表示設定
表示設定
目次 目次




二章 松原秋菜 16

ー/ー



「お母さん、私、明日の学校休むよ」秋菜は陽子にそう伝えた。
「どうして?」
「夏生がここ数日、学校に来ていないからよ。何かあったのかしら」
「私も心配だけど……でも学校が終わってからでもいいんじゃない?」
「それが、帰りに行くと待ち構えたように夏生のあばあちゃんが掃除をしていたり、おじいちゃんが散歩をしていたりするの」
「偶然じゃないの?」
「遊びに行ってた頃はおじいちゃんとおばあちゃんは家にいることが多かったもの。きっと夏生が二人に頼んでるんだわ」
 陽子がため息をつく。「あんたは一度言ったら曲げないもんね。いいわよ。休みなさい。ただし、連絡は自分で入れること。わかった?」
「わかった。お母さん、ありがとう」
 秋菜は翌日の朝、学校に連絡を入れた。「急に腹痛になったので休みます」と伝えた。
 学校は普段休まず、冗談を言うような生徒ではなかったため、先生は秋菜を疑わずに「お大事に。ゆっくり休んでくださいね」と言ってくれた。
 先生の心配そうな声に、秋菜は申し訳なさで胸がいっぱいになった。ごめんなさい、先生。
 手提げバックとお菓子の入ったビニール袋を持って秋菜は家を出た。手提げバックには学校から渡されていたプリントや秋菜がまとめて置いたノートが、ビニール袋にはお菓子やコンビニスイーツが入っている。
 いつも遊ぶ時よりちょっとだけ豪華な差し入れを持って夏生の話にとことん付き合おう、というのが秋菜の算段だった。何せ時間はたっぷりあるのだから。
「あら、どうしたの?秋菜ちゃん。学校は?」
 夏生の家は徒歩で十五分ほどの場所にあった。その道中、秋菜は近所の人から声をかけられた。「大事な用事があるので」と誤魔化した。当然だ。学校に行く時間なのにお菓子などを持って歩いているのだから。
 学校に連絡されませんように、と祈り、走りながら夏生の家へと向かっていく。
 夏生の家に着いた。向かいには母屋が建っているが夏生の祖母と祖父は見当たらない。鉢合わせる前に急いで扉の前へ行く。
 インターホンを押す。返事や歩いてくる音が聞こえることはなく、引き戸が開けられ、夏生が顔を出すこともなかった。
 秋菜は引き戸に手をかける。鍵が閉まっておらず、あっさり開けられた。「お邪魔しまーす」と呟き、秋菜は玄関へと入っていく。
 家の中は、しん、と静まり返っていた。「夏生ー。いるのー?お邪魔しまーす」改めて秋菜は声をかけるが返事はない。
 靴を脱ぎ、家の中を歩くことにした。玄関を上がった先には通路があり、右手にはリビングとキッチンの部屋が、左手には和室がある。奥は物置などの部屋や二階へと続く階段がある。
 秋菜はリビングへのドアを開ける。ローテーブルやソファ、テレビが置かれていた。
 秋菜は胸に痛みを感じる。同時に、夏生の両親との記憶を思い出す。
 遊びに行った時には毎回リビングでテレビを見ている夏生の父親。「お、秋菜ちゃんこんにちは。ゆっくり遊んでいってね」と声をかけられる。秋菜が返事をする前に「はいはい。お父さんは早く和室に引っ込んでください」と促す夏生、この流れがいつものお決まりだった。
 好きなアニメやドラマを見て夏生と感想を言い合った。楽しい時間というのはあっという間で気がつけば夕方になり、帰りの放送が町内に流れ始める。
 帰ろうとした秋菜に「ああ、ちょっと待って秋菜ちゃん、ご飯食べていきなさい」と声をかけてくる夏生の母親。
 安藤家と食卓を囲む時間は温かく、かけがえのないものだった。秋菜にとっては親ではなく、友達の両親にすぎないが、それだけでも辛く、耐え難い。夏生の抱えているものは計り知れなかった。
 足取りが自然と早くなる。キッチンにも夏生はおらず、秋菜は和室へと向かう。襖を開けるのは躊躇(ためら)った。室内には仏壇の前で涙を流す夏生の姿が浮かんだからだ。
 秋菜はゆっくりと襖を開け、「夏生、いる?」と声をかけた。
 和室には誰もいなかった。仏壇がそこにはあり、夏生の両親の遺影が置かれていた。
 あの日、葬儀場での夏生は取り乱していた。事故で入院し、夏生が目を覚ました頃には葬儀が行われていた。
 急いで葬儀場へと駆けつける夏生。事故の怪我は外から見る限りでは分からなかった。骨折をした時のように、そえ木で固定をしているわけでもなく、松葉杖をついてもいない。
 目立った外傷もなく、普段通りの夏生に見えた。ただ一つ、涙で腫れ上がった表情を除いて。秋菜はかける言葉が見つからなかった。
 啜り泣く声が聞こえ、周囲を見渡すと、陽子だった。水の波紋のように、カエルの鳴き声のように啜り泣く声は伝染していった。気がつくと秋菜もその一員に加わっていた。
 夏生はおりんの前で固まっていた。いつまでも拝むことはなく、まるで地面と足がくっついてしまったかのように動かない。
 永遠とも思える時間が流れた。その間にも啜り泣く声は広がっていく。嗚咽している人もいる。
「なっちゃん、拝んであげて」夏生の祖母が優しく声をかける。夏生は駄々をこねた子供のように首を振った。
 亡くなったのを、認めたくなかったのだろう。祖母は無言で夏生を抱き寄せ、頭を撫でていた。まるで子守唄を歌うように語りかけている。秋菜はその様子を見て余計に涙が止まらなかった。
 しばらくして、チーンと葬儀場に静かな音が響く。心に染み渡るようだった。途端、夏生は膝から崩れ落ち、泣き出した。
 秋菜がトイレのために席を外した時、夏生が「どうしてなの?」と叫ぶ声が聞こえた。秋菜が物陰から様子を伺うと、夏生の祖父母と見慣れない老夫婦が夏生の周りに居た。
 恐らく、父方の祖父母だろう。「どうしてお父さんとお母さんの顔を見せてくれないの?」と夏生は詰め寄っている。彼らは夏生を宥め、謝ることしかできなかった。
 居た堪れなかった。取り乱す夏生の鬼気迫る表情を、秋菜は忘れられなかった。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 二章 松原秋菜 17


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



「お母さん、私、明日の学校休むよ」秋菜は陽子にそう伝えた。
「どうして?」
「夏生がここ数日、学校に来ていないからよ。何かあったのかしら」
「私も心配だけど……でも学校が終わってからでもいいんじゃない?」
「それが、帰りに行くと待ち構えたように夏生のあばあちゃんが掃除をしていたり、おじいちゃんが散歩をしていたりするの」
「偶然じゃないの?」
「遊びに行ってた頃はおじいちゃんとおばあちゃんは家にいることが多かったもの。きっと夏生が二人に頼んでるんだわ」
 陽子がため息をつく。「あんたは一度言ったら曲げないもんね。いいわよ。休みなさい。ただし、連絡は自分で入れること。わかった?」
「わかった。お母さん、ありがとう」
 秋菜は翌日の朝、学校に連絡を入れた。「急に腹痛になったので休みます」と伝えた。
 学校は普段休まず、冗談を言うような生徒ではなかったため、先生は秋菜を疑わずに「お大事に。ゆっくり休んでくださいね」と言ってくれた。
 先生の心配そうな声に、秋菜は申し訳なさで胸がいっぱいになった。ごめんなさい、先生。
 手提げバックとお菓子の入ったビニール袋を持って秋菜は家を出た。手提げバックには学校から渡されていたプリントや秋菜がまとめて置いたノートが、ビニール袋にはお菓子やコンビニスイーツが入っている。
 いつも遊ぶ時よりちょっとだけ豪華な差し入れを持って夏生の話にとことん付き合おう、というのが秋菜の算段だった。何せ時間はたっぷりあるのだから。
「あら、どうしたの?秋菜ちゃん。学校は?」
 夏生の家は徒歩で十五分ほどの場所にあった。その道中、秋菜は近所の人から声をかけられた。「大事な用事があるので」と誤魔化した。当然だ。学校に行く時間なのにお菓子などを持って歩いているのだから。
 学校に連絡されませんように、と祈り、走りながら夏生の家へと向かっていく。
 夏生の家に着いた。向かいには母屋が建っているが夏生の祖母と祖父は見当たらない。鉢合わせる前に急いで扉の前へ行く。
 インターホンを押す。返事や歩いてくる音が聞こえることはなく、引き戸が開けられ、夏生が顔を出すこともなかった。
 秋菜は引き戸に手をかける。鍵が閉まっておらず、あっさり開けられた。「お邪魔しまーす」と呟き、秋菜は玄関へと入っていく。
 家の中は、しん、と静まり返っていた。「夏生ー。いるのー?お邪魔しまーす」改めて秋菜は声をかけるが返事はない。
 靴を脱ぎ、家の中を歩くことにした。玄関を上がった先には通路があり、右手にはリビングとキッチンの部屋が、左手には和室がある。奥は物置などの部屋や二階へと続く階段がある。
 秋菜はリビングへのドアを開ける。ローテーブルやソファ、テレビが置かれていた。
 秋菜は胸に痛みを感じる。同時に、夏生の両親との記憶を思い出す。
 遊びに行った時には毎回リビングでテレビを見ている夏生の父親。「お、秋菜ちゃんこんにちは。ゆっくり遊んでいってね」と声をかけられる。秋菜が返事をする前に「はいはい。お父さんは早く和室に引っ込んでください」と促す夏生、この流れがいつものお決まりだった。
 好きなアニメやドラマを見て夏生と感想を言い合った。楽しい時間というのはあっという間で気がつけば夕方になり、帰りの放送が町内に流れ始める。
 帰ろうとした秋菜に「ああ、ちょっと待って秋菜ちゃん、ご飯食べていきなさい」と声をかけてくる夏生の母親。
 安藤家と食卓を囲む時間は温かく、かけがえのないものだった。秋菜にとっては親ではなく、友達の両親にすぎないが、それだけでも辛く、耐え難い。夏生の抱えているものは計り知れなかった。
 足取りが自然と早くなる。キッチンにも夏生はおらず、秋菜は和室へと向かう。襖を開けるのは躊躇《ためら》った。室内には仏壇の前で涙を流す夏生の姿が浮かんだからだ。
 秋菜はゆっくりと襖を開け、「夏生、いる?」と声をかけた。
 和室には誰もいなかった。仏壇がそこにはあり、夏生の両親の遺影が置かれていた。
 あの日、葬儀場での夏生は取り乱していた。事故で入院し、夏生が目を覚ました頃には葬儀が行われていた。
 急いで葬儀場へと駆けつける夏生。事故の怪我は外から見る限りでは分からなかった。骨折をした時のように、そえ木で固定をしているわけでもなく、松葉杖をついてもいない。
 目立った外傷もなく、普段通りの夏生に見えた。ただ一つ、涙で腫れ上がった表情を除いて。秋菜はかける言葉が見つからなかった。
 啜り泣く声が聞こえ、周囲を見渡すと、陽子だった。水の波紋のように、カエルの鳴き声のように啜り泣く声は伝染していった。気がつくと秋菜もその一員に加わっていた。
 夏生はおりんの前で固まっていた。いつまでも拝むことはなく、まるで地面と足がくっついてしまったかのように動かない。
 永遠とも思える時間が流れた。その間にも啜り泣く声は広がっていく。嗚咽している人もいる。
「なっちゃん、拝んであげて」夏生の祖母が優しく声をかける。夏生は駄々をこねた子供のように首を振った。
 亡くなったのを、認めたくなかったのだろう。祖母は無言で夏生を抱き寄せ、頭を撫でていた。まるで子守唄を歌うように語りかけている。秋菜はその様子を見て余計に涙が止まらなかった。
 しばらくして、チーンと葬儀場に静かな音が響く。心に染み渡るようだった。途端、夏生は膝から崩れ落ち、泣き出した。
 秋菜がトイレのために席を外した時、夏生が「どうしてなの?」と叫ぶ声が聞こえた。秋菜が物陰から様子を伺うと、夏生の祖父母と見慣れない老夫婦が夏生の周りに居た。
 恐らく、父方の祖父母だろう。「どうしてお父さんとお母さんの顔を見せてくれないの?」と夏生は詰め寄っている。彼らは夏生を宥め、謝ることしかできなかった。
 居た堪れなかった。取り乱す夏生の鬼気迫る表情を、秋菜は忘れられなかった。