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一章 進路 2

ー/ー



「おばあちゃーん」江梨は祖母に泣きついた。「あら、どうしたの?」と優しく頭を撫でてくれるので、トゲトゲとした気持ちが(しぼ)んでいく。
 釈然としない気持ちを抱えながら江梨は祖母の部屋に向かった。祖母はいつものんびり屋さんで声を荒げることはない。母と親子のはずなのに、正反対の性格だった。そのため、嫌なことがあった時には祖母に泣きつくのだ。その度に「江梨を甘やかさないでよ」と母は小言を漏らしている。
「母さんは酷いんだよ」江梨は感情のままに早口で(まく)し立てた。祖母はうんうん、と口を挟まずに頷いている。母の言い分と自身の思いを一通り話し終えた後で、ゆっくりと口を開いた。
「江梨は本当に、『彩』を継ぎたいの?」
「そりゃあもちろん……」威勢よく答えようとしたところで、口を(つぐ)んでしまう。祖母の目が、心の奥底を覗き込んでくるように思えたからだ。
「すぐに答えられないようじゃ、迷っているんだろうね。沙奈江の味方をするわけじゃないけど、私だって生半可な気持ちの人に継がせることはできないわ。それが江梨だろうとね」
 今目の前にいるのは『優しいおばあちゃん』ではなく、『彩』の創業者だった。生き抜いてきた女将としての一面を覗かせている。「沙奈江の頃と違って、今は無理に家業を継ぐ時代じゃないんだから」祖母は表情を崩し、いつもの『優しいおばあちゃん』に戻る。「江梨はやりたいことをやればいいんだよ」
「う、うん。考えてみるね」江梨は気勢を削がれ、部屋を後にする。掴みどころのない漠然とした感情が、胸の中に渦巻いていた。
 
「だから昨日はあんなに暗い顔をしてたのね」言ってくれればいいのに、と奈々は唇を尖らせた。
「家のことはあんまり、話したくないんでしょ」前を歩く歩美が振り返る。昼休みには近所の弁当屋さんが出張販売にやってくるのだ。学生価格のため、歩美のように小銭を握り締めている生徒達で昇降口は溢れかえる。加えて販売員の『古賀おばちゃん』はみんなの人気者だ。弁当を買わずに話しかけに行く生徒も珍しくはなかった。
「うん。どうしても後ろ向きな内容になっちゃうからさ、愚痴っぽくなるし、あんまり話したくないんだよね」
「話せば楽になるし、考えも整理されると思うんだけどなー。江梨は考えすぎなんだよ」歩美は歯に衣を着せぬ言い方をする。その性格は、高校進学を機にこの島へ一人で来たことに裏付けられていた。他人に左右されず、自分を貫く芯を持っているのだ。祖母に相談し、混乱した江梨にとっては、彼女の性格は憧れだった。
「話してくれた方が、私も嬉しいな」奈々はにこやかに笑いかける。「頼ってくれてるって感じがするし」
 奈々の言葉は押し付けがましさがなく、純粋な気持ちが伝わってくるのだ。江梨はこそばゆい気持ちになり、「そうだね。今度は相談するよ」と素直に答える。頬が自然と緩んでしまう。
「どんと来なさい!」振り向いた歩美が腕を組み、仁王立ちをする。一家の大黒柱のような頼もしさは、三人組の中でも精神的な支柱となっていた。江梨がお礼を言う前に「あ、古賀ちゃーん」と昇降口に走り去って行く。奈々と顔を見合わせ、声を上げて笑い合った。

「二人はさ、進路どうするの?」母が持たせてくれた弁当を食べながら、江梨は訊ねた。机を突き合わせ、三人は三角形を描くようなかたちで向かい合っている。
「私は特にやりたいことがないし、島で就職かな」と奈々は答え、歩美に目を向ける。「歩美は地元に戻るの?」
 うーん、と歩美は眉を(ひそ)め、唐揚げを一口で頬張る。「帰らないね」と堂々と答えた。
「かっこいいなあ」揺るがない自分の意思を持っていることが、江梨には羨ましかった。 
「私が知らない土地で自分一人で暮らすことになったら、ホームシックになっちゃうね」奈々は歩美の真似なのか、腕を組んでいる。彼女は修学旅行の外泊ですら弱音を吐いてしまうのだ。曰く『島の自然が恋しい』らしい。そのことを指摘すると苦虫を噛み潰すような浮かべ、恥ずかしさを誤魔化すように島の魅力を語り始めた。
「教室から見えるこの景色はさ、どこでも見れないんだよ」片手を窓へ向けている。「外を見れば海が見えるんだよ」
「どこかの誰かさんがよく眺めているしな」歩美が茶々を入れた。「誰でしょうねえ」と江梨はとぼける。
 奈々は両手を胸の前に添え、目をゆっくりと閉じる。まるで演者のようだ。「耳を澄ませて、聞こえるでしょう。この波の音、さざなみが。いつでも私たちを受け入れて、見守ってくれているのよ」
 何言ってるんだか、と歩美はあしらった後で真面目な表情を浮かべる。「奈々の例えは大袈裟だけどさ、私が地元に帰らない理由はそれだよ。住み始めて一年半だけど、私はこの島が好きだもん。なんかね、落ち着くんだよ」
 歩美の話す通り、この島で暮らし始めてから一年半が経つ。彼女は先程の『古賀おばちゃん』の働く弁当屋で、週末はアルバイトをしている。島で生活する上で親から出された条件は二つ。一つ目は最低限の生活費の仕送りはするが、それ以外のお小遣いに関しては自分で稼ぐこと。二つ目はバイトや遊びにかまけて成績を落とさないことだ。今のところはしっかりと守られている。 
「それはよかった」江梨は目を細めてしまう。外から来た人に島を褒められると、まるで自分のことのように嬉しい気持ちになる。それが観光客ではなく、住み続けている人が言うのだから尚更だ。「でも私は、外に行ってみたいなあ」
「さっきの話だと、『彩』を引き継ぐんでしょ?」と奈々。どうやら演者としての語りは終わったらしい。
「うん、また倒れられるのも心配だし、両親を少しでも楽にさせたいから」江梨は頭を掻き、苦笑する。「やりたいこともないのに外に行っても、仕方ないでしょ」
「『外で暮らしていきたい』ってのも立派な理由だと思うんだけどな」歩美は窓に目を向け、照れくさそうにしている。「私は二人と友達になれたことが、何よりも来てよかったことだよ」
 奈々が「歩美ー」と身を乗り出し、飛びついた。江梨はそれを見て、くすくすと笑う。
 
「姉ちゃんは妥協してるよ」最近、覚えた言葉なのだろう。由梨は母と同じように居間でテレビを見ながら煎餅を食べていた。ダキョーダキョー、と口ずさんでいる。
 江梨はノートを広げ、勉強をしていた。テレビの音で気が散るが仕方がない。この島に元々住む人は古くからの家のため、子供部屋がないことが多いのだ。
 集中できないイライラをぶつけるように「中一のくせに生意気な」と江梨は言い返す。彼女も負けじと「姉ちゃんだって高二の若造でしょ」と切り返してくる。応酬が続きそうだったため、「それで、何が妥協なのよ」と折れてみせた。大人の余裕よ、と自身に言い聞かせる。
「姉ちゃんは家のことばっかり考えてるじゃん」由梨は煎餅をパリッと齧る。「何だか窮屈そうだよ。本当はやりたいこと、あるんでしょ」
「別にないって。奈々みたいに特技があるわけでもないしさ」奈々はカメラが趣味で、学校帰りなどに携帯電話で写真を撮影しているのだ。
「何も特別なことは言ってないよ」由梨は首を振る。「そういう特技とかじゃなくてさ、好きでしょ。子供とか」
「好きだけど、仕事にするのとはまた別だよ」
「私は怖がられるタイプだからさ、姉ちゃんが羨ましいよ。昔っから子供達に好かれてたじゃん」由梨ははっきりとした物言いで、人と合わせることを知らない性格だ。「何より姉ちゃんが、楽しそうだったよ」
 だからこそ、本音で話しているのが伝わってくるのだ。江梨は素直に頷いた。
「そうだね。考えてみるよ」
「お母さん達としっかり話し合わないとね」どっちが姉なのか分からないじゃん、と由梨は笑う。そしてテーブルにある三者面談のプリントを渡してきた。
「え、もう日程決まったの?」
「そうみたいよ。渡しておいてって頼まれてた」
 プリントを受け取り、確認をする。江梨は思わず呻いてしまう。「うわ、初日じゃない」


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「おばあちゃーん」江梨は祖母に泣きついた。「あら、どうしたの?」と優しく頭を撫でてくれるので、トゲトゲとした気持ちが|萎《しぼ》んでいく。
 釈然としない気持ちを抱えながら江梨は祖母の部屋に向かった。祖母はいつものんびり屋さんで声を荒げることはない。母と親子のはずなのに、正反対の性格だった。そのため、嫌なことがあった時には祖母に泣きつくのだ。その度に「江梨を甘やかさないでよ」と母は小言を漏らしている。
「母さんは酷いんだよ」江梨は感情のままに早口で|捲《まく》し立てた。祖母はうんうん、と口を挟まずに頷いている。母の言い分と自身の思いを一通り話し終えた後で、ゆっくりと口を開いた。
「江梨は本当に、『彩』を継ぎたいの?」
「そりゃあもちろん……」威勢よく答えようとしたところで、口を|噤《つぐ》んでしまう。祖母の目が、心の奥底を覗き込んでくるように思えたからだ。
「すぐに答えられないようじゃ、迷っているんだろうね。沙奈江の味方をするわけじゃないけど、私だって生半可な気持ちの人に継がせることはできないわ。それが江梨だろうとね」
 今目の前にいるのは『優しいおばあちゃん』ではなく、『彩』の創業者だった。生き抜いてきた女将としての一面を覗かせている。「沙奈江の頃と違って、今は無理に家業を継ぐ時代じゃないんだから」祖母は表情を崩し、いつもの『優しいおばあちゃん』に戻る。「江梨はやりたいことをやればいいんだよ」
「う、うん。考えてみるね」江梨は気勢を削がれ、部屋を後にする。掴みどころのない漠然とした感情が、胸の中に渦巻いていた。
「だから昨日はあんなに暗い顔をしてたのね」言ってくれればいいのに、と奈々は唇を尖らせた。
「家のことはあんまり、話したくないんでしょ」前を歩く歩美が振り返る。昼休みには近所の弁当屋さんが出張販売にやってくるのだ。学生価格のため、歩美のように小銭を握り締めている生徒達で昇降口は溢れかえる。加えて販売員の『古賀おばちゃん』はみんなの人気者だ。弁当を買わずに話しかけに行く生徒も珍しくはなかった。
「うん。どうしても後ろ向きな内容になっちゃうからさ、愚痴っぽくなるし、あんまり話したくないんだよね」
「話せば楽になるし、考えも整理されると思うんだけどなー。江梨は考えすぎなんだよ」歩美は歯に衣を着せぬ言い方をする。その性格は、高校進学を機にこの島へ一人で来たことに裏付けられていた。他人に左右されず、自分を貫く芯を持っているのだ。祖母に相談し、混乱した江梨にとっては、彼女の性格は憧れだった。
「話してくれた方が、私も嬉しいな」奈々はにこやかに笑いかける。「頼ってくれてるって感じがするし」
 奈々の言葉は押し付けがましさがなく、純粋な気持ちが伝わってくるのだ。江梨はこそばゆい気持ちになり、「そうだね。今度は相談するよ」と素直に答える。頬が自然と緩んでしまう。
「どんと来なさい!」振り向いた歩美が腕を組み、仁王立ちをする。一家の大黒柱のような頼もしさは、三人組の中でも精神的な支柱となっていた。江梨がお礼を言う前に「あ、古賀ちゃーん」と昇降口に走り去って行く。奈々と顔を見合わせ、声を上げて笑い合った。
「二人はさ、進路どうするの?」母が持たせてくれた弁当を食べながら、江梨は訊ねた。机を突き合わせ、三人は三角形を描くようなかたちで向かい合っている。
「私は特にやりたいことがないし、島で就職かな」と奈々は答え、歩美に目を向ける。「歩美は地元に戻るの?」
 うーん、と歩美は眉を|顰《ひそ》め、唐揚げを一口で頬張る。「帰らないね」と堂々と答えた。
「かっこいいなあ」揺るがない自分の意思を持っていることが、江梨には羨ましかった。 
「私が知らない土地で自分一人で暮らすことになったら、ホームシックになっちゃうね」奈々は歩美の真似なのか、腕を組んでいる。彼女は修学旅行の外泊ですら弱音を吐いてしまうのだ。曰く『島の自然が恋しい』らしい。そのことを指摘すると苦虫を噛み潰すような浮かべ、恥ずかしさを誤魔化すように島の魅力を語り始めた。
「教室から見えるこの景色はさ、どこでも見れないんだよ」片手を窓へ向けている。「外を見れば海が見えるんだよ」
「どこかの誰かさんがよく眺めているしな」歩美が茶々を入れた。「誰でしょうねえ」と江梨はとぼける。
 奈々は両手を胸の前に添え、目をゆっくりと閉じる。まるで演者のようだ。「耳を澄ませて、聞こえるでしょう。この波の音、さざなみが。いつでも私たちを受け入れて、見守ってくれているのよ」
 何言ってるんだか、と歩美はあしらった後で真面目な表情を浮かべる。「奈々の例えは大袈裟だけどさ、私が地元に帰らない理由はそれだよ。住み始めて一年半だけど、私はこの島が好きだもん。なんかね、落ち着くんだよ」
 歩美の話す通り、この島で暮らし始めてから一年半が経つ。彼女は先程の『古賀おばちゃん』の働く弁当屋で、週末はアルバイトをしている。島で生活する上で親から出された条件は二つ。一つ目は最低限の生活費の仕送りはするが、それ以外のお小遣いに関しては自分で稼ぐこと。二つ目はバイトや遊びにかまけて成績を落とさないことだ。今のところはしっかりと守られている。 
「それはよかった」江梨は目を細めてしまう。外から来た人に島を褒められると、まるで自分のことのように嬉しい気持ちになる。それが観光客ではなく、住み続けている人が言うのだから尚更だ。「でも私は、外に行ってみたいなあ」
「さっきの話だと、『彩』を引き継ぐんでしょ?」と奈々。どうやら演者としての語りは終わったらしい。
「うん、また倒れられるのも心配だし、両親を少しでも楽にさせたいから」江梨は頭を掻き、苦笑する。「やりたいこともないのに外に行っても、仕方ないでしょ」
「『外で暮らしていきたい』ってのも立派な理由だと思うんだけどな」歩美は窓に目を向け、照れくさそうにしている。「私は二人と友達になれたことが、何よりも来てよかったことだよ」
 奈々が「歩美ー」と身を乗り出し、飛びついた。江梨はそれを見て、くすくすと笑う。
「姉ちゃんは妥協してるよ」最近、覚えた言葉なのだろう。由梨は母と同じように居間でテレビを見ながら煎餅を食べていた。ダキョーダキョー、と口ずさんでいる。
 江梨はノートを広げ、勉強をしていた。テレビの音で気が散るが仕方がない。この島に元々住む人は古くからの家のため、子供部屋がないことが多いのだ。
 集中できないイライラをぶつけるように「中一のくせに生意気な」と江梨は言い返す。彼女も負けじと「姉ちゃんだって高二の若造でしょ」と切り返してくる。応酬が続きそうだったため、「それで、何が妥協なのよ」と折れてみせた。大人の余裕よ、と自身に言い聞かせる。
「姉ちゃんは家のことばっかり考えてるじゃん」由梨は煎餅をパリッと齧る。「何だか窮屈そうだよ。本当はやりたいこと、あるんでしょ」
「別にないって。奈々みたいに特技があるわけでもないしさ」奈々はカメラが趣味で、学校帰りなどに携帯電話で写真を撮影しているのだ。
「何も特別なことは言ってないよ」由梨は首を振る。「そういう特技とかじゃなくてさ、好きでしょ。子供とか」
「好きだけど、仕事にするのとはまた別だよ」
「私は怖がられるタイプだからさ、姉ちゃんが羨ましいよ。昔っから子供達に好かれてたじゃん」由梨ははっきりとした物言いで、人と合わせることを知らない性格だ。「何より姉ちゃんが、楽しそうだったよ」
 だからこそ、本音で話しているのが伝わってくるのだ。江梨は素直に頷いた。
「そうだね。考えてみるよ」
「お母さん達としっかり話し合わないとね」どっちが姉なのか分からないじゃん、と由梨は笑う。そしてテーブルにある三者面談のプリントを渡してきた。
「え、もう日程決まったの?」
「そうみたいよ。渡しておいてって頼まれてた」
 プリントを受け取り、確認をする。江梨は思わず呻いてしまう。「うわ、初日じゃない」