一章 進路 5
ー/ー
「よく教室を確認しないで、外から声をかけたね」
「江梨のお母さんとすれ違ったからだよ。びっくりしたよ。全力で自転車を漕いでるんだもん」歩美が答える。隣の奈々はくすくすと笑っていた。
「ああ、そういうこと」その姿は容易に想像ができた。
三人の中で江梨だけが徒歩だ。仕方なく二人には自転車を引いてもらっている。奈々の方へ目を向けるとその背後には夕日で照らされる海が見えた。きらきらと輝いている。
「面談はどうだったー?」奈々が聞いてくる。
「『唐辛子事件』について話したよ」
「なんでその話になるの?」奈々は戸惑ったように眉を顰める。「関係ないじゃんー」
「なんだか、昔の話になりまして」
「私の面談の時、絶対聞かれるじゃん」
「あの事件ね」歩美にも以前、話をしていたので知っている。「いいなあ。二人だけの共通する思い出があって」
「歩美にもあるじゃん」奈々が指を向ける。その先には砂浜があった。「初めて会った日のことだよ」
「あったねえ」歩美は砂浜を見て、懐かしそうに目を細めた。「私たち三人の思い出が」
白のワンピースと麦わら帽子。まるで物語の世界から飛び出したような少女と出会ったのは小学五年生の頃だった。江梨は当時を思い返す。
「うーん難しい」奈々はトボトボと歩きながら、隣に腰を下ろす。江梨は現像された写真を覗き込む。海を被写体にした写真で、地平線と青空、海が写っていた。
「何が難しいの?」
「明るさや角度によって印象が変わるの」奈々は現像された写真をアルバムにしまいこむ。「『これだ!』って思える最高の一枚が撮れないのよ」
「最高の一枚、ねえ」江梨は復唱する。アルバムには何枚もの海の風景写真が並べられていたが、江梨自身には違いが分からなかった。ただの砂浜と海、その先にある地平線だ。けれど奈々のファインダー越しの世界はきっと別な風景が広がっているのだろう。最高の一枚に頭を悩ませているが、『楽しい』という感情が全身から発散されていた。その横顔が、瞳が輝いている。
山の頂上からの景色を見せてくれた日以来、奈々は写真撮影に凝り始めた。きっかけは、親が使わなくなった携帯電話だった。「見てよこれ」と奈々は嬉しそうに見せびらかしてくる。緑色の携帯電話に、花やウサギ、ネコなどのシールが貼られ、あっという間に奈々仕様となっていた。
朝日や夕日、山からの景色、道端を歩く野良猫など、目に映る様々なものを貪欲にシャッターに収めた。彼女の両親や、悦子の写真もあった。それらを眺めているとあることに気づく。奈々の写真は被写体の自然体の瞬間を切り抜くのだ。例えるならば長縄跳びだ。江梨はいつも入る瞬間を掴めず、二の足を踏んでいる。このタイミングだよ、と助言を受けるが、持って生まれた運動音痴さがそれを許さなかった。奈々は長縄に入り込むタイミングと同じように、自然体の瞬間を見逃さないのだ。
「私にもやらせて」江梨も同じように写真を撮るがブレたり、被写体がよそ見をしている瞬間だったりと、上手くいかなかった。
だからこそ江梨にとっては奈々の写真が魔法のように思え、いつしか虜になっていた。
今日は商店街に行こう、と奈々が提案すれば同行し「あの建物撮ってみようよ」などとサポートをした。さながら、マネージャー気分だった。
ある日、奈々は携帯電話ではなく、拳二つ程の大きさの茶色のカメラを首にぶら下げていた。ポラロイドカメラと呼ぶらしく、撮った写真がすぐに現像されるのだ。彼女の母が家の掃除中に見つけたらしい。
「すごい!本格的なカメラマンみたいだね」江梨がそう言うと奈々は嬉しそうに微笑んだ。チェキのストックも何箱も余っており、カメラマンよろしく、さらに彼女は写真にのめり込み始めた。
そのような経緯から奈々と海にいたのだ。彼女は被写体を海から江梨に変更し、モデルとなっていた。
「うーん、上手く撮れないなあ」と奈々は相変わらず首を傾げている。吐き出された写真は真っ黒だ。時間を置くと徐々に写真が浮かび上がってくる。この現像されるまでの時間が江梨は好きだ。ガチャガチャのカプセルを『何が出るかな』とワクワクした気持ちで開ける高揚感と似ていた。やがて浮かび上がったのは砂浜の手前の石段に腰を下ろす江梨の姿だった。海を見ている横顔が儚げで、我ながら良いモデルじゃないか、と内心で胸を張った。「そうかな?私はいいと思うんだけど」
「ぎこちない感じがするんだよね。自然体じゃないというか」ほら、と奈々は写真の江梨を指した。「口元がにんまりしてる」
よく見ると口角が上がっていた。『笑顔』というよりは『ニヤついている』という表現が適切だろう。カメラを向けられると、そちらに意識が向いてしまうのだ。もしこの島にファッション雑誌の編集者がやってきたとしても、江梨は表紙を飾れないだろうな、と思った。「ほんとだ。モデルになるのも難しいんだね」
あ、と奈々が突然、消え入るような声で呟いた。引き寄せられるようにカメラを構えている。
カメラの先に江梨も目を向ける。あ、綺麗。真っ先に頭に浮かんだのはそのような言葉だった。見惚れるという言葉はこのような時に使うのだろう。白のワンピースと、麦わら帽子を被った少女が歩いていた。麦わら帽子を片手で抑え、視線は海に向けられている。長い髪が潮風で揺れていた。
ぱしゃ、とプリントを丸めたような乾いた音が聞こえる。シャッターを押したのだ。その音で江梨は冷静さを取り戻す。「ちょっと、勝手に撮っちゃダメでしょ」
「だって、すごく良いモデルだったんだもん」奈々は唇を尖らせた。現像された写真に、江梨は唸ってしまう。遠くの砂浜と海のピントがぼやけており、手前の少女を鮮明に写し出していた。その横顔ははにかんでいるがそれこそ、儚げな雰囲気を醸し出していた。
見惚れていた手前、江梨も強く言い返すことはできなかった。「せっかくだしその写真、渡してきたら?」
「うん!」奈々は興奮冷めやらぬ様子で走り出す。少女は驚いた表情を浮かべている。当然だ。突然、写真を片手に身振り手振りで捲し立てる人が目の前に現れたのだ。江梨は苦笑しつつ、名前も知らぬ少女に同情してしまう。
人が何かに夢中になっている姿を見るのが、江梨は好きだった。『楽しい!好き!』という感情がはち切れんばかりに全身に発散されているからだろうか。幸せな気持ちを、お裾分けされているような気分になる。カメラに打ち込む奈々の姿を見て、そのような自分の気持ちに気づいたのだ。
「この子、観光しに来たんだって」いつの間にか奈々は少女と、意気投合していた。貰ったばかりの写真を、大切そうに握りしめている。「この島は自然に囲まれて、いいところだね。前にテレビで見てから、ずっと行ってみたいなって思ってたの」
嬉しそうに微笑む少女を見て、江梨はうっとりしてしまう。きっとクラスの男子は惚れてしまうのだろうな、と思った。
時々、島にはテレビ局の人がやってくる。『彩』に取材がくることもあり、放映日に家族がテレビに釘付けになるのだ。緊張、という文字が顔に書いてある両親が島や『彩』の魅力について語る姿が印象に残っている。由梨と一緒に笑いながらも、江梨は内心で誇らしさを感じていた。
少女は都内から遊びに来たらしい。普段のテレビでは当然、島の外の特集ばかりである。ビルが聳え立つ街並み、島の商店街よりも何倍も規模の大きいショッピングモール、最新映画を上映する映画館。誇らしさの反面、江梨にとっては島よりもずっと魅力的に感じたのも事実だ。「いいなあ、あなたの住むところにはなんでもあって」
「あの街にはなんでもあるけど、何にもないよ」少女は両親に呼ばれ、去る時に、そう言い残した。彼女は写真をサンタさんからもらったクリスマスプレゼントのように、両親に見せびらかしていた。
それから時が経ち、高校に入学した時だ。この島では幼少期から高校まで、顔ぶれが変わらずに過ごすことが普通である。中学、高校への進学を機に、島の外へ行く生徒も珍しくはなかった。そのため、移住者の存在は島の人達にとって、一大イベントとなる。
歩美と名乗る女性が教卓で自己紹介をする。江梨は頭の片隅に何か引っかかってくるものを感じていた。奈々へ目を向けると彼女も考え込むような表情を浮かべている。歩美が二人を見て「あっ」と声を上げたことで更に困惑してしまう。
クラスメイトが不思議そうに見守る中、歩美はカバンから一枚の写真を取り出した。その写真を見て江梨達は声を上げて立ち上がる。倒れた椅子が教室中に大きな音を響かせた。
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「ああ、そういうこと」その姿は容易に想像ができた。
三人の中で江梨だけが徒歩だ。仕方なく二人には自転車を引いてもらっている。奈々の方へ目を向けるとその背後には夕日で照らされる海が見えた。きらきらと輝いている。
「面談はどうだったー?」奈々が聞いてくる。
「『唐辛子事件』について話したよ」
「なんでその話になるの?」奈々は戸惑ったように眉を顰める。「関係ないじゃんー」
「なんだか、昔の話になりまして」
「私の面談の時、絶対聞かれるじゃん」
「あの事件ね」歩美にも以前、話をしていたので知っている。「いいなあ。二人だけの共通する思い出があって」
「歩美にもあるじゃん」奈々が指を向ける。その先には砂浜があった。「初めて会った日のことだよ」
「あったねえ」歩美は砂浜を見て、懐かしそうに目を細めた。「私たち三人の思い出が」
白のワンピースと麦わら帽子。まるで物語の世界から飛び出したような少女と出会ったのは小学五年生の頃だった。江梨は当時を思い返す。
「うーん難しい」奈々はトボトボと歩きながら、隣に腰を下ろす。江梨は現像された写真を覗き込む。海を被写体にした写真で、地平線と青空、海が写っていた。
「何が難しいの?」
「明るさや角度によって印象が変わるの」奈々は現像された写真をアルバムにしまいこむ。「『これだ!』って思える最高の一枚が撮れないのよ」
「最高の一枚、ねえ」江梨は復唱する。アルバムには何枚もの海の風景写真が並べられていたが、江梨自身には違いが分からなかった。ただの砂浜と海、その先にある地平線だ。けれど奈々のファインダー越しの世界はきっと別な風景が広がっているのだろう。最高の一枚に頭を悩ませているが、『楽しい』という感情が全身から発散されていた。その横顔が、瞳が輝いている。
山の頂上からの景色を見せてくれた日以来、奈々は写真撮影に凝り始めた。きっかけは、親が使わなくなった携帯電話だった。「見てよこれ」と奈々は嬉しそうに見せびらかしてくる。緑色の携帯電話に、花やウサギ、ネコなどのシールが貼られ、あっという間に奈々仕様となっていた。
朝日や夕日、山からの景色、道端を歩く野良猫など、目に映る様々なものを貪欲にシャッターに収めた。彼女の両親や、悦子の写真もあった。それらを眺めているとあることに気づく。奈々の写真は被写体の自然体の瞬間を切り抜くのだ。例えるならば長縄跳びだ。江梨はいつも入る瞬間を掴めず、二の足を踏んでいる。このタイミングだよ、と助言を受けるが、持って生まれた運動音痴さがそれを許さなかった。奈々は長縄に入り込むタイミングと同じように、自然体の瞬間を見逃さないのだ。
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だからこそ江梨にとっては奈々の写真が魔法のように思え、いつしか|虜《とりこ》になっていた。
今日は商店街に行こう、と奈々が提案すれば同行し「あの建物撮ってみようよ」などとサポートをした。さながら、マネージャー気分だった。
ある日、奈々は携帯電話ではなく、拳二つ程の大きさの茶色のカメラを首にぶら下げていた。ポラロイドカメラと呼ぶらしく、撮った写真がすぐに現像されるのだ。彼女の母が家の掃除中に見つけたらしい。
「すごい!本格的なカメラマンみたいだね」江梨がそう言うと奈々は嬉しそうに微笑んだ。チェキのストックも何箱も余っており、カメラマンよろしく、さらに彼女は写真にのめり込み始めた。
そのような経緯から奈々と海にいたのだ。彼女は被写体を海から江梨に変更し、モデルとなっていた。
「うーん、上手く撮れないなあ」と奈々は相変わらず首を傾げている。吐き出された写真は真っ黒だ。時間を置くと徐々に写真が浮かび上がってくる。この現像されるまでの時間が江梨は好きだ。ガチャガチャのカプセルを『何が出るかな』とワクワクした気持ちで開ける高揚感と似ていた。やがて浮かび上がったのは砂浜の手前の石段に腰を下ろす江梨の姿だった。海を見ている横顔が儚げで、我ながら良いモデルじゃないか、と内心で胸を張った。「そうかな?私はいいと思うんだけど」
「ぎこちない感じがするんだよね。自然体じゃないというか」ほら、と奈々は写真の江梨を指した。「口元がにんまりしてる」
よく見ると口角が上がっていた。『笑顔』というよりは『ニヤついている』という表現が適切だろう。カメラを向けられると、そちらに意識が向いてしまうのだ。もしこの島にファッション雑誌の編集者がやってきたとしても、江梨は表紙を飾れないだろうな、と思った。「ほんとだ。モデルになるのも難しいんだね」
あ、と奈々が突然、消え入るような声で呟いた。引き寄せられるようにカメラを構えている。
カメラの先に江梨も目を向ける。あ、綺麗。真っ先に頭に浮かんだのはそのような言葉だった。見惚れるという言葉はこのような時に使うのだろう。白のワンピースと、麦わら帽子を被った少女が歩いていた。麦わら帽子を片手で抑え、視線は海に向けられている。長い髪が潮風で揺れていた。
ぱしゃ、とプリントを丸めたような乾いた音が聞こえる。シャッターを押したのだ。その音で江梨は冷静さを取り戻す。「ちょっと、勝手に撮っちゃダメでしょ」
「だって、すごく良いモデルだったんだもん」奈々は唇を尖らせた。現像された写真に、江梨は唸ってしまう。遠くの砂浜と海のピントがぼやけており、手前の少女を鮮明に写し出していた。その横顔ははにかんでいるがそれこそ、儚げな雰囲気を醸し出していた。
見惚れていた手前、江梨も強く言い返すことはできなかった。「せっかくだしその写真、渡してきたら?」
「うん!」奈々は興奮冷めやらぬ様子で走り出す。少女は驚いた表情を浮かべている。当然だ。突然、写真を片手に身振り手振りで捲し立てる人が目の前に現れたのだ。江梨は苦笑しつつ、名前も知らぬ少女に同情してしまう。
人が何かに夢中になっている姿を見るのが、江梨は好きだった。『楽しい!好き!』という感情がはち切れんばかりに全身に発散されているからだろうか。幸せな気持ちを、お裾分けされているような気分になる。カメラに打ち込む奈々の姿を見て、そのような自分の気持ちに気づいたのだ。
「この子、観光しに来たんだって」いつの間にか奈々は少女と、意気投合していた。貰ったばかりの写真を、大切そうに握りしめている。「この島は自然に囲まれて、いいところだね。前にテレビで見てから、ずっと行ってみたいなって思ってたの」
嬉しそうに微笑む少女を見て、江梨はうっとりしてしまう。きっとクラスの男子は惚れてしまうのだろうな、と思った。
時々、島にはテレビ局の人がやってくる。『彩』に取材がくることもあり、放映日に家族がテレビに釘付けになるのだ。緊張、という文字が顔に書いてある両親が島や『彩』の魅力について語る姿が印象に残っている。由梨と一緒に笑いながらも、江梨は内心で誇らしさを感じていた。
少女は都内から遊びに来たらしい。普段のテレビでは当然、島の外の特集ばかりである。ビルが|聳《そび》え立つ街並み、島の商店街よりも何倍も規模の大きいショッピングモール、最新映画を上映する映画館。誇らしさの反面、江梨にとっては島よりもずっと魅力的に感じたのも事実だ。「いいなあ、あなたの住むところにはなんでもあって」
「あの街にはなんでもあるけど、何にもないよ」少女は両親に呼ばれ、去る時に、そう言い残した。彼女は写真をサンタさんからもらったクリスマスプレゼントのように、両親に見せびらかしていた。
それから時が経ち、高校に入学した時だ。この島では幼少期から高校まで、顔ぶれが変わらずに過ごすことが普通である。中学、高校への進学を機に、島の外へ行く生徒も珍しくはなかった。そのため、移住者の存在は島の人達にとって、一大イベントとなる。
歩美と名乗る女性が教卓で自己紹介をする。江梨は頭の片隅に何か引っかかってくるものを感じていた。奈々へ目を向けると彼女も考え込むような表情を浮かべている。歩美が二人を見て「あっ」と声を上げたことで更に困惑してしまう。
クラスメイトが不思議そうに見守る中、歩美はカバンから一枚の写真を取り出した。その写真を見て江梨達は声を上げて立ち上がる。倒れた椅子が教室中に大きな音を響かせた。