一章 進路 7
ー/ー
『彩』に着くと、ハルトの両親が入り口で待っていた。隣にいる歩美と奈々が手を振っている。ハルトは両親の姿に気づくと一目散に駆け寄って抱きついた。その光景を見て、江梨は胸を撫で下ろす。胸の中はぽかぽかとした感情が、腕はぱんぱんに張っていた。
「ハルトを連れてきてくれて、ありがとうございます」ハルトの両親は声を合わせて頭を下げた。いえいえ、とんでもないです、と江梨は謙遜をする。
「お姉ちゃん達がね、ハルトを助けてくれたんだよ」ハルトは母親の服の裾を掴んでいる。
「ハルト君は泣かないでお母さん達を探してたんだから。強い子だよ」歩美が頭を撫でようとするとハルトは母親の背中に隠れてしまう。
「ごめんねえ、この子人見知りで」母親が背中を押す。ハルトは照れくさそうに前に出るかたちになる。両肩に、母親の手が置かれていた。
「いやあ、昔から子供には怖がられやすいんですよ」ほら身長が高くて、と歩美は頭を掻く。
「ぼく、強いかなあ」
「泣かなかったんだもん。強いよ」歩美はしゃがみ込み、ハルトの頭を撫でる。「偉い偉い」
「お姉ちゃんも『探してくるよ』って言ったのかっこよかったよ」精一杯の気持ちで伝えたのだろう。その目は真っ直ぐに歩美を捉えていた。その後に続く声は小さかったが。「最初は、怖かったけど」
子供は正直なのだ。奈々と一緒に噴き出してしまう。両親はコラ!と嗜める。「怖かったかー」と歩美は気にせずに笑っている。
「ねえ、ハルト君、江梨お姉ちゃんは優しかった?」と奈々。
「うん!」にんまりと微笑んだ。「江梨お姉ちゃん、ありがとう!」
掛け値なしの真っ直ぐな言葉に、全身がどくん、と脈打つのを感じた。嬉しくて、少しだけ、泣きそうになってしまう。それこそ、爽やかな風が吹いてきた気分だった。見えない何かが、込み上げてくる。
「江梨お姉ちゃんまたね」ハルトが掌を向けてきた。「タッチ」
江梨は遅れてハイタッチと気づく。「うん。またね」手と手が当たり、乾いた大きな音を立てる。掌が熱を帯び、いつまでもじんじんと痛んでいた。
「ちょっと先まで送ってよ」歩美が言う。その言葉は大抵、守られることはない。徐々に距離を伸ばされ、気がつくと相手の家の前まで来ているのだ。江梨はハルトと別れた時点で家に帰ることもできたが、手伝ってくれた手前、送ることにしたのだ。
「江梨は昔から、子供に好かれるよねえ」奈々が感心するように呟く。日が沈み、二人の自転車のライトが道の先を照らしていた。
「そんなことないって」江梨は頭を振った。「たまたまだよ」
「でもハルト君のお母さんは、人見知りだって言ってたよ」歩美が入り込む。教え諭すように続ける。「私はさ、多くの人に好かれる人間じゃないからわかるんだ」
「歩美?どうしたの、急に?」江梨はおどける。「そんなことないって」
「そんなことあるの。わざわざ一人で島に住み始めるんだもん。合わない人はとことん合わないよ」がしがしと頭を掻く。「癖が強いんだよ」
話の方向性が見えず、言葉を発することができなかった。戸惑っている江梨をよそに、歩美は続ける。
「で、だ。だからこそ分かるんだ。江梨は子供と関わる仕事が向いてるって。あんたにしかできないことだよ」
「別に、私だけじゃないよ」江梨は反論する。「ハルト君だって歩美のこと怖がってたけど、最初だけだったじゃん」
「あれは江梨がハルト君と仲良くしてたのと、両親に会えた安心感があったからだよ」歩美が苦笑する。「第一印象で子供の懐に入るのはそう簡単にできないんだって。私一人だったら、中々警戒を解いてくれなかっただろうね」
「なんなの?一体」江梨は引き攣った笑いを浮かべてしまう。
「二人で話してたの」と奈々。「ハルト君が江梨に懐いていたら伝えようって。予想以上だったよ。繋いだ手をブンブン振り回しながら歩いてくるんだもん」
「話すって何を?」
「江梨の進路についてだよ」歩美が答える。「さっきも言ったけどね、向いてるんだって。子供と関わるのが」
「島の外に行きたいんでしょう?」だったら、と奈々が続ける。「子供関係の勉強や資格が取れる学校に進学すればいいんじゃない」
「ちょ、ちょっと待ってよ」二人の間で話が進んでおり、江梨は困惑してしまう。「そりゃ、子供好きだけどさ、でも、『彩』のこともあるし」彼女らの言う通り、子供は好きだ。ハルトから元気いっぱいの感謝を伝えられ、それは確信に変わった。同時に、仕事中に倒れた母の姿を思い出す。
「さっきね」と奈々。「江梨のお母さんが言ってたよ。『家のことは気にせずに、好きなことを学んで欲しい』って。周りの人もそう伝えてるのに、江梨は何をそこまで迷っているの?」
両親、祖母、由梨、担任の竹浦。何人もの言葉が、頭の中に渦巻いていた。「もう、うるさいなあ」江梨は口走ってしまう。一度進んだ電車のように、言葉が止まらなかった。
「奈々はカメラっていう夢中になれるものがあるじゃん。歩美には自分一人でも生きていける強い芯がある」江梨は頭を抑え、しゃがみ込む。「私には何もないんだよ」
「だから、江梨は子供に好かれてるじゃん。優しいじゃん。それに芯があるってわがままなだけ——」
江梨は歩美の言葉を遮った。「優しさなんて一時的なものだよ。意味ないんだって。そんなもの誰にでもあるじゃん。それに、すぐに忘れるよ。歩美は行動してる。結果も出してる。私は、空っぽなんだよ」真面目で優しい、そのような評価など、苦し紛れの無難な回答に過ぎないのだ。そんなもの、誰にでも当てはまる、江梨はそう思っていた。周囲を照らす、街灯の灯りが憎たらしかった。「どうせ外に出たって、失敗するだけだって」
外に憧れ、心を弾ませていたのも事実だが、本当は、失敗することが怖かったのだ。母が倒れたのをきっかけに江梨の中で責任感が芽生えたのも事実だが、いつの間にか継ぐことを大義名分に利用していたのである。妥協だ。祖母の問いも、それを見抜いていたのだろう。
一息に喋ったので、息が上がっていた。心拍数が上がっているのを感じる。伏せているので見えないが、歩美はオロオロと言葉をかけられないでいるのだろう。荒んだ心に反してさざなみが、やけに穏やかに聞こえていた。
ふふっ、と奈々が噴き出したので江梨は反射的に顔を上げてしまう。「何がおかしいの」
「だってさ」奈々は目尻の涙を拭っている。「怒ってるはずなのに、どうして私達を褒めてるの?」
奈々の背後には、等間隔で暗闇と灯りが続いていた。「どうして私がカメラを始めたと思う?それはね、山からの景色を眺めたあの日、江梨が褒めてくれたからなんだよ。『素敵だね。教えてくれてありがとう』って」しゃがみ込み、奈々と同じ目線になる。
「色んな人に景色を見せたい。そう思ったからカメラを始めたの。歩美と仲良くなれたのも江梨のお陰。そうじゃなかったら歩美とはただの観光客と島の人の関係で終わっていたかもしれないのよ」
仮に、と奈々は歩美に目を向ける。「転校してきたとしてもあの子、黙ってると怖いよ。きっと、仲良くなるのに時間がかかったとと思う」
「怖くて悪かったね」歩美は顔を顰めながらも、声色は穏やかだった。「ねえ、江梨、私わかったんだ」
「何が?」
「この島には海があって山があって、満天の星空がある」歩美は両手を、目一杯広げている。「江梨は『この島に何にもない』なんて言うけど、なんでもあるじゃん。当たり前に見える景色でも、私からすれば当たり前じゃないんだよ」
初めて会ったあの日、歩美が『なんでもあるけど、何にもない』と言っていたのを思い出す。見上げると、雲ひとつない夜空に星が宝石のように散りばめられていた。
「同じようにさ、この島にいたからこそ、江梨にしか見つけられないものが島の外にあると思うんだ」だから、と歩美は手を差し伸べてくる。「私に教えてよ。外の魅力ってやつをさ」
「撮影スポット、見つけておいてね。撮りに行くから」立ち上がった奈々も同じように手を伸ばす。
江梨は二人の手を掴み、ぐぐっと立ち上がった。
「どう?すっきりした?」奈々が聞いてくる。
うん、と江梨は鼻を啜り、涙を拭う。
「酷い顔だ」と歩美が笑う。「だから相談してって言ったじゃん」
「で、どうするの?」と奈々。
「私、島の外に行くよ」江梨は迷いなく、即答した。
思い出というものは、時間が経つごとに色褪せて曖昧模糊とした記憶になっていく。幼少期ともなれば尚更だ。
恐らく、幼稚園の頃だったと思う。それこそ、ハルトと同じような年齢だ。当時は今と違い、商店街には家族連れや高齢者など、様々な世代が入り混じっており、寂れてはいなかった。今はシャッターを下ろした店も少なくない。江梨は商店街で両親と逸れてしまったのだ。
その人はしゃがみ込み、江梨の目線に合わせて声をかけてくれた。声も顔も思い出せないが、手を引かれてソフトクリームを食べたのは覚えている。涙が混じった塩辛いソフトクリーム。その味は、今でも忘れられなかった。
両親が江梨を見つけると、血相を変えて駆け寄り、その人に頭を下げた。母の腕にはまだ赤ちゃんの由梨が抱えられていた。
幼少期の思い出を振り返ると、人は誰かの優しさによって守られていたのだな、と江梨は認識する。その人が助けてくれたからこそ、ハルトに声をかけることができたのだ。一人で彷徨う不安、寂しさを知っていたからである。
進路について、明日は図書館で調べてみよう。江梨はそう思い立つ。湧き上がる気持ちを抑え、冷静になる。その前に、やらなければならないことがあるからだ。帰宅した江梨は居間にいる母に声をかける。
「ねえ、母さん。話があるんだけど」
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「ハルトを連れてきてくれて、ありがとうございます」ハルトの両親は声を合わせて頭を下げた。いえいえ、とんでもないです、と江梨は謙遜をする。
「お姉ちゃん達がね、ハルトを助けてくれたんだよ」ハルトは母親の服の裾を掴んでいる。
「ハルト君は泣かないでお母さん達を探してたんだから。強い子だよ」歩美が頭を撫でようとするとハルトは母親の背中に隠れてしまう。
「ごめんねえ、この子人見知りで」母親が背中を押す。ハルトは照れくさそうに前に出るかたちになる。両肩に、母親の手が置かれていた。
「いやあ、昔から子供には怖がられやすいんですよ」ほら身長が高くて、と歩美は頭を掻く。
「ぼく、強いかなあ」
「泣かなかったんだもん。強いよ」歩美はしゃがみ込み、ハルトの頭を撫でる。「偉い偉い」
「お姉ちゃんも『探してくるよ』って言ったのかっこよかったよ」精一杯の気持ちで伝えたのだろう。その目は真っ直ぐに歩美を捉えていた。その後に続く声は小さかったが。「最初は、怖かったけど」
子供は正直なのだ。奈々と一緒に噴き出してしまう。両親はコラ!と嗜める。「怖かったかー」と歩美は気にせずに笑っている。
「ねえ、ハルト君、江梨お姉ちゃんは優しかった?」と奈々。
「うん!」にんまりと微笑んだ。「江梨お姉ちゃん、ありがとう!」
掛け値なしの真っ直ぐな言葉に、全身がどくん、と脈打つのを感じた。嬉しくて、少しだけ、泣きそうになってしまう。それこそ、爽やかな風が吹いてきた気分だった。見えない何かが、込み上げてくる。
「江梨お姉ちゃんまたね」ハルトが掌を向けてきた。「タッチ」
江梨は遅れてハイタッチと気づく。「うん。またね」手と手が当たり、乾いた大きな音を立てる。掌が熱を帯び、いつまでもじんじんと痛んでいた。
「ちょっと先まで送ってよ」歩美が言う。その言葉は大抵、守られることはない。徐々に距離を伸ばされ、気がつくと相手の家の前まで来ているのだ。江梨はハルトと別れた時点で家に帰ることもできたが、手伝ってくれた手前、送ることにしたのだ。
「江梨は昔から、子供に好かれるよねえ」奈々が感心するように呟く。日が沈み、二人の自転車のライトが道の先を照らしていた。
「そんなことないって」江梨は|頭《かぶり》を振った。「たまたまだよ」
「でもハルト君のお母さんは、人見知りだって言ってたよ」歩美が入り込む。教え諭すように続ける。「私はさ、多くの人に好かれる人間じゃないからわかるんだ」
「歩美?どうしたの、急に?」江梨はおどける。「そんなことないって」
「そんなことあるの。わざわざ一人で島に住み始めるんだもん。合わない人はとことん合わないよ」がしがしと頭を掻く。「癖が強いんだよ」
話の方向性が見えず、言葉を発することができなかった。戸惑っている江梨をよそに、歩美は続ける。
「で、だ。だからこそ分かるんだ。江梨は子供と関わる仕事が向いてるって。あんたにしかできないことだよ」
「別に、私だけじゃないよ」江梨は反論する。「ハルト君だって歩美のこと怖がってたけど、最初だけだったじゃん」
「あれは江梨がハルト君と仲良くしてたのと、両親に会えた安心感があったからだよ」歩美が苦笑する。「第一印象で子供の懐に入るのはそう簡単にできないんだって。私一人だったら、中々警戒を解いてくれなかっただろうね」
「なんなの?一体」江梨は引き攣った笑いを浮かべてしまう。
「二人で話してたの」と奈々。「ハルト君が江梨に懐いていたら伝えようって。予想以上だったよ。繋いだ手をブンブン振り回しながら歩いてくるんだもん」
「話すって何を?」
「江梨の進路についてだよ」歩美が答える。「さっきも言ったけどね、向いてるんだって。子供と関わるのが」
「島の外に行きたいんでしょう?」だったら、と奈々が続ける。「子供関係の勉強や資格が取れる学校に進学すればいいんじゃない」
「ちょ、ちょっと待ってよ」二人の間で話が進んでおり、江梨は困惑してしまう。「そりゃ、子供好きだけどさ、でも、『彩』のこともあるし」彼女らの言う通り、子供は好きだ。ハルトから元気いっぱいの感謝を伝えられ、それは確信に変わった。同時に、仕事中に倒れた母の姿を思い出す。
「さっきね」と奈々。「江梨のお母さんが言ってたよ。『家のことは気にせずに、好きなことを学んで欲しい』って。周りの人もそう伝えてるのに、江梨は何をそこまで迷っているの?」
両親、祖母、由梨、担任の竹浦。何人もの言葉が、頭の中に渦巻いていた。「もう、うるさいなあ」江梨は口走ってしまう。一度進んだ電車のように、言葉が止まらなかった。
「奈々はカメラっていう夢中になれるものがあるじゃん。歩美には自分一人でも生きていける強い芯がある」江梨は頭を抑え、しゃがみ込む。「私には何もないんだよ」
「だから、江梨は子供に好かれてるじゃん。優しいじゃん。それに芯があるってわがままなだけ——」
江梨は歩美の言葉を遮った。「優しさなんて一時的なものだよ。意味ないんだって。そんなもの誰にでもあるじゃん。それに、すぐに忘れるよ。歩美は行動してる。結果も出してる。私は、空っぽなんだよ」真面目で優しい、そのような評価など、苦し紛れの無難な回答に過ぎないのだ。そんなもの、誰にでも当てはまる、江梨はそう思っていた。周囲を照らす、街灯の灯りが憎たらしかった。「どうせ外に出たって、失敗するだけだって」
外に憧れ、心を弾ませていたのも事実だが、本当は、失敗することが怖かったのだ。母が倒れたのをきっかけに江梨の中で責任感が芽生えたのも事実だが、いつの間にか継ぐことを大義名分に利用していたのである。妥協だ。祖母の問いも、それを見抜いていたのだろう。
一息に喋ったので、息が上がっていた。心拍数が上がっているのを感じる。伏せているので見えないが、歩美はオロオロと言葉をかけられないでいるのだろう。|荒《すさ》んだ心に反してさざなみが、やけに穏やかに聞こえていた。
ふふっ、と奈々が噴き出したので江梨は反射的に顔を上げてしまう。「何がおかしいの」
「だってさ」奈々は目尻の涙を拭っている。「怒ってるはずなのに、どうして私達を褒めてるの?」
奈々の背後には、等間隔で暗闇と灯りが続いていた。「どうして私がカメラを始めたと思う?それはね、山からの景色を眺めたあの日、江梨が褒めてくれたからなんだよ。『素敵だね。教えてくれてありがとう』って」しゃがみ込み、奈々と同じ目線になる。
「色んな人に景色を見せたい。そう思ったからカメラを始めたの。歩美と仲良くなれたのも江梨のお陰。そうじゃなかったら歩美とはただの観光客と島の人の関係で終わっていたかもしれないのよ」
仮に、と奈々は歩美に目を向ける。「転校してきたとしてもあの子、黙ってると怖いよ。きっと、仲良くなるのに時間がかかったとと思う」
「怖くて悪かったね」歩美は顔を|顰《しか》めながらも、声色は穏やかだった。「ねえ、江梨、私わかったんだ」
「何が?」
「この島には海があって山があって、満天の星空がある」歩美は両手を、目一杯広げている。「江梨は『この島に何にもない』なんて言うけど、なんでもあるじゃん。当たり前に見える景色でも、私からすれば当たり前じゃないんだよ」
初めて会ったあの日、歩美が『なんでもあるけど、何にもない』と言っていたのを思い出す。見上げると、雲ひとつない夜空に星が宝石のように散りばめられていた。
「同じようにさ、この島にいたからこそ、江梨にしか見つけられないものが島の外にあると思うんだ」だから、と歩美は手を差し伸べてくる。「私に教えてよ。外の魅力ってやつをさ」
「撮影スポット、見つけておいてね。撮りに行くから」立ち上がった奈々も同じように手を伸ばす。
江梨は二人の手を掴み、ぐぐっと立ち上がった。
「どう?すっきりした?」奈々が聞いてくる。
うん、と江梨は鼻を啜り、涙を拭う。
「酷い顔だ」と歩美が笑う。「だから相談してって言ったじゃん」
「で、どうするの?」と奈々。
「私、島の外に行くよ」江梨は迷いなく、即答した。
思い出というものは、時間が経つごとに色褪せて曖昧模糊とした記憶になっていく。幼少期ともなれば尚更だ。
恐らく、幼稚園の頃だったと思う。それこそ、ハルトと同じような年齢だ。当時は今と違い、商店街には家族連れや高齢者など、様々な世代が入り混じっており、|寂《さび》れてはいなかった。今はシャッターを下ろした店も少なくない。江梨は商店街で両親と|逸《はぐ》れてしまったのだ。
その人はしゃがみ込み、江梨の目線に合わせて声をかけてくれた。声も顔も思い出せないが、手を引かれてソフトクリームを食べたのは覚えている。涙が混じった塩辛いソフトクリーム。その味は、今でも忘れられなかった。
両親が江梨を見つけると、血相を変えて駆け寄り、その人に頭を下げた。母の腕にはまだ赤ちゃんの由梨が抱えられていた。
幼少期の思い出を振り返ると、人は誰かの優しさによって守られていたのだな、と江梨は認識する。その人が助けてくれたからこそ、ハルトに声をかけることができたのだ。一人で|彷徨《さまよ》う不安、寂しさを知っていたからである。
進路について、明日は図書館で調べてみよう。江梨はそう思い立つ。湧き上がる気持ちを抑え、冷静になる。その前に、やらなければならないことがあるからだ。帰宅した江梨は居間にいる母に声をかける。
「ねえ、母さん。話があるんだけど」