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『ここに、いるよ』

ー/ー



 「ココちゃん、いっぱい遊んで楽しかったー!」
 「ミルちゃんも!」
 夕食の席でも、マールの娘たちは元気一杯だ。
 ここは、ホテルの夕食会場。オフシーズンは普通のレストランだが、繁忙期の今はバイキング形式で食事が提供されている。
 和洋中様々な料理とデザートが乗せられた大きなトレイが、中央のテーブルの上に所狭しと並べられている。
 (ハルが居たら、全部取って来いって言いそうだな)
 ヒロはそんなことを考えながら、料理を皿に盛りつけていく。
 「お、何だ。ヒロにしちゃ、肉々しいチョイスだな」
 揶揄うようなマールの声がした。
 「え?……あっ」
 ヒロは改めて自分の皿を見て、ほろ苦く笑った。
 いつの間にかハルが好きそうなものばかりを選んでいたからだ。
 
 幼い二人の娘には、お子様ランチプレートが用意されていた。
 「ママ。ミルちゃん、プリン食べたい」
 「ココちゃんはイチゴのケーキ!」
 「はいはい、ご飯食べたらね」
 アカリは娘たちを軽くあしらった。
 「はーい」
 二人の娘は渋々ながら、プレートに盛られたチキンライスにスプーンを差し込んだ。
 「うふふ、大人もしっかり食べないと、おチビさん達に負けちゃうわよ」
 茶目っ気たっぷりなアカリの言葉を合図に、3人の大人はグラスビールを交わし合う。
 夕食の席は、笑い声が交錯し合う、楽しい場になった。
 だが、ヒロの心が晴れることはなかった。
 本当なら一番連れて来たかった、ハルがここには居ない。
 先ほどゲレンデでハルの幻を見たせいで、その感情は尚の事強く彼の心を支配していた。

 「あっ、パパ、あのねあのね」
 念願のイチゴのケーキをフォークでつつきながら、ココアが何かを思い出したように口を開いた。
 「ココちゃん達、さっき、ハルおじちゃんと雪遊びしたんだよ」
 「ミルちゃんね、一緒にそりに乗ったの」
 二人の娘は顔を見合わせて、「ねー」と頷き合う。
 「おじちゃんと雪玉の投げ合いこしたの」
 「雪の上でごろごろもしたよね」
 「……」
 楽しそうにハルと遊んだことを報告するミルクとココアに、大人たちは口を挟めずにいた。
 
 (ハル……)
 ヒロは俯いて、我知らず右手で己の胸元をぎゅっと掴んだ。
 胸が、苦しかった。
 
 その様子を見たマールは、すっと席を立つと、赤ワインのボトルとグラスをぶら下げて戻って来た。
 「マモル、ワインは――」
 「酔わねえようにするから、ちっと呑ませろ」
 マールは咎め声を上げた妻を制して、グラスに半分ほどワインを注ぎ込んだ。
 「乾杯しようぜ、ヒロ」
 「乾杯……?」
 マールの言葉に、ヒロは眉根を寄せた。
 「ハルが来てくれたんだ。その再会を祝って、だよ」
 マールは口の端を上げて笑って見せる。
 「そう。それじゃ、おチビさん達も仲間に入れてあげなきゃね」
 アカリは幼い娘のために、オレンジジュースを持って来た。
 「かんぱーい」
 「ミルちゃん、乾杯はみんなでやるんだよ」
 「あ、そっか」
 小さく舌を出したミルクの仕草に、その場の雰囲気が和んだ。
 
 「ハルとの再会を祝して、乾杯!」
 マールの音頭で皆とグラスを交わし合い、ヒロはワインを喉に流し込む。
 芳醇な香りと口に広がる渋みが、胸の痛みに溶け込んだ。
 
 
 リゾートホテルの夜は、静かに更けていく。
 ヒロはひとり、ホテルの部屋でワインを傾けている。夕食の乾杯で使った残りを貰って来たのだ。
 窓際の小さなテーブルの上には、ハルの写真。
 ヒロは小さなグラスにワインを注ぐと、写真の前に置いた。
 「ハル。お前も付き合え」
 そして、
 「……今日はありがとな」
 躊躇いながら、ぽつんと呟いた。
 
 それにしても――。
 繁忙期のホテルとは思えぬほど、物音らしい物音が聞こえない。
 人間達の日々の営みさえも何処か別の世界の話であるかのように思えて、ヒロはふーっ、と細い息をついた。

 「むー」

 窓の外から、声がした。

 「!」
 ヒロは慌ててカーテンを弾き飛ばして、窓を大きく開いた。
 心に突き上げる戸惑いを置き去りに、身体が勝手に動いていた。

 「ハル!」

 呼びかけるヒロの頬を、外の冷たい風が通り抜けた。
 ホテルの灯りに照らされた雪原には、人影はなかった。
 ただ、暗い空から雪が舞い降りるばかりだった。

 ヒロの端正な顔が歪む。
 口元がわなわなと震える。
 「ああ……」
 悲痛な声が、唇から漏れた。
 
 その時、小さく風が吹き込んだ。
 その風に乗って、ひとひらの雪がヒロの方へと流れてきた。
 それはひらひらと揺蕩うように、ヒロの右手に舞い落ちた。
 「……」
 雪が自らの体温に触れて儚く消えていく様を、ヒロは夢のように見つめていた。

 ヒロは右手に自分の左手を重ねた。
 そして、瞳を閉じた。
 (ハル……また、会いに来てくれたんだな)
 ヒロは小さく微笑んだ。

 「んむっ」
 
 また聞こえてきた声に、ヒロは、はっ、と目を開けた。
 それは、言葉を失くしたハルが「違う」と意思表示をする時に発する声だった。
 「え?違うの?」
 ヒロは思わず声に出していた。
 それに対する答えは、なかった。

 また風が吹いた。
 テーブルの上のハルの写真が、かたん、と音を立てて倒れた。
 「あっ」
 ヒロは慌てて写真を手に取る。
 写真の中のハルは、穏やかな瞳でヒロを見つめている。

 『ヒロ。俺は、ここにいるよ』
 ヒロの胸に、事故に遭う前のハルの声が蘇った。

 ヒロはゆっくりと瞬きした。
 「ああ……そうか」
 ヒロは、ハルの頬を人差し指でなぞった。
 「お前は、ずっと俺の傍にいてくれたのか」
 
 たとえ身体はなくなっても。
 触れ合うことが出来なくても。
 
 心は、永遠に、共にある――。

 窓の外に視線を移す。
 いつか見た桜の花びらのように、雪が舞い落ちる。
 ヒロはハルと共に、いつまでもその光景を眺めていた。


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 「ミルちゃんも!」
 夕食の席でも、マールの娘たちは元気一杯だ。
 ここは、ホテルの夕食会場。オフシーズンは普通のレストランだが、繁忙期の今はバイキング形式で食事が提供されている。
 和洋中様々な料理とデザートが乗せられた大きなトレイが、中央のテーブルの上に所狭しと並べられている。
 (ハルが居たら、全部取って来いって言いそうだな)
 ヒロはそんなことを考えながら、料理を皿に盛りつけていく。
 「お、何だ。ヒロにしちゃ、肉々しいチョイスだな」
 揶揄うようなマールの声がした。
 「え?……あっ」
 ヒロは改めて自分の皿を見て、ほろ苦く笑った。
 いつの間にかハルが好きそうなものばかりを選んでいたからだ。
 幼い二人の娘には、お子様ランチプレートが用意されていた。
 「ママ。ミルちゃん、プリン食べたい」
 「ココちゃんはイチゴのケーキ!」
 「はいはい、ご飯食べたらね」
 アカリは娘たちを軽くあしらった。
 「はーい」
 二人の娘は渋々ながら、プレートに盛られたチキンライスにスプーンを差し込んだ。
 「うふふ、大人もしっかり食べないと、おチビさん達に負けちゃうわよ」
 茶目っ気たっぷりなアカリの言葉を合図に、3人の大人はグラスビールを交わし合う。
 夕食の席は、笑い声が交錯し合う、楽しい場になった。
 だが、ヒロの心が晴れることはなかった。
 本当なら一番連れて来たかった、ハルがここには居ない。
 先ほどゲレンデでハルの幻を見たせいで、その感情は尚の事強く彼の心を支配していた。
 「あっ、パパ、あのねあのね」
 念願のイチゴのケーキをフォークでつつきながら、ココアが何かを思い出したように口を開いた。
 「ココちゃん達、さっき、ハルおじちゃんと雪遊びしたんだよ」
 「ミルちゃんね、一緒にそりに乗ったの」
 二人の娘は顔を見合わせて、「ねー」と頷き合う。
 「おじちゃんと雪玉の投げ合いこしたの」
 「雪の上でごろごろもしたよね」
 「……」
 楽しそうにハルと遊んだことを報告するミルクとココアに、大人たちは口を挟めずにいた。
 (ハル……)
 ヒロは俯いて、我知らず右手で己の胸元をぎゅっと掴んだ。
 胸が、苦しかった。
 その様子を見たマールは、すっと席を立つと、赤ワインのボトルとグラスをぶら下げて戻って来た。
 「マモル、ワインは――」
 「酔わねえようにするから、ちっと呑ませろ」
 マールは咎め声を上げた妻を制して、グラスに半分ほどワインを注ぎ込んだ。
 「乾杯しようぜ、ヒロ」
 「乾杯……?」
 マールの言葉に、ヒロは眉根を寄せた。
 「ハルが来てくれたんだ。その再会を祝って、だよ」
 マールは口の端を上げて笑って見せる。
 「そう。それじゃ、おチビさん達も仲間に入れてあげなきゃね」
 アカリは幼い娘のために、オレンジジュースを持って来た。
 「かんぱーい」
 「ミルちゃん、乾杯はみんなでやるんだよ」
 「あ、そっか」
 小さく舌を出したミルクの仕草に、その場の雰囲気が和んだ。
 「ハルとの再会を祝して、乾杯!」
 マールの音頭で皆とグラスを交わし合い、ヒロはワインを喉に流し込む。
 芳醇な香りと口に広がる渋みが、胸の痛みに溶け込んだ。
 リゾートホテルの夜は、静かに更けていく。
 ヒロはひとり、ホテルの部屋でワインを傾けている。夕食の乾杯で使った残りを貰って来たのだ。
 窓際の小さなテーブルの上には、ハルの写真。
 ヒロは小さなグラスにワインを注ぐと、写真の前に置いた。
 「ハル。お前も付き合え」
 そして、
 「……今日はありがとな」
 躊躇いながら、ぽつんと呟いた。
 それにしても――。
 繁忙期のホテルとは思えぬほど、物音らしい物音が聞こえない。
 人間達の日々の営みさえも何処か別の世界の話であるかのように思えて、ヒロはふーっ、と細い息をついた。
 「むー」
 窓の外から、声がした。
 「!」
 ヒロは慌ててカーテンを弾き飛ばして、窓を大きく開いた。
 心に突き上げる戸惑いを置き去りに、身体が勝手に動いていた。
 「ハル!」
 呼びかけるヒロの頬を、外の冷たい風が通り抜けた。
 ホテルの灯りに照らされた雪原には、人影はなかった。
 ただ、暗い空から雪が舞い降りるばかりだった。
 ヒロの端正な顔が歪む。
 口元がわなわなと震える。
 「ああ……」
 悲痛な声が、唇から漏れた。
 その時、小さく風が吹き込んだ。
 その風に乗って、ひとひらの雪がヒロの方へと流れてきた。
 それはひらひらと揺蕩うように、ヒロの右手に舞い落ちた。
 「……」
 雪が自らの体温に触れて儚く消えていく様を、ヒロは夢のように見つめていた。
 ヒロは右手に自分の左手を重ねた。
 そして、瞳を閉じた。
 (ハル……また、会いに来てくれたんだな)
 ヒロは小さく微笑んだ。
 「んむっ」
 また聞こえてきた声に、ヒロは、はっ、と目を開けた。
 それは、言葉を失くしたハルが「違う」と意思表示をする時に発する声だった。
 「え?違うの?」
 ヒロは思わず声に出していた。
 それに対する答えは、なかった。
 また風が吹いた。
 テーブルの上のハルの写真が、かたん、と音を立てて倒れた。
 「あっ」
 ヒロは慌てて写真を手に取る。
 写真の中のハルは、穏やかな瞳でヒロを見つめている。
 『ヒロ。俺は、ここにいるよ』
 ヒロの胸に、事故に遭う前のハルの声が蘇った。
 ヒロはゆっくりと瞬きした。
 「ああ……そうか」
 ヒロは、ハルの頬を人差し指でなぞった。
 「お前は、ずっと俺の傍にいてくれたのか」
 たとえ身体はなくなっても。
 触れ合うことが出来なくても。
 心は、永遠に、共にある――。
 窓の外に視線を移す。
 いつか見た桜の花びらのように、雪が舞い落ちる。
 ヒロはハルと共に、いつまでもその光景を眺めていた。