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5話

ー/ー



結局、勇は見学に来れなかった。部活動の時間中は。

 いつ勇が見学に来てもいいように、僕は張り切って練習をし、シュート率もいつも以上に精度が高まっていたと思う。

 関先輩から「調子がいいじゃないか」と褒められた時は思わず笑顔になってしまった。憂鬱なことがあっても褒められれば気持ちは明るくなる。「単純な人間だな」と僕は思いながらも、やはり嬉しかった。

 高橋と金谷はどちらもレギュラーとして活躍している。公私混同せずメリハリがある。練習中はひたすら真面目に取り組んでいるのだ。
 自身の置かれている状況を忘れてしまうほど、彼らのプレイは上手く、僕は密かに参考にしているのだ。

 練習終了後、僕は部室で着替えていた。先輩達は先に帰り、他の同級生達の部員達もそれぞれの片付けを終え、帰宅するところだ。金谷と高橋は「少し練習してから帰る」と言っていたので、彼らを尻目に体育館を後にし、急いで帰り支度をしていた。

 着替えが終わり、カバンを背負い、玄関へと向かう。館内へと続く扉は開けられていて、練習をしている高橋と金谷が見える。気付かれないようにそそくさと外靴に履き替えていると、「あれ?先に帰っちゃうの?」と金谷に声をかけられてしまう。

「今日の練習は終わったからな」靴紐を結びながら平静を装い、僕は答える。

「関先輩に褒められたからって調子に乗ってんなよ」金谷はボールを両手に持ちながら近づいてくる。

「乗ってないって」僕は左手を左右に振って立ち上がる。「じゃあお先に」と玄関へ向かおうとすると、突然僕の目の前にボールが横切った。ボールは下駄箱へとぶつかり、音を立てて、跳ね返った。僕は立ち止まり、横に目を向ける。

 跳ね返ったボールは高橋の元へ戻っていき、両手でキャッチした。無言だが、その表情は威圧感に満ち溢れていて、僕は目を逸らしてしまう。どうしても帰らせないつもりらしい。

「調子に乗っているから、罰を受けないとな」金谷は嬉しそうな表情を浮かべている。
 
「ボールを避けたら殴るからな」と高橋はドリブルをさせながら、まるでいつものルーティーンを行うような自然さで淡々と呟く。

 他の部員達が帰った後の部室だ。僕の三メートル程先に二人が並び立っている。

 「どちらにしろ、僕は暴力を受けるじゃないか」と抵抗を試みるが聞き入れてはもらえない。

「ああ、そうそう」と高橋の隣にいる金谷が「避けたらガラスが割れるからな」と楽しそうな声を上げる。

「割れたら透、お前のせいだ」低い声で高橋はボールを両手に持つ。「つまり、透はボールを当てられるか、殴られるか、ガラスを割って先生に怒られるか、その三択しかない」そう話す高橋の表情は静かだ。僕が必死に直視しないように、堪(こら)えている感情に蓋をしているとすれば、高橋は当初発散させていた嗜虐性を必死に抑えている。

 そうすることで、物理的にも精神的にも反抗する意思を摘み取っているのだ。僕は「めちゃくちゃな提案だ」と力なく呟くことしかできない。

「じゃあ、投げるから避けるなよ」と振りかぶり、ボールが高橋の手から離れた。僕は反射的に身を翻したため、左肩にボールが直撃する。

 バスケットボールは痛い。非常に硬く、面積が広いため、拳大の石を投げつけられるようなものだ。それに加え、左肩は先日の打撲箇所だ。激痛が走る。心臓が脈を打つたびにズキズキと痛みが増していく。僕は左肩に手を当て、堪えるしかない。

「おい何避けようとしてんだよ」高橋が近づいてくる。
「ガラスに当たるかと思ってヒヤヒヤしたよ」言葉とは裏腹に、金谷は楽しそうな表情を浮かべている。

「避けるなと言ったよな」と高橋は念を押しつつ近づき、僕は腹部を殴られた。

「うっ」と僕は呻き腹部を抑えしゃがみ込む。腹部の奥底に響くような痛みと、左肩の痛みが合わさり蓋をしていた感情が限界を迎えそうだった。

 僕は「もういっそのこと土下座でもなんでもして許しを請おうか」と思い始めていた。
すると「すいませーん」と体育館の入り口から声が響き、こちらへ向かう足音が聞こえてきた。

 勇の声だ。恐らく部活見学に来たが、体育館に人がいなかったのだろう。部室へ向かってくる。

 高橋と金谷は顔を見合わせ、ボールを(かご)へしまい、着替え始めた。練習が終わり、帰宅しようとしているところに勇が来た、という構図にしたいのだろう。「早く立てよ」と金谷に声をかけられる。

 僕は痛みに顔をしかめながらも立ち上がり、バッグを持ち上げたところで「部活はもう終わりましたか?」と勇が部室の入り口に立っていた。僕は反射的に顔を背け、窓へ体を向けてしまう。敬語なのは先輩がいると思ったからだろう。

「お、勇じゃん。部活はもう終わったぞ」と高橋が何事もなかったように話しかける。

「そっかー。サッカー部の見学、長引いたんだよなぁ」勇は申し訳なさそうに頭を搔いている。

「また明日来いよ」と金谷が声をかける。「そうだな」と勇は言い、続いて「高橋、この部室でも練習はするのかい?」と質問をしたので僕は驚き、振り向いてしまう。

 勇の目は至って真剣だ。空気が引き締まるのを感じる。高橋は少し間を置いて「ここは部室だぞ?練習は体育館でするよ。どうしてそんな当たり前のことを聞くんだ」と答えた。その声は堂々としている。

 勇は「おかしいな。ボールが弾む音が外に聞こえたんだけどなあ」と呟き、周囲を見渡してから、僕たち三人の目を順繰りに見つめていく。
 再び沈黙が場を支配した後で、「まあいいや。気のせいか」と伸びをし、「透も今帰るところか?」と声をかけてくる。

「う、うん、今帰るところだよ」僕は努めて平静を装うが、声が震えていないかと気にかかる。

 高橋は勇を一瞥した後で「透は勇と先に帰ってろよ。俺たちで鍵を返しておくからさ」と提案をしてきた。いつもは僕が返すのが当たり前になっていたので驚くが、すぐに合点がいく。なんということはない。勇の疑いを逸らしたいのだろう。

「お、高橋、サンキュー」と勇は言い、部室から出て行った。

「ありがとう。それじゃあ先に帰らせてもらうよ」僕は二人の前を通り過ぎる際に声をかけ、高橋と金谷に顔を向けた。

「ああ。じゃあな」そう言う二人の表情は「余計なことを言うなよ」と書いてある。
 僕は憂鬱な思いを抱えて部室を後にした。


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結局、勇は見学に来れなかった。部活動の時間中は。
 いつ勇が見学に来てもいいように、僕は張り切って練習をし、シュート率もいつも以上に精度が高まっていたと思う。
 関先輩から「調子がいいじゃないか」と褒められた時は思わず笑顔になってしまった。憂鬱なことがあっても褒められれば気持ちは明るくなる。「単純な人間だな」と僕は思いながらも、やはり嬉しかった。
 高橋と金谷はどちらもレギュラーとして活躍している。公私混同せずメリハリがある。練習中はひたすら真面目に取り組んでいるのだ。
 自身の置かれている状況を忘れてしまうほど、彼らのプレイは上手く、僕は密かに参考にしているのだ。
 練習終了後、僕は部室で着替えていた。先輩達は先に帰り、他の同級生達の部員達もそれぞれの片付けを終え、帰宅するところだ。金谷と高橋は「少し練習してから帰る」と言っていたので、彼らを尻目に体育館を後にし、急いで帰り支度をしていた。
 着替えが終わり、カバンを背負い、玄関へと向かう。館内へと続く扉は開けられていて、練習をしている高橋と金谷が見える。気付かれないようにそそくさと外靴に履き替えていると、「あれ?先に帰っちゃうの?」と金谷に声をかけられてしまう。
「今日の練習は終わったからな」靴紐を結びながら平静を装い、僕は答える。
「関先輩に褒められたからって調子に乗ってんなよ」金谷はボールを両手に持ちながら近づいてくる。
「乗ってないって」僕は左手を左右に振って立ち上がる。「じゃあお先に」と玄関へ向かおうとすると、突然僕の目の前にボールが横切った。ボールは下駄箱へとぶつかり、音を立てて、跳ね返った。僕は立ち止まり、横に目を向ける。
 跳ね返ったボールは高橋の元へ戻っていき、両手でキャッチした。無言だが、その表情は威圧感に満ち溢れていて、僕は目を逸らしてしまう。どうしても帰らせないつもりらしい。
「調子に乗っているから、罰を受けないとな」金谷は嬉しそうな表情を浮かべている。
「ボールを避けたら殴るからな」と高橋はドリブルをさせながら、まるでいつものルーティーンを行うような自然さで淡々と呟く。
 他の部員達が帰った後の部室だ。僕の三メートル程先に二人が並び立っている。
 「どちらにしろ、僕は暴力を受けるじゃないか」と抵抗を試みるが聞き入れてはもらえない。
「ああ、そうそう」と高橋の隣にいる金谷が「避けたらガラスが割れるからな」と楽しそうな声を上げる。
「割れたら透、お前のせいだ」低い声で高橋はボールを両手に持つ。「つまり、透はボールを当てられるか、殴られるか、ガラスを割って先生に怒られるか、その三択しかない」そう話す高橋の表情は静かだ。僕が必死に直視しないように、堪《こら》えている感情に蓋をしているとすれば、高橋は当初発散させていた嗜虐性を必死に抑えている。
 そうすることで、物理的にも精神的にも反抗する意思を摘み取っているのだ。僕は「めちゃくちゃな提案だ」と力なく呟くことしかできない。
「じゃあ、投げるから避けるなよ」と振りかぶり、ボールが高橋の手から離れた。僕は反射的に身を翻したため、左肩にボールが直撃する。
 バスケットボールは痛い。非常に硬く、面積が広いため、拳大の石を投げつけられるようなものだ。それに加え、左肩は先日の打撲箇所だ。激痛が走る。心臓が脈を打つたびにズキズキと痛みが増していく。僕は左肩に手を当て、堪えるしかない。
「おい何避けようとしてんだよ」高橋が近づいてくる。
「ガラスに当たるかと思ってヒヤヒヤしたよ」言葉とは裏腹に、金谷は楽しそうな表情を浮かべている。
「避けるなと言ったよな」と高橋は念を押しつつ近づき、僕は腹部を殴られた。
「うっ」と僕は呻き腹部を抑えしゃがみ込む。腹部の奥底に響くような痛みと、左肩の痛みが合わさり蓋をしていた感情が限界を迎えそうだった。
 僕は「もういっそのこと土下座でもなんでもして許しを請おうか」と思い始めていた。
すると「すいませーん」と体育館の入り口から声が響き、こちらへ向かう足音が聞こえてきた。
 勇の声だ。恐らく部活見学に来たが、体育館に人がいなかったのだろう。部室へ向かってくる。
 高橋と金谷は顔を見合わせ、ボールを|籠《かご》へしまい、着替え始めた。練習が終わり、帰宅しようとしているところに勇が来た、という構図にしたいのだろう。「早く立てよ」と金谷に声をかけられる。
 僕は痛みに顔をしかめながらも立ち上がり、バッグを持ち上げたところで「部活はもう終わりましたか?」と勇が部室の入り口に立っていた。僕は反射的に顔を背け、窓へ体を向けてしまう。敬語なのは先輩がいると思ったからだろう。
「お、勇じゃん。部活はもう終わったぞ」と高橋が何事もなかったように話しかける。
「そっかー。サッカー部の見学、長引いたんだよなぁ」勇は申し訳なさそうに頭を搔いている。
「また明日来いよ」と金谷が声をかける。「そうだな」と勇は言い、続いて「高橋、この部室でも練習はするのかい?」と質問をしたので僕は驚き、振り向いてしまう。
 勇の目は至って真剣だ。空気が引き締まるのを感じる。高橋は少し間を置いて「ここは部室だぞ?練習は体育館でするよ。どうしてそんな当たり前のことを聞くんだ」と答えた。その声は堂々としている。
 勇は「おかしいな。ボールが弾む音が外に聞こえたんだけどなあ」と呟き、周囲を見渡してから、僕たち三人の目を順繰りに見つめていく。
 再び沈黙が場を支配した後で、「まあいいや。気のせいか」と伸びをし、「透も今帰るところか?」と声をかけてくる。
「う、うん、今帰るところだよ」僕は努めて平静を装うが、声が震えていないかと気にかかる。
 高橋は勇を一瞥した後で「透は勇と先に帰ってろよ。俺たちで鍵を返しておくからさ」と提案をしてきた。いつもは僕が返すのが当たり前になっていたので驚くが、すぐに合点がいく。なんということはない。勇の疑いを逸らしたいのだろう。
「お、高橋、サンキュー」と勇は言い、部室から出て行った。
「ありがとう。それじゃあ先に帰らせてもらうよ」僕は二人の前を通り過ぎる際に声をかけ、高橋と金谷に顔を向けた。
「ああ。じゃあな」そう言う二人の表情は「余計なことを言うなよ」と書いてある。
 僕は憂鬱な思いを抱えて部室を後にした。