最終章
ー/ー連打されるチャイムと、ドアを叩く音で目が覚める。スマホをみると通知が50件以上たまっていた。
「……熱はだいぶ引いたみたいだな。とりあえず水飲んで横になってろよ。騒いで悪かった。あと、変な態度とって、悪かった」
それだけ言うと柏木はキッチンに戻ってリンゴを切り始めた。俺は布団に潜り目を閉じる。さっきのはちょっとやばかった。弱っているとはいえ、柏木を異種族ではなく異性と見てしまうなんてどうかしている。安静にしていようと思った。
何時間が経過かわからないが、洗濯機が回るゴウゴウという音で目を覚ます。テーブルの上に散乱していたゴミも片付けられており、代わりに切られたリンゴが置いてあった。えっと、このリンゴ落ちたやつだよね。その後もう一回洗ってる音とかしなかったけど平気だよね。
食べることを躊躇していると、玄関の扉が開いて柏木が戻ってきた。
「お、起きたか。とりあえず見える範囲のごみはまとめて捨てといた。洗濯も溜まってたからやっといたぞ」
あまりにも至れり尽くせり(洗濯はどうかと思う)な状況にどう返していいか分からず、とりあえず「ありがとう」と言うと、柏木は「どういたしまして!」とサムズアップを返してきた。
「タコパ中だったんだよな? 抜けてきてよかったのか?」
「あのなぁ。どうせ連絡も返してこないだろうと思ってた奴から『たすけて』って来て、無視するような奴だと思ってたわけ?」
「いや、なんて説明して抜けてきたんだろうと思って」
「……別に、友達が風邪で寝込んでるっぽいからってそのまま言ってきたよ」
「そ、そうか……日下部達には謝っとかないとな」
「い、いや、あんたから言わなくていいよ別に。多分鬱陶しく絡まれるだろうし」
「なんで?」
「……なんでも」
そこからは変な沈黙が続いてしまった。気恥ずかしくなってきて顔を伏せてしまう。
熱が出たときに『たすけて』と縋ってしまった。その一言で駆けつけてくれた。ちょっと女の影が見えただけで一か月もまともに口をきいてくれなかった。ふとしたことで家に上がり込んでくるし、別に返信するわけでもないのにくだらない内容をLINEしてくる奴。
「……柏木、お前リンゴとか剥けたんだな」
「は? あんた、あたしのことなんだと思ってんだよ」
「お前こそ、俺のことをなんだと思ってんだよ」
本当は『どう思ってんだよ』と聞いてみたかったが、そんな勇気はなかった。
人は意識だけでは変わらない。意識しただけで何か関係が変わるのであれば苦労はしない。
顔を上げると柏木は、壁に掛けてあったカレンダーの赤い×が2つ並んだところをまじまじと見ていた。
「……あたしにとって、今日のが唯一のクリスマスイベントだったわけ」
「悪かったよ」
「だから、責任は取ってもらうからな」
柏木は机の上から赤いペンを取り、26日の空欄に大きく『mas』と書き込んだ。
「明日までに熱下げとけよ。生存確認しにまた来るから。もし元気になってたら、楽しみ損ねたあたし達だけで『Xmas』延長戦、ってことで」
それだけ言うと柏木はそそくさとバッグや上着を抱えて「それじゃ!」と帰っていった。一応鍵を閉めるために玄関へ行き、おぼつかない足取りでベッドへ戻る。25日と26日の欄で、真っ赤な『Xmas』ができあがっている。
帰る時の柏木の横顔を思い出す。頬から首まで真っ赤だった。さすがに「風邪をうつしてしまっただろうか」と考えるほど、俺は鈍感系主人公ではない。
今になって、触れられた手のひらの柔らかさを思い出す。さっきより熱が上がっているかもしれない。
もしかしたら"3つ目の赤い×"を書き込む未来が、俺の元にも来るかもしれなかった。
『なに』『どうしたの』『ガチ?』『そういえば前に咳してたし風邪?』『おーい』『おい』『何買っていけばいい』『寝てるだけだよね』『いく』
などのメッセージが来ており、直近は『開けろ』になっている。
『いまあける』と返信すると、扉の向こうでピロンと音が鳴りチャイムが止んだ。おぼつかない足取りで玄関へ向かい扉を引くと柏木が立っていた。できれば今は嗅ぎたくないソースの匂いが一瞬鼻をかすめる。
「……ねぇ。バイクないんだけど」
柏木の開口一番はそれだった。
「いや、毎年この2日間だけは駐輪場に預けてて……」
「なんで?」
彼女の腕には、スーパーの袋がぶら下がっていた。うっすらペットボトルやリンゴやゼリーが見える。
「入れてよ」
「いや、風邪だし。インフルかもしれないし。すっげぇありがたいけどそれだけ置いて帰って……」
「いいから入れろ! 助けろって言ったのあんただろ!」
押し返そうと全く歯が立たず、難なくリビングまで柏木の侵入を許してしまう。
「寝てろ。あたしが色々やるから」
別に入り浸っているほどではないが何度も来ていたからだろう。彼女は俺に何一つ質問することなく皿やまな板、包丁を取り出して慣れた手つきでリンゴをむき始めた。
「熱は?」
「昨日がピークだった。今は37.8度くらいだ、多分」
「じゃあ昨日連絡して来いよ馬鹿。それか……毎年泊まり込みまでしてる女でも呼べばよかったじゃねぇか」
柏木が吐き捨てるように言った。一瞬何のことだかわからず「なんだそれ、誰の……」と言いかけたが、途中で思い出す。
『いまあける』と返信すると、扉の向こうでピロンと音が鳴りチャイムが止んだ。おぼつかない足取りで玄関へ向かい扉を引くと柏木が立っていた。できれば今は嗅ぎたくないソースの匂いが一瞬鼻をかすめる。
「……ねぇ。バイクないんだけど」
柏木の開口一番はそれだった。
「いや、毎年この2日間だけは駐輪場に預けてて……」
「なんで?」
彼女の腕には、スーパーの袋がぶら下がっていた。うっすらペットボトルやリンゴやゼリーが見える。
「入れてよ」
「いや、風邪だし。インフルかもしれないし。すっげぇありがたいけどそれだけ置いて帰って……」
「いいから入れろ! 助けろって言ったのあんただろ!」
押し返そうと全く歯が立たず、難なくリビングまで柏木の侵入を許してしまう。
「寝てろ。あたしが色々やるから」
別に入り浸っているほどではないが何度も来ていたからだろう。彼女は俺に何一つ質問することなく皿やまな板、包丁を取り出して慣れた手つきでリンゴをむき始めた。
「熱は?」
「昨日がピークだった。今は37.8度くらいだ、多分」
「じゃあ昨日連絡して来いよ馬鹿。それか……毎年泊まり込みまでしてる女でも呼べばよかったじゃねぇか」
柏木が吐き捨てるように言った。一瞬何のことだかわからず「なんだそれ、誰の……」と言いかけたが、途中で思い出す。
「あー、馬鹿だな。俺が休むことになったから代わりに勤務してるに決まってんだろ」
と返事をすると、ごとん、とリンゴが床に落ちた音がした。
「え、ちょっと大丈夫か。落としたの包丁じゃないよな怪我ないか」
「うるせぇ近づくな安静にしてろやっぱり女いるのかよ何であたしに連絡よこしたんだよ」
「嘘だよ嘘! 悪かった嘘だ! そんな女いるわけねぇだろ!」
唐突に大きい声を出したせいで咳こんでしまう。柏木が近付いて俺の背中をさすり、そのまま額に手のひらを当ててくる。前髪を上げられたせいで真正面から柏木の瞳を見据えてしまった。
「え、ちょっと大丈夫か。落としたの包丁じゃないよな怪我ないか」
「うるせぇ近づくな安静にしてろやっぱり女いるのかよ何であたしに連絡よこしたんだよ」
「嘘だよ嘘! 悪かった嘘だ! そんな女いるわけねぇだろ!」
唐突に大きい声を出したせいで咳こんでしまう。柏木が近付いて俺の背中をさすり、そのまま額に手のひらを当ててくる。前髪を上げられたせいで真正面から柏木の瞳を見据えてしまった。
「……熱はだいぶ引いたみたいだな。とりあえず水飲んで横になってろよ。騒いで悪かった。あと、変な態度とって、悪かった」
それだけ言うと柏木はキッチンに戻ってリンゴを切り始めた。俺は布団に潜り目を閉じる。さっきのはちょっとやばかった。弱っているとはいえ、柏木を異種族ではなく異性と見てしまうなんてどうかしている。安静にしていようと思った。
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何時間が経過かわからないが、洗濯機が回るゴウゴウという音で目を覚ます。テーブルの上に散乱していたゴミも片付けられており、代わりに切られたリンゴが置いてあった。えっと、このリンゴ落ちたやつだよね。その後もう一回洗ってる音とかしなかったけど平気だよね。
食べることを躊躇していると、玄関の扉が開いて柏木が戻ってきた。
「お、起きたか。とりあえず見える範囲のごみはまとめて捨てといた。洗濯も溜まってたからやっといたぞ」
あまりにも至れり尽くせり(洗濯はどうかと思う)な状況にどう返していいか分からず、とりあえず「ありがとう」と言うと、柏木は「どういたしまして!」とサムズアップを返してきた。
「タコパ中だったんだよな? 抜けてきてよかったのか?」
「あのなぁ。どうせ連絡も返してこないだろうと思ってた奴から『たすけて』って来て、無視するような奴だと思ってたわけ?」
「いや、なんて説明して抜けてきたんだろうと思って」
「……別に、友達が風邪で寝込んでるっぽいからってそのまま言ってきたよ」
「そ、そうか……日下部達には謝っとかないとな」
「い、いや、あんたから言わなくていいよ別に。多分鬱陶しく絡まれるだろうし」
「なんで?」
「……なんでも」
そこからは変な沈黙が続いてしまった。気恥ずかしくなってきて顔を伏せてしまう。
熱が出たときに『たすけて』と縋ってしまった。その一言で駆けつけてくれた。ちょっと女の影が見えただけで一か月もまともに口をきいてくれなかった。ふとしたことで家に上がり込んでくるし、別に返信するわけでもないのにくだらない内容をLINEしてくる奴。
「……柏木、お前リンゴとか剥けたんだな」
「は? あんた、あたしのことなんだと思ってんだよ」
「お前こそ、俺のことをなんだと思ってんだよ」
本当は『どう思ってんだよ』と聞いてみたかったが、そんな勇気はなかった。
人は意識だけでは変わらない。意識しただけで何か関係が変わるのであれば苦労はしない。
顔を上げると柏木は、壁に掛けてあったカレンダーの赤い×が2つ並んだところをまじまじと見ていた。
「……あたしにとって、今日のが唯一のクリスマスイベントだったわけ」
「悪かったよ」
「だから、責任は取ってもらうからな」
柏木は机の上から赤いペンを取り、26日の空欄に大きく『mas』と書き込んだ。
「明日までに熱下げとけよ。生存確認しにまた来るから。もし元気になってたら、楽しみ損ねたあたし達だけで『Xmas』延長戦、ってことで」
それだけ言うと柏木はそそくさとバッグや上着を抱えて「それじゃ!」と帰っていった。一応鍵を閉めるために玄関へ行き、おぼつかない足取りでベッドへ戻る。25日と26日の欄で、真っ赤な『Xmas』ができあがっている。
帰る時の柏木の横顔を思い出す。頬から首まで真っ赤だった。さすがに「風邪をうつしてしまっただろうか」と考えるほど、俺は鈍感系主人公ではない。
今になって、触れられた手のひらの柔らかさを思い出す。さっきより熱が上がっているかもしれない。
もしかしたら"3つ目の赤い×"を書き込む未来が、俺の元にも来るかもしれなかった。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
連打されるチャイムと、ドアを叩く音で目が覚める。スマホをみると通知が50件以上たまっていた。
『なに』『どうしたの』『ガチ?』『そういえば前に咳してたし風邪?』『おーい』『おい』『何買っていけばいい』『寝てるだけだよね』『いく』
などのメッセージが来ており、直近は『開けろ』になっている。
『いまあける』と返信すると、扉の向こうでピロンと音が鳴りチャイムが止んだ。おぼつかない足取りで玄関へ向かい扉を引くと柏木が立っていた。できれば今は嗅ぎたくないソースの匂いが一瞬鼻をかすめる。
「……ねぇ。バイクないんだけど」
柏木の開口一番はそれだった。
「いや、毎年この2日間だけは駐輪場に預けてて……」
「なんで?」
彼女の腕には、スーパーの袋がぶら下がっていた。うっすらペットボトルやリンゴやゼリーが見える。
「入れてよ」
「いや、風邪だし。インフルかもしれないし。すっげぇありがたいけどそれだけ置いて帰って……」
「いいから入れろ! 助けろって言ったのあんただろ!」
押し返そうと全く歯が立たず、難なくリビングまで柏木の侵入を許してしまう。
「寝てろ。あたしが色々やるから」
別に入り浸っているほどではないが何度も来ていたからだろう。彼女は俺に何一つ質問することなく皿やまな板、包丁を取り出して慣れた手つきでリンゴをむき始めた。
「熱は?」
「昨日がピークだった。今は37.8度くらいだ、多分」
「じゃあ昨日連絡して来いよ馬鹿。それか……毎年泊まり込みまでしてる女でも呼べばよかったじゃねぇか」
柏木が吐き捨てるように言った。一瞬何のことだかわからず「なんだそれ、誰の……」と言いかけたが、途中で思い出す。
「あー、馬鹿だな。俺が休むことになったから代わりに勤務してるに決まってんだろ」
と返事をすると、ごとん、とリンゴが床に落ちた音がした。
「え、ちょっと大丈夫か。落としたの包丁じゃないよな怪我ないか」
「うるせぇ近づくな安静にしてろやっぱり女いるのかよ何であたしに連絡よこしたんだよ」
「嘘だよ嘘! 悪かった嘘だ! そんな女いるわけねぇだろ!」
唐突に大きい声を出したせいで咳こんでしまう。柏木が近付いて俺の背中をさすり、そのまま額に手のひらを当ててくる。前髪を上げられたせいで真正面から柏木の瞳を見据えてしまった。
「……熱はだいぶ引いたみたいだな。とりあえず水飲んで横になってろよ。騒いで悪かった。あと、変な態度とって、悪かった」
それだけ言うと柏木はキッチンに戻ってリンゴを切り始めた。俺は布団に潜り目を閉じる。さっきのはちょっとやばかった。弱っているとはいえ、柏木を異種族ではなく異性と見てしまうなんてどうかしている。安静にしていようと思った。
――
何時間が経過かわからないが、洗濯機が回るゴウゴウという音で目を覚ます。テーブルの上に散乱していたゴミも片付けられており、代わりに切られたリンゴが置いてあった。えっと、このリンゴ落ちたやつだよね。その後もう一回洗ってる音とかしなかったけど平気だよね。
食べることを躊躇していると、玄関の扉が開いて柏木が戻ってきた。
「お、起きたか。とりあえず見える範囲のごみはまとめて捨てといた。洗濯も溜まってたからやっといたぞ」
あまりにも至れり尽くせり(洗濯はどうかと思う)な状況にどう返していいか分からず、とりあえず「ありがとう」と言うと、柏木は「どういたしまして!」とサムズアップを返してきた。
「タコパ中だったんだよな? 抜けてきてよかったのか?」
「あのなぁ。どうせ連絡も返してこないだろうと思ってた奴から『たすけて』って来て、無視するような奴だと思ってたわけ?」
「いや、なんて説明して抜けてきたんだろうと思って」
「……別に、友達が風邪で寝込んでるっぽいからってそのまま言ってきたよ」
「そ、そうか……日下部達には謝っとかないとな」
「い、いや、あんたから言わなくていいよ別に。多分鬱陶しく絡まれるだろうし」
「なんで?」
「……なんでも」
そこからは変な沈黙が続いてしまった。気恥ずかしくなってきて顔を伏せてしまう。
熱が出たときに『たすけて』と縋ってしまった。その一言で駆けつけてくれた。ちょっと女の影が見えただけで一か月もまともに口をきいてくれなかった。ふとしたことで家に上がり込んでくるし、別に返信するわけでもないのにくだらない内容をLINEしてくる奴。
「……柏木、お前リンゴとか剥けたんだな」
「は? あんた、あたしのことなんだと思ってんだよ」
「お前こそ、俺のことをなんだと思ってんだよ」
本当は『どう思ってんだよ』と聞いてみたかったが、そんな勇気はなかった。
人は意識だけでは変わらない。意識しただけで何か関係が変わるのであれば苦労はしない。
顔を上げると柏木は、壁に掛けてあったカレンダーの赤い×が2つ並んだところをまじまじと見ていた。
「……あたしにとって、今日のが唯一のクリスマスイベントだったわけ」
「悪かったよ」
「だから、責任は取ってもらうからな」
柏木は机の上から赤いペンを取り、26日の空欄に大きく『mas』と書き込んだ。
「明日までに熱下げとけよ。生存確認しにまた来るから。もし元気になってたら、楽しみ損ねたあたし達だけで『Xmas』延長戦、ってことで」
それだけ言うと柏木はそそくさとバッグや上着を抱えて「それじゃ!」と帰っていった。一応鍵を閉めるために玄関へ行き、おぼつかない足取りでベッドへ戻る。25日と26日の欄で、真っ赤な『Xmas』ができあがっている。
帰る時の柏木の横顔を思い出す。頬から首まで真っ赤だった。さすがに「風邪をうつしてしまっただろうか」と考えるほど、俺は鈍感系主人公ではない。
今になって、触れられた手のひらの柔らかさを思い出す。さっきより熱が上がっているかもしれない。
もしかしたら"3つ目の赤い×"を書き込む未来が、俺の元にも来るかもしれなかった。