一章 安藤夏生 6
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その日の夜、夏生は泥のように眠り、そして、夢を見た。そこは周囲が真っ暗で、何も見えない空間だった。
「お父さん、お母さん?誰かいないの?」夏生は彷徨いながら辺りに呼びかける。返事はない。声が反響していた。
「夏生」聞き覚えのある声が聞こえる。気がつけば暗い空間ではなく、自宅のリビングに場所が移っていた。
父はソファに座ってテレビを見ている。母はキッチンでご飯の支度をしている最中だ。「夏生、何そこで突っ立っているのよ。暇してるんだったら手伝って」と夏生を呼んだ。
いつもであれば「え、今テレビがいいところなんだけど」などと理由をつけて断っていたが「はーい」と元気よく返事をしキッチンへと向かう。
休日の昼下がり、家族と過ごす何気ない日常の風景。夏生にとっては二度と戻ることはない時間だった。
歩き出すと、目の前が、歪む。平衡感覚を失い、よろめく。瞬きをするとリビングから暗闇へと戻っていた。両親は無表情で夏生を見ている。
胸に冷たいものを感じ「お父さん、お母さん?」と問いかける。
母は突然泣き出し、父が宥めようとしている。そして消え入るような声で「どうして、あなただけ……」と呟く。
夏生は全身の血の気が引くのを感じ、硬直した。母はこんなこと言わない。これは夢だ、と自覚し始めていた。
「あなたの顔も見たくない」母はそう言い放つと父に連れられ、夏生に背を向けて歩き始めた。
「待って」夏生は追いかけるが距離は一向に縮まらない。夏生の声に振り返ることはなく、両親は暗闇の奥へと姿を消していった。
夏生は膝から崩れ落ちる。嗚咽していると「どうしたの?そんなに泣いて」と肩を叩かれた。
振り向くと祖父母の姿があった。
いつも夏生が泣いていると祖母は「ああ、どうしよう、どうしよう」と慌て、「大丈夫。何とかなる」と腕を組みつつも心配の表情が隠せていない祖父。そんな二人が夏生は大好きだった。
「おじいちゃんとおばあちゃんは居なくならないよね」と夏生は思わず聞いてしまう。
祖父母は顔を見合わせ、バツの悪そうな顔をした。初めて見る表情だった。「じゃあね。なっちゃん」と祖父母は理由も話さずに暗闇へ消えていった。
自分の元から人が、次々と消えていく。今度は追いかけることもできなかった。
やがて、秋菜と陽子が姿を現した。二人は憐れんだ表情で夏生を見ていた。「可哀想な子」と陽子が呟く。
夏生は限界だった。「どっか行ってよ。一人にして」と叫んだ。二人は笑い声を上げて姿を消した。
暗闇にただ一人、夏生は取り残される。私は一人ぼっちなんだ、と夏生は悟った。言葉にならない不安に襲われる。頭を抱え、その場でうずくまる。「もう、嫌。生きたくない」
突然、臓器が浮き上がるような浮遊感に襲われた。地面が消失したのだ、と夏生は遅れて気づく。
夏生は、果てのない暗闇の中へと落ちていく。
平衡感覚もなく、ただひたすらに落ちていく。
助けを求めるでも、叫ぶこともなく、現状を受け入れる。しかし涙は溢れて止まらなかった。
夏生は飛び起きた。汗をびっしょりとかき、パジャマが肌に張り付いていた。
不快な気分になる。頬に滴るものを感じ、手で拭うと涙だった。夢の内容は鮮明に覚えていた。いつもはすぐに忘れてしまうのに、と夏生は思う。
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「お父さん、お母さん?誰かいないの?」夏生は|彷徨《さまよい》いながら辺りに呼びかける。返事はない。声が反響していた。
「夏生」聞き覚えのある声が聞こえる。気がつけば暗い空間ではなく、自宅のリビングに場所が移っていた。
父はソファに座ってテレビを見ている。母はキッチンでご飯の支度をしている最中だ。「夏生、何そこで突っ立っているのよ。暇してるんだったら手伝って」と夏生を呼んだ。
いつもであれば「え、今テレビがいいところなんだけど」などと理由をつけて断っていたが「はーい」と元気よく返事をしキッチンへと向かう。
休日の昼下がり、家族と過ごす何気ない日常の風景。夏生にとっては二度と戻ることはない時間だった。
歩き出すと、目の前が、歪む。平衡感覚を失い、よろめく。瞬きをするとリビングから暗闇へと戻っていた。両親は無表情で夏生を見ている。
胸に冷たいものを感じ「お父さん、お母さん?」と問いかける。
母は突然泣き出し、父が宥めようとしている。そして消え入るような声で「どうして、あなただけ……」と呟く。
夏生は全身の血の気が引くのを感じ、硬直した。母はこんなこと言わない。これは夢だ、と自覚し始めていた。
「あなたの顔も見たくない」母はそう言い放つと父に連れられ、夏生に背を向けて歩き始めた。
「待って」夏生は追いかけるが距離は一向に縮まらない。夏生の声に振り返ることはなく、両親は暗闇の奥へと姿を消していった。
夏生は膝から崩れ落ちる。嗚咽していると「どうしたの?そんなに泣いて」と肩を叩かれた。
振り向くと祖父母の姿があった。
いつも夏生が泣いていると祖母は「ああ、どうしよう、どうしよう」と慌て、「大丈夫。何とかなる」と腕を組みつつも心配の表情が隠せていない祖父。そんな二人が夏生は大好きだった。
「おじいちゃんとおばあちゃんは居なくならないよね」と夏生は思わず聞いてしまう。
祖父母は顔を見合わせ、バツの悪そうな顔をした。初めて見る表情だった。「じゃあね。なっちゃん」と祖父母は理由も話さずに暗闇へ消えていった。
自分の元から人が、次々と消えていく。今度は追いかけることもできなかった。
やがて、秋菜と陽子が姿を現した。二人は憐れんだ表情で夏生を見ていた。「可哀想な子」と陽子が呟く。
夏生は限界だった。「どっか行ってよ。一人にして」と叫んだ。二人は笑い声を上げて姿を消した。
暗闇にただ一人、夏生は取り残される。私は一人ぼっちなんだ、と夏生は悟った。言葉にならない不安に襲われる。頭を抱え、その場でうずくまる。「もう、嫌。生きたくない」
突然、臓器が浮き上がるような浮遊感に襲われた。地面が消失したのだ、と夏生は遅れて気づく。
夏生は、果てのない暗闇の中へと落ちていく。
平衡感覚もなく、ただひたすらに落ちていく。
助けを求めるでも、叫ぶこともなく、現状を受け入れる。しかし涙は|溢《あふ》れて止まらなかった。
夏生は飛び起きた。汗をびっしょりとかき、パジャマが肌に張り付いていた。
不快な気分になる。頬に滴るものを感じ、手で拭うと涙だった。夢の内容は鮮明に覚えていた。いつもはすぐに忘れてしまうのに、と夏生は思う。