一章 進路 6
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「まさかあの時の女の子が歩美だったとはねえ」奈々は自転車を引きながら頷いている。話しているうちに出会った時の海岸に辿り着いていた。
歩美と出会った日から五年が経つ。当然、自身や周囲での変化はあるが、この砂浜と海は変わらずにそこに在るのだ。静かに見守ってくれている。江梨は海岸に来る度にそう感じていた。「あの頃はワンピース姿だったからね。成長してるし、制服だからさ、全然気づかなかったよ」
「私だってびっくりしたよ。二人が同い年とは思ってなかったもん」
「家族で移住したのかと思ったら、歩美一人だしさ。すごい行動力だよ」奈々が笑っている。
「説得するのに苦労したよ」当時を思い出したのだろう。歩美はげっそりとした表情を浮かべていた。奈々が『好き、楽しい』という感情を全身から発散させているとすれば、歩美は我を通した人間特有のエネルギッシュさが全身から満ち溢れていた。江梨は考える。島の外に出たら、歩美のようになれるだろうか、と。
「あれ?どうしたんだろ、あの子」奈々が声を上げた。数メートル先にぽつん、と男の子が所在なさげに辺りを見渡していた。恐らく、島の子供ではないだろう。加えて今日は金曜日だ。週末に遊びに来た家族連れ、と江梨は見当をつける。駆け寄り、男の子と目線を合わせるためにしゃがみ込む。
男の子は泣き叫ぶのではなく、ひっくひっくと、しゃくりあげていた。泣くもんか、と我慢するように気丈に振舞っていた。山中で迷い、泣いていた幼い頃の奈々を思い出す。「どうしたの?お父さんとお母さんは?」
「い……いなくなった」途切れ途切れの辿々しい言葉で、男の子は話してくれた。どうやら両親が宿泊施設でチェックインをしている際に、逸れてしまったらしい。
「そっかあ。話してくれてありがとう」江梨の中で宿泊施設は絞り込まれていた。『彩』である。男の子が浜辺から移動できる範囲を考慮し、見当をつけたのだ。
「大丈夫だよ。お姉ちゃん達がパパとママのところへ連れて行くからね」ゆっくりと、緊張をほぐすような気持ちで江梨は伝えた。見知らぬ場所でひとりぼっちで彷徨うのは不安で仕方なかったのだろう。男の子は堰を切ったように泣き始めた。
「私達がひとっ走り、行ってこようか?」歩美と奈々が自転車に跨った。驚いたのか、男の子は江梨の後ろに隠れてしまう。
「うん、お願い。この子の両親が探していないか聞いてきて欲しい」江梨はそこではたと気づく。「ええと、お姉ちゃんは江梨って言うの。君のお名前は?」
「ハルト、五歳」答えながらハルトは、ぎゅっと力強く江梨の手を握ってくる。直に伝わる体温に、ぐっと責任感が強くなるのを感じた。
「ハルト君。いいお名前だねえ」奈々は優しく微笑む。
ハルトと聞いて江梨は漢字を思い浮かべる。春人、春叶、晴翔。なんにせよ、親の願いが込められた名前なのだろう。大丈夫、大丈夫、と男の子の頭を撫でる。「お姉ちゃん達が探し行ってくれるから」
「任せといて」と歩美は胸を張る。奈々が「ちょっとだけ待っててね」とハルトに声をかけた。二人は自転車を走らせて行く。江梨は残されたハルトと『彩』へ向かうことにした。
「あのね、幼稚園でね」ハルトは安心したからなのか、ぽつりぽつりと話し始めた。「トウヤ君は強いんだよ」
「強いの?」
「だってね、転んでも泣かないんだよ」いつの間にかハルトは反対の手に、木の枝が握られていた。それを勇ましく、振り回す。
「そうなんだ。トウヤ君は強いんだねえ」江梨は思わず、噴き出しそうになってしまう。強さの基準が腕っ節ではなく、泣かないことなのか、と。そこで気づく。泣くのを我慢していたのはその『トウヤ君』に憧れていたからだろう。子供は子供なりにその世界で精一杯、生きているのだ。
「あ、シロクロだ」江梨は指を差す。道の端に白と黒の模様が入り混じった猫が座っていた。安直だが『シロクロ』と名前をつけて呼んでいるのだ。気づいたハルトも「にゃんにゃん!」と声を上げた。
この島は猫が多く、島民全員で面倒を見ているようなものだった。『島民が一丸となって世話をするぞ』と誰かが宣言したわけでもなく、可愛がっているうちに自然と、世話をするようになったらしい。猫達は『それが当然でしょ』と言わんばかりに我が物顔で、島中を練り歩いている。餌をあげたり、ブラッシングをしているため、毛並みも良かった。猫と触れ合うために観光に来る人もちらほらといるらしい。
「シロクロ、こっちこっち」と江梨は呼びかける。すると、のそのそと歩いてきた。その顔には仕方ないなあ、と書いてあるようで笑ってしまう。ハルトは江梨の後ろへ隠れている。
シロクロは頬を擦り寄せ、ゴロゴロと喉を鳴らす。そして背中を地面につけ、ころころと転がり始めた。
基本的に島の猫達は警戒心をもたないのだ。長い年月をかけて島民が、大切に世話をしてきたからだろう。歩美が島での生活を始めた時、擦り寄ってくる猫達に驚いていた。「全然逃げないじゃん、すごい!」と。
シロクロは触ってくれと言わんばかりにお腹を向け、横になっている。その太々しさが、憎めないのだ。
「怖くないよ」シロクロのお腹をぽんぽんと軽く叩いてみせる。ハルトが恐る恐る手を伸ばし、優しく撫でつけた。彼の腰は引けており、片方の手は江梨の膝を掴んでいる。
「可愛い」ハルトは安心したのか、両手でシロクロのお腹を撫で始めた。しばらくしてシロクロは飽きたのか、のそっと立ち上がり、道の先へ姿を消した。自由気ままである。「行っちゃったね」と江梨が立ちあがろうとすると、制服の裾を掴まれた。
「ねえ、遊んで」
「パパとママのところに行かなくていいの?」
「今はいいの」ハルトは声を上げ、もじもじと身体を揺らす。
「しょうがないなあ」ハルトの脇の下に手を入れて持ち上げる。『高い高い』だ。両腕にずしり、と重さがかかる。改めて、男の子なんだな、と江梨は実感した。
妹の由梨がハルトと同い年だった頃を振り返るが、彼ほどに重くはなかったはずだ。そのようなことを考えているとハルトが「もう一回!」とせがんでくる。
「えぇー」と江梨はあからさまに落胆して見せる。やってくれないの、と眉を下げるハルトに対し、すかさず脇の下に手を入れ「よいしょー」持ち上げた。驚きと嬉しさが入り混じった表情を見せ、ハルトは笑った。その笑顔は沈みゆく夕日と、反射する水面に負けず劣らず輝いている。江梨もつられて笑い、目を細めた。
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歩美と出会った日から五年が経つ。当然、自身や周囲での変化はあるが、この砂浜と海は変わらずにそこに在るのだ。静かに見守ってくれている。江梨は海岸に来る度にそう感じていた。「あの頃はワンピース姿だったからね。成長してるし、制服だからさ、全然気づかなかったよ」
「私だってびっくりしたよ。二人が同い年とは思ってなかったもん」
「家族で移住したのかと思ったら、歩美一人だしさ。すごい行動力だよ」奈々が笑っている。
「説得するのに苦労したよ」当時を思い出したのだろう。歩美はげっそりとした表情を浮かべていた。奈々が『好き、楽しい』という感情を全身から発散させているとすれば、歩美は我を通した人間特有のエネルギッシュさが全身から満ち溢れていた。江梨は考える。島の外に出たら、歩美のようになれるだろうか、と。
「あれ?どうしたんだろ、あの子」奈々が声を上げた。数メートル先にぽつん、と男の子が所在なさげに辺りを見渡していた。恐らく、島の子供ではないだろう。加えて今日は金曜日だ。週末に遊びに来た家族連れ、と江梨は見当をつける。駆け寄り、男の子と目線を合わせるためにしゃがみ込む。
男の子は泣き叫ぶのではなく、ひっくひっくと、しゃくりあげていた。泣くもんか、と我慢するように気丈に振舞っていた。山中で迷い、泣いていた幼い頃の奈々を思い出す。「どうしたの?お父さんとお母さんは?」
「い……いなくなった」途切れ途切れの辿々しい言葉で、男の子は話してくれた。どうやら両親が宿泊施設でチェックインをしている際に、逸れてしまったらしい。
「そっかあ。話してくれてありがとう」江梨の中で宿泊施設は絞り込まれていた。『彩』である。男の子が浜辺から移動できる範囲を考慮し、見当をつけたのだ。
「大丈夫だよ。お姉ちゃん達がパパとママのところへ連れて行くからね」ゆっくりと、緊張をほぐすような気持ちで江梨は伝えた。見知らぬ場所でひとりぼっちで|彷徨《さまよ》うのは不安で仕方なかったのだろう。男の子は|堰《せき》を切ったように泣き始めた。
「私達がひとっ走り、行ってこようか?」歩美と奈々が自転車に|跨《またが》った。驚いたのか、男の子は江梨の後ろに隠れてしまう。
「うん、お願い。この子の両親が探していないか聞いてきて欲しい」江梨はそこではたと気づく。「ええと、お姉ちゃんは江梨って言うの。|君《きみ》のお名前は?」
「ハルト、五歳」答えながらハルトは、ぎゅっと力強く江梨の手を握ってくる。直に伝わる体温に、ぐっと責任感が強くなるのを感じた。
「ハルト君。いいお名前だねえ」奈々は優しく微笑む。
ハルトと聞いて江梨は漢字を思い浮かべる。春人、春叶、晴翔。なんにせよ、親の願いが込められた名前なのだろう。大丈夫、大丈夫、と男の子の頭を撫でる。「お姉ちゃん達が探し行ってくれるから」
「任せといて」と歩美は胸を張る。奈々が「ちょっとだけ待っててね」とハルトに声をかけた。二人は自転車を走らせて行く。江梨は残されたハルトと『彩』へ向かうことにした。
「あのね、幼稚園でね」ハルトは安心したからなのか、ぽつりぽつりと話し始めた。「トウヤ君は強いんだよ」
「強いの?」
「だってね、転んでも泣かないんだよ」いつの間にかハルトは反対の手に、木の枝が握られていた。それを勇ましく、振り回す。
「そうなんだ。トウヤ君は強いんだねえ」江梨は思わず、噴き出しそうになってしまう。強さの基準が腕っ節ではなく、泣かないことなのか、と。そこで気づく。泣くのを我慢していたのはその『トウヤ君』に憧れていたからだろう。子供は子供なりにその世界で精一杯、生きているのだ。
「あ、シロクロだ」江梨は指を差す。道の端に白と黒の模様が入り混じった猫が座っていた。安直だが『シロクロ』と名前をつけて呼んでいるのだ。気づいたハルトも「にゃんにゃん!」と声を上げた。
この島は猫が多く、島民全員で面倒を見ているようなものだった。『島民が一丸となって世話をするぞ』と誰かが宣言したわけでもなく、可愛がっているうちに自然と、世話をするようになったらしい。猫達は『それが当然でしょ』と言わんばかりに我が物顔で、島中を練り歩いている。餌をあげたり、ブラッシングをしているため、毛並みも良かった。猫と触れ合うために観光に来る人もちらほらといるらしい。
「シロクロ、こっちこっち」と江梨は呼びかける。すると、のそのそと歩いてきた。その顔には仕方ないなあ、と書いてあるようで笑ってしまう。ハルトは江梨の後ろへ隠れている。
シロクロは頬を擦り寄せ、ゴロゴロと喉を鳴らす。そして背中を地面につけ、ころころと転がり始めた。
基本的に島の猫達は警戒心をもたないのだ。長い年月をかけて島民が、大切に世話をしてきたからだろう。歩美が島での生活を始めた時、擦り寄ってくる猫達に驚いていた。「全然逃げないじゃん、すごい!」と。
シロクロは触ってくれと言わんばかりにお腹を向け、横になっている。その|太々《ふてぶて》しさが、憎めないのだ。
「怖くないよ」シロクロのお腹をぽんぽんと軽く叩いてみせる。ハルトが恐る恐る手を伸ばし、優しく撫でつけた。彼の腰は引けており、片方の手は江梨の膝を掴んでいる。
「可愛い」ハルトは安心したのか、両手でシロクロのお腹を撫で始めた。しばらくしてシロクロは飽きたのか、のそっと立ち上がり、道の先へ姿を消した。自由気ままである。「行っちゃったね」と江梨が立ちあがろうとすると、制服の裾を掴まれた。
「ねえ、遊んで」
「パパとママのところに行かなくていいの?」
「今はいいの」ハルトは声を上げ、もじもじと身体を揺らす。
「しょうがないなあ」ハルトの脇の下に手を入れて持ち上げる。『高い高い』だ。両腕にずしり、と重さがかかる。改めて、男の子なんだな、と江梨は実感した。
妹の由梨がハルトと同い年だった頃を振り返るが、彼ほどに重くはなかったはずだ。そのようなことを考えているとハルトが「もう一回!」とせがんでくる。
「えぇー」と江梨はあからさまに落胆して見せる。やってくれないの、と眉を下げるハルトに対し、すかさず脇の下に手を入れ「よいしょー」持ち上げた。驚きと嬉しさが入り混じった表情を見せ、ハルトは笑った。その笑顔は沈みゆく夕日と、反射する水面に負けず劣らず輝いている。江梨もつられて笑い、目を細めた。