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17話

ー/ー



「そういえば、前の学校で手紙を出していた人はどうなったんだい?」僕は思い出し、尋ねた。
「ああ、実はね」と勇は嬉しそうな表情で続ける。「手紙にさ、学校での日々を書いたんんだ。もちろん透のこともね」
「僕のことを書いたのか」照れくさい気分になるが、内容を確かめる(すべ)は僕にはない。
「そしたら、ある日、初めて返事がきたんだよ」
「なんて?」
「一言だけど綺麗な字で、『僕も前に進みます』って」
「シンプルだけどいいね」
「俺は自分のことのように嬉しくなったよ。どうやら、中学校に上がって、いじめていた人とは別なクラスになったから、今はなんとか通えてるらしい」
「そっか」 
「ただ、六年生の頃も含め、中学校に通い始めるのも遅かったから、勉強のブランクがあって大変みたいだけど」と言い、悔しそうな表情を浮かべ「いじめを受けた方がハンデを背負って、いじめた方はのうのうと生きているなんてやるせないよな」と吐き捨てる。「でも、その人は一歩進んだ。その経験は必ず、誰かに寄り添う力に繋がるはずさ」綺麗事だと思いながらも、僕は言わずにはいられなかった。
「そうなると、いいよな」勇は僕の言葉を否定せず、手紙の相手に祈るかのように呟く。そして手近にあった石を手に取り、不安を消し飛ばすかのように投げた。勇の手を離れた石は遠くに飛び、水しぶきを上げて着水し波紋を揺らしていた。
 
 その後で僕達は河川敷に腰を下ろし、ゆっくりと流れる水路を眺めながら、他愛のない会話を続けていた。沈黙を恐れて僕は話し続ける。情緒もへったくれもないが、言葉を続けていればこの時間が永遠に続くのではないかと僕は半ば本気で思っていた。
 何を話したかはほとんど覚えていないが、勇がぽつりと「勇気とは、勇気を持っている人間からしか学ぶことができない」と言ったのが印象的だった。「何の言葉?」と僕が聞くと勇は「有名な哲学者の言葉らしい。父さんが俺の名前をつける時に参考にしたんだって」と他人事のように答え「お酒が回るたびに話されるから覚えているんだ」と辟易(へきえき)とした表情を浮かべていた。
 
 空に目を向ければ雲はほとんど見当たらない。雲と水路の動きは遅く、ゆったりとした時間が流れている。目に映る自然の流れは緩やかでも、現実の時間の流れは連動しない
 勇は腰を上げ、砂埃を払いながら、「そろそろ行こうか」と切り出した。顔を背け、僕の方を見てはいない。その声が震え、瞳に微かな煌めきが見えたのはきっと気のせいだろう。
 
 マンションに戻ると、勇は荷物を整理する為に一旦部屋へと戻っていった。僕は手持ち無沙汰となり、所在なさげに佇んでいると勇の母親が話しかけてきた。
「透君、勇と仲良くしてくれてありがとうね」
「いえ」と僕は手を振り「お礼を言いたいのは僕の方ですよ」と言った。
 勇の母親は目を(しばた)かせ、「あなたは本当に律儀なのね」と感心している。
 勇の母親は続ける、「実はね、転校したばかりの頃に勇が言ってたのよ。『クラスで危なっかしくて、放って置けない子がいる。なんとかしたい』って」
「そうだったんですか」僕は恥ずかしい気持ちになる。
「私は嬉しかったのよ」と言うと勇の母親は慌てて「悪い意味じゃなくてね」と否定をし「ほら、あの子は正義感が強いでしょう?前の学校でそれがきっかけで悩む時期があって人と関わることを避けるようになっていたのよ」と話し始めた。勇の母親は飄々(ひょうひょう)としているが、当時はきっと気が揉んでいたのだろう。
「私も気が気ではなかったわ。また似たようなことを繰り返されたらどうしようってね。でも私が代われる訳ではないから見守っていたのよ。それから数日経ってから、ボロボロになって家に帰ってきた時は本当にびっくりしたわ」
 提案したのは勇だが、元を辿れば僕が原因だ。僕は「ごめんなさい」と口に出していた。
「どうして謝るの?」
「勇は僕を見かねて、立ち向かおうと提案してくれたんです」と言い「僕が」と口にした途端、逡巡(しゅんじゅん)したが「いじめられていなかったら勇が怪我をする事はなかったんです」と打ち明け、僕は頭を下げた。
 勇の母親は静かに僕を見つめているのだろう。間を置いた後に「あなたは、本当に優しいのね」と呟き、「頭を上げて」と言った。顔を上げると、勇の母親の目は細めて僕を見ている。
「勇が傷をつけて帰ってきた時、不思議でしょうがなかったのよ。不満げな顔や泣いている訳ではなくて、嬉しそうな顔をしているんだもの」
 それは僕も気になっていたことだ。その翌日ではあるが、勇の表情は晴々としていて、不思議に思っていた。
「『どうして嬉しそうなの』と私が聞くと『透が俺を守る為に立ち向かってくれたんだ』って言うのよ」勇の母親も同じように嬉しそうな表情で話している。
「こうも言ってたわ。『透は人の痛みが分かる人間だ』って」
 僕は言葉に詰まってしまう。勇がそんなことを言っていたなんて、想像もしていなかった。むず痒い気持ちになりつつも、暖かく、穏やかな気持ちになる。
「それから勇も思うところがあったんでしようね。父親と距離ができていたのだけれど、勇から話しかけるようになってね。それまでは、どこか空気が重たかったんだけど、家の中が明るくなってきたのよ」
「そうだったんですか」
「勇は透君のおかげで変われたみたいだけど、透君も勇と出会って変わったのね」
「はい、そうなんです」僕は頷く。
「ああ見えて、あの子は寂しがり屋なのよ。仲良くなっても転校するから当然よね。辛い思いをさせてしまってるわ。母親としてのわがままなんだけど、離れてしまってもたまに思い出してくれると嬉しいな」
 僕は即答した。「忘れるわけないですよ。絶対に」
「本当?嬉しいわ」勇の母親は明るい表情と声になっている。
 僕は思い立ち、「メモ用紙とペンはありますか?」と尋ねた。
「あら、どうして?」
「手紙を出そうと思います。だから住所を教えておかないと」
「手紙まで、書いてくれるの?」勇の母親は更に嬉しそうだ。僕は不思議に思う。息子のことなのに、まるで自分のことのように喜んでいる。親とはそういうものなのだろうか。
 すると、荷物を抱えた勇がマンションから歩いてきた。勇は「母さん、メモとペン持ってない?」と尋ねている。
「あらどうして?」
「透に手紙を送りたいからさ」
「あらあら」勇の母親は僕たちに目を向け、目を細め笑い出した。僕は照れ臭くなり頭を掻き下を向く。勇は不思議そうな表情で、母親と僕を眺めていた。


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「そういえば、前の学校で手紙を出していた人はどうなったんだい?」僕は思い出し、尋ねた。
「ああ、実はね」と勇は嬉しそうな表情で続ける。「手紙にさ、学校での日々を書いたんんだ。もちろん透のこともね」
「僕のことを書いたのか」照れくさい気分になるが、内容を確かめる|術《すべ》は僕にはない。
「そしたら、ある日、初めて返事がきたんだよ」
「なんて?」
「一言だけど綺麗な字で、『僕も前に進みます』って」
「シンプルだけどいいね」
「俺は自分のことのように嬉しくなったよ。どうやら、中学校に上がって、いじめていた人とは別なクラスになったから、今はなんとか通えてるらしい」
「そっか」 
「ただ、六年生の頃も含め、中学校に通い始めるのも遅かったから、勉強のブランクがあって大変みたいだけど」と言い、悔しそうな表情を浮かべ「いじめを受けた方がハンデを背負って、いじめた方はのうのうと生きているなんてやるせないよな」と吐き捨てる。「でも、その人は一歩進んだ。その経験は必ず、誰かに寄り添う力に繋がるはずさ」綺麗事だと思いながらも、僕は言わずにはいられなかった。
「そうなると、いいよな」勇は僕の言葉を否定せず、手紙の相手に祈るかのように呟く。そして手近にあった石を手に取り、不安を消し飛ばすかのように投げた。勇の手を離れた石は遠くに飛び、水しぶきを上げて着水し波紋を揺らしていた。
 その後で僕達は河川敷に腰を下ろし、ゆっくりと流れる水路を眺めながら、他愛のない会話を続けていた。沈黙を恐れて僕は話し続ける。情緒もへったくれもないが、言葉を続けていればこの時間が永遠に続くのではないかと僕は半ば本気で思っていた。
 何を話したかはほとんど覚えていないが、勇がぽつりと「勇気とは、勇気を持っている人間からしか学ぶことができない」と言ったのが印象的だった。「何の言葉?」と僕が聞くと勇は「有名な哲学者の言葉らしい。父さんが俺の名前をつける時に参考にしたんだって」と他人事のように答え「お酒が回るたびに話されるから覚えているんだ」と|辟易《へきえき》とした表情を浮かべていた。
 空に目を向ければ雲はほとんど見当たらない。雲と水路の動きは遅く、ゆったりとした時間が流れている。目に映る自然の流れは緩やかでも、現実の時間の流れは連動しない
 勇は腰を上げ、砂埃を払いながら、「そろそろ行こうか」と切り出した。顔を背け、僕の方を見てはいない。その声が震え、瞳に微かな煌めきが見えたのはきっと気のせいだろう。
 マンションに戻ると、勇は荷物を整理する為に一旦部屋へと戻っていった。僕は手持ち無沙汰となり、所在なさげに佇んでいると勇の母親が話しかけてきた。
「透君、勇と仲良くしてくれてありがとうね」
「いえ」と僕は手を振り「お礼を言いたいのは僕の方ですよ」と言った。
 勇の母親は目を|瞬《しばた》かせ、「あなたは本当に律儀なのね」と感心している。
 勇の母親は続ける、「実はね、転校したばかりの頃に勇が言ってたのよ。『クラスで危なっかしくて、放って置けない子がいる。なんとかしたい』って」
「そうだったんですか」僕は恥ずかしい気持ちになる。
「私は嬉しかったのよ」と言うと勇の母親は慌てて「悪い意味じゃなくてね」と否定をし「ほら、あの子は正義感が強いでしょう?前の学校でそれがきっかけで悩む時期があって人と関わることを避けるようになっていたのよ」と話し始めた。勇の母親は|飄々《ひょうひょう》としているが、当時はきっと気が揉んでいたのだろう。
「私も気が気ではなかったわ。また似たようなことを繰り返されたらどうしようってね。でも私が代われる訳ではないから見守っていたのよ。それから数日経ってから、ボロボロになって家に帰ってきた時は本当にびっくりしたわ」
 提案したのは勇だが、元を辿れば僕が原因だ。僕は「ごめんなさい」と口に出していた。
「どうして謝るの?」
「勇は僕を見かねて、立ち向かおうと提案してくれたんです」と言い「僕が」と口にした途端、|逡巡《しゅんじゅん》したが「いじめられていなかったら勇が怪我をする事はなかったんです」と打ち明け、僕は頭を下げた。
 勇の母親は静かに僕を見つめているのだろう。間を置いた後に「あなたは、本当に優しいのね」と呟き、「頭を上げて」と言った。顔を上げると、勇の母親の目は細めて僕を見ている。
「勇が傷をつけて帰ってきた時、不思議でしょうがなかったのよ。不満げな顔や泣いている訳ではなくて、嬉しそうな顔をしているんだもの」
 それは僕も気になっていたことだ。その翌日ではあるが、勇の表情は晴々としていて、不思議に思っていた。
「『どうして嬉しそうなの』と私が聞くと『透が俺を守る為に立ち向かってくれたんだ』って言うのよ」勇の母親も同じように嬉しそうな表情で話している。
「こうも言ってたわ。『透は人の痛みが分かる人間だ』って」
 僕は言葉に詰まってしまう。勇がそんなことを言っていたなんて、想像もしていなかった。むず痒い気持ちになりつつも、暖かく、穏やかな気持ちになる。
「それから勇も思うところがあったんでしようね。父親と距離ができていたのだけれど、勇から話しかけるようになってね。それまでは、どこか空気が重たかったんだけど、家の中が明るくなってきたのよ」
「そうだったんですか」
「勇は透君のおかげで変われたみたいだけど、透君も勇と出会って変わったのね」
「はい、そうなんです」僕は頷く。
「ああ見えて、あの子は寂しがり屋なのよ。仲良くなっても転校するから当然よね。辛い思いをさせてしまってるわ。母親としてのわがままなんだけど、離れてしまってもたまに思い出してくれると嬉しいな」
 僕は即答した。「忘れるわけないですよ。絶対に」
「本当?嬉しいわ」勇の母親は明るい表情と声になっている。
 僕は思い立ち、「メモ用紙とペンはありますか?」と尋ねた。
「あら、どうして?」
「手紙を出そうと思います。だから住所を教えておかないと」
「手紙まで、書いてくれるの?」勇の母親は更に嬉しそうだ。僕は不思議に思う。息子のことなのに、まるで自分のことのように喜んでいる。親とはそういうものなのだろうか。
 すると、荷物を抱えた勇がマンションから歩いてきた。勇は「母さん、メモとペン持ってない?」と尋ねている。
「あらどうして?」
「透に手紙を送りたいからさ」
「あらあら」勇の母親は僕たちに目を向け、目を細め笑い出した。僕は照れ臭くなり頭を掻き下を向く。勇は不思議そうな表情で、母親と僕を眺めていた。