「未散。俺たち終わりにしよう」
「……え?」
一瞬、亨に告げられた言葉が理解できなかった。喉が詰まって声が出ない。
仕事を終えて、口数の少ないあなたと帰って来たわたしの部屋。
ダイニングの椅子に座る素振りも見せず言い放たれた台詞に、頭の中が真っ白になる。
どうして!? 意味がわからない!
わたしは可愛い彼女だったでしょ? いつもあなたのことだけ考えて、いつもいつもあなたのために──。
「お前ヘンだよ。会社の子とちょっと挨拶や立ち話しただけで、勘繰って責められてさ。俺は誓って余所見なんかしたことないのに、お前は全然信じてないじゃないか。……もう、疲れたんだ」
「待って! 亨、今日は泊まって。……お願い、今日だけは」
くるりと背中を向けようとしたあなたの腕に、必死でしがみついて懇願する。
「……わかった。今日だけ、な。これが最後だから」
根負けしたように溜息をついたあなた。
帰さない。離さない。他の女のところになんか行かせないわ。そうよ、絶対に。
──あなたはわたしのものよ。
「ねぇ、亨。お風呂に入りましょうよ。今日は一緒に」
迷いながらも頷いたあなたの気が変わらないうちに、手を引いてバスルームへ向かう。
「わたしお水飲んでくるから、先に入ってて」
彼をバスルームに押し込んで、キッチンへ取って返した。どうしても必要なものがあるのよ。
だってあなたを帰したくないんだもの。これ以上変わってしまう前に。
わたし以外に笑顔を向けないように。
────────
バスタブの中で、わたしの亨が眠っている。
底の栓を閉めておいて本当によかった。大切な恋人の中にあったものが、排水溝に流れて行くなんて耐えられないわ。
だからわたしのこの手も、顔も、洗えない。服も。……ああ、もちろん
これもね。
お水が欲しい。
「ちょっとだけ待っててね、亨」
バスルームを出てキッチンへ歩く。
右手に持った包丁をシンク脇に置いて、コップに満たした水を一気に飲み干した。やけに喉が渇くのよ。どうしてかしら。
ふと目をやったガラスの縁が、薄っすら紅く染まってる。
ああ、これも洗わずに取っておかないと。鉄の味、塩味、……わたしの大好きなあの人の。
窮屈そうな姿勢で、バスタブに掛かった腕はまだ生きてるみたいに温かかったわ。
『手が冷たい人は、心が温かいのよ』
つまり。手が冷たくなったら、心が温かくなるのよね?
そうしたら今度は私が抱き締めて、手も身体も温めてあげるわ。あの最初のデートで話したでしょう?
彼にはもうわたししかいない。だって亨が最期に見たのはわたしなんだもの。もう二度と、彼の瞳には誰も映らないんだから。恋人だけの特権よ。
わたしも亨しか見ないからおあいこね。
二人にはもう春は来ないわ。ずっと冬に閉じ込められたまま、この幸せな時間のまま。
でもそれでいいじゃない。春になって咲いた花を眺めるより、いま二人でいられる方がずっと大事なんだから。
──あなたは、永遠にわたしだけのものになったのよ。
~END~