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一章 安藤夏生 7

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喉が渇いていた。部屋から出るためにベットから降りようとすると、足の裏に固いものを感じた。何かを踏んでしまったのだろう。電気をつけると部屋の状態に夏生は目を疑った。
 部屋中が、何者かに荒らされたように散らかっていたのだ。先ほど踏んだ物は写真立てで、秋菜と遊園地で撮影した写真が入っている。
 ジェットコースターで両手を上げ、楽しそうに声を上げる秋菜。祈るように目を閉じ、身体を強張らせる夏生の姿が対照的だった。
 ガラスの表面にはヒビが入っていた。周囲には文房具、教科書、漫画本、ランドセルなどが部屋の床に散らばっている。
 泥棒が入った、と夏生は真っ先に思った。祖父母に助けを求めたくても夏生は携帯を持っていないため、一階の固定電話を使うしかなかった。
母屋へ直接向かうにしても部屋から出るしかない。両親はもういないのだ。
今この家で頼れるのは自分しかいない。夏生は自身を鼓舞し、恐怖で身が(すく)む前に部屋を出ることにした。
 廊下から、恐る恐る顔を出した時点で夏生は違和感に気づいた。二階にある物置や父の部屋などの扉が全て閉まっているのだ。
 夏生の部屋もだった。各部屋を開け、様子を伺うが、荒らされた形跡は一つもない。一階に降りると、リビングもキッチンも寝る前の状態と同じだった。
リモコンや新聞の位置はそのままで、食器棚や書類の入った引き出しなども閉じられている。窓が割られているわけでもなかった。
 極め付けは玄関だった。鍵が閉められているのだ。窓が割れておらず、玄関から入った形跡もない。
 侵入する手段がないのだ。物色した後に整頓し、鍵を締め、家を後にしたのだろうか。時間をかけ、物音を立てれば住人に気づかれるリスクがある。
そもそも、そのような気遣い、几帳面さがあるのならば泥棒などしていないだろう、と夏生は思う。金庫の中身も確認したが何も盗まれてはいなかった。
 夏生は恐怖が揺らぎ、少しずつ落ち着いてくる。祖父母や警察に話そうとは思わなかった。第三者から見れば部屋が荒らされているだけであり、状況を説明できる自信がなかったからだ。
 両親を失なったことで精神が不安定になり、妄想や妄言に囚われていると思われるのがオチだ。また、自分が気づいていないだけで、無意識に部屋を荒らしてることも否定できない。夏生は以前見たテレビ番組を思い出す。
朝起きると誰もいないのにテーブルには朝食が準備されている、という不可思議な内容だった。
 監視カメラを設置したところ、犯人は自分自身であり、寝ぼけて無意識に料理をしていたのだ。世の中にはそのようなことがあるのだから、うなされて部屋を荒らしていても不思議ではない。何より、祖父母を心配させたくはなかった。
 水を飲み、夏生は部屋のソファに座る。気分が落ち着かず、テレビをつける。何も考えず、音と映像に身を委ねたくなったのだ。
 テレビでは深夜のショッピングが流れていた。主婦が家事に疲れている。しかし、この商品を使うと手間が省け生活の質が上がる、そんな内容だった。
ナレーターが不安を煽り、いかに製品の質が良いのかを説明している。夏生はテレビに映る家族に目が釘つけになってしまう。
過去の自分と重ね合わせていた。食卓を囲み、今日学校であったことを話す夏生、ご飯粒を残し、母に小言を言われ愛想笑いを浮かべる父。当たり前だった日常はもう、戻ってこないのだ。
 夏生はテレビを消した。画面には、疲弊し、涙が流れた跡が残る自身の表情が映っている。時計の秒針だけが、リビング内に響く。
 夏生は不安で押しつぶされそうになる。今は元気な祖父母も夏生の前からいずれは、いなくなってしまう。
いつも一緒にいてくれる秋菜も、「お母さんと思ってくれていいんだからね」と言ってくれた陽子も突然、夏生を見限り、離れていくのかもしれない。
「私は、一人」誰もいない部屋の中で夏生は呟く。誰もいない家、暗闇で一人、(うずくま)る自分自身、夢と同じような状態だった。
 夏生はソファで膝を抱え、身体を丸める。涙と鼻水が止まらない。頭を掻きむしり、くぐもった声が叫び声に変わりそうになる。クッションに顔を押し付け、必死に声を押し殺す。耐えきれない、限界だった。
 突然、頭に、ズキズキとした痛みと激しい動悸を夏生は感じた。
 汗が止まらなく、呼吸が苦しい。身体のどこかに穴が空いており、取り入れた酸素が抜けていくような気分になる。
浅い呼吸を繰り返し、次第に手足が痺れ、末端の感覚がなくなってくる。そして痛みに耐えかね、叫び始める寸前だった。何かが弾け、割れる音が聞こえた。
 音の方向に目を向けると、テーブルに置いていたグラスが割れている。憑き物が落ちたかのように、痛みは嘘のように消えていた。それが、超能力の覚醒を、初めて自覚した瞬間だった。
 翌日は週明けの月曜日だった。夏生は学校に連絡を入れるため受話器を取る。「体調が悪いのでしばらく休みます」と伝えた。
 先生は心配そうな反応だった。「夏生ちゃん。ゆっくり休んでね。先生にもお友達にも、何でも相談してね」と言われた。
 夏生の両親の事情は当然、知っている。本心から出た言葉とは分かっていたが素直に受け取ることができなかった。
 祖父母には「今は学校に行きたくない」と伝えた。秋菜と遊園地に遊びに行き、お土産話を楽しそうにしていた孫が急に休むのだ。昨夜は部屋を片付けていたことで睡眠が(ほとん)どとれておらず、夏生の目元には隈ができていた。
当然、心配されたが、理由を深くは追求してこなかった。
 「一人で何でも抱え込まないで。辛い時はなんでも話してね。私たちはなっちゃんの味方なんだから」玄関先で祖母が夏生の背中に伝える。
 夏生は「うん、ありがとう」と返しつつも振り返ることはなかった。なぜか胸に引っかかりを感じる。
人からの言葉を、素直に受け取ることができなくなっていた。
 超能力、この力を制御しないことには学校はおろか、外出すらままならない。
しかし、仮に制御できたとしてもいつ暴発し、周りを危険に巻き込んでしまうか分からない。
そうなるくらいだったら部屋に引き篭もっていたほうが良いのではないだろうか、と夏生は思い始めていた。加えて秋菜には絶対に知られたくはなかった。
 夢で秋菜に向けられた憐れみの表情を思い出す。危険に巻き込んでしまうことはもちろんだが、それ以上に去ってしまうことが今の夏生には耐えられなかった。
 去られるのが嫌ならば自分から距離を置けばいい。夏生はそう考えるようになった。


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喉が渇いていた。部屋から出るためにベットから降りようとすると、足の裏に固いものを感じた。何かを踏んでしまったのだろう。電気をつけると部屋の状態に夏生は目を疑った。
 部屋中が、何者かに荒らされたように散らかっていたのだ。先ほど踏んだ物は写真立てで、秋菜と遊園地で撮影した写真が入っている。
 ジェットコースターで両手を上げ、楽しそうに声を上げる秋菜。祈るように目を閉じ、身体を強張らせる夏生の姿が対照的だった。
 ガラスの表面にはヒビが入っていた。周囲には文房具、教科書、漫画本、ランドセルなどが部屋の床に散らばっている。
 泥棒が入った、と夏生は真っ先に思った。祖父母に助けを求めたくても夏生は携帯を持っていないため、一階の固定電話を使うしかなかった。
母屋へ直接向かうにしても部屋から出るしかない。両親はもういないのだ。
今この家で頼れるのは自分しかいない。夏生は自身を鼓舞し、恐怖で身が|竦《すく》む前に部屋を出ることにした。
 廊下から、恐る恐る顔を出した時点で夏生は違和感に気づいた。二階にある物置や父の部屋などの扉が全て閉まっているのだ。
 夏生の部屋もだった。各部屋を開け、様子を伺うが、荒らされた形跡は一つもない。一階に降りると、リビングもキッチンも寝る前の状態と同じだった。
リモコンや新聞の位置はそのままで、食器棚や書類の入った引き出しなども閉じられている。窓が割られているわけでもなかった。
 極め付けは玄関だった。鍵が閉められているのだ。窓が割れておらず、玄関から入った形跡もない。
 侵入する手段がないのだ。物色した後に整頓し、鍵を締め、家を後にしたのだろうか。時間をかけ、物音を立てれば住人に気づかれるリスクがある。
そもそも、そのような気遣い、几帳面さがあるのならば泥棒などしていないだろう、と夏生は思う。金庫の中身も確認したが何も盗まれてはいなかった。
 夏生は恐怖が揺らぎ、少しずつ落ち着いてくる。祖父母や警察に話そうとは思わなかった。第三者から見れば部屋が荒らされているだけであり、状況を説明できる自信がなかったからだ。
 両親を失なったことで精神が不安定になり、妄想や妄言に囚われていると思われるのがオチだ。また、自分が気づいていないだけで、無意識に部屋を荒らしてることも否定できない。夏生は以前見たテレビ番組を思い出す。
朝起きると誰もいないのにテーブルには朝食が準備されている、という不可思議な内容だった。
 監視カメラを設置したところ、犯人は自分自身であり、寝ぼけて無意識に料理をしていたのだ。世の中にはそのようなことがあるのだから、うなされて部屋を荒らしていても不思議ではない。何より、祖父母を心配させたくはなかった。
 水を飲み、夏生は部屋のソファに座る。気分が落ち着かず、テレビをつける。何も考えず、音と映像に身を委ねたくなったのだ。
 テレビでは深夜のショッピングが流れていた。主婦が家事に疲れている。しかし、この商品を使うと手間が省け生活の質が上がる、そんな内容だった。
ナレーターが不安を煽り、いかに製品の質が良いのかを説明している。夏生はテレビに映る家族に目が釘つけになってしまう。
過去の自分と重ね合わせていた。食卓を囲み、今日学校であったことを話す夏生、ご飯粒を残し、母に小言を言われ愛想笑いを浮かべる父。当たり前だった日常はもう、戻ってこないのだ。
 夏生はテレビを消した。画面には、疲弊し、涙が流れた跡が残る自身の表情が映っている。時計の秒針だけが、リビング内に響く。
 夏生は不安で押しつぶされそうになる。今は元気な祖父母も夏生の前からいずれは、いなくなってしまう。
いつも一緒にいてくれる秋菜も、「お母さんと思ってくれていいんだからね」と言ってくれた陽子も突然、夏生を見限り、離れていくのかもしれない。
「私は、一人」誰もいない部屋の中で夏生は呟く。誰もいない家、暗闇で一人、|蹲《うずくま》る自分自身、夢と同じような状態だった。
 夏生はソファで膝を抱え、身体を丸める。涙と鼻水が止まらない。頭を掻きむしり、くぐもった声が叫び声に変わりそうになる。クッションに顔を押し付け、必死に声を押し殺す。耐えきれない、限界だった。
 突然、頭に、ズキズキとした痛みと激しい動悸を夏生は感じた。
 汗が止まらなく、呼吸が苦しい。身体のどこかに穴が空いており、取り入れた酸素が抜けていくような気分になる。
浅い呼吸を繰り返し、次第に手足が痺れ、末端の感覚がなくなってくる。そして痛みに耐えかね、叫び始める寸前だった。何かが弾け、割れる音が聞こえた。
 音の方向に目を向けると、テーブルに置いていたグラスが割れている。憑き物が落ちたかのように、痛みは嘘のように消えていた。それが、超能力の覚醒を、初めて自覚した瞬間だった。
 翌日は週明けの月曜日だった。夏生は学校に連絡を入れるため受話器を取る。「体調が悪いのでしばらく休みます」と伝えた。
 先生は心配そうな反応だった。「夏生ちゃん。ゆっくり休んでね。先生にもお友達にも、何でも相談してね」と言われた。
 夏生の両親の事情は当然、知っている。本心から出た言葉とは分かっていたが素直に受け取ることができなかった。
 祖父母には「今は学校に行きたくない」と伝えた。秋菜と遊園地に遊びに行き、お土産話を楽しそうにしていた孫が急に休むのだ。昨夜は部屋を片付けていたことで睡眠が殆《ほとん》どとれておらず、夏生の目元には隈ができていた。
当然、心配されたが、理由を深くは追求してこなかった。
 「一人で何でも抱え込まないで。辛い時はなんでも話してね。私たちはなっちゃんの味方なんだから」玄関先で祖母が夏生の背中に伝える。
 夏生は「うん、ありがとう」と返しつつも振り返ることはなかった。なぜか胸に引っかかりを感じる。
人からの言葉を、素直に受け取ることができなくなっていた。
 超能力、この力を制御しないことには学校はおろか、外出すらままならない。
しかし、仮に制御できたとしてもいつ暴発し、周りを危険に巻き込んでしまうか分からない。
そうなるくらいだったら部屋に引き篭もっていたほうが良いのではないだろうか、と夏生は思い始めていた。加えて秋菜には絶対に知られたくはなかった。
 夢で秋菜に向けられた憐れみの表情を思い出す。危険に巻き込んでしまうことはもちろんだが、それ以上に去ってしまうことが今の夏生には耐えられなかった。
 去られるのが嫌ならば自分から距離を置けばいい。夏生はそう考えるようになった。