二章 未来 11
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「あら、颯太さん、いつもお世話になってます」女将の沙奈江が頭を下げる。観光ツアーの宿泊場所として『彩』がプランに入っていることがあるのだ。島内には何軒かの宿泊場所があるが中でも『彩』の評判は高い。『朝起きたら目の前の海が一望できる』、『海岸を散歩するのが気持ちいい』などの非日常感がたまらないらしい。
「いえいえ、こちらこそ」颯太も頭を下げる。「今日はお世話になります」
「お気遣いなく。沢山飲んで仕事のストレスを発散していってくださいな」沙奈江が笑う。
会場の和室に通された。集まった参加者は二十人程で、大半が中年から高齢者だ。まだお酒が並べられていないのにも関わらず、すでに賑わっていた。座敷には連結された長テーブルが並べられている。
「お、颯太、こっちこっちー」名前を呼んだのは一つ年上の男、古賀京介だ。端の方に座っていた。彼とは学生時代、あまり関わりはなかったが、仕事を始めてから古賀の紹介で仲良くなったのだ。
「京介先輩、お疲れ様です」会釈をし、彼の隣に腰を下ろす。
「おう、颯太もお疲れ様。ばあちゃん来てた?」
「はい。来てましたよ。飲み過ぎないように見といてくれって言われました」
「そっか。ばあちゃんと俺といい、迷惑かけるねぇ」京介は頭を掻いて笑う。彼は弁当屋を継がずに島内の会社に就職をしたが、繁忙期には駆り出されることもあるらしい。
颯太はすかさず、レジ袋から大福を取り出した。会社で渡したので、残りは三個となっていた。
「なんだよこれ」京介が大福のように目を丸くする。
「お客さんから、もらったんです」
「そっか。いいお客さんに、恵まれてるんだな」京介は目を細めた後で苦笑する。「にしても酒のつまみに大福はないだろう」
「空きっ腹にお酒入れるのも危ないですし、今食べましょう」さあ、と颯太は容器を突き出した。悦子から学んだのだ。人は押しに弱いということを。
「わかったわかった」案の定、京介が大福を受け取ったので、颯太も食べることにした。「美味しい」と互いにしみじみと呟く。
チキンやフライドポテトなどが乗ったオードブル、ビールなどが従業員達の手によって並べられていく。厨房を行ったり来たりで忙しなかった。そのうちの一人が由梨であることに気づく。忙しいため、駆り出されたのだろう。彼女は沙奈江の娘で確か、二つ上の姉がいたはずだ。
おおっ、と歓声が上がる。その方向に目を向けると、髪をオールバックに撫で付けた男性が辺りを見渡していた。五十代くらいだろうか。高級そうな腕時計と上質なスーツが様になっていた。「では、みなさん、お手元にジョッキは並びましたでしょうか?」と彼は前口上を述べ始める。
「武藤さんの話が始まったな」京介は早くお酒を飲みたい、と言わんばかりの表情だ。颯太はお預けを食らっている犬を思い浮かべた。
話を聞いているうちに「ああ」、と颯太は思い出した。武藤の家は代々で酒蔵を営んでいるのだ。自宅は和風の大きな外壁に囲まれており、それだけで裕福な家庭だということを周囲に誇示していた。小学生の頃に家の前を通った覚えがある。当時、一緒にいた卓人は「すっげえ。でっけえ家」と感嘆の声を上げていた。
武藤が主催の飲み会は定期的に行われている。京介からはその度に誘われていたが、颯太は休みが合わずに参加ができなかったのだ。土日休みの人と都合を合わせづらいのは接客業の宿命である。
前口上が終わり、「それでは乾杯」と武藤がジョッキを持ち上げる。周りの人たちに遅れて、颯太もジョッキを持ち上げた。
久しぶりの酒の席だからなのか、ビールを三杯飲んだ辺りで酔いが回ってきていた。全身が、言葉にできない全能感のようなものに包まれる。
武藤の隣には颯太とあまり歳の変わらなそうな女性がお酒を注いで回っていた。「あの人は武藤さんの愛人?」
「バカ、お前何言ってんだ」京介から頭を軽く叩かれ、何も考えずに浮かんだことを口に出していたことに気づく。『口は災いの元』という小野田からの言葉を思い出す。彼は咽せ、呼吸を整えてから話し始める。「あの人は愛菜さん。武藤さんの娘だよ」
「そ、そうでしたか」酔いが回っていたとはいえ、突飛なことを口にしてしまった、と颯太は下を向く。
「まったく」京介は呆れ顔でため息をつく。
「京介先輩は知り合いなんですか?」
京介はジョッキに残ったビールを飲み干した後で「同じ部落だったからね。武雄さんにはガキの頃にお世話になったよ。愛菜さんは俺の二歳年上だ」と答えた。
つまり颯太と彼女は三歳差ということだ。錆びた歯車のようにぎこちない脳みそを働かせて計算をする。
京介は悪戯を思いついた子供のような表情を浮かべた。「なんだ颯太?気になるのか?」
タチの悪い酔っ払いのようで辟易とするが颯太自身も同じようなものだった。もし、子供が近くを通りかかったら『酒臭いおじさん』と指を差されるだろう。『お兄さん』ではなく『おじさん』だ。
「そんなことないっすよ。ただ、どんな人なのか気になっただけです」
「気になってるじゃねえか。全く、しょうがねえな」と彼は席を立ち、当の愛菜を連れてきたのだ。唐突な展開に颯太だけでなく、彼女も戸惑っている様子である。
颯太の隣に愛菜が、向かいに京介というかたちになる。
「さあ、貴重な若者同士飲もうぜ」乾杯、と京介がジョッキを掲げ、三つのグラスが軽い音を立てた。
「だからさあ、俺は言ってやったんだよ」と京介は管を巻く。『酒臭いおじさん』から『泥酔おじさん』に進化した、と颯太は思った。呂律が回っていない。古賀の言葉を思い出し、「飲み過ぎですよ」と指摘したが聞く耳を持たなかった。
「京介君、その辺にしときなさい」ぴしゃりと愛菜が言うと、京介は「うっす」と頷く。聞き分けの良い子供のように、水をちびちびと飲み始めている。
「全く。お酒のペースくらい自分で制御しなさいよ」愛菜は呆れた表情だが、口元は緩んでいる。
姉と弟のような二人の掛け合いに、颯太は笑ってしまう。「そういえば京介先輩から聞いたんですけど、二人は部落が一緒だったんですよね」
愛菜は「そうだよー」と軽快な返事をし、話し始めた。家が近所で、幼い頃から部落の集まりで顔を合わせていたらしい。夏休みのラジオ体操で寝坊する京介を、何度も叩き起こしたとのことだ。
「そんなに家が近いんですか?」と聞くと「目と鼻の先ってやつだよ」と笑っていた。
「低学年の頃は小さくて可愛かったのになー。『愛菜お姉ちゃん』ってひっついてきたんだから」
「ちょっと愛菜さん、いつの話をしてんすか」京介がへらへらと入り込んでくる。「やめてくださいよー。先輩としての威厳がなくなるじゃないですか」
「あんたの黄金時代の話をしてたし、先輩の威厳はもう既にないわよ」
「俺の黄金時代、小学校低学年で終わりっすか」酷いっすよー、と京介が気を落とすので、颯太はすかさずフォローを入れた。
「そんなことないですよ。いつも俺のことを気にかけてくれて、相談にも乗ってくれる、いい先輩ですよ」
「やっさしいー」と愛菜が笑う。「颯太ー!」と京介はテーブル越しに身を乗り出してきたので慌てて押し止める。颯太は口にしたばかりの言葉を撤回したくなった。
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「いえいえ、こちらこそ」颯太も頭を下げる。「今日はお世話になります」
「お気遣いなく。沢山飲んで仕事のストレスを発散していってくださいな」沙奈江が笑う。
会場の和室に通された。集まった参加者は二十人程で、大半が中年から高齢者だ。まだお酒が並べられていないのにも関わらず、すでに賑わっていた。座敷には連結された長テーブルが並べられている。
「お、颯太、こっちこっちー」名前を呼んだのは一つ年上の男、古賀|京介《きょうすけ》だ。端の方に座っていた。彼とは学生時代、あまり関わりはなかったが、仕事を始めてから古賀の紹介で仲良くなったのだ。
「京介先輩、お疲れ様です」会釈をし、彼の隣に腰を下ろす。
「おう、颯太もお疲れ様。ばあちゃん来てた?」
「はい。来てましたよ。飲み過ぎないように見といてくれって言われました」
「そっか。ばあちゃんと俺といい、迷惑かけるねぇ」京介は頭を掻いて笑う。彼は弁当屋を継がずに島内の会社に就職をしたが、繁忙期には駆り出されることもあるらしい。
颯太はすかさず、レジ袋から大福を取り出した。会社で渡したので、残りは三個となっていた。
「なんだよこれ」京介が大福のように目を丸くする。
「お客さんから、もらったんです」
「そっか。いいお客さんに、恵まれてるんだな」京介は目を細めた後で苦笑する。「にしても酒のつまみに大福はないだろう」
「空きっ腹にお酒入れるのも危ないですし、今食べましょう」さあ、と颯太は容器を突き出した。悦子から学んだのだ。人は押しに弱いということを。
「わかったわかった」案の定、京介が大福を受け取ったので、颯太も食べることにした。「美味しい」と互いにしみじみと呟く。
チキンやフライドポテトなどが乗ったオードブル、ビールなどが従業員達の手によって並べられていく。厨房を行ったり来たりで|忙《せわ》しなかった。そのうちの一人が由梨であることに気づく。忙しいため、駆り出されたのだろう。彼女は沙奈江の娘で確か、二つ上の姉がいたはずだ。
おおっ、と歓声が上がる。その方向に目を向けると、髪をオールバックに撫で付けた男性が辺りを見渡していた。五十代くらいだろうか。高級そうな腕時計と上質なスーツが様になっていた。「では、みなさん、お手元にジョッキは並びましたでしょうか?」と彼は前口上を述べ始める。
「武藤さんの話が始まったな」京介は早くお酒を飲みたい、と言わんばかりの表情だ。颯太はお預けを食らっている犬を思い浮かべた。
話を聞いているうちに「ああ」、と颯太は思い出した。武藤の家は代々で酒蔵を営んでいるのだ。自宅は和風の大きな外壁に囲まれており、それだけで裕福な家庭だということを周囲に誇示していた。小学生の頃に家の前を通った覚えがある。当時、一緒にいた卓人は「すっげえ。でっけえ家」と感嘆の声を上げていた。
武藤が主催の飲み会は定期的に行われている。京介からはその度に誘われていたが、颯太は休みが合わずに参加ができなかったのだ。土日休みの人と都合を合わせづらいのは接客業の宿命である。
前口上が終わり、「それでは乾杯」と武藤がジョッキを持ち上げる。周りの人たちに遅れて、颯太もジョッキを持ち上げた。
久しぶりの酒の席だからなのか、ビールを三杯飲んだ辺りで酔いが回ってきていた。全身が、言葉にできない全能感のようなものに包まれる。
武藤の隣には颯太とあまり歳の変わらなそうな女性がお酒を注いで回っていた。「あの人は武藤さんの愛人?」
「バカ、お前何言ってんだ」京介から頭を軽く叩かれ、何も考えずに浮かんだことを口に出していたことに気づく。『口は災いの元』という小野田からの言葉を思い出す。彼は咽せ、呼吸を整えてから話し始める。「あの人は|愛菜《あいな》さん。武藤さんの娘だよ」
「そ、そうでしたか」酔いが回っていたとはいえ、突飛なことを口にしてしまった、と颯太は下を向く。
「まったく」京介は呆れ顔でため息をつく。
「京介先輩は知り合いなんですか?」
京介はジョッキに残ったビールを飲み干した後で「同じ部落だったからね。武雄さんにはガキの頃にお世話になったよ。愛菜さんは俺の二歳年上だ」と答えた。
つまり颯太と彼女は三歳差ということだ。錆びた歯車のようにぎこちない脳みそを働かせて計算をする。
京介は|悪戯《いたずら》を思いついた子供のような表情を浮かべた。「なんだ颯太?気になるのか?」
タチの悪い酔っ払いのようで辟易とするが颯太自身も同じようなものだった。もし、子供が近くを通りかかったら『酒臭いおじさん』と指を差されるだろう。『お兄さん』ではなく『おじさん』だ。
「そんなことないっすよ。ただ、どんな人なのか気になっただけです」
「気になってるじゃねえか。全く、しょうがねえな」と彼は席を立ち、当の愛菜を連れてきたのだ。唐突な展開に颯太だけでなく、彼女も戸惑っている様子である。
颯太の隣に愛菜が、向かいに京介というかたちになる。
「さあ、貴重な若者同士飲もうぜ」乾杯、と京介がジョッキを掲げ、三つのグラスが軽い音を立てた。
「だからさあ、俺は言ってやったんだよ」と京介は|管《くだ》を巻く。『酒臭いおじさん』から『泥酔おじさん』に進化した、と颯太は思った。呂律が回っていない。古賀の言葉を思い出し、「飲み過ぎですよ」と指摘したが聞く耳を持たなかった。
「京介君、その辺にしときなさい」ぴしゃりと愛菜が言うと、京介は「うっす」と頷く。聞き分けの良い子供のように、水をちびちびと飲み始めている。
「全く。お酒のペースくらい自分で制御しなさいよ」愛菜は呆れた表情だが、口元は緩んでいる。
姉と弟のような二人の掛け合いに、颯太は笑ってしまう。「そういえば京介先輩から聞いたんですけど、二人は部落が一緒だったんですよね」
愛菜は「そうだよー」と軽快な返事をし、話し始めた。家が近所で、幼い頃から部落の集まりで顔を合わせていたらしい。夏休みのラジオ体操で寝坊する京介を、何度も叩き起こしたとのことだ。
「そんなに家が近いんですか?」と聞くと「目と鼻の先ってやつだよ」と笑っていた。
「低学年の頃は小さくて可愛かったのになー。『愛菜お姉ちゃん』ってひっついてきたんだから」
「ちょっと愛菜さん、いつの話をしてんすか」京介がへらへらと入り込んでくる。「やめてくださいよー。先輩としての威厳がなくなるじゃないですか」
「あんたの黄金時代の話をしてたし、先輩の威厳はもう既にないわよ」
「俺の黄金時代、小学校低学年で終わりっすか」酷いっすよー、と京介が気を落とすので、颯太はすかさずフォローを入れた。
「そんなことないですよ。いつも俺のことを気にかけてくれて、相談にも乗ってくれる、いい先輩ですよ」
「やっさしいー」と愛菜が笑う。「颯太ー!」と京介はテーブル越しに身を乗り出してきたので慌てて押し|止《とど》める。颯太は口にしたばかりの言葉を撤回したくなった。