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怜奈の異変

ー/ー



 ——眩しい。 
 左半身を煌々と照らしてくる容赦なく刺さるような日差しが暑い。動かしていた手を止め、目を薄く細めて遠くを見やり、見慣れた館内に目を向けた。
静謐な空気に包まれた図書館とは対照的に、じりじりとした暑さが首や掌に汗となって伝わってくる。

 本棚と本棚のスペースは十二分に広く、絨毯はシックで落ち着いた高級感のある大理石調のカーペットタイルが敷かれ、天井は三階まで吹き抜けている。キャンパス内でも異彩を放つ、まさに大学の顔でもあり、私が大学を選ぶ一手となった場所でもある。

 七月ともなると、さすがに窓際の席から差し込む日差しは暑さを帯びてくる。それでも端から館内を見渡せるこの場所を、私はとても気に入っていた。

 カタカタカタ——。

 再び手を動かす。キーボードを叩く音が館内中へ静かに響き渡る。

 スランプに陥っていた二ヵ月前とは異なり、私はすっかり自信を取り戻すことができていた。昔から、気づけば一人で物思いに耽ることが多かったせいだろうか。気づいたときには小説を書くことが習慣になり、心を落ち着けるための行動ともなっていた。

 今は、次回作の短編小説に向けてまさに執筆し始めたところである。

 ただ、脳裏には、それとは別に引っかかることが一つあった。幼馴染の怜奈のことだ。

忙しくてもそれなりに連絡を取り合う仲だったはずが、いつの間にか、すっかり疎遠になりつつあった。怜奈は一つ下の高校三年生であり、当然立場も学校も違う。それに忙しい受験生だ。

だから違和感を覚えることも、まして寂しさを覚えているわけでもなかった。

とはいえそれが、気づけば二ヵ月前に会って以来、日を追うごとに連絡が途絶えがちになっている。直近でまともにやり取りしたのでさえ、ずいぶん記憶に遠い。

『ごめん、また連絡するね』

『ちょっと今取り込み中だから。ごめん、またね』

『ちょっと今ダメなんだ……』

 連絡してみても、あるいは怜奈からの約束だったときでさえ、ずいぶんと時間が経ってから返ってくるのはそんな返事ばかりだった。

 ——大丈夫かな。

 ほんの二ヵ月前までは、すぐに返事が来るし、会うときでさえむしろ融通を利かそうとしてくれる子だった。だからこそ何かあったのではないだろうかと、連絡が来る度、あるいは連絡を送る度、半ば姉のように心配する気持ちが私のモヤモヤとなっていた。

 あなり捗らないまま、気づけば二時間が経っている。相変わらず、人は少ないままだ。

パソコンを閉じて図書館を出ると、最近見つけたお気に入りのカフェに向かうことにした。

 

「おつかれ、澪」

クシャッとなった笑顔が、私の鬱屈とした気持ちを和らげてくれる。ゆるいウェーブのかかった明るめのセミロングの茶髪は、端正で、それでいて少し幼げな愛らしい面持ちを一層大人びて見せている。そして笑ったときに左頬にできるえくぼが、なんといってもチャームポイント。それが浅沼花蓮である。大学からの知り合いにも関わらず、ほんのわずかの期間ですっかり親友とも言える存在となっていた。

少し時を巻き戻すなら、二年前の高校二年生の時に小説の新人賞を獲得した私のファンである。

当時、地元の新聞とwebメディアに写真付きで掲載されたことから、以来、彼女は私の存在を知りファンになったという。そして大学生になり、同じ大学で見かけたと思うとすぐさま近寄ってきて、あれよあれよという間に意気投合するまでの仲となったのだった。

「おつかれさま」

 カウンターで注文したコーヒーを片手に、花蓮の向かいに座る。

「なんか元気ない? それとも考えごと? それとも……恋かな?」

 屈託のないニヤリとした顔に若干の苛立ちを覚えて、思わず眉をひそめた。

「んもう。茶化さないで。怜奈のことよ」

「あはは。ごめん、ごめん。で、怜奈ちゃんになんかあったの?」

 またもあっけらかんとしている姿に、モヤモヤした想いがなんだか馬鹿らしくも思えてきた。ただ、私の幼馴染である楠木怜奈ともすっかり仲良しになっていたこともあって、花蓮に打ち明けてみることにした。

「実は……ちょっと心配なんだよね」

 一段下がったトーンで言ったことで悟ったのか、さっきまでとは打って変わって口角を下げ、いかにも聞きますと言った神妙な様子へと変化したように思えた。それから続けて、最近怜奈と連絡が途絶えがちであることや、これまでと違う様子について事細かに伝えた。もちろん、今年は大学受験で忙しいことや、今からが正念場であることも言い訳のように付け加えた。

 怜奈の性格や事情を知るだけに、彼女にもその意味が十分に伝わっているのがわかる。

「そうなんだ……」

 思い当たる節がない私に対して、何か引っかかるものがあったのか、少し伏し目がちになって沈黙する花蓮。

 店内の壁に掛けられた電子時計の「:」の表示が、秒ごとに点滅しているのが目に入った。

「あっ! そういえば怜奈ちゃん。最近ドリームスケープにはまってるって言ってなかったっけ?」

 それはもちろん私も知っていることだ。さらに言えば、そのドリームスケープを私に勧めたのが怜奈だったから尚のことだ。

ドリームスケープとは、今年になってから出てきたweb小説投稿サイトである。ただ、これまでのweb小説投稿サイトとは大きく異なっている。テキストベースで読むことができるのはもちろんのこと、映像として見ることもできる画期的なシステムを携えたサービスである。

 具体的には、小説のストーリーを内部のAIが読み取って、自動的に映像や音声、それに音楽をリアルタイム生成してくれるという仕組みである。

 映像を携えたストーリーを楽しめるとあって、これまでのメジャーな小説投稿サイトでは比肩できないほどのアクセス数を短期間で記録することとなった。

 インディーズ界隈が一気にスターダムに駆け上がったかのような、まさにブームといってもよかった。

 そして単なる映像サービスにとどまらず、サービス開始からわずか数ヵ月ほどでVR化にも成功したらしい。リアルな仮想世界をストーリー込みで楽しめるということで、さらに裾野が広がっていったという。

 あまりこうしたことに疎い私でさえ、何度も聞かされるうちに、いつの間にか詳しくなっていた。

 でも、怜奈の様子がおかしいのは、単にドリームスケープにはまっているだけだろうか。

あまり釈然としなかった。それは単に連絡があまり取れていないだけではなくて、マメに更新していたSNSさえも、ここ数日の投稿がなかったからだった。

「……黒夢(ミラージュレルム)」

 つい、ボソッと言葉が飛び出した。

「え? 何て?」

「あ、ううん、別に。なんでもない。あ、そうだ、ごめん。用事思い出しちゃったから、私先に帰るね」

「え、ちょっと、来たばっかじゃん。もう」

 言葉にした途端、妙にザワザワする気持ちが高鳴って抑えられず、花蓮には申し訳ないと思いつつも、帰途につくことにした。

 

 あれから数日。

遅れての連絡であっても、一応怜奈からの連絡があったのは先週までのこと。つい怜奈からのメッセージを期待してしまう自分がいたが、もちろん何の通知もなかった。今は既読さえつかない。

 ——やっぱり。

 噂の域を出ないが、ネット上の一部界隈で話題になっているのを目にしたことがあった。「黒夢(ミラージュレルム)」と呼ばれる存在だ。どの情報も尾ひれがついていて、正直なところどのようなものなのかまるではっきりしないが、心当たりは他になかった。

 ただ、およそ危険なものという認識だけは、ネット上で共通している噂だった。ドリームスケープ内にあるバグだという話もあれば、人の人格に影響を与えるほどの刺激的な映像コンテンツの俗称として使われているのではないかという話もあった。はたまた、仮想世界にすっかり没入してしまって、抜け出せなくなった人たちの成れの果てだという話まであった。ただそれ以上の確かな情報は、調べても見つからなかった。

いずれにしても、ネット空間への依存や強い刺激により、生活に支障をきたすことは変わりない。

——怜奈に限って、そんなはずは……。

 そう思いたかった。でも、聡明な彼女ではあるのはもちろんだが、興味のあることにとことん没頭してしまう癖もあるため、どうにも気が気でならなかった。

 幼馴染であっても、私は怜奈の家を知らなかった。知らなかったから、行けなかった。

 彼女の家は少し複雑で、現在父親は海外へ長期の出張中と聞いている。兄弟は姉が一人いるが、今は仕事で遠くにいるらしい。そして母親はもういない。そう、今は一人暮らしをしながら、学校生活を送っている。

 両親の都合で引っ越し族だったようだが、この街に引っ越してきたのは二度目で、一度目はまだ小さかった頃。二度目はつい一年ほど前のことだった。幼馴染とはいえ、この歳になってまで気軽に家を行き来するほどお互いに時間はないが、それでも時折、怜奈は私の家に遊びに来てくれていた。

 花蓮にまた相談しようかと思っていた矢先、彼女から一通のメッセージが届いた。中を見ると、怜奈の自宅がわかったという知らせだった。「どうして?」とつい聞きたくなったが、きっといつもと全然違う様子の私を見かねてのことなのだろう。怜奈の友達を伝ってでも、調べ上げたに違いない。花蓮はそんな人だから、と心の内で勝手に納得して、「ありがとう」とだけ返した。

 翌日、午前中までだった講義を終えて、二人して電車を乗り継ぎ怜奈の家へと向かった。駅からの行き方を花蓮が調べておいてくれたおかげで、迷わずに一直線に向かうことができた。

 途中の電車内で、一応怜奈に連絡を入れておくことにした。突然の訪問で驚かせるのは性分ではない。

 やや勾配があって、道を曲がってもさらに坂がある。そのまま地続きに上がっていくと、住宅街が開ける場所に出た。マンションなど縦に高い建物はほとんどない反面、ほとんどが一軒家の並ぶエリアで、道幅はゆったりとしていて広い。

 そそくさと歩く花蓮について行くと、止まった先に見えたのは、白を基調としたシンプルで綺麗な家だった。

 一応連絡がないか確認してみるも、やはり怜奈からの連絡はなかった。相変わらず、既読にさえなっていなかった。

「ちょ、ちょっと!」

「え、何?」

 連絡があったかどうか確認していた私を尻目に、花蓮は躊躇いもなく呼び鈴を鳴らした。

 ……。

 カラスの鳴き声だけが辺りに響き渡る。

 もう一度鳴らす。

 ……。

 応答はない。

 ある程度は覚悟していたものの、「やっぱりか」と二人は顔を見合わせて、門扉に手をかけてそっと開けて入る。そしてさらに家のドアに手をかけて、再び顔を見合わせた。

 ゴクリ。

 ドアノブに手をかけた花蓮がゆっくりと回すと、幸か不幸か開いたのである。

「いいんだよね」

 さすがの花蓮も、同意を求めてきた。「一応、犯罪だけどね」と笑えない冗談で返し、共犯に同意したという合図とした。側頭部から垂れてくる汗が、頬へ顎へと伝って滴る。

 引き扉だ、軽い。

 広々とした玄関。静かで物音ひとつしない。聞こえるのは、二人の足音と息遣いだけ。

 静寂。誰かが家にいるようには思えないほど静かだった。

 そっとそこかしこの部屋の扉を開けては誰かいないかと様子を伺ってみたが、誰一人いない。二人して探しても、一階は誰一人見当たらなかったことを確認して、二階へと向かった。

 さっきまでの空気とは何かが違う。顔を見合わせて確認する。二人して、そう感じ取った。

額にたまった汗を拭い、階段すぐの正面のドアを開ける。

開けてすぐに目に飛び込んできたのは、一人ぐったりと椅子にもたれて、やや横に身体をはみ出した姿の少女だった。VRヘッドセットをしていたが、真っ直ぐに伸び、一つに束ねた長い黒髪や華奢な体格などから、誰であるかを私は直感した。

わずかに息が聞こえたことにほっとして、顔を見合わせる。

ゲームをしながら寝てしまうことは考えにくかったが、冷静に怜奈の性格を考えると、「ありうることかも」と気持ちを落ち着かせるように花蓮と軽口をたたく。そうでない可能性の方が随分あるんじゃないかと思いつつも。

ぐったりとなっている怜奈から、すぐにヘッドセットを外そうと手を伸ばした。

「イタッ」

 強い静電気が手に走り、反射的に手を退ける。

「澪、ちょっと待って。モニターにアラートが出てる」

 

『警告:強制切断は危険です。ユーザーの精神に重大な影響を与える可能性があります』

 

 考え事をするように顎に手を当てて、花蓮は冷静な声で続けた。

「もしも、もしもだよ。今怜奈ちゃんがいるのが噂の黒夢(ミラージュレルム)の中なんだとしたら、無暗にこれを外すのは恐いかもしれない」

 ――やっぱり、花蓮も同じく、黒夢(ミラージュレルム)の可能性を考えていたんだ。

「どういうこと?」

「私も噂以上には知らないけど、もしも仮想世界から抜け出せなくさせる存在が黒夢(ミラージュレルム)だとしたら、それは単なる依存症なんてものじゃなくて、精神に何らかの作用を及ぼす存在なんじゃないかって思うの」

「この警告はつまり、積極的に黒夢(ミラージュレルム)側から脳に働きかけがあるって、こと?」

「あくまで可能性。だけどもしそうなら、簡単に電源を切ったり、ヘッドセットを外すのは危険かもしれないって思って」

 あくまでも仮想空間の精神世界。抜け出せないだなんてことはありえないけど、強い刺激を与えるとか、脳の神経に影響を及ぼすということであれば想像に難くない。花蓮の言うことはどうにもしっくりこなかったが、加えて言った言葉には、妙に怖気づいてしまった。それが夢を見せるようにして、「精神を連れて行ってしまう可能性」という言葉に、だ。

 そもそも現状の様子からして、普通のことではない。そして私たちは無知だ。だからいろんな可能性におびえてしまうし、安易に判断するのも怖いとさえ思った。

 だから花蓮の言葉に大人しく従うことにした。

 二人がかりで怜奈を抱え上げて椅子から降ろし、ヘッドセットはそのままに、横にあるベッドへと寝かせた。

 寝かせたのはいいが、このまま放置して帰るわけにはいかない。もちろんそんなことは花蓮もわかっていて言ったはずだと思い花蓮を見やると、同時にこちらを向いてきた。

「ねぇ、澪ちゃん。この後の対処方法について、エーコに聞いてみてほしいの。お願い」

 真っ直ぐにこちらを見てくる。幼げな可愛らしい顔が、今は一段と凛々しく映って見える。

「わかった。でもエーコと連絡を取るのは難しいから、今から機材一式を取りに行ってくるよ」

「ありがとう」

 去り際に怜奈を一瞥し、そこから装着しているヘッドセットのコードを伝って繋がっているパソコンのモニターを見ると、見慣れたドリームスケープのトップページが映っている。画面右下に小さく「残り24時間」という不気味な表示が、音もなく明滅していた。



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 ——眩しい。 
 左半身を煌々と照らしてくる容赦なく刺さるような日差しが暑い。動かしていた手を止め、目を薄く細めて遠くを見やり、見慣れた館内に目を向けた。
静謐な空気に包まれた図書館とは対照的に、じりじりとした暑さが首や掌に汗となって伝わってくる。
 本棚と本棚のスペースは十二分に広く、絨毯はシックで落ち着いた高級感のある大理石調のカーペットタイルが敷かれ、天井は三階まで吹き抜けている。キャンパス内でも異彩を放つ、まさに大学の顔でもあり、私が大学を選ぶ一手となった場所でもある。
 七月ともなると、さすがに窓際の席から差し込む日差しは暑さを帯びてくる。それでも端から館内を見渡せるこの場所を、私はとても気に入っていた。
 カタカタカタ——。
 再び手を動かす。キーボードを叩く音が館内中へ静かに響き渡る。
 スランプに陥っていた二ヵ月前とは異なり、私はすっかり自信を取り戻すことができていた。昔から、気づけば一人で物思いに耽ることが多かったせいだろうか。気づいたときには小説を書くことが習慣になり、心を落ち着けるための行動ともなっていた。
 今は、次回作の短編小説に向けてまさに執筆し始めたところである。
 ただ、脳裏には、それとは別に引っかかることが一つあった。幼馴染の怜奈のことだ。
忙しくてもそれなりに連絡を取り合う仲だったはずが、いつの間にか、すっかり疎遠になりつつあった。怜奈は一つ下の高校三年生であり、当然立場も学校も違う。それに忙しい受験生だ。
だから違和感を覚えることも、まして寂しさを覚えているわけでもなかった。
とはいえそれが、気づけば二ヵ月前に会って以来、日を追うごとに連絡が途絶えがちになっている。直近でまともにやり取りしたのでさえ、ずいぶん記憶に遠い。
『ごめん、また連絡するね』
『ちょっと今取り込み中だから。ごめん、またね』
『ちょっと今ダメなんだ……』
 連絡してみても、あるいは怜奈からの約束だったときでさえ、ずいぶんと時間が経ってから返ってくるのはそんな返事ばかりだった。
 ——大丈夫かな。
 ほんの二ヵ月前までは、すぐに返事が来るし、会うときでさえむしろ融通を利かそうとしてくれる子だった。だからこそ何かあったのではないだろうかと、連絡が来る度、あるいは連絡を送る度、半ば姉のように心配する気持ちが私のモヤモヤとなっていた。
 あなり捗らないまま、気づけば二時間が経っている。相変わらず、人は少ないままだ。
パソコンを閉じて図書館を出ると、最近見つけたお気に入りのカフェに向かうことにした。
「おつかれ、澪」
クシャッとなった笑顔が、私の鬱屈とした気持ちを和らげてくれる。ゆるいウェーブのかかった明るめのセミロングの茶髪は、端正で、それでいて少し幼げな愛らしい面持ちを一層大人びて見せている。そして笑ったときに左頬にできるえくぼが、なんといってもチャームポイント。それが浅沼花蓮である。大学からの知り合いにも関わらず、ほんのわずかの期間ですっかり親友とも言える存在となっていた。
少し時を巻き戻すなら、二年前の高校二年生の時に小説の新人賞を獲得した私のファンである。
当時、地元の新聞とwebメディアに写真付きで掲載されたことから、以来、彼女は私の存在を知りファンになったという。そして大学生になり、同じ大学で見かけたと思うとすぐさま近寄ってきて、あれよあれよという間に意気投合するまでの仲となったのだった。
「おつかれさま」
 カウンターで注文したコーヒーを片手に、花蓮の向かいに座る。
「なんか元気ない? それとも考えごと? それとも……恋かな?」
 屈託のないニヤリとした顔に若干の苛立ちを覚えて、思わず眉をひそめた。
「んもう。茶化さないで。怜奈のことよ」
「あはは。ごめん、ごめん。で、怜奈ちゃんになんかあったの?」
 またもあっけらかんとしている姿に、モヤモヤした想いがなんだか馬鹿らしくも思えてきた。ただ、私の幼馴染である楠木怜奈ともすっかり仲良しになっていたこともあって、花蓮に打ち明けてみることにした。
「実は……ちょっと心配なんだよね」
 一段下がったトーンで言ったことで悟ったのか、さっきまでとは打って変わって口角を下げ、いかにも聞きますと言った神妙な様子へと変化したように思えた。それから続けて、最近怜奈と連絡が途絶えがちであることや、これまでと違う様子について事細かに伝えた。もちろん、今年は大学受験で忙しいことや、今からが正念場であることも言い訳のように付け加えた。
 怜奈の性格や事情を知るだけに、彼女にもその意味が十分に伝わっているのがわかる。
「そうなんだ……」
 思い当たる節がない私に対して、何か引っかかるものがあったのか、少し伏し目がちになって沈黙する花蓮。
 店内の壁に掛けられた電子時計の「:」の表示が、秒ごとに点滅しているのが目に入った。
「あっ! そういえば怜奈ちゃん。最近ドリームスケープにはまってるって言ってなかったっけ?」
 それはもちろん私も知っていることだ。さらに言えば、そのドリームスケープを私に勧めたのが怜奈だったから尚のことだ。
ドリームスケープとは、今年になってから出てきたweb小説投稿サイトである。ただ、これまでのweb小説投稿サイトとは大きく異なっている。テキストベースで読むことができるのはもちろんのこと、映像として見ることもできる画期的なシステムを携えたサービスである。
 具体的には、小説のストーリーを内部のAIが読み取って、自動的に映像や音声、それに音楽をリアルタイム生成してくれるという仕組みである。
 映像を携えたストーリーを楽しめるとあって、これまでのメジャーな小説投稿サイトでは比肩できないほどのアクセス数を短期間で記録することとなった。
 インディーズ界隈が一気にスターダムに駆け上がったかのような、まさにブームといってもよかった。
 そして単なる映像サービスにとどまらず、サービス開始からわずか数ヵ月ほどでVR化にも成功したらしい。リアルな仮想世界をストーリー込みで楽しめるということで、さらに裾野が広がっていったという。
 あまりこうしたことに疎い私でさえ、何度も聞かされるうちに、いつの間にか詳しくなっていた。
 でも、怜奈の様子がおかしいのは、単にドリームスケープにはまっているだけだろうか。
あまり釈然としなかった。それは単に連絡があまり取れていないだけではなくて、マメに更新していたSNSさえも、ここ数日の投稿がなかったからだった。
「……黒夢(ミラージュレルム)」
 つい、ボソッと言葉が飛び出した。
「え? 何て?」
「あ、ううん、別に。なんでもない。あ、そうだ、ごめん。用事思い出しちゃったから、私先に帰るね」
「え、ちょっと、来たばっかじゃん。もう」
 言葉にした途端、妙にザワザワする気持ちが高鳴って抑えられず、花蓮には申し訳ないと思いつつも、帰途につくことにした。
 あれから数日。
遅れての連絡であっても、一応怜奈からの連絡があったのは先週までのこと。つい怜奈からのメッセージを期待してしまう自分がいたが、もちろん何の通知もなかった。今は既読さえつかない。
 ——やっぱり。
 噂の域を出ないが、ネット上の一部界隈で話題になっているのを目にしたことがあった。「黒夢(ミラージュレルム)」と呼ばれる存在だ。どの情報も尾ひれがついていて、正直なところどのようなものなのかまるではっきりしないが、心当たりは他になかった。
 ただ、およそ危険なものという認識だけは、ネット上で共通している噂だった。ドリームスケープ内にあるバグだという話もあれば、人の人格に影響を与えるほどの刺激的な映像コンテンツの俗称として使われているのではないかという話もあった。はたまた、仮想世界にすっかり没入してしまって、抜け出せなくなった人たちの成れの果てだという話まであった。ただそれ以上の確かな情報は、調べても見つからなかった。
いずれにしても、ネット空間への依存や強い刺激により、生活に支障をきたすことは変わりない。
——怜奈に限って、そんなはずは……。
 そう思いたかった。でも、聡明な彼女ではあるのはもちろんだが、興味のあることにとことん没頭してしまう癖もあるため、どうにも気が気でならなかった。
 幼馴染であっても、私は怜奈の家を知らなかった。知らなかったから、行けなかった。
 彼女の家は少し複雑で、現在父親は海外へ長期の出張中と聞いている。兄弟は姉が一人いるが、今は仕事で遠くにいるらしい。そして母親はもういない。そう、今は一人暮らしをしながら、学校生活を送っている。
 両親の都合で引っ越し族だったようだが、この街に引っ越してきたのは二度目で、一度目はまだ小さかった頃。二度目はつい一年ほど前のことだった。幼馴染とはいえ、この歳になってまで気軽に家を行き来するほどお互いに時間はないが、それでも時折、怜奈は私の家に遊びに来てくれていた。
 花蓮にまた相談しようかと思っていた矢先、彼女から一通のメッセージが届いた。中を見ると、怜奈の自宅がわかったという知らせだった。「どうして?」とつい聞きたくなったが、きっといつもと全然違う様子の私を見かねてのことなのだろう。怜奈の友達を伝ってでも、調べ上げたに違いない。花蓮はそんな人だから、と心の内で勝手に納得して、「ありがとう」とだけ返した。
 翌日、午前中までだった講義を終えて、二人して電車を乗り継ぎ怜奈の家へと向かった。駅からの行き方を花蓮が調べておいてくれたおかげで、迷わずに一直線に向かうことができた。
 途中の電車内で、一応怜奈に連絡を入れておくことにした。突然の訪問で驚かせるのは性分ではない。
 やや勾配があって、道を曲がってもさらに坂がある。そのまま地続きに上がっていくと、住宅街が開ける場所に出た。マンションなど縦に高い建物はほとんどない反面、ほとんどが一軒家の並ぶエリアで、道幅はゆったりとしていて広い。
 そそくさと歩く花蓮について行くと、止まった先に見えたのは、白を基調としたシンプルで綺麗な家だった。
 一応連絡がないか確認してみるも、やはり怜奈からの連絡はなかった。相変わらず、既読にさえなっていなかった。
「ちょ、ちょっと!」
「え、何?」
 連絡があったかどうか確認していた私を尻目に、花蓮は躊躇いもなく呼び鈴を鳴らした。
 ……。
 カラスの鳴き声だけが辺りに響き渡る。
 もう一度鳴らす。
 ……。
 応答はない。
 ある程度は覚悟していたものの、「やっぱりか」と二人は顔を見合わせて、門扉に手をかけてそっと開けて入る。そしてさらに家のドアに手をかけて、再び顔を見合わせた。
 ゴクリ。
 ドアノブに手をかけた花蓮がゆっくりと回すと、幸か不幸か開いたのである。
「いいんだよね」
 さすがの花蓮も、同意を求めてきた。「一応、犯罪だけどね」と笑えない冗談で返し、共犯に同意したという合図とした。側頭部から垂れてくる汗が、頬へ顎へと伝って滴る。
 引き扉だ、軽い。
 広々とした玄関。静かで物音ひとつしない。聞こえるのは、二人の足音と息遣いだけ。
 静寂。誰かが家にいるようには思えないほど静かだった。
 そっとそこかしこの部屋の扉を開けては誰かいないかと様子を伺ってみたが、誰一人いない。二人して探しても、一階は誰一人見当たらなかったことを確認して、二階へと向かった。
 さっきまでの空気とは何かが違う。顔を見合わせて確認する。二人して、そう感じ取った。
額にたまった汗を拭い、階段すぐの正面のドアを開ける。
開けてすぐに目に飛び込んできたのは、一人ぐったりと椅子にもたれて、やや横に身体をはみ出した姿の少女だった。VRヘッドセットをしていたが、真っ直ぐに伸び、一つに束ねた長い黒髪や華奢な体格などから、誰であるかを私は直感した。
わずかに息が聞こえたことにほっとして、顔を見合わせる。
ゲームをしながら寝てしまうことは考えにくかったが、冷静に怜奈の性格を考えると、「ありうることかも」と気持ちを落ち着かせるように花蓮と軽口をたたく。そうでない可能性の方が随分あるんじゃないかと思いつつも。
ぐったりとなっている怜奈から、すぐにヘッドセットを外そうと手を伸ばした。
「イタッ」
 強い静電気が手に走り、反射的に手を退ける。
「澪、ちょっと待って。モニターにアラートが出てる」
『警告:強制切断は危険です。ユーザーの精神に重大な影響を与える可能性があります』
 考え事をするように顎に手を当てて、花蓮は冷静な声で続けた。
「もしも、もしもだよ。今怜奈ちゃんがいるのが噂の黒夢(ミラージュレルム)の中なんだとしたら、無暗にこれを外すのは恐いかもしれない」
 ――やっぱり、花蓮も同じく、黒夢(ミラージュレルム)の可能性を考えていたんだ。
「どういうこと?」
「私も噂以上には知らないけど、もしも仮想世界から抜け出せなくさせる存在が黒夢(ミラージュレルム)だとしたら、それは単なる依存症なんてものじゃなくて、精神に何らかの作用を及ぼす存在なんじゃないかって思うの」
「この警告はつまり、積極的に黒夢(ミラージュレルム)側から脳に働きかけがあるって、こと?」
「あくまで可能性。だけどもしそうなら、簡単に電源を切ったり、ヘッドセットを外すのは危険かもしれないって思って」
 あくまでも仮想空間の精神世界。抜け出せないだなんてことはありえないけど、強い刺激を与えるとか、脳の神経に影響を及ぼすということであれば想像に難くない。花蓮の言うことはどうにもしっくりこなかったが、加えて言った言葉には、妙に怖気づいてしまった。それが夢を見せるようにして、「精神を連れて行ってしまう可能性」という言葉に、だ。
 そもそも現状の様子からして、普通のことではない。そして私たちは無知だ。だからいろんな可能性におびえてしまうし、安易に判断するのも怖いとさえ思った。
 だから花蓮の言葉に大人しく従うことにした。
 二人がかりで怜奈を抱え上げて椅子から降ろし、ヘッドセットはそのままに、横にあるベッドへと寝かせた。
 寝かせたのはいいが、このまま放置して帰るわけにはいかない。もちろんそんなことは花蓮もわかっていて言ったはずだと思い花蓮を見やると、同時にこちらを向いてきた。
「ねぇ、澪ちゃん。この後の対処方法について、エーコに聞いてみてほしいの。お願い」
 真っ直ぐにこちらを見てくる。幼げな可愛らしい顔が、今は一段と凛々しく映って見える。
「わかった。でもエーコと連絡を取るのは難しいから、今から機材一式を取りに行ってくるよ」
「ありがとう」
 去り際に怜奈を一瞥し、そこから装着しているヘッドセットのコードを伝って繋がっているパソコンのモニターを見ると、見慣れたドリームスケープのトップページが映っている。画面右下に小さく「残り24時間」という不気味な表示が、音もなく明滅していた。