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エピローグ

ー/ー



 二ヵ月前——。
カタカタカタ——。キーボードを叩く音が、殺風景な一人暮らしのワンルームに響く。
 はぁ。
大きく溜息をつき、モニターに映る文字の塊を見つめた。スランプというよりブランクが、この手を、そして頭を止めているのは間違いなかった。
でもそれだけじゃない。青春文学で名のある賞に応募した二年前の私の処女作が、周りの誰もが予想もしない中、見事に新人賞を獲得した。
「青春スピカ 新人賞 斉木澪様」と書かれたトロフィーは、わざわざ一人暮らしをする際に持ってきていて、以来、部屋の隅っこに飾ってある。あの時の私は嘘じゃないのだと、そう言い聞かせるためにも。
でも逆に、その時の栄光が尾を引いてか、見えない重しが圧し潰そうとしている感もあった。そしてそのプライドが、初めて書いた時には無かった「純粋に書きたい」という気持ちを邪魔してもいた。
すっかり長く伸びた髪を掻き上げながら、おぼろげに天井を見上げる。
明るさの自動調節がされたシーリングライト。力強く真っ白に照らしていたかと思えば、いつの間にか疲れ切った瞳に優しく反射する程度の明るさに変わっていた。
思わずカーテンを開ける。
眩しい。立ち並ぶビル群の向こう側から、小憎らしいほど鮮やかな朝日が昇り始めていた。
「澪さん、おはようございます。現在の時刻は午前五時三〇分です」
白を基調とした、整理の行き届いた狭い部屋中にこだまする、包み込んでくれるような優しい声。好みに合わせて調整しておいた声である。
「目覚ましの時間……もうそんな時間かぁ。ねぇセナ。今日の予定ってどうだっけ?」
ややうなだれながら、机の上に置いていたホログラム投影端末に対して問いかける。すぐさまAIアシスタントのセナは答えた。
「午前十一時から文学概論の講義、午後二時からクリエイティブライティングの演習、そして夕方五時から図書館でのアルバイトが入っています。また、友人の花蓮さんから、講義の前に『喫茶クリエ』で待ち合わせをしたいとメッセージが入っています」
「そっかぁ。今から寝ても四時間しか寝れないよ」
「正確には三時間半でしょうか。授業はキャンセルされますか?」
「いやいや、今日休んだらダメなんだって。今日中間テストもあるんだよ。はぁ」
「わかりました。それではすぐにお休みください。部屋の明かりは一分後に消灯いたします。それから、花蓮さんへの返事はどうされますか?」
「あ、うん。花蓮にはオッケーって返しといてくれる?」
鏡を見ると、瞳にはわずかな充血が見られた。身体は気だるさでいっぱいだが、最近はすっかり徹夜での作業が常態化している。無理もない。
ゆっくりと立ち上がり、すっかり凝り固まった気だるさを払拭するように、身体を思い切り伸ばした。ぼんやりしていても聞こえる、骨が軋むような音。これから寝る人の音じゃないなと、そんな自分を小さく鼻で笑った。
「ふわぁ、眠い」
僅かばかりの仮眠を取った後、大学へ向かう準備をしようにも、まだ疲れの残る身体が少し重い。
外ではビル群の隙間を縫うように、小型ドローンが忙しなく飛び交っている。見下ろすと、喧噪な街並みを行き交う自動運転車やモビリティサイクルに乗った人々の光景。やや遠くに見える東京タワーは、今やAR(拡張現実)広告に覆われ、刻一刻と変化する映像を街に向けて発信していた。
——未だに慣れないな。
そんな光景に、つい目を細めた。
この二年で、世界は大きなブレイクスルーを遂げた。自動運転車、ドローン配送。もちろん、従来のARやVR、そしてAIアシスタントの更なる進化と普及。他にもあらゆる日常が、時代を超えた日常となってしまった。それは決して日本だけでなく、多くの国で見られるごく普通の都会の光景である。
まだほんの一ヵ月。
大学進学を機に田舎から出てきたが、受験勉強中は一切と言っていいほど社会の変化に疎かった。受験に明け暮れているわずかの間に、あるいはこの東京という街が、時間軸を数年跨いでしまったのではないかと思うほどの時代差を澪は感じていた。
そのせいか、入学時にちょうど散り始めたばかりの桜に心が落ち着いたことを今でも思い出す。他にも、時折視界に入るネモフィラにツツジ、それに街路樹を見ると安心できる自分がいた。「つくづく慣れてないな」と小さく溜息した。
「そういえば」と、眠る前に消すのを忘れてしまったモニターに書き終えた短編小説がそのままだったことを思い出す。
『デジタル世界に咲く花』——。
「あ、ごめん、セナ。あの小説、いつものように投稿しといて」
 書き終えたことに満足していて、すっかり投稿するのを忘れていた。大学へ向かう電車の中から、イヤホンを通じてセナへと指示を出す。セナはホームWi-Fi下でのみ活躍できるため、通常、外からダイレクトに話すことはできない。ただ、家庭用コンセントに備え付けたスマートプラグを介して、Wi-Fi内蔵イヤホンから会話をすることができるという仕組みだ。
「承知しました。それでは日時指定なし、AI使用率は0%。タグについては、これまでの投稿内容と類似性のあるものと、小説の内容を分析した結果から生成したものをつけて投稿いたします」
「ありがと」
すぐに『投稿、お疲れさまでした』と、アプリからの通知が届く。続いて、『現在のあなたの累計閲覧順位は圏外です』と残酷な一文を見て、すぐにその画面を閉じた。
AI使用率0%のタグ。
AI使用率により、投稿サイトのアルゴリズムの挙動に影響が出るとされている。また、AIを使っていない小説を読みたいという一定の需要もあるという。今では多くの作家が大なり小なり当たり前にAI支援ツールを使う中、頑なに自力での創作にこだわっていた。
これだけは譲れないと、そんなこだわりが邪魔していることはわかっているものの、それが私の小さなプライドだった。


 

 

[2章2節. 花蓮との友情]

 

「いらっしゃい」

こぢんまりとした路面カウンター型の古風なパン屋から、香ばしい匂いが漂ってくる。

「あ、待ち合わせでして……」

「あぁ、イートインね。中で飲み物は注文できるけど、パンは先にここで買ってからでお願いね」

元気にそう案内してくれる店主らしき人の笑顔に、思わず頬が弛んだ。外で買ってから中で食べるなんて、なんだか不思議なお店だ。

「じゃあ、これください」

「ありがとうございます。それじゃあこれ持って店内へどうぞ」

案内されるがまま、選んだパンを持って店内へ入る。店構えどおり、レトロ感のある、それでいてさっぱりとした雰囲気のカフェ。シンプルな木製の丸机に向い合わせの椅子が一つずつ。他には一人仕様の机と椅子。十畳もないだろう店内は、それらも数えるほどしかない。

「澪ちゃーん! こっちこっち」

店内奥から聞こえてくる声。花蓮だ。クシャッとなった笑顔が疲れを吹っ飛ばしてくれる。

花蓮がいる方へ向かおうとすると、今度は黙って指を差してくる。



「ん?」

花蓮が指さす方には、カウンター越しにAIバリスタと書かれた上半身のみのアームロボットがいる。どうやら先にコーヒーやらの飲み物を注文するらしかった。

タッチパネルにあった「おまかせ」で前払い注文をすると、すぐに何かを作り出した。

待っている間、カウンターに書いてあった説明書きを読んでみる。

『サーモグラフィーによるお客様の体温の把握。カメラセンサーによる表情の確認。データベースからパターン認識を行い、お客様の属性を判断』など、それらを総合的に判断してコーヒー豆を選択して淹れてくれるのだという。ちなみに「おまかせ」はコーヒーのみが選択できる仕様となっていた。

わずかの時間で差し出されたコーヒーを受け取って、花蓮のいる席に着いた。

「ごめんね、朝から。あ、ひょっとして寝不足でしょ。ほら、寝不足ですって、デバイスが表示してるよ?」

「え、うそ?」

「うーそ。あはは、そんな機能ないよ」

「もう……」

 両耳にシンプルなデザインのイヤリング。大人っぽさのある装いに反して、幼げな見た目の花蓮。そんな花蓮には、いつも踊らされてしまっていた。

 時代遅れとなったスマートフォンから、上京してすぐにNeuro(ニューロ)と呼ばれる最新デバイスに渋々買い替えた。端末を装着することが一般的になった四年ほど前から、若い世代を中心に爆発的に広がったのである。

かくいう私は、時代についていけないタチだったが、皆が次第に乗り換えていくのを目にすると、その億劫さを勝る形で伝染していった。

 Neuroとは、イヤーアクセサリのように片耳の上部に取り付けるタイプのAI搭載型イヤホンである。そのイヤホンのボタンをタッチすると、特定の小型チップが取り付けられた眼鏡や内蔵型コンタクトと同期して、AR表示化することができる。またカメラも内蔵されているため、単体で視覚的な状況も把握できる多機能な端末となっている。

このNeuroの拡散とともに、次第に人々の生活も変わってきつつあった。

 たとえば典型的なものが、街中の広告が物理的な広告からAR広告へと変化していったことである。AR化すれば、簡単かつシームレスに内容を変更できる。AI処理により、ここに合わせた広告も表示可能である。それに安価に映像も組み込めるとあって、特に若い世代へリーチするコンテンツを中心に急激な変化を遂げつつあった。

 そんな劇的なAR化への変化についていけていないことは充分に自覚していた。あまり使いこなせていないせいで、寝不足アラートまでもがデバイスに表示されているという嘘にも気づけず、花蓮にまんまと騙されたというわけである。

「そうだ。今日はどうしたの? 急に」

 いたずらっ子のようなしたり顔をして、少し上目遣いになった花蓮の口角が上がる。

「今日短編投稿したでしょ。実は読んだの。だから感想を伝えたくて」

「えっ!? だって、投稿したのついさっきだよ!? それに投稿前に連絡くれたじゃない!」

「ふふん。私を誰だと思ってるの? そんなの全部オ・ミ・ト・オ・シ」

「す、すごいね。ここまでくるとAIより怖いよ」

「引くな引くな。褒めてくれてもいいんだよ? 誰よりも澪の理解者なんだから」

「で? 感想」

 Neuroを触って内容を見返しながら、花蓮は何やらAIに検索させている様子だ。

「あぁ……うん。でもそれよりさ、ここ最近すごいペースで書いてるよね。短編とはいっても、一ヶ月で八本は書いてるんじゃない?」

「うん。それくらい……かな。感覚を取り戻したくって。ほら、前に賞を取ったのが二年前だから。早くブランクを埋めなくちゃって。それに……」

「それに?」

躊躇う私に、間髪入れずオウム返しをしてくる。私の僅かな俯き加減に感じる、不安な気持ちを察知したかのようなトーンだった。

言いにくそうにしている姿を横目に、頬杖をついて窓の外を見やりながら、花蓮は続けた。

「私、澪の書く小説好きだよ」

「な、何。急に」

 「ふふん」と、なぜだか勝ち誇ったような笑みを浮かべている。

「また私の書く文章なんてとか、AIの書く文章がどうだとか言うんでしょ。大丈夫。澪の書くものには、AIなんかには出せない『温かさ』があるんだから。それに……」

 今度は正面を向いて続ける花蓮に対して照れ臭さをごまかしたくて、鼻で笑いつつ顔を外してコーヒーをすすった。

 AIには出せない温かさ。

滔々と話す花蓮の言葉を話半分に聞いていたが、端々に聞こえてくる言葉には、「他と違う何か」があるということらしかった。それを必死に言い表そうとして、終始一向に要領を得ないでいる。

おそらく人の心の奥底にある怒りや衝動みたいなもののことを言おうとしているのだろうなと、自身の自覚とともにそう解釈した。

——ありがとう。

そう心の中で呟く。不安は確かにある。いや、不安しかない。

これほどAIが発展した世界で、あらゆるものが自動化していく世界で、そして言葉という限定された範囲でのみ構成される創造物は、AIにはお手のものだ。

それでも私は勝負したかった。人が抱く気持ちや、人が感じる想い、それに人の情念のような内から沸々と湧き上がる狂おしさのようなものを作ることは、誰にも譲りたくないという決意があったからだった。

こんな読者のためにも必死で前を向いて挑戦していこうと、歯を食いしばる思いを強くした。

 

 

 

[2章3節. 怜奈との相対]

 

カーン、カーン、カーン。

大きく鳴った鐘の音は、こだまするように徐々に小さく奥へと響いていく。ちょうど前の時限の授業が終わるチャイムだ。

次の授業との間は十分しかないため、正門を抜けて構内に入ると、足早に二人して講義室の方へと向かっていた。

「なんだろう、あの人だかり」

 目端に映ったことで、思わず花蓮が立ち止まる。左手に見える五、六人ほどの集まりに気づいて呟いた。それに釣られて私も同じ方を向くと、ピントがあった先にいたのはどうやら知っている人らしかった。

「ん? あれ、怜奈ちゃんじゃない?」

 その声に気づいてか、眼鏡の奥に見える愛らしい丸い瞳が私を捉えた。派手さとは無縁の、真っ直ぐ一つに束ねた黒髪を揺らしながら、その子は足早に近づいてきた。

「ちょうどよかったよ、澪ちゃん」

 幼馴染で一つ下の高校三年生。先ほどまで遠目には居心地悪そうに見えたが、近づいてきてからは元気な笑顔を振りまいてくれる。まだ制服を着ている姿を見て、ほんの少し前まで自分もそうだったというのに、不意に妙な懐かしさを感じた。

「どうしたの? こんなところで」

 隣接する付属高校の生徒とはいえ、そもそも校門が異なる。高校生が大学の構内にいるのは珍しかった。

いつもは明るく快活な彼女に対して、ソワソワしている姿がなんだか滑稽に映った。

「実はね……、ドリームスケープのことでちょっと、澪ちゃんに話したいことがあって来たの。今日時間ある?」

 囃し立てている大学生たちをよそ目に、怜奈は食い入るように話す。彼らは、先日開催されたという某企業主催の『U-20 未来のAIエンジニアコンテスト』とやらで優勝した怜奈を讃えている学生らしかった。

「わざわざ直接言いに来なくても連絡してくれればいいのに。いいよ……、あ、また空いてる日連絡するね」

 言い終わると同時に「わかった、じゃあ必ず連絡してね」と言うと、すぐさま彼女は振り返って高校の方へと走って行った。きっと休み時間に抜けて来たのだろう。

「……いつもなかなか連絡を返さない私のせいか」という事実が、ふと脳裏をよぎった……。

 

 

 

[2章4節.科学者の失踪の続報]

 

 アルバイトを終えたとある日の帰り道。すっかり陽も落ちた夜の繁華街を通り抜けようとすると、大型モールの外壁に設置された巨大スクリーンに、聞いたことのある内容のニュースが流れてきた。

 AR機能をあまり使わない私のような人でも見られるように、巨大スクリーンではおよそどちらにも対応しているらしい。

思わず立ち止まってスクリーンの方を見やった。

 

『続報:謎のドリームスケープ開発者失踪事件、新たな情報』

 

 数週間前から話題になっていた失踪事件だ。ドリームスケープといえば、朝方に怜奈が言っていたあの流行りのサービスのことである。

『ドリームスケープの開発に関与していたとされる科学者の失踪から、今日で二週間が経ちました。警察は今日、新たに情報を公開しました』

 アナウンサーの声が町の喧騒を貫いて、耳に届いてくる。

 画面には、警察の記者会見の様子が映し出されているが、引き続きアナウンサーが内容を要約して伝えている。

『失踪したとされる科学者の身元は依然として明らかにされていませんが、最後に目撃されたのは研究所の近くだったことが判明しました。また、失踪現場付近から淵に星空を彩ったペンダントが発見されたとのことで、調査の結果、本人のものである可能性が高いということがわかりました』

 ペンダント。そんな些細な情報だけで、どうしてわざわざニュースにするのだろうか。所持品がそのままであることが、より失踪に事件性が高いということを示唆しているということなのだろうか。それに、未だに顔も名前も公表しないなんて、何か言えない理由があるのだろうか。

 そう一人で考え込んでいると、行き交う街の人々からも話し声が聞こえてくる。

「二週間も音沙汰なしって、普通じゃないよね」

「きっともう、死んでるんだよ」

 SNS上でも、同じような情報が飛び交っていた。

時折流れてくる様々な情報にはよくある他のニュースと同じだと見向きもしなかったけど、今は『ドリームスケープ』という言葉に反応するようになっていたせいで、どうにも不安な気持ちが拭えないでいた。

答えのない疑問を胸に、帰途に着くことにした。

考えても仕方ない。忘れよう。



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 二ヵ月前——。
カタカタカタ——。キーボードを叩く音が、殺風景な一人暮らしのワンルームに響く。
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でもそれだけじゃない。青春文学で名のある賞に応募した二年前の私の処女作が、周りの誰もが予想もしない中、見事に新人賞を獲得した。
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思わずカーテンを開ける。
眩しい。立ち並ぶビル群の向こう側から、小憎らしいほど鮮やかな朝日が昇り始めていた。
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「目覚ましの時間……もうそんな時間かぁ。ねぇセナ。今日の予定ってどうだっけ?」
ややうなだれながら、机の上に置いていたホログラム投影端末に対して問いかける。すぐさまAIアシスタントのセナは答えた。
「午前十一時から文学概論の講義、午後二時からクリエイティブライティングの演習、そして夕方五時から図書館でのアルバイトが入っています。また、友人の花蓮さんから、講義の前に『喫茶クリエ』で待ち合わせをしたいとメッセージが入っています」
「そっかぁ。今から寝ても四時間しか寝れないよ」
「正確には三時間半でしょうか。授業はキャンセルされますか?」
「いやいや、今日休んだらダメなんだって。今日中間テストもあるんだよ。はぁ」
「わかりました。それではすぐにお休みください。部屋の明かりは一分後に消灯いたします。それから、花蓮さんへの返事はどうされますか?」
「あ、うん。花蓮にはオッケーって返しといてくれる?」
鏡を見ると、瞳にはわずかな充血が見られた。身体は気だるさでいっぱいだが、最近はすっかり徹夜での作業が常態化している。無理もない。
ゆっくりと立ち上がり、すっかり凝り固まった気だるさを払拭するように、身体を思い切り伸ばした。ぼんやりしていても聞こえる、骨が軋むような音。これから寝る人の音じゃないなと、そんな自分を小さく鼻で笑った。
「ふわぁ、眠い」
僅かばかりの仮眠を取った後、大学へ向かう準備をしようにも、まだ疲れの残る身体が少し重い。
外ではビル群の隙間を縫うように、小型ドローンが忙しなく飛び交っている。見下ろすと、喧噪な街並みを行き交う自動運転車やモビリティサイクルに乗った人々の光景。やや遠くに見える東京タワーは、今やAR(拡張現実)広告に覆われ、刻一刻と変化する映像を街に向けて発信していた。
——未だに慣れないな。
そんな光景に、つい目を細めた。
この二年で、世界は大きなブレイクスルーを遂げた。自動運転車、ドローン配送。もちろん、従来のARやVR、そしてAIアシスタントの更なる進化と普及。他にもあらゆる日常が、時代を超えた日常となってしまった。それは決して日本だけでなく、多くの国で見られるごく普通の都会の光景である。
まだほんの一ヵ月。
大学進学を機に田舎から出てきたが、受験勉強中は一切と言っていいほど社会の変化に疎かった。受験に明け暮れているわずかの間に、あるいはこの東京という街が、時間軸を数年跨いでしまったのではないかと思うほどの時代差を澪は感じていた。
そのせいか、入学時にちょうど散り始めたばかりの桜に心が落ち着いたことを今でも思い出す。他にも、時折視界に入るネモフィラにツツジ、それに街路樹を見ると安心できる自分がいた。「つくづく慣れてないな」と小さく溜息した。
「そういえば」と、眠る前に消すのを忘れてしまったモニターに書き終えた短編小説がそのままだったことを思い出す。
『デジタル世界に咲く花』——。
「あ、ごめん、セナ。あの小説、いつものように投稿しといて」
 書き終えたことに満足していて、すっかり投稿するのを忘れていた。大学へ向かう電車の中から、イヤホンを通じてセナへと指示を出す。セナはホームWi-Fi下でのみ活躍できるため、通常、外からダイレクトに話すことはできない。ただ、家庭用コンセントに備え付けたスマートプラグを介して、Wi-Fi内蔵イヤホンから会話をすることができるという仕組みだ。
「承知しました。それでは日時指定なし、AI使用率は0%。タグについては、これまでの投稿内容と類似性のあるものと、小説の内容を分析した結果から生成したものをつけて投稿いたします」
「ありがと」
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AI使用率0%のタグ。
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これだけは譲れないと、そんなこだわりが邪魔していることはわかっているものの、それが私の小さなプライドだった。
[2章2節. 花蓮との友情]
「いらっしゃい」
こぢんまりとした路面カウンター型の古風なパン屋から、香ばしい匂いが漂ってくる。
「あ、待ち合わせでして……」
「あぁ、イートインね。中で飲み物は注文できるけど、パンは先にここで買ってからでお願いね」
元気にそう案内してくれる店主らしき人の笑顔に、思わず頬が弛んだ。外で買ってから中で食べるなんて、なんだか不思議なお店だ。
「じゃあ、これください」
「ありがとうございます。それじゃあこれ持って店内へどうぞ」
案内されるがまま、選んだパンを持って店内へ入る。店構えどおり、レトロ感のある、それでいてさっぱりとした雰囲気のカフェ。シンプルな木製の丸机に向い合わせの椅子が一つずつ。他には一人仕様の机と椅子。十畳もないだろう店内は、それらも数えるほどしかない。
「澪ちゃーん! こっちこっち」
店内奥から聞こえてくる声。花蓮だ。クシャッとなった笑顔が疲れを吹っ飛ばしてくれる。
花蓮がいる方へ向かおうとすると、今度は黙って指を差してくる。
「ん?」
花蓮が指さす方には、カウンター越しにAIバリスタと書かれた上半身のみのアームロボットがいる。どうやら先にコーヒーやらの飲み物を注文するらしかった。
タッチパネルにあった「おまかせ」で前払い注文をすると、すぐに何かを作り出した。
待っている間、カウンターに書いてあった説明書きを読んでみる。
『サーモグラフィーによるお客様の体温の把握。カメラセンサーによる表情の確認。データベースからパターン認識を行い、お客様の属性を判断』など、それらを総合的に判断してコーヒー豆を選択して淹れてくれるのだという。ちなみに「おまかせ」はコーヒーのみが選択できる仕様となっていた。
わずかの時間で差し出されたコーヒーを受け取って、花蓮のいる席に着いた。
「ごめんね、朝から。あ、ひょっとして寝不足でしょ。ほら、寝不足ですって、デバイスが表示してるよ?」
「え、うそ?」
「うーそ。あはは、そんな機能ないよ」
「もう……」
 両耳にシンプルなデザインのイヤリング。大人っぽさのある装いに反して、幼げな見た目の花蓮。そんな花蓮には、いつも踊らされてしまっていた。
 時代遅れとなったスマートフォンから、上京してすぐにNeuro(ニューロ)と呼ばれる最新デバイスに渋々買い替えた。端末を装着することが一般的になった四年ほど前から、若い世代を中心に爆発的に広がったのである。
かくいう私は、時代についていけないタチだったが、皆が次第に乗り換えていくのを目にすると、その億劫さを勝る形で伝染していった。
 Neuroとは、イヤーアクセサリのように片耳の上部に取り付けるタイプのAI搭載型イヤホンである。そのイヤホンのボタンをタッチすると、特定の小型チップが取り付けられた眼鏡や内蔵型コンタクトと同期して、AR表示化することができる。またカメラも内蔵されているため、単体で視覚的な状況も把握できる多機能な端末となっている。
このNeuroの拡散とともに、次第に人々の生活も変わってきつつあった。
 たとえば典型的なものが、街中の広告が物理的な広告からAR広告へと変化していったことである。AR化すれば、簡単かつシームレスに内容を変更できる。AI処理により、ここに合わせた広告も表示可能である。それに安価に映像も組み込めるとあって、特に若い世代へリーチするコンテンツを中心に急激な変化を遂げつつあった。
 そんな劇的なAR化への変化についていけていないことは充分に自覚していた。あまり使いこなせていないせいで、寝不足アラートまでもがデバイスに表示されているという嘘にも気づけず、花蓮にまんまと騙されたというわけである。
「そうだ。今日はどうしたの? 急に」
 いたずらっ子のようなしたり顔をして、少し上目遣いになった花蓮の口角が上がる。
「今日短編投稿したでしょ。実は読んだの。だから感想を伝えたくて」
「えっ!? だって、投稿したのついさっきだよ!? それに投稿前に連絡くれたじゃない!」
「ふふん。私を誰だと思ってるの? そんなの全部オ・ミ・ト・オ・シ」
「す、すごいね。ここまでくるとAIより怖いよ」
「引くな引くな。褒めてくれてもいいんだよ? 誰よりも澪の理解者なんだから」
「で? 感想」
 Neuroを触って内容を見返しながら、花蓮は何やらAIに検索させている様子だ。
「あぁ……うん。でもそれよりさ、ここ最近すごいペースで書いてるよね。短編とはいっても、一ヶ月で八本は書いてるんじゃない?」
「うん。それくらい……かな。感覚を取り戻したくって。ほら、前に賞を取ったのが二年前だから。早くブランクを埋めなくちゃって。それに……」
「それに?」
躊躇う私に、間髪入れずオウム返しをしてくる。私の僅かな俯き加減に感じる、不安な気持ちを察知したかのようなトーンだった。
言いにくそうにしている姿を横目に、頬杖をついて窓の外を見やりながら、花蓮は続けた。
「私、澪の書く小説好きだよ」
「な、何。急に」
 「ふふん」と、なぜだか勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「また私の書く文章なんてとか、AIの書く文章がどうだとか言うんでしょ。大丈夫。澪の書くものには、AIなんかには出せない『温かさ』があるんだから。それに……」
 今度は正面を向いて続ける花蓮に対して照れ臭さをごまかしたくて、鼻で笑いつつ顔を外してコーヒーをすすった。
 AIには出せない温かさ。
滔々と話す花蓮の言葉を話半分に聞いていたが、端々に聞こえてくる言葉には、「他と違う何か」があるということらしかった。それを必死に言い表そうとして、終始一向に要領を得ないでいる。
おそらく人の心の奥底にある怒りや衝動みたいなもののことを言おうとしているのだろうなと、自身の自覚とともにそう解釈した。
——ありがとう。
そう心の中で呟く。不安は確かにある。いや、不安しかない。
これほどAIが発展した世界で、あらゆるものが自動化していく世界で、そして言葉という限定された範囲でのみ構成される創造物は、AIにはお手のものだ。
それでも私は勝負したかった。人が抱く気持ちや、人が感じる想い、それに人の情念のような内から沸々と湧き上がる狂おしさのようなものを作ることは、誰にも譲りたくないという決意があったからだった。
こんな読者のためにも必死で前を向いて挑戦していこうと、歯を食いしばる思いを強くした。
[2章3節. 怜奈との相対]
カーン、カーン、カーン。
大きく鳴った鐘の音は、こだまするように徐々に小さく奥へと響いていく。ちょうど前の時限の授業が終わるチャイムだ。
次の授業との間は十分しかないため、正門を抜けて構内に入ると、足早に二人して講義室の方へと向かっていた。
「なんだろう、あの人だかり」
 目端に映ったことで、思わず花蓮が立ち止まる。左手に見える五、六人ほどの集まりに気づいて呟いた。それに釣られて私も同じ方を向くと、ピントがあった先にいたのはどうやら知っている人らしかった。
「ん? あれ、怜奈ちゃんじゃない?」
 その声に気づいてか、眼鏡の奥に見える愛らしい丸い瞳が私を捉えた。派手さとは無縁の、真っ直ぐ一つに束ねた黒髪を揺らしながら、その子は足早に近づいてきた。
「ちょうどよかったよ、澪ちゃん」
 幼馴染で一つ下の高校三年生。先ほどまで遠目には居心地悪そうに見えたが、近づいてきてからは元気な笑顔を振りまいてくれる。まだ制服を着ている姿を見て、ほんの少し前まで自分もそうだったというのに、不意に妙な懐かしさを感じた。
「どうしたの? こんなところで」
 隣接する付属高校の生徒とはいえ、そもそも校門が異なる。高校生が大学の構内にいるのは珍しかった。
いつもは明るく快活な彼女に対して、ソワソワしている姿がなんだか滑稽に映った。
「実はね……、ドリームスケープのことでちょっと、澪ちゃんに話したいことがあって来たの。今日時間ある?」
 囃し立てている大学生たちをよそ目に、怜奈は食い入るように話す。彼らは、先日開催されたという某企業主催の『U-20 未来のAIエンジニアコンテスト』とやらで優勝した怜奈を讃えている学生らしかった。
「わざわざ直接言いに来なくても連絡してくれればいいのに。いいよ……、あ、また空いてる日連絡するね」
 言い終わると同時に「わかった、じゃあ必ず連絡してね」と言うと、すぐさま彼女は振り返って高校の方へと走って行った。きっと休み時間に抜けて来たのだろう。
「……いつもなかなか連絡を返さない私のせいか」という事実が、ふと脳裏をよぎった……。
[2章4節.科学者の失踪の続報]
 アルバイトを終えたとある日の帰り道。すっかり陽も落ちた夜の繁華街を通り抜けようとすると、大型モールの外壁に設置された巨大スクリーンに、聞いたことのある内容のニュースが流れてきた。
 AR機能をあまり使わない私のような人でも見られるように、巨大スクリーンではおよそどちらにも対応しているらしい。
思わず立ち止まってスクリーンの方を見やった。
『続報:謎のドリームスケープ開発者失踪事件、新たな情報』
 数週間前から話題になっていた失踪事件だ。ドリームスケープといえば、朝方に怜奈が言っていたあの流行りのサービスのことである。
『ドリームスケープの開発に関与していたとされる科学者の失踪から、今日で二週間が経ちました。警察は今日、新たに情報を公開しました』
 アナウンサーの声が町の喧騒を貫いて、耳に届いてくる。
 画面には、警察の記者会見の様子が映し出されているが、引き続きアナウンサーが内容を要約して伝えている。
『失踪したとされる科学者の身元は依然として明らかにされていませんが、最後に目撃されたのは研究所の近くだったことが判明しました。また、失踪現場付近から淵に星空を彩ったペンダントが発見されたとのことで、調査の結果、本人のものである可能性が高いということがわかりました』
 ペンダント。そんな些細な情報だけで、どうしてわざわざニュースにするのだろうか。所持品がそのままであることが、より失踪に事件性が高いということを示唆しているということなのだろうか。それに、未だに顔も名前も公表しないなんて、何か言えない理由があるのだろうか。
 そう一人で考え込んでいると、行き交う街の人々からも話し声が聞こえてくる。
「二週間も音沙汰なしって、普通じゃないよね」
「きっともう、死んでるんだよ」
 SNS上でも、同じような情報が飛び交っていた。
時折流れてくる様々な情報にはよくある他のニュースと同じだと見向きもしなかったけど、今は『ドリームスケープ』という言葉に反応するようになっていたせいで、どうにも不安な気持ちが拭えないでいた。
答えのない疑問を胸に、帰途に着くことにした。
考えても仕方ない。忘れよう。