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本編

ー/ー



 目覚めると、窓の外では銀色の粉が舞うように降っていた。
 それは上からの光に反射し、キラキラと輝いてとても綺麗だ。

 柔らかな布団から体を起こし部屋を出て、暖炉の熱で暖まったダイニングに向かう。テーブルでは眼鏡をかけた男の人が新聞を読みながら飲みものを口に運んでおり、キッチンでは髪を束ねた女の人がテキパキと何かを作っていた。そして……。

「にぃに、おはよー」
「あぁ。おはよう、よく眠れたかい?」

 寝ぼけ眼で後ろから姿を現した小さな女の子に声をかけると、彼女は愛らしい笑みを浮かべて「うん」と頷いた。
 そうだ、彼らは僕の家族。父さんに母さん、そして可愛い妹。この小さな家で4人、仲良く暮らしている。なんら変わらない朝を迎え、会話を交わし、いつもの朝食を味わう。

 後片付けを済ますと、僕は父さんと外へ出た。一面が銀世界に染まるそこはとても静かで、周りに他の家はなく、一本の大きなモミの木と煉瓦造りの我が家だけが佇んでいる。

 絶えず降り積もる銀の粉を見上げていると、シャクという歯切れの良い音がして、視線を下ろせば父さんが積もった粉をスコップで袋にかき集めていた。沢山あるから持ち帰って暖炉の燃料にするらしい。
 こんなに綺麗なのに燃やすのは勿体ないなぁと思いながらも、僕は父さんと一緒に袋詰めの作業を手伝った。

 満タンになった袋の口を縛り、それを担いで父さんは家の中へ戻っていく。
 僕もそれに続こうとした時、ポストに一通の手紙が入っていることに気がついた。

 封筒には宛名も差出人の明記もなく、不思議に思って中を開いてみれば、見覚えのある文字でこんなことが書かれていた。

『今日も静かな一日だった。一度でいいから外の世界に行ってみたいけど、父さんや母さんも〝壁〟の越え方を知らなかった。誰に聞いたら分かるのかな』

 なんだそりゃ。知らないよ、そんなこと。そもそも壁って何のこと? 一体、誰がどうゆう意図でこんな手紙をくれたのか。
 疑問に思いながらも〝外の世界〟というワードには自然と興味が湧き、僕は家の周囲を散策してみることにした。

 外の世界とは家の外のことだろうか。確かに僕はあまり家から出ないけれど、外を出歩いたことくらいある……と思う。何故か断言できないけれど、今まさにこうして自由に歩き回ることはできている。
 ところが家から50メートルほど歩いた地点で、それ以上前に進めなくなってしまった。何かに行く手を阻まれて、そこから先へは行けないのだ。なるほど、見えないけれどこれが〝壁〟か。

 景色は壁の向こう側にもずっと続いていた。高くそびえ立つ建物の下、青や黄色の街灯が照らす道を忙しなく行き交う人々。ランプが点灯している、見たこともない乗り物。音はほとんど何も聞こえないけれど、何だか活気に溢れていてとても楽しそうだ。あれが外の世界というものなんだろうか。
 ワクワクした気持ちのまま視線を横にズラすと、景色が少し変わってそこはどこかの室内で、ドーム型の置物がいくつも並んでいるのが目に入った。その中ではチラチラと何かが降っている。そして、そこにいる誰かと目が合ったのだ。

 あれは……、僕?
 ドクリ、と心臓が飛び跳ねた。急に怖くなって僕は慌ててそこから離れた。

 見てはいけないものを見た気がした。お陰でその日は気が滅入ってしまい何も手に付かなくなり、夕飯に母さんの得意料理であるシチューを食べた後すぐにベッドに入った。眠くはなかったけど窓から銀色の粉が降る様子を見ていると、不思議と意識が遠退く感覚に陥る。

 頭がぼーっとして、なんだか心地良い。


 翌朝。目覚めると、窓の外では銀色の粉が舞うように降っていた。
 それは上からの光に反射し、キラキラと輝いてとても綺麗だ。

 柔らかな布団から体を起こし部屋を出て、暖炉の熱で暖まったダイニングに向かう。テーブルでは眼鏡をかけた男の人が新聞を読みながら飲みものを口に運んでおり、キッチンでは髪を束ねた女の人がテキパキと何かを作っていた。そして……。

「にぃに、おはよー」
「あぁ。おはよう、よく眠れたかい?」

 寝ぼけ眼で後ろから姿を現した小さな女の子に声をかけると、彼女は愛らしい笑みを浮かべて――。

 ――あぁ、そうだ。この光景を僕は知っている。
 どこかで見た朝を迎え、どこかで聞いた会話を交わし、どこかで味わった朝食を食べる。昨日のことは何も覚えていないのに、目の前の景色も耳に入る会話も、すべてが既視感に包まれているのだ。でもこれが一体どうゆうことなのか、僕には分からなかった。

 朝食を終えた後、僕は父さんと一緒に外へ出た。父さんがスコップでシャクシャクと音を立てながら銀色の粉を集める傍で、僕は何気なくポストの中を覗く。そこには見慣れた文字で書かれた一通の手紙が入っていた。

『外の世界に憧れて壁の近くまで行ってみた。その先で見た誰かは自分に似ていた気がする。怖くてもう僕は見に行けない。誰か、代わりに確かめてほしい』

 外の世界……。そのワードに何故か僕は強く惹かれた。もしかしたらこの手紙の差出人は、僕に何かを伝えたいんじゃないだろうか。
 僕は粉を集めた袋の口を縛っている父さんに声をかけ、その手紙を見せてみた。

「父さん、壁って何のことだと思う? 本当に自分と同じ顔の人がいるのかな」
「ん~、なんだろうな。父さんはイタズラだと思うけど……、心配ならちょっと家の先まで行ってみようか」

 父さんはどこか好奇心旺盛で、よっこいしょと手にしていた銀の粉袋を家の玄関先に置くと、僕を連れて家の木の向こう側へと向かった。僕は何だか怖くてずっと父さんの右腕にしがみつきながら歩いている。
 しばらくして50メートルほど歩いたところで、父さんが「おっと」と小さく声を上げて急に足を止めた。

「どうしたの?」
「あぁ、これ以上は何かに阻まれて進めないようだ。これが壁ってやつかな?」

 そう言うと父さんは目の前の空間をペタペタと叩くような仕草をする。僕も真似をしてみると、確かに何か固い板のような感触があったのだ。つまりこの先が〝外の世界〟?
 僕は父さんと不思議そうに顔を見合わせながらも、その先をじっと見つめた。空は青くて、僕たちの何倍もありそうな高くそびえ立つ建物の下を、人々が白い息を吐きながら忙しなく行き交っている。そして僕の世界のように粉が降り注いでいた。でもこっちと違って色は真っ白で、キラキラとした輝きはない。

 父さん、どうして向こうの粉は白いんだろう? と声をかけようとしたけれど、それより早く隣から「わぁ!」という叫び声が聞こえた。驚いて振り返ると、腰を抜かして座り込む父さんの目線の先に、手紙にあったように自分と同じような顔の男の子がこちらを見ていたのだ。男の子は銀色の粉が降るドーム型の入れ物の中にいて、その横には同じものがいくつも並んでいた。

「これは、一体……!?」

 そう口にしたその直後だった。
 視界が大きく揺れた。地面が右や左に大きく傾いている。

「なんだ!? 地震か!」

 咄嗟に父さんが僕を引き寄せ、守るように抱き締めてくれた。振り回されないよう体勢を低くし、2人で身を寄せ合いながら不安な表情で辺りを見渡す。ところが状況は改善するどころか、まだ昼間だというのに空が暗闇に包まれてしまったのだ。

 なにが起きているのだろう。母さんと妹は大丈夫か。恐怖で妹は泣いているんじゃないか。
 そう思い、祈るように空を見上げても、何かが顔に降りかかってくるだけで不愉快でしかなかった。これはあの銀の粉だ。揺れるたびに次から次へと落ちてきて、なんて鬱陶しいんだろう。あんなに綺麗だと思っていたのに、今は甚だ疎ましい。

 外の世界を見た天罰が下ったのだろうか。
 このまま闇に包まれたままだったら、どうしよう。

 僕の肩に回っている父さんの腕を、無意識に強く掴んだ。

 しばらくして揺れがピタリと収まると、空が再び明るくなり、辺りにいつもの静寂が戻ってきた。
 僕たちは顔を見合わせて恐る恐る立ち上がる。相変わらず銀色の粉は降り注いでいて、先ほどの不満はどこへやら、いつもどおり「綺麗だ」と思ってしまった。

 でも1つだけ違うことがあった。
 〝外の世界〟の雰囲気が、どこか違うのだ。

「うわぁ! パパ、綺麗ねぇ。これなんていうの?」
「スノードームだよ。ほら、銀色の粉がキラキラして雪みたいだろう?」

 何処からかそんな会話が聞こえた。僕たち家族の誰でもなく、聞いたことのない声だった。

 すると壁の向こう側で見知らぬ女の子と、彼女の父親らしき人がこちらを見て嬉しそうに笑っていた。そして彼らはテーブルの椅子に腰掛けると、母親らしき人が料理を運んできて楽しそうに食事を始めたのだ。中央にある茶色の塊を切り分け、女の子は美味しそうにかぶり付いている。あんな食べ物は初めて見た。
 家の中は暖炉に火が灯っていてとても暖かそうで、窓から見える景色には白い粉が舞い落ちている。やっぱり銀じゃなくて、白い。

 両親に囲まれて女の子はとても幸せそうだ。そう思って隣を見上げると、父さんが同じように優しい笑みを浮かべて僕を見ていた。
 ……あぁ、なんだ。よく見れば外の世界も変わらないじゃないか。あの女の子と同じ、僕にも家族がいる。違うのは降りしきる粉の色だけで、それなら僕は銀色の方がキラキラとしていて好きだと思った。

「……帰ろうか、なんだか腹も減ったことだしな」
「うん。今日の夕飯は僕、シチューが食べたいな」
「はは、お前は本当に母さんのシチューが好きだな」

 そんな会話をしながら、シャクシャクと音がする地面を踏みしめて、僕たちは家に戻る。温かい家族が待つ、暖かい家に。
 外の世界なんて知らなくても、それだけで十分幸せなんだと思った。

 その夜に僕は手紙を書いてポストに入れた。誰かが……いや、()()()()がもう外の世界に憧れを抱かなくていいように。この手紙は僕自信に向けたメッセージだ。なんの変わりもない毎日に、少しでも変化を与えるために。
 そして窓の外の銀色の粉を見つめながら、ぼんやりと意識を遠退かせて深い眠りに就いた。


 目覚めると、窓の外では銀色の粉が舞うように降っていた。
 それは上からの光に反射し、キラキラと輝いてとても綺麗だ。

 柔らかな布団から体を起こし部屋を出て、暖炉の熱で暖まったダイニングに向かう。テーブルでは眼鏡をかけた男の人が新聞を読みながら飲みものを口に運んでおり、キッチンでは髪を束ねた女の人がテキパキと何かを作っていた。そして――。

 そう、この光景を僕は知っている。同じ朝、同じ会話、いつもの朝食。きっと僕たちは作られた毎日を繰り返すだけの存在なのだ。
 でも今日は少しだけ何かが違うように感じた。きっと今朝ポストで、見覚えのある文字のこんな手紙を読んだからだろう。


『今日は地震が起きてとても怖かった。でも僕には外の世界と同じように、家族がいるから大丈夫だったよ。これからも4人で幸せに暮らしてね。――この、銀色の粉が降る美しい世界で』



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 目覚めると、窓の外では銀色の粉が舞うように降っていた。
 それは上からの光に反射し、キラキラと輝いてとても綺麗だ。
 柔らかな布団から体を起こし部屋を出て、暖炉の熱で暖まったダイニングに向かう。テーブルでは眼鏡をかけた男の人が新聞を読みながら飲みものを口に運んでおり、キッチンでは髪を束ねた女の人がテキパキと何かを作っていた。そして……。
「にぃに、おはよー」
「あぁ。おはよう、よく眠れたかい?」
 寝ぼけ眼で後ろから姿を現した小さな女の子に声をかけると、彼女は愛らしい笑みを浮かべて「うん」と頷いた。
 そうだ、彼らは僕の家族。父さんに母さん、そして可愛い妹。この小さな家で4人、仲良く暮らしている。なんら変わらない朝を迎え、会話を交わし、いつもの朝食を味わう。
 後片付けを済ますと、僕は父さんと外へ出た。一面が銀世界に染まるそこはとても静かで、周りに他の家はなく、一本の大きなモミの木と煉瓦造りの我が家だけが佇んでいる。
 絶えず降り積もる銀の粉を見上げていると、シャクという歯切れの良い音がして、視線を下ろせば父さんが積もった粉をスコップで袋にかき集めていた。沢山あるから持ち帰って暖炉の燃料にするらしい。
 こんなに綺麗なのに燃やすのは勿体ないなぁと思いながらも、僕は父さんと一緒に袋詰めの作業を手伝った。
 満タンになった袋の口を縛り、それを担いで父さんは家の中へ戻っていく。
 僕もそれに続こうとした時、ポストに一通の手紙が入っていることに気がついた。
 封筒には宛名も差出人の明記もなく、不思議に思って中を開いてみれば、見覚えのある文字でこんなことが書かれていた。
『今日も静かな一日だった。一度でいいから外の世界に行ってみたいけど、父さんや母さんも〝壁〟の越え方を知らなかった。誰に聞いたら分かるのかな』
 なんだそりゃ。知らないよ、そんなこと。そもそも壁って何のこと? 一体、誰がどうゆう意図でこんな手紙をくれたのか。
 疑問に思いながらも〝外の世界〟というワードには自然と興味が湧き、僕は家の周囲を散策してみることにした。
 外の世界とは家の外のことだろうか。確かに僕はあまり家から出ないけれど、外を出歩いたことくらいある……と思う。何故か断言できないけれど、今まさにこうして自由に歩き回ることはできている。
 ところが家から50メートルほど歩いた地点で、それ以上前に進めなくなってしまった。何かに行く手を阻まれて、そこから先へは行けないのだ。なるほど、見えないけれどこれが〝壁〟か。
 景色は壁の向こう側にもずっと続いていた。高くそびえ立つ建物の下、青や黄色の街灯が照らす道を忙しなく行き交う人々。ランプが点灯している、見たこともない乗り物。音はほとんど何も聞こえないけれど、何だか活気に溢れていてとても楽しそうだ。あれが外の世界というものなんだろうか。
 ワクワクした気持ちのまま視線を横にズラすと、景色が少し変わってそこはどこかの室内で、ドーム型の置物がいくつも並んでいるのが目に入った。その中ではチラチラと何かが降っている。そして、そこにいる誰かと目が合ったのだ。
 あれは……、僕?
 ドクリ、と心臓が飛び跳ねた。急に怖くなって僕は慌ててそこから離れた。
 見てはいけないものを見た気がした。お陰でその日は気が滅入ってしまい何も手に付かなくなり、夕飯に母さんの得意料理であるシチューを食べた後すぐにベッドに入った。眠くはなかったけど窓から銀色の粉が降る様子を見ていると、不思議と意識が遠退く感覚に陥る。
 頭がぼーっとして、なんだか心地良い。
 翌朝。目覚めると、窓の外では銀色の粉が舞うように降っていた。
 それは上からの光に反射し、キラキラと輝いてとても綺麗だ。
 柔らかな布団から体を起こし部屋を出て、暖炉の熱で暖まったダイニングに向かう。テーブルでは眼鏡をかけた男の人が新聞を読みながら飲みものを口に運んでおり、キッチンでは髪を束ねた女の人がテキパキと何かを作っていた。そして……。
「にぃに、おはよー」
「あぁ。おはよう、よく眠れたかい?」
 寝ぼけ眼で後ろから姿を現した小さな女の子に声をかけると、彼女は愛らしい笑みを浮かべて――。
 ――あぁ、そうだ。この光景を僕は知っている。
 どこかで見た朝を迎え、どこかで聞いた会話を交わし、どこかで味わった朝食を食べる。昨日のことは何も覚えていないのに、目の前の景色も耳に入る会話も、すべてが既視感に包まれているのだ。でもこれが一体どうゆうことなのか、僕には分からなかった。
 朝食を終えた後、僕は父さんと一緒に外へ出た。父さんがスコップでシャクシャクと音を立てながら銀色の粉を集める傍で、僕は何気なくポストの中を覗く。そこには見慣れた文字で書かれた一通の手紙が入っていた。
『外の世界に憧れて壁の近くまで行ってみた。その先で見た誰かは自分に似ていた気がする。怖くてもう僕は見に行けない。誰か、代わりに確かめてほしい』
 外の世界……。そのワードに何故か僕は強く惹かれた。もしかしたらこの手紙の差出人は、僕に何かを伝えたいんじゃないだろうか。
 僕は粉を集めた袋の口を縛っている父さんに声をかけ、その手紙を見せてみた。
「父さん、壁って何のことだと思う? 本当に自分と同じ顔の人がいるのかな」
「ん~、なんだろうな。父さんはイタズラだと思うけど……、心配ならちょっと家の先まで行ってみようか」
 父さんはどこか好奇心旺盛で、よっこいしょと手にしていた銀の粉袋を家の玄関先に置くと、僕を連れて家の木の向こう側へと向かった。僕は何だか怖くてずっと父さんの右腕にしがみつきながら歩いている。
 しばらくして50メートルほど歩いたところで、父さんが「おっと」と小さく声を上げて急に足を止めた。
「どうしたの?」
「あぁ、これ以上は何かに阻まれて進めないようだ。これが壁ってやつかな?」
 そう言うと父さんは目の前の空間をペタペタと叩くような仕草をする。僕も真似をしてみると、確かに何か固い板のような感触があったのだ。つまりこの先が〝外の世界〟?
 僕は父さんと不思議そうに顔を見合わせながらも、その先をじっと見つめた。空は青くて、僕たちの何倍もありそうな高くそびえ立つ建物の下を、人々が白い息を吐きながら忙しなく行き交っている。そして僕の世界のように粉が降り注いでいた。でもこっちと違って色は真っ白で、キラキラとした輝きはない。
 父さん、どうして向こうの粉は白いんだろう? と声をかけようとしたけれど、それより早く隣から「わぁ!」という叫び声が聞こえた。驚いて振り返ると、腰を抜かして座り込む父さんの目線の先に、手紙にあったように自分と同じような顔の男の子がこちらを見ていたのだ。男の子は銀色の粉が降るドーム型の入れ物の中にいて、その横には同じものがいくつも並んでいた。
「これは、一体……!?」
 そう口にしたその直後だった。
 視界が大きく揺れた。地面が右や左に大きく傾いている。
「なんだ!? 地震か!」
 咄嗟に父さんが僕を引き寄せ、守るように抱き締めてくれた。振り回されないよう体勢を低くし、2人で身を寄せ合いながら不安な表情で辺りを見渡す。ところが状況は改善するどころか、まだ昼間だというのに空が暗闇に包まれてしまったのだ。
 なにが起きているのだろう。母さんと妹は大丈夫か。恐怖で妹は泣いているんじゃないか。
 そう思い、祈るように空を見上げても、何かが顔に降りかかってくるだけで不愉快でしかなかった。これはあの銀の粉だ。揺れるたびに次から次へと落ちてきて、なんて鬱陶しいんだろう。あんなに綺麗だと思っていたのに、今は甚だ疎ましい。
 外の世界を見た天罰が下ったのだろうか。
 このまま闇に包まれたままだったら、どうしよう。
 僕の肩に回っている父さんの腕を、無意識に強く掴んだ。
 しばらくして揺れがピタリと収まると、空が再び明るくなり、辺りにいつもの静寂が戻ってきた。
 僕たちは顔を見合わせて恐る恐る立ち上がる。相変わらず銀色の粉は降り注いでいて、先ほどの不満はどこへやら、いつもどおり「綺麗だ」と思ってしまった。
 でも1つだけ違うことがあった。
 〝外の世界〟の雰囲気が、どこか違うのだ。
「うわぁ! パパ、綺麗ねぇ。これなんていうの?」
「スノードームだよ。ほら、銀色の粉がキラキラして雪みたいだろう?」
 何処からかそんな会話が聞こえた。僕たち家族の誰でもなく、聞いたことのない声だった。
 すると壁の向こう側で見知らぬ女の子と、彼女の父親らしき人がこちらを見て嬉しそうに笑っていた。そして彼らはテーブルの椅子に腰掛けると、母親らしき人が料理を運んできて楽しそうに食事を始めたのだ。中央にある茶色の塊を切り分け、女の子は美味しそうにかぶり付いている。あんな食べ物は初めて見た。
 家の中は暖炉に火が灯っていてとても暖かそうで、窓から見える景色には白い粉が舞い落ちている。やっぱり銀じゃなくて、白い。
 両親に囲まれて女の子はとても幸せそうだ。そう思って隣を見上げると、父さんが同じように優しい笑みを浮かべて僕を見ていた。
 ……あぁ、なんだ。よく見れば外の世界も変わらないじゃないか。あの女の子と同じ、僕にも家族がいる。違うのは降りしきる粉の色だけで、それなら僕は銀色の方がキラキラとしていて好きだと思った。
「……帰ろうか、なんだか腹も減ったことだしな」
「うん。今日の夕飯は僕、シチューが食べたいな」
「はは、お前は本当に母さんのシチューが好きだな」
 そんな会話をしながら、シャクシャクと音がする地面を踏みしめて、僕たちは家に戻る。温かい家族が待つ、暖かい家に。
 外の世界なんて知らなくても、それだけで十分幸せなんだと思った。
 その夜に僕は手紙を書いてポストに入れた。誰かが……いや、|明《・》|日《・》|の《・》|僕《・》がもう外の世界に憧れを抱かなくていいように。この手紙は僕自信に向けたメッセージだ。なんの変わりもない毎日に、少しでも変化を与えるために。
 そして窓の外の銀色の粉を見つめながら、ぼんやりと意識を遠退かせて深い眠りに就いた。
 目覚めると、窓の外では銀色の粉が舞うように降っていた。
 それは上からの光に反射し、キラキラと輝いてとても綺麗だ。
 柔らかな布団から体を起こし部屋を出て、暖炉の熱で暖まったダイニングに向かう。テーブルでは眼鏡をかけた男の人が新聞を読みながら飲みものを口に運んでおり、キッチンでは髪を束ねた女の人がテキパキと何かを作っていた。そして――。
 そう、この光景を僕は知っている。同じ朝、同じ会話、いつもの朝食。きっと僕たちは作られた毎日を繰り返すだけの存在なのだ。
 でも今日は少しだけ何かが違うように感じた。きっと今朝ポストで、見覚えのある文字のこんな手紙を読んだからだろう。
『今日は地震が起きてとても怖かった。でも僕には外の世界と同じように、家族がいるから大丈夫だったよ。これからも4人で幸せに暮らしてね。――この、銀色の粉が降る美しい世界で』