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三章 山岸豊 25

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期待と夢に希望を膨らませ、山岸は高校に進学した。桜を見るだけで心が浮き足立ち、気分が高揚したのを覚えている。しかし、入学早々、山岸は田川に目をつけられてしまう。きっかけは肩がぶつかった、目つきが気に入らないなどの些細な理由だった。
 その日から希望に満ちた高校生活は終わりを告げた。校内ですれ違うたびに胸を、肩を、腹を殴られた。脇腹を、太ももを、蹴り飛ばされた。桜が散る頃には全身が痣だらけになっていた。桜が散っても、いじめは終わらない。まだ序の口だった。
「山岸、お前さ、放課後、駅前のゲーセンに来いよ」田川がそう伝えてくる。彼は体格に恵まれていた。手足が長く、廊下を歩くだけで周囲を威圧してしまうほどだ。山岸の頭の位置は、彼にとっての肩くらいだった。
 山岸に背中はトイレの壁に寄りかかり、尻は床についていた。右肩が、腹部が、ズキズキと痛む。
「う、うん」山岸はよろよろと立ち上がる。その頃には反対、抵抗する選択肢は無くなっていた。
「お、終わった?」と入り口で見張りをしていた根室と佐藤が戻ってくる。「今回も派手にやったなぁ」根室がけたけたと笑い、「情けないな」と佐藤が軽く足を近づける。
「おい、顔面蹴るのと足の裏を使うのはやめとけ」田川が忠告をする。「バレたら面倒なことになるんだから」
「お、田川優しいー」根室が茶化す。
「ちげーよ。目をつけられたらやりづらくなんだろうが」こうやるんだ、と田川が右足を振り上げた。左肩に足が当たり、勢いで山岸は小便器に身体をぶつける。その時に壁に頭が当たり、痛みでしゃがみ込んでしまう。
「オッケー」と佐藤が近づいてきて、山岸の胸ぐらを掴む。突然持ち上げられたことに驚き、「ひっ」と情けない声を出してしまう。田川達の笑い声が聞こえる。山岸は恥ずかしさで泣きそうになった。
 腹を殴られ、再びしゃがみ込む。腹部への攻撃は今日で三度目だった。()り上がるものを感じ、お腹を抑え、その場で嘔吐した。
「うわっ。きったねえな」佐藤が後ろへ除ける。
「山岸、これ、なんとかしとけよ。んじゃ、放課後な」田川達はトイレを出て行く。
 山岸は一人トイレに残される。情けなさで涙が溢れ、鼻水を啜ると吐瀉物が鼻に染みた。

「金なくなったから貸してよ」
 放課後、ゲームセンターへ行くと田川がお金を要求してきた。耳を抑えたくなるほどに、館内の音が騒がしかった。
「いやそんな金額は出せないよ」山岸は断る。数百円ならともかく、五千円は高校生が簡単に出せる金額ではない。
「は?断るの?」田川は筐体の椅子に座っている。格闘ゲームだった。
 山岸は身が(すく)む思いをするが「無理だよ」ときっぱりと断った。ない袖は振れない。
「ある分でいいからよこせ」
「手持ちが殆どないんだ」事実だった。財布には千円しか入っていない。
「もーらい」根室が山岸の尻ポケットから長財布を引き抜いた。いつの間にか背後にいたらしい。
「あっ」山岸が手を伸ばすが、根室が手を高く上げるだけで届かなくなる。
 根室が佐藤に財布を放り投げる。「返してよ」と佐藤に言うが、聞き入ってもらえるわけがない。懇願することは彼らにとって、火に油を注ぐことと同様だった。
「うわ、千円しかないじゃん」佐藤が財布の中身を物色する。だから言ったじゃないか、と山岸は心の中で毒づいた。佐藤は千円札を田川に渡し、財布を山岸に放り投げた。
 田川は千円札を受け取ると「なんでもいいから次までに金を持ってこい」と山岸に命じた。
 それから山岸は「参考書を買うから」「友達と遊ぶから」と母に理由をつけ、お金をもらった。渡される度、心が痛んだ。
「んじゃ、また明日な」田川達が笑い声を上げながらハンバーガー店から出て行く。
 ポテトの食べカスや飲み残しのカップが置かれた盆を片付けるのは、誰に言われるわけでもなく山岸の仕事だった。盆ごと壁に投げつけたくなる衝動を必死で抑える。会計は山岸が既に支払っていた。母からもらう小遣いと追加分も含め、それらは全て田川達の懐へと入っていく。
 気分が晴れないまま、ハンバーガー店を出ると田川達がまだ店舗前に(たむろ)していた。店内の客が少ないのは彼らのせいではないだろうか、営業妨害にならないのだろうか、と山岸は思う。田川が手のひらを差し出した。「わかんだろ?金、よこせ」
「こ、今月分はもうないよ。それに母親からもこれ以上はもらえない。怪しまれる」
「じゃあさ、母の財布から抜いてこいよ」
「む、無理だよ」
「すぐに諦めんなって。何事もやってみなきゃわかんないだろ」田川が山岸の肩に手を置く。「田川、鬼過ぎるだろ」佐藤が噴き出した。何がおかしいのか。 
「つーわけで、頼むな」田川に背中を叩かれ、彼らはハンバーガー店を後にした。
 山岸は母が風呂に入っている間などを見計らい、財布から金を抜き取った。怪しまれないよう、千円札一枚と小銭を三百円分抜き取り、翌日、田川に渡した。
「は?これだけか?少なすぎるだろうが」田川は怒鳴った。
「し、仕方ないじゃん。一度に何万円も抜き取ったらバレるかもしれないんだから」
「まあいい。この金でタバコを買ってこい」
 
「たった千三百円?少なすぎない?」佐藤が笑う。「よく、それで許したね」
 山岸は倉庫前で立ち止まる。ポケットにあるタバコの箱を無意識に握りしめそうになり、慌てて手を離す。頼まれたタバコを、自転車を走らせ商店で購入した。親に頼まれた、と言えば未成年でも購入できる商店だった。
 今は使われていない体育館裏の倉庫は、不良達の溜まり場となっている。
「いいんだよ。これで」田川が笑う。「金額はどうでもいいんだよ。大事なのは親からお金を盗ったその事実。身も心も服従している証拠だよ。見ろよ。あの罪悪感で辛そうな表情を。これを見るのがたまらないんだ。あいつは弱虫でバカだからな」
「田川、お前やばいって」佐藤が手を叩いて笑う。
 山岸は放心状態だった。どんな思いで母の財布から金を抜き取ったのかを田川は理解している。その上で脅し、罪悪感に苦しむ山岸の表情を楽しんでいる。言葉が通じるはずがない。化け物だった。今すぐ全てを投げ出したい気持ちになる。
「おい、何してんだ。早く中に入れ」声をかけられ山岸は心臓が飛び出てしまうくらい驚く。根室が背後に立っていた。
 根室に連れられ、山岸は倉庫に入る。ヘラヘラと媚びへつらい笑いながら「田川君、買ってきたよ」とタバコを手渡した。


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期待と夢に希望を膨らませ、山岸は高校に進学した。桜を見るだけで心が浮き足立ち、気分が高揚したのを覚えている。しかし、入学早々、山岸は田川に目をつけられてしまう。きっかけは肩がぶつかった、目つきが気に入らないなどの些細な理由だった。
 その日から希望に満ちた高校生活は終わりを告げた。校内ですれ違うたびに胸を、肩を、腹を殴られた。脇腹を、太ももを、蹴り飛ばされた。桜が散る頃には全身が痣だらけになっていた。桜が散っても、いじめは終わらない。まだ序の口だった。
「山岸、お前さ、放課後、駅前のゲーセンに来いよ」田川がそう伝えてくる。彼は体格に恵まれていた。手足が長く、廊下を歩くだけで周囲を威圧してしまうほどだ。山岸の頭の位置は、彼にとっての肩くらいだった。
 山岸に背中はトイレの壁に寄りかかり、尻は床についていた。右肩が、腹部が、ズキズキと痛む。
「う、うん」山岸はよろよろと立ち上がる。その頃には反対、抵抗する選択肢は無くなっていた。
「お、終わった?」と入り口で見張りをしていた根室と佐藤が戻ってくる。「今回も派手にやったなぁ」根室がけたけたと笑い、「情けないな」と佐藤が軽く足を近づける。
「おい、顔面蹴るのと足の裏を使うのはやめとけ」田川が忠告をする。「バレたら面倒なことになるんだから」
「お、田川優しいー」根室が茶化す。
「ちげーよ。目をつけられたらやりづらくなんだろうが」こうやるんだ、と田川が右足を振り上げた。左肩に足が当たり、勢いで山岸は小便器に身体をぶつける。その時に壁に頭が当たり、痛みでしゃがみ込んでしまう。
「オッケー」と佐藤が近づいてきて、山岸の胸ぐらを掴む。突然持ち上げられたことに驚き、「ひっ」と情けない声を出してしまう。田川達の笑い声が聞こえる。山岸は恥ずかしさで泣きそうになった。
 腹を殴られ、再びしゃがみ込む。腹部への攻撃は今日で三度目だった。|迫《せ》り上がるものを感じ、お腹を抑え、その場で嘔吐した。
「うわっ。きったねえな」佐藤が後ろへ除ける。
「山岸、これ、なんとかしとけよ。んじゃ、放課後な」田川達はトイレを出て行く。
 山岸は一人トイレに残される。情けなさで涙が溢れ、鼻水を啜ると吐瀉物が鼻に染みた。
「金なくなったから貸してよ」
 放課後、ゲームセンターへ行くと田川がお金を要求してきた。耳を抑えたくなるほどに、館内の音が騒がしかった。
「いやそんな金額は出せないよ」山岸は断る。数百円ならともかく、五千円は高校生が簡単に出せる金額ではない。
「は?断るの?」田川は筐体の椅子に座っている。格闘ゲームだった。
 山岸は身が|竦《すく》む思いをするが「無理だよ」ときっぱりと断った。ない袖は振れない。
「ある分でいいからよこせ」
「手持ちが殆どないんだ」事実だった。財布には千円しか入っていない。
「もーらい」根室が山岸の尻ポケットから長財布を引き抜いた。いつの間にか背後にいたらしい。
「あっ」山岸が手を伸ばすが、根室が手を高く上げるだけで届かなくなる。
 根室が佐藤に財布を放り投げる。「返してよ」と佐藤に言うが、聞き入ってもらえるわけがない。懇願することは彼らにとって、火に油を注ぐことと同様だった。
「うわ、千円しかないじゃん」佐藤が財布の中身を物色する。だから言ったじゃないか、と山岸は心の中で毒づいた。佐藤は千円札を田川に渡し、財布を山岸に放り投げた。
 田川は千円札を受け取ると「なんでもいいから次までに金を持ってこい」と山岸に命じた。
 それから山岸は「参考書を買うから」「友達と遊ぶから」と母に理由をつけ、お金をもらった。渡される度、心が痛んだ。
「んじゃ、また明日な」田川達が笑い声を上げながらハンバーガー店から出て行く。
 ポテトの食べカスや飲み残しのカップが置かれた盆を片付けるのは、誰に言われるわけでもなく山岸の仕事だった。盆ごと壁に投げつけたくなる衝動を必死で抑える。会計は山岸が既に支払っていた。母からもらう小遣いと追加分も含め、それらは全て田川達の懐へと入っていく。
 気分が晴れないまま、ハンバーガー店を出ると田川達がまだ店舗前に屯《たむろ》していた。店内の客が少ないのは彼らのせいではないだろうか、営業妨害にならないのだろうか、と山岸は思う。田川が手のひらを差し出した。「わかんだろ?金、よこせ」
「こ、今月分はもうないよ。それに母親からもこれ以上はもらえない。怪しまれる」
「じゃあさ、母の財布から抜いてこいよ」
「む、無理だよ」
「すぐに諦めんなって。何事もやってみなきゃわかんないだろ」田川が山岸の肩に手を置く。「田川、鬼過ぎるだろ」佐藤が噴き出した。何がおかしいのか。 
「つーわけで、頼むな」田川に背中を叩かれ、彼らはハンバーガー店を後にした。
 山岸は母が風呂に入っている間などを見計らい、財布から金を抜き取った。怪しまれないよう、千円札一枚と小銭を三百円分抜き取り、翌日、田川に渡した。
「は?これだけか?少なすぎるだろうが」田川は怒鳴った。
「し、仕方ないじゃん。一度に何万円も抜き取ったらバレるかもしれないんだから」
「まあいい。この金でタバコを買ってこい」
「たった千三百円?少なすぎない?」佐藤が笑う。「よく、それで許したね」
 山岸は倉庫前で立ち止まる。ポケットにあるタバコの箱を無意識に握りしめそうになり、慌てて手を離す。頼まれたタバコを、自転車を走らせ商店で購入した。親に頼まれた、と言えば未成年でも購入できる商店だった。
 今は使われていない体育館裏の倉庫は、不良達の溜まり場となっている。
「いいんだよ。これで」田川が笑う。「金額はどうでもいいんだよ。大事なのは親からお金を盗ったその事実。身も心も服従している証拠だよ。見ろよ。あの罪悪感で辛そうな表情を。これを見るのがたまらないんだ。あいつは弱虫でバカだからな」
「田川、お前やばいって」佐藤が手を叩いて笑う。
 山岸は放心状態だった。どんな思いで母の財布から金を抜き取ったのかを田川は理解している。その上で脅し、罪悪感に苦しむ山岸の表情を楽しんでいる。言葉が通じるはずがない。化け物だった。今すぐ全てを投げ出したい気持ちになる。
「おい、何してんだ。早く中に入れ」声をかけられ山岸は心臓が飛び出てしまうくらい驚く。根室が背後に立っていた。
 根室に連れられ、山岸は倉庫に入る。ヘラヘラと媚びへつらい笑いながら「田川君、買ってきたよ」とタバコを手渡した。