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青い海。鬱蒼とした森。
それが僕の故郷だ。
そんな世界で、故郷では異質な『好きなこと』だけをして暮らしていた僕の前に、唐栗先生とあかりさんは現れた。それを期に、僕は違う世界へ旅立つことになった。
新しい世界は楽しかった。でも、先生はここから離れてしまった。
だから、僕は日本に行くことにした。
入国審査を終わらせ、到着ロビーへ降り立つと、慣れ親しんだ顔が左手を振っていた。僕はトランクを転がしつつ、そちらへ駆け寄った。
「お迎え、ありがとうございます。唐栗先生」
「日本へようこそ、プリンくん」
先生は左手を差し出した。僕もそれに応え、握手をした。
僕はプンパポ・リププポペ・ンジャメナン・ジウヨミハココ。頭から三つ目までが名前だけど、あまりにも長いので、頭文字だけとって『プリン』と呼ばれることが多い。ちなみに、プンパポと呼ばれずに、頭文字をとるのは我が国ルートジモラシカ共和国の風習だ。
僕は鼻で息をする。つんとした空気が花に飛び込む。
「日本って本当にソイソース、しょうゆの匂いがしますね」
「ははは。ルートジモラシカは花とスパイスの香りだったな」
「そうなんですか? 全然気がつかなかった」
僕は離れて十年位の故郷を思い出す。ここ最近は米国で先生と一緒にいた。
左手ががくりとゆれる。唐栗先生がトランクを持ってくれようと、僕の斜め向こうに引き寄せようとしている。
僕は慌ててトランクを両手で引き寄せた。
「プロ……、先生がそんなことしなくても!」
「こんな大きい物を、映え有るシリコンバレーから、しがない日本に来日してくれた子供に持たせるなんて、とんだじいさんだからね」
「僕がやります! 片手だけでこんなに大きいものを持つとバランスが崩れます! 僕が持ちます!」
「しょうがないなぁ。じゃあ、君に華を持たせることにしよう」
先生はトランクから左手を離した。
「さあ、ホテルに行こうか。今日はゆっくり休んでくれ。あかり君は呼んでいるから」
「あかりさん、早く会いたいです!」
空港からバスに乗り、都会へ降りた。そこから目的地まで電車に乗る。
最終目的地の最寄り駅に位置するホテルで、あかりさんと落ち合った。
「お久しぶり。プリンくん」
「あかりさん! 会いたかった!」
かつて彼女に抱きついた時の感触を思い出す。僕の肩に、レースのシュシュが軽くぶつかったっけ。あのふんわりとした感触をもう一度楽しみたい。
まだまだ子どもと言われる年齢を利用したいところだが、すっかり背は高くなってしまったので通用しない気がする。
かつての幸せを思い出していたら、あかりさんは目線を上げて僕の頭をぽんぽんと叩く。
「日本語がますます上手になったのね」
「はい! 来年度からここで暮らします。だから当たり前です!」
すっかり夜なので、先生とあかりさんに伴われ、そのまま今日はホテルの近くで食事をした。
先生は向かいに座る僕に説明する。
「本当は研究員という名目にしたかったんだけど、君の年齢だと留学生扱いが精一杯だった。申し訳ないね」
「先生の側で研究できるなら問題ないです! 日本のキャンパスライフも楽しそうです」
日本で暮らすためには生きた日本語が大切だろう。そう思って、先生が米国から日本に移り住んだ頃からアニメをたくさん見るようにした。登場人物の多くが楽しんでいる日本のキャンパスライフもまた魅力的だ。
「私や、プリンくんみたいな人間には米国の方が自由でしょうけどね」
あかりさんは水を一口飲んで呟く。先生は苦笑する。
「まあ、そうなんだけどね。ただ、プリン君のことはもう少しだけ、私の手元で守ってやりたいんだよ。彼も希望してくれたし」
そして、先生は僕に呼びかけた。
「せっかくだから、この大学の若者と触れ合ってくれ。君達が創り上げてきたものを実際に生活に落とし込むのは彼らだから」
僕が頷くと、先生は続ける。
「君達みたいな天才ではないからかもしれないが、若いときにしか出来ない無謀なバカをやる毎日は楽しかったよ。研究はもちろん、研究室の仲間と毎日のように耐久徹夜マージャンもしたなぁ」
「先生! 有望な若者に変なこと教えないでください」
あかりさんが声を荒げる。
「いや、マージャンは簡単な確率の計算から始まり、ゲーム理論による人の心理までも追求できる奥深い遊戯だよ。何より新たな発想のためには、心の余裕は大切だ」
先生のもっともらしい説明に僕は笑う。
「奥様にそんな言い訳できるのかしら」
あかりさんはため息をつく。
そんな感じで夜は更けていった。
***********
翌日は先生とあかりさんと一緒に件坂を登る。
日本の夏という物は実に不快だった。日本よりは緯度が低い南洋に位置する故郷もそれなりに暑いんだけど、質が違う。光がアスファルトで反射するからだろうか。いや、そもそも、この十年間は涼しい部屋の中ばかりにいたんだった。
僕は来年度から始まる生活について、不安になってきた。
そして、何とか校門に辿り着く。
「ここが、今、私が務めているむぎほし大学だよ」
校門を抜けしばらく歩くと、うさぎを持った男性の銅像が鎮座している。今にも動き出しそうなうさぎはこちらを見つめている気がする。
何となく見つめ合いながら、僕は確認することにした。
「あれは誰ですか?」
「あちらは初代学長の麦田星之進だよ」
「そうですか。何でうさぎを持っているんですか?」
「元々好きだったらしいけど、何よりも大国主命に因んでいるらしい。日本の神話に出てくる国づくりの神様の一柱だね」
唐栗先生は『因幡の白兎』という話をしてくれた。
海を渡ろうとした白兎がワニザメを騙した。それに怒ったワニザメが白兎の毛皮をはいだ。通りがかる神様たちは、毛のない兎を笑っていじわるをして、兎は辛くて泣いている。
そんな中、最後に通った大国主命が兎を憐れみ、適切な治療を施した。兎はすっかり元通りになる。
感謝した兎は、大国主命の結婚が上手くいくように取り計らい、やがて大国主命は国をまとめるようになったそうだ。
「じっくりと歩みを進め、真摯に相手に接して、新たな国を創造していく優秀な学生たちを生み出していきたい。また、この学校が新しい価値を生み出す、そういう新しい国のようなものにもしたいという意味も込められているらしい」
あの可愛らしい顔に、そんな深い理由があったとは。僕は息を飲み込んだ。
「まあ、学生たちにとっては、そんなことよりも不思議現象という、飲み会のつまみの一つなだけかもしれないけどね」
「不思議現象?」
「ああ、小学校みたいだけど、平坦な学生生活にありがちなちょっとしたスパイスさ。君にこれから手伝ってもらうこととも関係する」
そして大きなビルに入り、エレベーターで昇る。
「さあ、ここだ。許可は取っている」
天井近くには『学長室』と書かれた室名札が下げられている。
左ポケットからカードキーを取り出し、読み込むと、鍵があく音がする。先生はそのまま真っすぐ中に入り、ウサギのレリーフの前に立つ。
「実は、この部屋には隠し扉があるんだ。このレリーフを所定の順番で動かすと、隠し扉が開く」
そういいながら、あかりさんに左手で合図を送る。頷いた彼女は、両手でレリーフをさらりと取る。
レリーフを床に置き、取った跡の両側を両手で押すと、壁の一部がくるりと回った。回転扉になっていたようだ。
そのあまりの簡単さに僕は首をひねった。
「……所定の順番とは?」
それにはあかりさんが答えてくれるらしい。
「その手のことが得意な人にお願いしたの。『何でこんな簡単なことを?』と言われたわ。こんなことなら、さっさと頼めば良かった。ねぇ、唐栗先生?」
あかりさんが先生に微笑みかけるが、受けた方は顔を歪めている。
「あいつの話はするな」
ふてくされた様子で左頬をかく先生を、あかりさんはただただ微笑ましく見つめている。
「そんなことよりも、プリン君。この扉の奥だ」
部屋の奥へと入る。
そうして、僕は自分が今ここにいる理由を知った。
***********
2回目はウサギの絵画の裏。
そして、3回目となる今日。
どちらも『その手のことが得意な人』が事前に仕掛けを外してくれたらしい。
やることが終わった僕たちは、ただウサギの銅像を見上げていた。
先生は口を開いた。
「さあ、これで終わりだ」
薄いピンクの花弁が揺れる中、僕と先生は校門から外に出ることにした。
アニメでは大体満開に咲き誇る明日のイベントなんだけど、実際はほとんど散っている。最近は開花時期がどんどん早まっているらしく、何となく残念だ。
「先生」
僕は声をかけた。
そして、この半年ずっと気になってたことを聞く。
「何でこんなことをするんですか?」
先生は笑う。
「友達に頼まれたんだ」
「友達って、学長ですよね? 先生をこの大学に呼んだ」
「ああ、そうだ」
頷いた後、先生は言葉を続けた。
「今ね。この国は少し暗いんだよ」
「暗い? 何言っているんですか。この街は、星が見えなくなるくらい明るいのに」
空は赤く染まっている。ここから数十分も経つと、僕の故郷ならただただ黒くて暗い、それでいて星はキラキラと輝く夜空になる。しかし、この国の都会の夜はむしろ地上のほうが煌めいている。
故郷はもちろん好きだ。僕がこの直前までいた米国も。
僕が今やりたいことは多分こういうに集中している。少なくとも、それについて一緒に進んでくれる唐栗先生が住んでいる。
だから、僕はこの都会の明るさはそれはそれで好きだ。
唐栗先生はゆっくりと頷く。
「最近、この国は悲しいことばかりだったんだ。だから、僕と彼は、この停滞しつつある中で、若者たちが新しい国を創造できるように、未来への希望を作り出したいんだよ。そのための年寄からの遊び心さ」
先生に頼まれたことはとても楽しいことだった。それは先生の言う遊び心だったからなのだろうか。
「若者って、息子さんも含まれています?」
向こうには、綺麗な黒髪のあかりさんがいた。
僕の心は敷き詰められた花びらの絨毯のようにピンクに染まった。
が、次の言葉で絨毯は蹴散らされる。
「うふふ。事務所デートの帰りです」
「えっ」
デートという言葉が頭の中で響いている僕に構わず、あかりさんは言葉を続ける。
「お元気そうでしたよ? 設計と制御ソフト。専門は違えど、お父様に似て、本当にこの手のことの手際が良いですわ」
先生はため息をつく。
「……才造、いつか捕まらないだろうな」
「大丈夫だと思いますけど、気になるなら、とっとと辞めさせて右腕のかわりにしてしまえばいいのに」
「……放蕩息子を右手になんぞしたくないよ」
「奥様からは、父の面倒と子の面倒それぞれがみてくれるから一石二鳥だと頼まれていますのに。それとも、私の会社にスカウトしようかしら?」
わざとらしく、 あかりさんは両手を広げる。先生は左手で頭をかいて、声を落とす。
「雲丹の格が下がるぞ。南雲丹里君」
僕よりも前に先生と出会った、元幼き天才エンジニアの女性の名前を呼ぶ。半導体メーカー雲丹の創始者だが、取締役の座を降りて、好き勝手研究をしている。
天に二物以上与えられた僕が焦がれる才色兼備な女性はいたずらっぽく笑う。
「あら、現役失敗したからって米国に進学して、サン・ジョーンズでは水炊き食べられないって日本に帰って、暇つぶしに何でも屋さんやる人なんて面白くないですか? シアトルに取られないで良かった。博多で水炊きごちそうしようかしら?」
僕はふらりとする。
「明日、入学式に誘ったの。そろそろ子供も欲しいし、このイベントが終わった後、デートでもしようかしら?」
「え、あ、あかりさん!?」
どっちの誘うだ?
それは少なくとも僕にとっては非常にショッキングなことだった。
先生は頭を抑えていた。
***********
十年にも及ぶ、僕の初恋が終わりを告げたその翌日。
僕は件坂を上がる。
準備はしたけれど、入学式は普通の学生と同じように参加してほしいと先生に言われたんだ。
日本のキャンパスライフ。アニメからの知識によると、恋愛し放題らしい。だったら今度は、正反対のタイプの人を好きになりたいな。
そうそう。大人っぽい頭脳系はやめて、元気で可愛い体育系キャラ。この前、まとめ見したアニメに出てきたショートカットの剣道部の部長。
すっと僕の横を通り過ぎるシトラスの香りがいた。
うわ、可愛い。顔見えないけど、あれは絶対可愛い。
実写版城ヶ峰真尋(件のアニメの剣道部の部長だ)のように背筋を伸ばしたショートカットの女の子の後ろ姿を見ながら、僕は唐栗先生がやろうとしている入学式の仕掛けに思いを馳せた。
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