情は明るく、スポーツマンのような爽やかさを醸し出していた。「すみません、挨拶が遅れてしまって」
「由梨ちゃんは礼儀正しいねえ。そんなに気を遣わなくて大丈夫だよ」
「颯太君は由梨ちゃんと面識があるの?」サラダを皿に取り分けながら、愛菜が聞いてくる。
「そうなんですよ。仕事柄、時々顔を合わせます」
「なるほどねえ。互いに優良顧客ってわけか」愛菜が感心する。「それにしても由梨ちゃんよく働くね。立派な看板娘だ。江梨ちゃんは?厨房にいるの?」
「ああ、お姉ちゃんは外にいるんですよー」由梨はあっけらかんと答える。「大学に通うために」
「えっ、そうなの?」愛菜は目を丸くした。「普段は他の宴会場で、久しぶりに『彩』にきたからなあ。知らなかったよ」
 颯太は沙奈江から、その話を聞いていた。彼女は「寂しくなるわ」と零しながらも、明るい表情だった。「あの子に心配されてちゃ世話ないし、私も頑張らなきゃね」と意気込んでいた。
「みーんな外に行っちまうんだ」嫌味っぽく呟いたのは京介だ。少し回復したのか、草食動物のように、大人しくサラダを食べていた。「由梨ちゃんはさー、お姉ちゃんみたいに外に出たいって思わないの?」
「ちょっと」と愛菜は嗜める。
「単純に質問しただけだって」京介は平然と返す。 
「だからって、聞き方ってものがあるでしょ」
 颯太はきまずい思いで由梨に目を向ける。が、当人は意に反して表情を崩していた。「大丈夫ですよ。よく聞かれますから」何ならあちらでも、と盛り上がる武藤達の方に目を向ける。
「お姉ちゃんと違って、妥協じゃないですから」と由梨は笑う。「私はこの島が好きで、来てくれる人達におもてなしをする。ただ、それだけです。楽しい気分で帰ってもらえれば、それが何よりの嬉しいことなんですよ」
 由梨のその言葉は、裏表のないまっすぐな言葉だった。淡々と話すその表情は真剣で、純粋な想いが伝わってくる。
「ごめん」と京介は頭を下げる。「由梨ちゃんは一生懸命働いているのに、水を差すようなことを言ってしまって」
「そ、そんな、頭を上げてください」由梨は慌てて押し止め、大丈夫ですから、と京介に笑いかける。「外に行く人達に向ける気持ちは、私も分かりますから。お姉ちゃんを見てたので」彼女は懐かしむように目を細めた。「憧れや、羨ましさ、ですよね。私も外に出たいという気持ちはありましたけど、今は違います。私が『彩』を盛り上げて、お姉ちゃんが帰ってきた時に驚かそうと思ってるので」
 颯太は感心して、由梨の話を聞いていた。彼女は自分の考え、軸を持っている。卓人のように、周りから『未来がない島だ』と言われても、臆せず前に進んでいけるのだろう。
 京介も同様だったようでポカンと、口を開けている。「由梨ちゃん、今中学三年生だっけ?」
「そうですよ」
「大人だな」京介は力なく笑う。「俺が捻くれていたよ。島にいる俺たちが、盛り上げていかなきゃならないんだよな」
 京介の言葉に、颯太は頷いた。
「そうですね。僕たちが頑張らないと。由梨さんの夢を叶えられるように、どんどんお客さんを呼び込むよ」
 愛菜さんも、と颯太は目を向けるとギョッと驚いてしまう。彼女は鼻を啜り、泣いていたからである。
「由梨ちゃん、私も頑張るよ」彼女は声を震わせて、由梨の手を握る。颯太はオロオロと慌て、助けるように京介を見るが、彼も同様の反応を見せていた。
 由梨も驚いた表情を浮かべるが、握られている手に目を向けた後で優しく微笑んた。「大丈夫ですよ。愛菜さんはもう充分、頑張っているんですから」
「ありがとう」愛菜はハンカチで涙を拭う。「由梨ちゃんは、いい女将さんになるね」
「そんな、まだまだですよ」由梨は笑い、謙遜する。その後、厨房から呼ばれ、彼女は慌ただしくその場を後にした。「ではごゆっくり」と去り際に頭を下げる姿は、女将さんそのものだった。
 へへ、と愛菜は弱々しく笑う。「湿っぽくさせちゃってごめんね。さあ、飲み直すぞ」再びジョッキを掲げた。
 愛菜とは今日会ったばかりの颯太には、涙ぐんでいた理由について、訊ねることはできなかった。幼少期からの付き合いがあるはずの京介ですら聞かないので、余程、珍しいことだったのだろう。見えない膜のようなものが周囲を覆い、空いた会話の間を埋めるように、お酒のペースだけが進んでいった。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 二章 未来 13


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



「颯太くんは観光案内の仕事してるんだって?」愛菜は枝豆を食べながら聞いてきた。颯太もつられ、手を伸ばす。酔い潰れた京介は、テーブルに突っ伏していた。「そうですよ。今日も案内してました」
「すごいじゃん。時々、会社名が書かれた車を見るけど、実は颯太くんが運転してたのかもね」愛菜が底の深い皿を差し出してくる。枝豆の殻入れとして使うのだろう。颯太は殻を入れ、軽く会釈をすると、「今日はどこ行ってきたの?」と聞いてきた。
「山の展望台に行きましたよ」舗装された山道を通り、駐車場に車を停めて頂上の展望台まで歩く、ハイキングのようなプランだった。その場所からは三十分ほどで登頂が可能だ。武雄が人工関節を入れているため、今回の距離は短かったが、場合によっては一番下からスタートする場合もある。健康増進になる、ということで、シニアツアーでは好評なのだ。
「へえ、すごいじゃん」愛菜の反応は大きく、目がキラキラと輝いていた。「どこを回るかは自分で決められるの?」
「そうですね。申請が通ればですが。観光客相手より、シニアツアーの方が、ある程度の融通は利きやすいです」
「いいなあ。楽しそうな仕事で」
「そうですけど、大変なことも色々ありますよ」颯太は腕を組む。「良くも悪くもお客さんの意見が直に伝わってきますからね」
『話がつまらない』と達筆な字で、匿名の意見が入っていたことがあった。会社の待合室には意見箱が設置しており、お客さんが気軽に感想や要望を伝えることができるのだ。意見への回答を、掲示することもある。「自分のことだ」と颯太が落ち込んでいると小野田が声をかけてきた。
「誰の事かなんて、書いてないだろ」颯太の手から意見用紙を奪い取り、面倒臭そうに呟いた。
「そうですけど、皆さんの中で僕が一番つまらないじゃないですか」一人でツアーを受け持ち始めた矢先の出来事だった。だって、と颯太は続ける。
「だって、この間、終始しかめ面をしているお客さんがいたんですよ。きっとその人ですって」 
 小野田は話し終えるまで口を挟まずに聞いてくれた。その後で、「あのなあ」と話し始めた。声のトーンが低く、辺りの空気が引き締まるのを感じた。
「あのなあ。お客様を疑うんじゃない」
「で、ですが」このような意見を投函されては、疑心暗鬼にならざるを得なかった。
「その気持ちは態度や目線、声色に現れるぞ。特に俺らみたいな仕事はな、尚更気をつけなきゃいけないんだ」小野田は教え諭すように話し、その後で表情を緩める。「その代わり、俺らの前では不満げな顔を浮かべとけ」
「え、そんな顔してますか?」颯太は顔に手を当てる。当時は失敗の連続で、落ち込んでいたことは自覚していた。人前で出さないように振る舞っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
「してるよ」小野田は即答し、付け加える。「別に、責めてるわけじゃない。表情豊かで分かりやすいのはいいことだからな。俺だって若い頃は反発してたしさ」
「それにな」と小野田は意見用紙をひらひらと振ってみせる。「颯太の頑張りは、しっかり伝わってるんだぞ」
「そうなんですか?」
「俺が担当した時に言われるんだぞ『宇津木先生頑張ってますね』って」小野田は嫌味たらしく続ける。「颯太ばかり褒められて気に食わなかったから、『きっと教えた人が優れていたんですね』って言ってやったよ」
 颯太は噴き出してしまう。いつの間にか、胸の中を覆っていた黒い霧のようなものは消え去っていた。不器用なりに、励ましてくれていることが伝わってくる。照れ隠しに憎まれ口を叩くところが、彼らしい。
「指摘を素直に受け入れるのも大事だけど、そればかりに囚われるな。肯定する意見もしっかりあることは忘れるなよ」
「いいなあ。頼れる先輩がいて」話を聞いた愛菜が、ぽつりと呟く。「羨ましい」
「おかげで、前よりは落ち込むことは減りましたね」以来、颯太は良い面にも目を向けるようになり、塞ぎ込むことも少なくなったのだ。「酒蔵のお仕事も、大変そうですが、やりがいがありそうじゃないですか」蔵で大きな鍋をかき回す、そんなイメージが颯太にはあった。
「力仕事の面があるからね。結構、大変だよ」愛菜は『結構』の部分を強調するように言った。「今は社員さんと一緒に仕事してるけどさ、そのうち、お父さんの代わりに指示や管理をするようになるんだろうなあ」
 ああ、と颯太は小さく声を出す。武藤に目を向けてしまう。愛菜は一人っ子らしい。そのため、家業を継ぐしかなかったのだろう。そのプレッシャーを想像するだけで胃が痛くなる。「それは大変ですね」と曖昧な返答しかできなかったため、京介のことに話題を戻す。
「にしても、今の京介先輩を見てると、小さい頃の話が想像できないですね」当の本人は「なんだよう」と突っ伏した腕の間から覗き込むように目を向けている。
「大きくなってからは、生意気な口をきいてくるクソガキになったよ」愛菜は拳を握りしめ、その場で軽く振り下ろす。「その度にこうしてやったわよ」
「仲良しですねえ」
 愛菜は心外だ、と言わんばかりに苦い表情を浮かべた。「腐れ縁ってやつよ」
「颯太さん、いつもお世話になってますー」
 颯太は名前を呼ばれ、振り返る。にこやかな表情を浮かべている女性、由梨だった。彼女は先ほど注文したサラダを、テーブルに置く。
「いえいえ、こちらこそ、いつもお世話になっております」颯太は頭を下げる。「今日は忙しそうだねえ」
「そうなんですよ。あちこち行ったり来たりで、大変です」由梨は苦笑するが、表情は明るく、スポーツマンのような爽やかさを醸し出していた。「すみません、挨拶が遅れてしまって」
「由梨ちゃんは礼儀正しいねえ。そんなに気を遣わなくて大丈夫だよ」
「颯太君は由梨ちゃんと面識があるの?」サラダを皿に取り分けながら、愛菜が聞いてくる。
「そうなんですよ。仕事柄、時々顔を合わせます」
「なるほどねえ。互いに優良顧客ってわけか」愛菜が感心する。「それにしても由梨ちゃんよく働くね。立派な看板娘だ。江梨ちゃんは?厨房にいるの?」
「ああ、お姉ちゃんは外にいるんですよー」由梨はあっけらかんと答える。「大学に通うために」
「えっ、そうなの?」愛菜は目を丸くした。「普段は他の宴会場で、久しぶりに『彩』にきたからなあ。知らなかったよ」
 颯太は沙奈江から、その話を聞いていた。彼女は「寂しくなるわ」と零しながらも、明るい表情だった。「あの子に心配されてちゃ世話ないし、私も頑張らなきゃね」と意気込んでいた。
「みーんな外に行っちまうんだ」嫌味っぽく呟いたのは京介だ。少し回復したのか、草食動物のように、大人しくサラダを食べていた。「由梨ちゃんはさー、お姉ちゃんみたいに外に出たいって思わないの?」
「ちょっと」と愛菜は嗜める。
「単純に質問しただけだって」京介は平然と返す。 
「だからって、聞き方ってものがあるでしょ」
 颯太はきまずい思いで由梨に目を向ける。が、当人は意に反して表情を崩していた。「大丈夫ですよ。よく聞かれますから」何ならあちらでも、と盛り上がる武藤達の方に目を向ける。
「お姉ちゃんと違って、妥協じゃないですから」と由梨は笑う。「私はこの島が好きで、来てくれる人達におもてなしをする。ただ、それだけです。楽しい気分で帰ってもらえれば、それが何よりの嬉しいことなんですよ」
 由梨のその言葉は、裏表のないまっすぐな言葉だった。淡々と話すその表情は真剣で、純粋な想いが伝わってくる。
「ごめん」と京介は頭を下げる。「由梨ちゃんは一生懸命働いているのに、水を差すようなことを言ってしまって」
「そ、そんな、頭を上げてください」由梨は慌てて押し止め、大丈夫ですから、と京介に笑いかける。「外に行く人達に向ける気持ちは、私も分かりますから。お姉ちゃんを見てたので」彼女は懐かしむように目を細めた。「憧れや、羨ましさ、ですよね。私も外に出たいという気持ちはありましたけど、今は違います。私が『彩』を盛り上げて、お姉ちゃんが帰ってきた時に驚かそうと思ってるので」
 颯太は感心して、由梨の話を聞いていた。彼女は自分の考え、軸を持っている。卓人のように、周りから『未来がない島だ』と言われても、臆せず前に進んでいけるのだろう。
 京介も同様だったようでポカンと、口を開けている。「由梨ちゃん、今中学三年生だっけ?」
「そうですよ」
「大人だな」京介は力なく笑う。「俺が捻くれていたよ。島にいる俺たちが、盛り上げていかなきゃならないんだよな」
 京介の言葉に、颯太は頷いた。
「そうですね。僕たちが頑張らないと。由梨さんの夢を叶えられるように、どんどんお客さんを呼び込むよ」
 愛菜さんも、と颯太は目を向けるとギョッと驚いてしまう。彼女は鼻を啜り、泣いていたからである。
「由梨ちゃん、私も頑張るよ」彼女は声を震わせて、由梨の手を握る。颯太はオロオロと慌て、助けるように京介を見るが、彼も同様の反応を見せていた。
 由梨も驚いた表情を浮かべるが、握られている手に目を向けた後で優しく微笑んた。「大丈夫ですよ。愛菜さんはもう充分、頑張っているんですから」
「ありがとう」愛菜はハンカチで涙を拭う。「由梨ちゃんは、いい女将さんになるね」
「そんな、まだまだですよ」由梨は笑い、謙遜する。その後、厨房から呼ばれ、彼女は慌ただしくその場を後にした。「ではごゆっくり」と去り際に頭を下げる姿は、女将さんそのものだった。
 へへ、と愛菜は弱々しく笑う。「湿っぽくさせちゃってごめんね。さあ、飲み直すぞ」再びジョッキを掲げた。
 愛菜とは今日会ったばかりの颯太には、涙ぐんでいた理由について、訊ねることはできなかった。幼少期からの付き合いがあるはずの京介ですら聞かないので、余程、珍しいことだったのだろう。見えない膜のようなものが周囲を覆い、空いた会話の間を埋めるように、お酒のペースだけが進んでいった。