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【4】

ー/ー



 二人で訪れた水族館で、澪は無理に気分を上げていた。
 大騒ぎなどはできないし、すぐ横の鷹司に「すごいキレイ!」「可愛いね!」などと小声でひっきりなしに話し掛けて。さぞや鬱陶しかったことだろう。
 けれども、もう二度とこんな時間は持てないのだ、と考えると、したいことを全部しておきたかった。今日だけは何も我慢したくなかった。
 これでおしまいなのだから。

 大水槽の前で、ツーショットの自撮りもしてもらった。初めての、二人での写真。
 光溢れる水槽の前のため逆光で暗く、せっかく念入りに巻いた髪も濃すぎないよう気を付けたメイクも、もちろん服もろくに判別できないだろう。澪の一番お気に入りの、シックなボルドーのワンピース。今が冬でよかった。「一番好きな服」で「好きな人」と最後の思い出が作れるのだから。
 人に見られては困るため待ち受けにはできない。それでも構わないから、澪にとっては彼との『楽しい記憶』を閉じ込めた画像を宝物にするつもりだった。
 たとえお世辞でも、挨拶程度で意味などなくとも、待ち合わせの場で「なんかすごく可愛いね」と微笑んでくれた彼の声とともに。

「あー、暗くて顔が全然見えないよね。でも水族館ならやっぱここは外せないし、他の場所でも撮らない?」
 せっかくだから、と気遣ってくれる優しい人。

 ──そういうの、残酷じゃない? だけどそれさえ嬉しい私の方が、きっとどうしようもないんだよね。

「今日はとっても楽しかった! ありがとう、鷹司さん。──もうこんなことないから安心して。ワガママ言ってごめんなさい」
 ……ぎりぎりまで悩んだ挙句、謝ってしまった。最後まで知らぬふりを押し通せなかった。
 嘘が上手いのは果たしていいことなのか、などとどうでもいいことを考えて、結局黙っていられなかったのだ。
 そもそも向こうから結婚の話を出しているのに、「全然知らなかった」ふりで二人で会いたい、なんていうのがもうおかしい。通じるわけがない。
 それなら正直に告げて謝る方が、多少は印象が良い気がした。
 せめて鷹司の中では、最低の常識くらいはある普通の子でいたかったから。

「澪ちゃん、どうしたの? 我儘って、この程度でなんか大袈裟だね。そんなに来たかった? 知ってたら水族館くらいいつでも来られたのに〜」
 普段と何ら変わりない、気楽な口調。

 ──ねえ。……なんでそんな軽く言えるの? 意味わかんない。私はこの状況を気にしないでいられるほど子どもじゃないわ。

「だって結婚するんでしょ?」
「はぁ!? ちょ、ちょっと待って。結婚、って。澪ちゃん、いったい何のこと? 誰かと勘違いしてない?」
 空惚(そらとぼ)けた鷹司の言動が理解できなかった。ただ腹立たしかった。この程度であしらえると侮られている証のようで。

「誤魔化さないでよ!」
「いや、誤魔化すとかじゃなくてさ。俺には何が何だか全然わかんないんだけど」
 どうしてはっきり言ってくれないのか。そんな風にはぐらかされる方がよほど哀しい。
 結婚するなら邪魔などしない。
 今日は、……本当に申し訳なかったと思っていた。けれど、誓って今日限りにする。もう決めたから。

「鷹司さん、自分でそう言ったじゃない! パソコン買いに行ったときのメッセージで」
「……パソ、ってあの先週のアレ? ショップ見に行った時の」
 呟きながら、鷹司がスマートフォンを取り出している。

「あ、……あー! これ違う、誤字! 入力ミス、ってか予測変換の罠? 『結婚』じゃなくて『結構』。『ハイスぺ機はやっぱ高くて、でも妥協して後悔したくないから考えるね』って話だったんだって!」
 メッセージアプリのトークルームを確認していたらしい鷹司が、必死で弁解を始めた。

「けっこん。け、っこう……?」
 結婚するから。結構するから、……値段が?
 入力ミス。予測変換。どちらもよくあることだ。澪も何度も経験があった。

「あー、そ、そう、なんだ。結婚、じゃなくて、──えっと」
 しどろもどろの澪に、彼が頬を緩める。怒っていないようでよかった。
 安心したのも束の間だった。

「澪ちゃん。君の中で俺は、結婚する相手がいるのに女の子と二人で会うような、そういういい加減な男なのか?」
 すっと真面目な表情になって、彼が静かに口を開く。

「ちが、そんなこと思ってない!」
「ああ、いや。そうじゃないよな。俺が何も言わなかったのが悪かったんだ。──怖くて」
 慌てる澪を見た彼が、小さく笑って話し出した。

「……? 何が?」
「澪ちゃんみたいな綺麗な子と、平凡な俺じゃ釣り合わないだろ?」
「え、え? 何言ってんの? 逆でしょー! 鷹司さんカッコいいし、頭も良いじゃない?」
 高学歴で高収入だし、まではかえって失礼かと自重した。

「いや。相良が正しいんだ。澪ちゃんの隣じゃ、俺は見劣りする」
 七海の言葉に縛られていると? ただの身内の贔屓目でしかないのに。

「あれは──」
「澪ちゃん」
 澪の声を遮るように名を呼んで、鷹司がじっと目を見つめてきた。
 逸らしてはいけない。今は絶対に。そう、直感した。

「しかも相良に念押されるまでもなく、高校生だった教え子に、とは思っても会いたくて。……そんなのは全部、今日で終わりにする。俺はずっと彼女なんていないよ。澪ちゃんが、なってくれると嬉しい」
 俺の彼女に、と消え入りそうな声で呟く、鷹司。
「ねえ、知らなかった? 私、ずっとが好きだった。会えるだけで嬉しかった。──もうそれだけじゃなくなるってこと?」
 今の澪の笑顔は綺麗に映っているだろうか? 少し潤んだ、鷹司のその瞳には。
 今日は澪にとっては大切な日。
 片想いが終わって、恋が始まる日。これからもっと増えて行く、二人の時間の中の一つ。
 けれど、必ずいつまでも特別な想い出になる。

「翼さん。手を繋いでくれる? だってから手が冷たくて」
 水族館を出て没個性的なイルミネーションの下を並んで歩きながら、澪は白い息を纏う言葉と同時に微笑んで彼を見上げる。

  ──冬でよかった。手を繋ぐのも、くっつくのも、「寒いから」で済むんだもん。
『想い出をください』挿絵

  ~END~



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 二人で訪れた水族館で、澪は無理に気分を上げていた。
 大騒ぎなどはできないし、すぐ横の鷹司に「すごいキレイ!」「可愛いね!」などと小声でひっきりなしに話し掛けて。さぞや鬱陶しかったことだろう。
 けれども、もう二度とこんな時間は持てないのだ、と考えると、したいことを全部しておきたかった。今日だけは何も我慢したくなかった。
 これでおしまいなのだから。
 大水槽の前で、ツーショットの自撮りもしてもらった。初めての、二人での写真。
 光溢れる水槽の前のため逆光で暗く、せっかく念入りに巻いた髪も濃すぎないよう気を付けたメイクも、もちろん服もろくに判別できないだろう。澪の一番お気に入りの、シックなボルドーのワンピース。今が冬でよかった。「一番好きな服」で「好きな人」と最後の思い出が作れるのだから。
 人に見られては困るため待ち受けにはできない。それでも構わないから、澪にとっては彼との『楽しい記憶』を閉じ込めた画像を宝物にするつもりだった。
 たとえお世辞でも、挨拶程度で意味などなくとも、待ち合わせの場で「なんかすごく可愛いね」と微笑んでくれた彼の声とともに。
「あー、暗くて顔が全然見えないよね。でも水族館ならやっぱここは外せないし、他の場所でも撮らない?」
 せっかくだから、と気遣ってくれる優しい人。
 ──そういうの、残酷じゃない? だけどそれさえ嬉しい私の方が、きっとどうしようもないんだよね。
「今日はとっても楽しかった! ありがとう、鷹司さん。──もうこんなことないから安心して。ワガママ言ってごめんなさい」
 ……ぎりぎりまで悩んだ挙句、謝ってしまった。最後まで知らぬふりを押し通せなかった。
 嘘が上手いのは果たしていいことなのか、などとどうでもいいことを考えて、結局黙っていられなかったのだ。
 そもそも向こうから結婚の話を出しているのに、「全然知らなかった」ふりで二人で会いたい、なんていうのがもうおかしい。通じるわけがない。
 それなら正直に告げて謝る方が、多少は印象が良い気がした。
 せめて鷹司の中では、最低の常識くらいはある普通の子でいたかったから。
「澪ちゃん、どうしたの? 我儘って、この程度でなんか大袈裟だね。そんなに来たかった? 知ってたら水族館くらいいつでも来られたのに〜」
 普段と何ら変わりない、気楽な口調。
 ──ねえ。……なんでそんな軽く言えるの? 意味わかんない。私はこの状況を気にしないでいられるほど子どもじゃないわ。
「だって結婚するんでしょ?」
「はぁ!? ちょ、ちょっと待って。結婚、って。澪ちゃん、いったい何のこと? 誰かと勘違いしてない?」
 |空惚《そらとぼ》けた鷹司の言動が理解できなかった。ただ腹立たしかった。この程度であしらえると侮られている証のようで。
「誤魔化さないでよ!」
「いや、誤魔化すとかじゃなくてさ。俺には何が何だか全然わかんないんだけど」
 どうしてはっきり言ってくれないのか。そんな風にはぐらかされる方がよほど哀しい。
 結婚するなら邪魔などしない。
 今日は、……本当に申し訳なかったと思っていた。けれど、誓って今日限りにする。もう決めたから。
「鷹司さん、自分でそう言ったじゃない! パソコン買いに行ったときのメッセージで」
「……パソ、ってあの先週のアレ? ショップ見に行った時の」
 呟きながら、鷹司がスマートフォンを取り出している。
「あ、……あー! これ違う、誤字! 入力ミス、ってか予測変換の罠? 『結婚』じゃなくて『結構』。『ハイスぺ機はやっぱ高くて、でも妥協して後悔したくないから考えるね』って話だったんだって!」
 メッセージアプリのトークルームを確認していたらしい鷹司が、必死で弁解を始めた。
「けっこん。け、っこう……?」
 結婚するから。結構するから、……値段が?
 入力ミス。予測変換。どちらもよくあることだ。澪も何度も経験があった。
「あー、そ、そう、なんだ。結婚、じゃなくて、──えっと」
 しどろもどろの澪に、彼が頬を緩める。怒っていないようでよかった。
 安心したのも束の間だった。
「澪ちゃん。君の中で俺は、結婚する相手がいるのに女の子と二人で会うような、そういういい加減な男なのか?」
 すっと真面目な表情になって、彼が静かに口を開く。
「ちが、そんなこと思ってない!」
「ああ、いや。そうじゃないよな。俺が何も言わなかったのが悪かったんだ。──怖くて」
 慌てる澪を見た彼が、小さく笑って話し出した。
「……? 何が?」
「澪ちゃんみたいな綺麗な子と、平凡な俺じゃ釣り合わないだろ?」
「え、え? 何言ってんの? 逆でしょー! 鷹司さんカッコいいし、頭も良いじゃない?」
 高学歴で高収入だし、まではかえって失礼かと自重した。
「いや。相良が正しいんだ。澪ちゃんの隣じゃ、俺は見劣りする」
 七海の言葉に縛られていると? ただの身内の贔屓目でしかないのに。
「あれは──」
「澪ちゃん」
 澪の声を遮るように名を呼んで、鷹司がじっと目を見つめてきた。
 逸らしてはいけない。今は絶対に。そう、直感した。
「しかも相良に念押されるまでもなく、高校生だった教え子に、とは思っても会いたくて。……そんなのは全部、今日で終わりにする。俺はずっと彼女なんていないよ。澪ちゃんが、なってくれると嬉しい」
 俺の彼女に、と消え入りそうな声で呟く、鷹司。
「ねえ、知らなかった? 私、ずっと《《翼さん》》が好きだった。会えるだけで嬉しかった。──もうそれだけじゃなくなるってこと?」
 今の澪の笑顔は綺麗に映っているだろうか? 少し潤んだ、鷹司のその瞳には。
 今日は澪にとっては大切な日。
 片想いが終わって、恋が始まる日。これからもっと増えて行く、二人の時間の中の一つ。
 けれど、必ずいつまでも特別な想い出になる。
「翼さん。手を繋いでくれる? だって《《寒い》》から手が冷たくて」
 水族館を出て没個性的なイルミネーションの下を並んで歩きながら、澪は白い息を纏う言葉と同時に微笑んで彼を見上げる。
  ──冬でよかった。手を繋ぐのも、くっつくのも、「寒いから」で済むんだもん。
  ~END~