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二章 松原秋菜 17

ー/ー



チーンと和室に音が響く。秋菜は手を合わせ、「夏生のお父さん、お母さん、お邪魔しています。遊びにきました」と伝えた。
 一体、夏生はどれほどの悲しみ、喪失感、寂しさをその身に背負ってきたのだろう。
 枕を涙で濡らす夜を何度過ごしたのだろう。想像するだけで秋菜は居ても立ってもいられなくなり、和室を飛び出し、二階への階段を駆け上がる。「夏生!」と呼びかける。
 急いで夏生の部屋のドアを開けた。秋菜の目に真っ先に飛び込んだのはクマのキーホルダー。夏生と遊園地で買ったお揃いのグッズだった。それが、浮いていた。手足が動く。夏生の周りを旋回する。
 夏生はドアに背を向けるかたちで部屋の中心に、事切れた人形のように座っていた。
 ドサッ、と何かが落ちる音が聞こえ、秋菜は意識を取り戻す。いつの間にか手提げカバンを落としていた。
 足元にお菓子の袋やプリント、ノートなどが散乱している。目の前の光景に理解が追いついていなかった。
 キーホルダーが落下し、夏生が驚いた表情で振り向いた。その目には涙が流れていた。拭いていないのか頬が渇いており、涙の跡が残っていた。
 互いに目を合わせ、硬直する。重苦しい空気が流れる。口火を開いたのは秋菜だった。「夏生、何これ?」キーホルダーに目を向ける。「何が、起きているの?」
「秋菜、こ、これはね」夏生が明らかに動揺しているのが分かる。声が、上擦っている。「手品、そう手品なの。どう、すごいでしょ」
 咄嗟に思いついたであろう苦し紛れな言い訳だ。生真面目で嘘がつけない夏生の性格。普段、秋菜はその様子を微笑ましく見ていた。が、今、この場では完全に裏目に出ていた。
 夏生が話していることが嘘なのであれば、不可思議な現象が起きている、ということだ。「学校を休んで、ずっと手品をしてたの?」秋菜は無意識に一歩、後ずさる。
「うん、そうなの」夏生は平静を装っているが、その目は泳いでいる。
「嘘だ。夏生が誤魔化してるのはすぐわかる。目を逸らしてるもん」
「そんなことないって」一瞬、ハッとした表情を見せた夏生は、秋菜の目を見つめた。そのような反応をすれば、認めているようなものだ。余裕がないのだろう。
「じゃあ、タネを教えてよ」余裕がないのは秋菜も同様だった。理解が追いついていない。しかし見なかったことにして引き下がることはできなかった。
「マジシャンが、タネを教えるわけないでしょ」
「でしょ、言えないことなんでしょ」
「だから手品だって」ぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き、夏生の声に苛立ちが混ざり始める。
「じゃあその涙は何?」夏生の茶番に付き合うのは限界だった。秋菜は感情が高ぶり、しぼり出すような声になってしまう。「夏生、遊園地に行ってから何かあったの?お母さんも心配してた。どうしたの?なんでも話してよ」
「あんたに」と呟き、夏生は立ち上がる。その目は泳いでおらず、真っ直ぐに秋菜を見つめていた。「あんたに私の気持ちがわかる訳ないでしょ。放っておいてよ」
 夏生は、強い人だ。曲がったことは大嫌いで敵わない相手にも平気で立ち向かう。そして、優しく手を、差し伸べてくれる。公園で初めて出会ったあの日から、彼女の背中は誰よりも大きくて、頼もしく、秋菜にとっての憧れだった。
 一人で解決する力を、胆力を持っているからこそ、夏生は両親を失った悲しみと、この不可思議な状況を受け止め、抱え込もうといるのだろう。それ故に、差し伸べられた手を自分で払いのけてしまう。
 秋菜にはその姿が痛ましく、見るに耐えなかった「そうやってさ、いつもいつもどうして一人で抱え込むの?だから引き篭もってしまうんじゃないの?もっと周りを頼ってよ」
「あんたこそそういうのやめてよ」夏生は嫌気がさしたような表情を浮かべ、鼻で笑った。「いつも私の保護者面してさ、どうせ思ってるんでしょ。『親を亡くした可哀想な子』だって」
「可哀想って、どうしてそんなこと、私はそんなこと思ってないよ……?」思いもよらない夏生の言葉に、秋菜は動揺しつつも、チグハグさを感じていた。名前ではなく『あんた』と呼ぶなんて、夏生らしくない。
 数日前の遊園地で遊び、『誘ってくれてありがとう』と言っていた彼女の姿とはどうしても結びつかなかった。まるで、必死に自分に言い聞かせている、もしくは誰かに言わされているようだった。
「夏生は、私といることが嫌になったの?」
「そういうわけじゃないけど」夏生は気まずそうに目を伏せたが、何かを思い出したかのように顔を上げた。
「大体さ、そこまで心配するんだったら秋菜に私のお父さんとお母さんを生き返らせ……」口を衝いて出た自身の言葉に、夏生は慌てて口を噤んだ。そして秋菜を見た。その表情は引き攣っている。
 秋菜は昂っていた感情がスッと引いていくのを感じた。「何よ、それ。そんなことできる訳ないでしょ」
「違うの秋菜、今のは」夏生は慌てて弁解しようとするが聞いていられなかった。
 訳が、分からなかった。取り乱し、動揺しているとはいえ、言って良いことと悪いことがある。秋菜が何より許せなかったのは夏生が本心を隠し、まるで遠ざけるように言葉を選び、申し訳なさそうにしていることだった。
「夏生、この間言ってたよね。『両親に心配かけたくない』って。部屋に引き篭もって、周りに当たり散らす今のあなたを見たらなんと言うんだろうね」
 秋菜の言葉に夏生はビクッと身体を(すく)め、言葉に詰まっている。その目は秋菜を見ているがどこか別なところを見ているようで(うつろ)だった。
 針に刺されたように胸が痛む。「ごめん、私も言い過ぎた。今日は帰るね」目を逸らし、秋菜は床に散らばったプリントやノート、お菓子の袋などをまとめ始める。「これ、学校で配られたプリントとまとめたノートだから。お菓子、食べてね。それじゃ」
 秋菜は急ぐように夏生に背を向ける。ドアを閉める音と「あ、待って」と呟く夏生の声が重なったが、聞こえなかったことにした。
 ため息をつき、重い足取りで廊下を歩く。頭を冷やし、状況を整理する時間が秋菜には必要だった。
 お菓子を食べながら、たっぷりと時間を使って夏生の話を聞くはずが、こんなことになるとは思わなかった。夏生の部屋から物が落ちるような音がした。
 振り向くとドアノブが下がり、ギィ……と静かな音を立てドアが開いた。夏生の姿はなかった。自分の身体から血の気が引いていくのを秋菜は感じる。今すぐにでも自宅に戻り、布団に入って今日見たことは全て忘れたかった。
 怯える自身の感情を自覚しながらも、秋菜は一歩、また一歩と部屋へと近づいていく。私がここで逃げたら誰が夏生を助けるんだ、その思いが秋菜を奮い立たせていた。もし、このまま引き返せば夏生に対し秋菜は負い目を抱え、普段通りに接することはきっとできなくなってしまうだろう。
 そして思い出される夏生の虚な目。いずれ夏生はどこか遠くに行ってしまう、そんな予感がした。
「夏生、どうしたの?」秋菜は恐る恐る部屋を覗くと、文房具やノート、お菓子の袋などが浮き上がっていた。秋菜は周りを見渡し、部屋の状況に呆然としてしまう。
 夏生は部屋の中央で、膝から崩れ落ちた状態で放心状態となっていた。虚な目と、頬に沿って流れ落ちる涙。「夏生!大丈夫?」声をかけても反応がない。その目には秋菜が映っていないのだろう。
 浮かびあがった物が、示しを合わせたかのように縦横無尽に動き始めた。夏生の周りを旋回している。窓にヒビが入り、亀裂が広がって、音を立てて割れた。カーテンが強風によってはためいている。
 散らばった破片も浮かび上がり、旋回に加わった。危険で近づくことすらできない。目の前の状況が着実に、悪化していくのを秋菜は感じていた。このまま放っておけばどうなってしまうのだろう。足が震え、その場でへたり込みそうになる。
 机の上に目が止まる。写真立てだった。お城を背景に遊園地で撮った写真で、ガラスにはヒビが入っていた。物が飛び交う中、これだけは浮いていなかった。秋菜は遊園地での出来事を思い出す。


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チーンと和室に音が響く。秋菜は手を合わせ、「夏生のお父さん、お母さん、お邪魔しています。遊びにきました」と伝えた。
 一体、夏生はどれほどの悲しみ、喪失感、寂しさをその身に背負ってきたのだろう。
 枕を涙で濡らす夜を何度過ごしたのだろう。想像するだけで秋菜は居ても立ってもいられなくなり、和室を飛び出し、二階への階段を駆け上がる。「夏生!」と呼びかける。
 急いで夏生の部屋のドアを開けた。秋菜の目に真っ先に飛び込んだのはクマのキーホルダー。夏生と遊園地で買ったお揃いのグッズだった。それが、浮いていた。手足が動く。夏生の周りを旋回する。
 夏生はドアに背を向けるかたちで部屋の中心に、事切れた人形のように座っていた。
 ドサッ、と何かが落ちる音が聞こえ、秋菜は意識を取り戻す。いつの間にか手提げカバンを落としていた。
 足元にお菓子の袋やプリント、ノートなどが散乱している。目の前の光景に理解が追いついていなかった。
 キーホルダーが落下し、夏生が驚いた表情で振り向いた。その目には涙が流れていた。拭いていないのか頬が渇いており、涙の跡が残っていた。
 互いに目を合わせ、硬直する。重苦しい空気が流れる。口火を開いたのは秋菜だった。「夏生、何これ?」キーホルダーに目を向ける。「何が、起きているの?」
「秋菜、こ、これはね」夏生が明らかに動揺しているのが分かる。声が、上擦っている。「手品、そう手品なの。どう、すごいでしょ」
 咄嗟に思いついたであろう苦し紛れな言い訳だ。生真面目で嘘がつけない夏生の性格。普段、秋菜はその様子を微笑ましく見ていた。が、今、この場では完全に裏目に出ていた。
 夏生が話していることが嘘なのであれば、不可思議な現象が起きている、ということだ。「学校を休んで、ずっと手品をしてたの?」秋菜は無意識に一歩、後ずさる。
「うん、そうなの」夏生は平静を装っているが、その目は泳いでいる。
「嘘だ。夏生が誤魔化してるのはすぐわかる。目を逸らしてるもん」
「そんなことないって」一瞬、ハッとした表情を見せた夏生は、秋菜の目を見つめた。そのような反応をすれば、認めているようなものだ。余裕がないのだろう。
「じゃあ、タネを教えてよ」余裕がないのは秋菜も同様だった。理解が追いついていない。しかし見なかったことにして引き下がることはできなかった。
「マジシャンが、タネを教えるわけないでしょ」
「でしょ、言えないことなんでしょ」
「だから手品だって」ぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き、夏生の声に苛立ちが混ざり始める。
「じゃあその涙は何?」夏生の茶番に付き合うのは限界だった。秋菜は感情が高ぶり、しぼり出すような声になってしまう。「夏生、遊園地に行ってから何かあったの?お母さんも心配してた。どうしたの?なんでも話してよ」
「あんたに」と呟き、夏生は立ち上がる。その目は泳いでおらず、真っ直ぐに秋菜を見つめていた。「あんたに私の気持ちがわかる訳ないでしょ。放っておいてよ」
 夏生は、強い人だ。曲がったことは大嫌いで敵わない相手にも平気で立ち向かう。そして、優しく手を、差し伸べてくれる。公園で初めて出会ったあの日から、彼女の背中は誰よりも大きくて、頼もしく、秋菜にとっての憧れだった。
 一人で解決する力を、胆力を持っているからこそ、夏生は両親を失った悲しみと、この不可思議な状況を受け止め、抱え込もうといるのだろう。それ故に、差し伸べられた手を自分で払いのけてしまう。
 秋菜にはその姿が痛ましく、見るに耐えなかった「そうやってさ、いつもいつもどうして一人で抱え込むの?だから引き篭もってしまうんじゃないの?もっと周りを頼ってよ」
「あんたこそそういうのやめてよ」夏生は嫌気がさしたような表情を浮かべ、鼻で笑った。「いつも私の保護者面してさ、どうせ思ってるんでしょ。『親を亡くした可哀想な子』だって」
「可哀想って、どうしてそんなこと、私はそんなこと思ってないよ……?」思いもよらない夏生の言葉に、秋菜は動揺しつつも、チグハグさを感じていた。名前ではなく『あんた』と呼ぶなんて、夏生らしくない。
 数日前の遊園地で遊び、『誘ってくれてありがとう』と言っていた彼女の姿とはどうしても結びつかなかった。まるで、必死に自分に言い聞かせている、もしくは誰かに言わされているようだった。
「夏生は、私といることが嫌になったの?」
「そういうわけじゃないけど」夏生は気まずそうに目を伏せたが、何かを思い出したかのように顔を上げた。
「大体さ、そこまで心配するんだったら秋菜に私のお父さんとお母さんを生き返らせ……」口を衝いて出た自身の言葉に、夏生は慌てて口を噤んだ。そして秋菜を見た。その表情は引き攣っている。
 秋菜は昂っていた感情がスッと引いていくのを感じた。「何よ、それ。そんなことできる訳ないでしょ」
「違うの秋菜、今のは」夏生は慌てて弁解しようとするが聞いていられなかった。
 訳が、分からなかった。取り乱し、動揺しているとはいえ、言って良いことと悪いことがある。秋菜が何より許せなかったのは夏生が本心を隠し、まるで遠ざけるように言葉を選び、申し訳なさそうにしていることだった。
「夏生、この間言ってたよね。『両親に心配かけたくない』って。部屋に引き篭もって、周りに当たり散らす今のあなたを見たらなんと言うんだろうね」
 秋菜の言葉に夏生はビクッと身体を|竦《すく》め、言葉に詰まっている。その目は秋菜を見ているがどこか別なところを見ているようで|虚《うつろ》だった。
 針に刺されたように胸が痛む。「ごめん、私も言い過ぎた。今日は帰るね」目を逸らし、秋菜は床に散らばったプリントやノート、お菓子の袋などをまとめ始める。「これ、学校で配られたプリントとまとめたノートだから。お菓子、食べてね。それじゃ」
 秋菜は急ぐように夏生に背を向ける。ドアを閉める音と「あ、待って」と呟く夏生の声が重なったが、聞こえなかったことにした。
 ため息をつき、重い足取りで廊下を歩く。頭を冷やし、状況を整理する時間が秋菜には必要だった。
 お菓子を食べながら、たっぷりと時間を使って夏生の話を聞くはずが、こんなことになるとは思わなかった。夏生の部屋から物が落ちるような音がした。
 振り向くとドアノブが下がり、ギィ……と静かな音を立てドアが開いた。夏生の姿はなかった。自分の身体から血の気が引いていくのを秋菜は感じる。今すぐにでも自宅に戻り、布団に入って今日見たことは全て忘れたかった。
 怯える自身の感情を自覚しながらも、秋菜は一歩、また一歩と部屋へと近づいていく。私がここで逃げたら誰が夏生を助けるんだ、その思いが秋菜を奮い立たせていた。もし、このまま引き返せば夏生に対し秋菜は負い目を抱え、普段通りに接することはきっとできなくなってしまうだろう。
 そして思い出される夏生の虚な目。いずれ夏生はどこか遠くに行ってしまう、そんな予感がした。
「夏生、どうしたの?」秋菜は恐る恐る部屋を覗くと、文房具やノート、お菓子の袋などが浮き上がっていた。秋菜は周りを見渡し、部屋の状況に呆然としてしまう。
 夏生は部屋の中央で、膝から崩れ落ちた状態で放心状態となっていた。虚な目と、頬に沿って流れ落ちる涙。「夏生!大丈夫?」声をかけても反応がない。その目には秋菜が映っていないのだろう。
 浮かびあがった物が、示しを合わせたかのように縦横無尽に動き始めた。夏生の周りを旋回している。窓にヒビが入り、亀裂が広がって、音を立てて割れた。カーテンが強風によってはためいている。
 散らばった破片も浮かび上がり、旋回に加わった。危険で近づくことすらできない。目の前の状況が着実に、悪化していくのを秋菜は感じていた。このまま放っておけばどうなってしまうのだろう。足が震え、その場でへたり込みそうになる。
 机の上に目が止まる。写真立てだった。お城を背景に遊園地で撮った写真で、ガラスにはヒビが入っていた。物が飛び交う中、これだけは浮いていなかった。秋菜は遊園地での出来事を思い出す。