一章 進路 1
ー/ー
カーテンがふわりと靡き、磯の香りを含んだ風が頬を撫でていく。窓の外を見ると、フェリーが汽笛を鳴らし、豆粒のようになっていた。教室からこの光景を見る度に、高瀬絵梨はフェリーに乗っている自分の姿を想像してしまう。島の外にはどんな世界が広がっているのだろう、と。
脇腹に何か固いものを感じ、江梨はその方向に首を向ける。「まーた外見てるの?」と横山奈々が呆れた表情を浮かべていた。その手にはボールペンが握られている。ホームルーム中なので声量は控えめだ。
「眺めがいいからさ、汽笛が聞こえると、つい見ちゃうんだよね」江梨は苦笑する。この窓際から見える景色は、日々の鬱屈とした感情を吹き飛ばしてくれるのだ。
「私もこの景色は好きだけどさ」奈々は両手の親指と人差し指で長方形を作る。カメラのポーズだ。「あんまり見てると竹浦先生に怒られるよ」
担任の竹浦は教室全体を見渡して話している。「進路はしっかり親と話し合うんだぞ」視線がかちあい、江梨は弾かれるように目を落とす。「先生はどんな道でも応援するからな。親御さんに、三者面談の予定をよろしくな」
はーい、と生徒達が返事をする。小学生の頃は語尾が上がったが、高校生にもなれば気だるさのためなのか語尾が下がっていた。
「おーい、江梨」名前を呼ばれ顔を上げると、宮川歩美がプリントを後ろへと流していた。「あ、ごめんごめん」と江梨は受け取る。内容は、三者面談の日程調整についてだ。
後ろの生徒に渡し、前を向くと歩美がこちらを見ていた。奈々と違い、心配の表情を浮かべている。「大丈夫?なんかあった?」
「ううん」と江梨は首を振る。「ちょっと考え事してただけ。大丈夫だよ」以前、『あんたは表情に出やすいからね』と母が言っていたのを思い出す。良くも悪くも、わかりやすいらしい。
歩美はじっと江梨の顔を見つめた後で「ならいいけど、悩んだときは相談してよ」と前を向いた。
江梨は自転車を引き、部活動で汗を流す生徒達を横目に校門へ向かう。部活というよりは同好会のようなものであり、強制力はなく、自由参加だ。その気軽さが『楽でいいよね』と評する人も少なくない。
江梨の姿に気づいた奈々と歩美が「また明日ねー」と手を振ってくる。「うん。また明日ー」声を上げ、手を振り返す。どうしても生徒数の少なさが目についてしまう。この島は、人口の減少が問題となり久しい。学生に関しても例外ではなく、生徒数の減少に学校は頭を悩まされている。
気がつくと海岸まで来ていた。右手には砂浜、左手には民宿『彩』がある。紺色のトタン屋根と白壁の外観だ。平屋の作りで二階はない分、横の空間が広いのだ。宿泊のみならず、宴会場も設けており、週末には島の人達で賑わっている。築七十年以上の年季を感じさせるが、確かな趣と荘厳さを醸し出していた。
母が祖父母から受け継いだ民宿で、現在は両親とパートさんが働いて切り盛りをしている。江梨は『彩』にではなく離れにある母屋の方へと向かう。玄関の沓脱には母の靴があり、江梨は憂鬱な気持ちになった。今日は母が家にいる日なのか、と。
父と母で交代してシフトを組んでいるため、両親が揃うことがあまりないのだ。そのため、どちらか一方が家にいることが多い。
「おかえりー」母は居間でテレビを見ていた。テーブルには煎餅が置かれている。昨日、パートさんからもらった煎餅だ。休日のため、早速開けたのだろう。テレビでは韓流ドラマが放送されていた。
「ほら、あんたも食べな。この煎餅、美味しいよ」母から渡された煎餅を受け取る。食べてみると醤油の味が効いていて美味しかった。一枚、もう一枚、とつい手を伸ばしてしまう。
「母さん、そういえば今日、三者面談のプリントを渡されたよ」江梨はカバンの中からプリントを取り出した。母は一瞥した後でテレビに目線を戻す。「二年生になってもう六月か。進路を考え始める時期だよねえ」とパリッと煎餅を噛み砕く。ぽろぽろと破片がテーブルにこぼれ落ちる。
「あんたはどうするか決めてるの?」
「卒業したら、ここで働くよ」
母はため息をつき、いつの間にか男女が言い争いをしているテレビを消した。「いいの?」と聞くと「録画しているから」と返される。「いつも言ってるじゃない。家のことは気にしなくていいから外に出なさいって」
『外』というのは東京などのことを指す。島内では働き口が少なく、選択肢が限られるのだ。そのため進学や就職のために外に出る人が殆どで、人口減少の大きな要因となっていた。
「でも、母さんや父さんだっていつも忙しそうじゃない。少しでも早くに働いて、楽をしてもらいたんだよ」
「あのねえ」と母は呆れ声を出す。「あんたに一から教えてお客様の前に立てるようになるまで、どれだけ時間がかかると思ってるの?それこそ心労で倒れちゃうわよ」
「だからこそだよ」と江梨も食い下がる。「またいつ身体を壊すか分からないから言ってるの」
中学二年生の頃に、母が仕事中に倒れたのだ。島内の病院に運ばれ、点滴を打ってその日の夕方にはケロッとしていた。「疲労が原因らしいよー」と笑っていたが江梨はその日以来、自分が働かないと、と思い始めていたのだ。そのため、学校が終わればすぐに帰宅し、家事であったり、繁忙期には『彩』の手伝いをしている。
「とにかく、私はまだまだ働けますからね。娘に心配されたら世話ないわ」と母は腰を上げ、台所へと向かっていく。テーブルには煎餅の空袋と三者面談のプリントが無惨に広がっていた。
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
おすすめ作品を読み込み中です…
この作品と似た作品
似た傾向の作品は見つかりませんでした。
この作品を読んだ人が読んでいる作品
読者の傾向からおすすめできる作品がありませんでした。
おすすめ作品は現在準備中です。
おすすめ作品の取得に失敗しました。時間をおいて再度お試しください。
カーテンがふわりと|靡《なび》き、磯の香りを含んだ風が頬を撫でていく。窓の外を見ると、フェリーが汽笛を鳴らし、豆粒のようになっていた。教室からこの光景を見る度に、|高瀬《たかせ》|絵梨《えり》はフェリーに乗っている自分の姿を想像してしまう。島の外にはどんな世界が広がっているのだろう、と。
脇腹に何か固いものを感じ、江梨はその方向に首を向ける。「まーた外見てるの?」と|横山《よこやま》|奈々《なな》が呆れた表情を浮かべていた。その手にはボールペンが握られている。ホームルーム中なので声量は控えめだ。
「眺めがいいからさ、汽笛が聞こえると、つい見ちゃうんだよね」江梨は苦笑する。この窓際から見える景色は、日々の|鬱屈《うっくつ》とした感情を吹き飛ばしてくれるのだ。
「私もこの景色は好きだけどさ」奈々は両手の親指と人差し指で長方形を作る。カメラのポーズだ。「あんまり見てると竹浦先生に怒られるよ」
担任の竹浦は教室全体を見渡して話している。「進路はしっかり親と話し合うんだぞ」視線がかちあい、江梨は弾かれるように目を落とす。「先生はどんな道でも応援するからな。親御さんに、三者面談の予定をよろしくな」
はーい、と生徒達が返事をする。小学生の頃は語尾が上がったが、高校生にもなれば気だるさのためなのか語尾が下がっていた。
「おーい、江梨」名前を呼ばれ顔を上げると、|宮川《みやがわ》|歩美《あゆみ》がプリントを後ろへと流していた。「あ、ごめんごめん」と江梨は受け取る。内容は、三者面談の日程調整についてだ。
後ろの生徒に渡し、前を向くと歩美がこちらを見ていた。奈々と違い、心配の表情を浮かべている。「大丈夫?なんかあった?」
「ううん」と江梨は首を振る。「ちょっと考え事してただけ。大丈夫だよ」以前、『あんたは表情に出やすいからね』と母が言っていたのを思い出す。良くも悪くも、わかりやすいらしい。
歩美はじっと江梨の顔を見つめた後で「ならいいけど、悩んだときは相談してよ」と前を向いた。
江梨は自転車を引き、部活動で汗を流す生徒達を横目に校門へ向かう。部活というよりは同好会のようなものであり、強制力はなく、自由参加だ。その気軽さが『楽でいいよね』と評する人も少なくない。
江梨の姿に気づいた奈々と歩美が「また明日ねー」と手を振ってくる。「うん。また明日ー」声を上げ、手を振り返す。どうしても生徒数の少なさが目についてしまう。この島は、人口の減少が問題となり久しい。学生に関しても例外ではなく、生徒数の減少に学校は頭を悩まされている。
気がつくと海岸まで来ていた。右手には砂浜、左手には民宿『彩』がある。紺色のトタン屋根と白壁の外観だ。平屋の作りで二階はない分、横の空間が広いのだ。宿泊のみならず、宴会場も設けており、週末には島の人達で賑わっている。築七十年以上の年季を感じさせるが、確かな趣と荘厳さを醸し出していた。
母が祖父母から受け継いだ民宿で、現在は両親とパートさんが働いて切り盛りをしている。江梨は『|彩《あや》』にではなく離れにある母屋の方へと向かう。玄関の|沓脱《くつぬぎ》には母の靴があり、江梨は憂鬱な気持ちになった。今日は母が家にいる日なのか、と。
父と母で交代してシフトを組んでいるため、両親が揃うことがあまりないのだ。そのため、どちらか一方が家にいることが多い。
「おかえりー」母は居間でテレビを見ていた。テーブルには|煎餅《せんべい》が置かれている。昨日、パートさんからもらった煎餅だ。休日のため、早速開けたのだろう。テレビでは韓流ドラマが放送されていた。
「ほら、あんたも食べな。この煎餅、美味しいよ」母から渡された煎餅を受け取る。食べてみると醤油の味が効いていて美味しかった。一枚、もう一枚、とつい手を伸ばしてしまう。
「母さん、そういえば今日、三者面談のプリントを渡されたよ」江梨はカバンの中からプリントを取り出した。母は|一瞥《いちべつ》した後でテレビに目線を戻す。「二年生になってもう六月か。進路を考え始める時期だよねえ」とパリッと煎餅を噛み砕く。ぽろぽろと破片がテーブルにこぼれ落ちる。
「あんたはどうするか決めてるの?」
「卒業したら、ここで働くよ」
母はため息をつき、いつの間にか男女が言い争いをしているテレビを消した。「いいの?」と聞くと「録画しているから」と返される。「いつも言ってるじゃない。家のことは気にしなくていいから外に出なさいって」
『外』というのは東京などのことを指す。島内では働き口が少なく、選択肢が限られるのだ。そのため進学や就職のために外に出る人が殆どで、人口減少の大きな要因となっていた。
「でも、母さんや父さんだっていつも忙しそうじゃない。少しでも早くに働いて、楽をしてもらいたんだよ」
「あのねえ」と母は呆れ声を出す。「あんたに一から教えてお客様の前に立てるようになるまで、どれだけ時間がかかると思ってるの?それこそ心労で倒れちゃうわよ」
「だからこそだよ」と江梨も食い下がる。「またいつ身体を壊すか分からないから言ってるの」
中学二年生の頃に、母が仕事中に倒れたのだ。島内の病院に運ばれ、点滴を打ってその日の夕方にはケロッとしていた。「疲労が原因らしいよー」と笑っていたが江梨はその日以来、自分が働かないと、と思い始めていたのだ。そのため、学校が終わればすぐに帰宅し、家事であったり、繁忙期には『彩』の手伝いをしている。
「とにかく、私はまだまだ働けますからね。娘に心配されたら世話ないわ」と母は腰を上げ、台所へと向かっていく。テーブルには煎餅の空袋と三者面談のプリントが無惨に広がっていた。