『好き』の問い
ー/ー
それから3日ほどが経ち、シロクマが森の家へと帰る途中、またピアノの音が流れてきた。その演奏を聞き、シロクマはすぐに思い当たる。
(あっ、あの子の曲だ)
シロクマはまた帰り路の道を外れ、ピアノのある場所へと赴いた。そこにはやはり白いドレスを着た少女がおり、目を瞑って鍵盤をしなやかに叩いていた。無表彰だった顔には生気が宿り、微笑みさえも浮かべている。少女が作曲したというその名も無い調に、シロクマはただぼうっと聞き惚れていた。
やがて曲目が終わり、少女は鍵盤から指を下ろす。
「......また、あなたなのね」
少女は振り返りもせず、シロクマがやってきたことを認識する。
「う、うん。立ち聞きして悪かったね。邪魔しちゃったかな?」
「ううん、別に。私はピアノを弾きたいだけだから」
やがて少女は椅子の上で足を滑らせ、体を後ろに回転させて座り直す。体をリラックスさせており、どうやら一息入れているようだ。
「ねえ、君はどうしてこんな森の奥でピアノを弾いているの?」
シロクマは気になっていたことを少女に尋ねる。
「この森はニンゲンの町から遠いところにあるし、ここまで来るのは大変でしょ? 君は自分のピアノを持ってないの?」
シロクマの問いかけに、少女は椅子に足を揃えて首を横に振った
「ううん、あるよ。私のピアノ。でも町で私のピアノを弾いても、誰も私の演奏なんて聞かないから。ここで弾いているのは、私の気持ちと何となく波長が合うから」
少女は淡々とした声で答えた。先程までの楽しそうに演奏していた無垢な様子とは打って変わり、元の無表情なものに戻っている。
「えっ、どうして? 君の演奏はすごくいいものだよ? とても綺麗で、独創的で、まるで幻想の世界の中に浸ったような気分になるよ」
シロクマは意外に思いながらも、少女の伴奏を手放しに褒めた。そして同時に疑問がよぎる。どうしてニンゲンたちはこんな素晴らしい演奏を聞かないのだろう? それはとてももったいないことのように感じたのだった。少女はシロクマの疑問に答える。
「......うん。だってピアノの独奏なんて今どき誰も好まないから。みんな他の音楽に夢中になってる。JーPOPとか、アイドルの歌とか、そういうものがニンゲンの町では流行ってるの。町でピアノが好きなのは、私だけ」
そう語ると、少女は俯いてどこか寂しそうな表情をした。夜空から降り注ぐ月明かりに照らされるのは、彼女ただ1人だけだった。シロクマはそんな寂しげな少女の様子を見て、大きく首を横に振る。
「ううん、そんなことないよ! 僕もピアノが大好きなんだ! 僕が子供の頃は、ずっとずっとピアノばっかり演奏してた。将来は音楽家になろうとも夢見てたんだ。今はもう仕事が忙しくて全く弾いてないけど......」
シロクマの大きな声に、少女は真っ直ぐな瞳を向けてただ話を聞いている。けれどやがて諦めたように、また目を閉じ顔を伏せた。
「......そう。そうなんだ」
太ももの上に両手を添えて、少女は小さく吐息を吐く。夜の静寂に溶けてしまったかのように、そのまま少女は沈黙する。けれどしばらくして時が経つと、少女はまた言葉を紡いだ。
「ねえ、シロクマさん」
少女は顔を上げ、再びシロクマに瞳を合わせる。
「『好き』で居続けるって、どうしたらいいのかな?」
「えっ?」
少女の問いに、シロクマは理解できず言葉を詰まらせてしまう。けれど少女はそれに構わず語り続けた。
「私もね。小さな頃からピアノが大好きだった。お母さんにも無理言ってね、ピアノを買ってもらったの。ずっとずっと毎日、大好きなピアノの曲ばかり演奏してた。でもね、学校の皆はいつも他の音楽が好きだったの。みんなみんなアニメの曲とか、アイドルの曲とか、そんな話ばっかりしてた」
少女は少しずつ吐き出すように自分の過去を語る。やがて月明かりに雲がかかり、少女の顔は影となる。少女の表情は見えなくなり、それは感情のない人形のような印象を抱かせた。
「私はね、独りでいるのが嫌だったから、ずっと友達に合わせようとしてたんだ。何が面白いのかよくわからないアニメを見たり、どこがかっこいいのかわからないアイドルの番組を見たり。正直私はね、アニメとかアイドルとか、みんなが好きになるようなものが好きになれなかった。
でもね、私が『好きじゃない』っていったらみんな友達は離れてしまうから。だからね。私は独りになりたくなかったから、いつも友達が『好き』っていうものを『好き』っていうようにしてたんだ。そうやって私はいつも、独りじゃないフリをし続けてきた」
少女は独白のようにそこまで語り終えると、やがて静かな動作で椅子から立ち上がる。学生カバンを手に取り、黙って帰り支度を始める。
「あっ、待って!」
ニンゲンの町へと戻っていこうとする少女を、シロクマは呼び止めた。
「また、この森でピアノを弾きに来てよ。僕は、君が弾くピアノの演奏が好きなんだ」
そのシロクマの告白に少女はゆっくりとした動作で振り返る。月明かりが再び照ったその顔は微笑みを湛えており、けれどやはりどこか寂しそうであった。
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それから3日ほどが経ち、シロクマが森の家へと帰る途中、またピアノの音が流れてきた。その演奏を聞き、シロクマはすぐに思い当たる。
(あっ、あの子の曲だ)
シロクマはまた帰り路の道を外れ、ピアノのある場所へと赴いた。そこにはやはり白いドレスを着た少女がおり、目を瞑って鍵盤をしなやかに叩いていた。無表彰だった顔には生気が宿り、微笑みさえも浮かべている。少女が作曲したというその名も無い調《しらべ》に、シロクマはただぼうっと聞き惚れていた。
やがて曲目が終わり、少女は鍵盤から指を下ろす。
「......また、あなたなのね」
少女は振り返りもせず、シロクマがやってきたことを認識する。
「う、うん。立ち聞きして悪かったね。邪魔しちゃったかな?」
「ううん、別に。私はピアノを弾きたいだけだから」
やがて少女は椅子の上で足を滑らせ、体を後ろに回転させて座り直す。体をリラックスさせており、どうやら一息入れているようだ。
「ねえ、君はどうしてこんな森の奥でピアノを弾いているの?」
シロクマは気になっていたことを少女に尋ねる。
「この森はニンゲンの町から遠いところにあるし、ここまで来るのは大変でしょ? 君は自分のピアノを持ってないの?」
シロクマの問いかけに、少女は椅子に足を揃えて首を横に振った
「ううん、あるよ。私のピアノ。でも町で私のピアノを弾いても、誰も私の演奏なんて聞かないから。ここで弾いているのは、私の気持ちと何となく波長が合うから」
少女は淡々とした声で答えた。先程までの楽しそうに演奏していた無垢な様子とは打って変わり、元の無表情なものに戻っている。
「えっ、どうして? 君の演奏はすごくいいものだよ? とても綺麗で、独創的で、まるで幻想の世界の中に浸ったような気分になるよ」
シロクマは意外に思いながらも、少女の伴奏を手放しに褒めた。そして同時に疑問がよぎる。どうしてニンゲンたちはこんな素晴らしい演奏を聞かないのだろう? それはとてももったいないことのように感じたのだった。少女はシロクマの疑問に答える。
「......うん。だってピアノの独奏なんて今どき誰も好まないから。みんな他の音楽に夢中になってる。JーPOPとか、アイドルの歌とか、そういうものがニンゲンの町では流行ってるの。町でピアノが好きなのは、私だけ」
そう語ると、少女は俯いてどこか寂しそうな表情をした。夜空から降り注ぐ月明かりに照らされるのは、彼女ただ1人だけだった。シロクマはそんな寂しげな少女の様子を見て、大きく首を横に振る。
「ううん、そんなことないよ! 僕もピアノが大好きなんだ! 僕が子供の頃は、ずっとずっとピアノばっかり演奏してた。将来は音楽家になろうとも夢見てたんだ。今はもう仕事が忙しくて全く弾いてないけど......」
シロクマの大きな声に、少女は真っ直ぐな瞳を向けてただ話を聞いている。けれどやがて諦めたように、また目を閉じ顔を伏せた。
「......そう。そうなんだ」
太ももの上に両手を添えて、少女は小さく吐息を吐く。夜の静寂に溶けてしまったかのように、そのまま少女は沈黙する。けれどしばらくして時が経つと、少女はまた言葉を紡いだ。
「ねえ、シロクマさん」
少女は顔を上げ、再びシロクマに瞳を合わせる。
「『好き』で居続けるって、どうしたらいいのかな?」
「えっ?」
少女の問いに、シロクマは理解できず言葉を詰まらせてしまう。けれど少女はそれに構わず語り続けた。
「私もね。小さな頃からピアノが大好きだった。お母さんにも無理言ってね、ピアノを買ってもらったの。ずっとずっと毎日、大好きなピアノの曲ばかり演奏してた。でもね、学校の皆はいつも他の音楽が好きだったの。みんなみんなアニメの曲とか、アイドルの曲とか、そんな話ばっかりしてた」
少女は少しずつ吐き出すように自分の過去を語る。やがて月明かりに雲がかかり、少女の顔は影となる。少女の表情は見えなくなり、それは感情のない人形のような印象を抱かせた。
「私はね、独りでいるのが嫌だったから、ずっと友達に合わせようとしてたんだ。何が面白いのかよくわからないアニメを見たり、どこがかっこいいのかわからないアイドルの番組を見たり。正直私はね、アニメとかアイドルとか、みんなが好きになるようなものが好きになれなかった。
でもね、私が『好きじゃない』っていったらみんな友達は離れてしまうから。だからね。私は独りになりたくなかったから、いつも友達が『好き』っていうものを『好き』っていうようにしてたんだ。そうやって私はいつも、独りじゃないフリをし続けてきた」
少女は独白のようにそこまで語り終えると、やがて静かな動作で椅子から立ち上がる。学生カバンを手に取り、黙って帰り支度を始める。
「あっ、待って!」
ニンゲンの町へと戻っていこうとする少女を、シロクマは呼び止めた。
「また、この森でピアノを弾きに来てよ。僕は、君が弾くピアノの演奏が好きなんだ」
そのシロクマの告白に少女はゆっくりとした動作で振り返る。月明かりが再び照ったその顔は微笑みを湛《たた》えており、けれどやはりどこか寂しそうであった。