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『は?』と怒気を含んだ声が聞こえてくるような文面で、優花からメッセージが届いた。
優花、とは彼女がSNS上で名乗っているアカウント名で、本名は覚えていないけどたしか違う。私たちはインターネット上で出会い、生身の人間として会ってもインターネット上の名前で呼び合っている。『ナツメグ、この女どう思う?』と続けてメッセージが送られてくる。
『どうって?』
『今は旦那がいるとか言ってるけど。絶対恭介とワンチャン狙ってるの見え見えでキモすぎ』
私たちは佐治恭介という同じ俳優を応援している。応援といっても、「がんばれ」と気軽に声援を投げるようなものではなく、簡単に言ってしまえば恋愛感情を抱いている。いわゆるガチ恋だ。優花は彼をより身近に感じたいからと「恭介」と呼ぶし、私はなんだか照れくさいし恐縮してしまって「佐治くん」と呼んでいる。
きゃあ、と悲鳴混じりの黄色い歓声がテレビから聞こえる。『あの頃、僕たちは』という、芸能人のルーツを辿る番組で、佐治くんの初恋の話題が繰り広げられた。佐治くんへのサプライズとしてその初恋の女性が番組に登場し、実は当時両想いだったことが明かされた。初恋の女性は、現在パートナーはいるのかという質問に対して、やんわりと余裕のある笑顔で「結婚しています」と左手の甲をカメラに向けた。佐治くんは崩れ落ちつつも、初恋の話題にオチをつけて笑いをとった。その姿を見て私は、芸能人が板についてきたなぁ、とズレた感想を抱いた。
SNS上は大荒れだった。『やめて! 恭介と一般人女を絡ませないで! #あの僕 #さじきょー』というような、ハッシュタグのついた投稿はかわいいもので、本当に毒のある言葉はエゴサーチを避けて発される。
『レ_ナとかいう女うざ~マウントきも まじ死ねよ ていうかANBKスタッフ無能すぎ』
『一瞬で萎えたし、さ.きょのこともう推していけないかも 生誕行くのやめよーかな』
『はーあ、昔の恋とか普通に無理 きょのこともう信じられなさそう』
最後のは優花の投稿だ。私は首を傾げる。信じるってなんだろう。私の知るかぎり、佐治くんは昔の恋愛遍歴についてほとんど話したことがない。でも容姿は良いし快活で人を励ますのが上手なので、これまでたくさんモテてきただろう。女性経験のひとつやふたつあったに違いない、と推測している。優花はそう考えないのだろうか。
「でもバカだなこの人」私はクッションを抱きしめながら呟く。「佐治くんと同郷、同じ中学で名前はレナ。顔も全国放送で晒してる。住所くらいもう特定されてそう」
恋愛感情を持ったファンは非常にこわい。そう思い知ったのは優花と出会ってからだ。彼女は「あたし同担拒否だから仕方なくない?」という乱暴な免罪符で、同じように佐治くんに恋をする人たちに攻撃的な態度をとる。
まだ今ほど売れていない頃に、佐治くんは公園でインスタグラムのライブ配信をしていて、そこに女性ファンが乱入したことがあった。優花は貧乏揺すりをしながらスマートフォンに齧りついた。ものの数十分で、乱入した女性ファンのXのアカウントを見つけだし、『迷惑なのでああいうことはやめてください』という意味合いの汚い言葉を何十通もダイレクトメールで送っていた。
「あのババァ、アカウント消してたわ。逃げんなら最初からすんなってホント」
配信に映っていた女性はたしかに学生といった雰囲気ではなかったが、まだ三十代前半に見えた。
次に優花と直接会う頃には、『あの僕』が放送されて二週間が経過していた。彼女は俄然不機嫌だった。喫茶店に入ろうと提案すると、気分じゃないと断られた。ファミリーレストランでたばこをすり潰すようにポテトにマヨネーズを擦りつけながら、彼女は悪態をつく。
「生誕祭を前にしてインスタの配信休止ってマジでなに。はぁ? ってかんじ」
佐治くんの公式アカウントから、しばらくライブ配信を行わないとアナウンスされたのだ。『あの僕』の番組名には触れずに、インターネット上で誹謗中傷の声が多く見受けられることへの注意喚起もされた。そうなることを予期できなかった番組側にげんなりする私と、ポテトを咀嚼しながら「誹謗中傷されて当然でしょ、あんなの」と吐き捨てる優花。私たちは同じ俳優を応援していて、ガチで恋をしている。
しかし優花は溜め息混じりに言った。
「生誕祭、あたし行くのやめよっかな。なんかもう恭介のこと信じきれなくなってきた」
佐治くんの誕生日を祝うイベントが開催されるのは今月末。八月二十五日。ぴったり彼の誕生日だ。会場は彼の出身の神奈川県の県民ホール。私はファンクラブ限定の最速の先行販売で、優花の分と合わせて二枚のチケットを手に入れていた。
「でも優花ちゃんは佐治くんの何を信じてたの?」
「は? どういう意味? 信じるに何をとかないじゃん」
「佐治くんの何を知っていて何を信じていたのか、しっくりこなくて」
「ナツメグが何言ってるのかはよくわかんないんだけどさ、普通に考えたら恭介があんな嫌味たらしいブス女を好きになるわけないじゃん。でも『あの僕』で恭介が項垂れた時の顔、ちょっとホントに悲しそうな感じしたし」
優花は、佐治くんにとってのオンリーワンになりたいとよく口にする。彼に見られたい。好かれたい。そのためにまず認知されたい。だからたくさん尽くして、その分アピールする。たとえどれだけ叶うことが難しいとしても、そんなもの関係ない。
優花の行動力には感心する。でも腑に落ちない。私の魂の解像度で見た佐治くんは、恋敵だとしても他人を傷つけるような人を好きにはならない。彼のオンリーワンになりたいなら、攻撃的なダイレクトメールや誹謗中傷はしない。
「優花ちゃんは本当に同担拒否だよね」
「当たり前じゃん。恋敵だよ。全員敵なの」
「私は?」
「んー、正直言っちゃうと、ナツメグってガチ恋じゃないと思うんだよね。だってさ、恭介に認知されたいって気持ちは全然ないんでしょ?」
「ないね。むしろあまり会いたくないというか、陰で応援していたいというか」
「それって意味分かんないじゃん。あたしは、恭介にあたしだけを見てほしいよ。独占したいの。付き合いたいし、デートしたいし。でもあたしと付き合ってからも、今の活動はちゃんと続けてほしい。応援するし。恋ってそういうもんじゃんか。あたし、あたしだけを見てくれるなら、ガチ恋が何人いても平気だし、仕事でキャーキャー言われてても我慢できるし」
帰宅後、私はさっそくXでチケット譲渡の募集をかけた。紙媒体のチケットなので渡しやすい。
『一緒に参加予定だった者が急きょ行けなくなったのでチケットをお譲りしたいです。【求】定価+手数料 #さじきょー生誕祭』
ついでに生誕祭イベントに対する反応に目を通す。私以外にも何人か譲渡の募集をしているアカウントがあるが、どれも既に取引成立済みのようだ。安心した。私も譲り先に困らなそうだし、何より佐治くんが築き上げてきた人気が、取り返しがつかないほど崩れていない証拠だ。
数分でダイレクトメールが届いた。『からあげ』というアカウントで、以前から相互フォローの関係だったが会話は初めてだ。
『はじめまして、からあげと申します。チケットをお譲りいただきたいのですが、一度、家族に相談させていただきたいです。可能であれば、少しお待ちいただくことは可能でしょうか。』
丁寧な言葉遣いに安心する。インターネットで人とやり取りをすると、特に佐治くんのファンと会話をすると、言葉遣いの稚拙さに驚かされることが多かった。私は快諾する。『あの僕』の騒動があってから、優花を含むファンたちの血の気が多くなっているのを感じる。不安や、怒りや、それでも佐治くんを信じたいという気持ちが入り乱れて、私のXのタイムラインはギスギスしている。正直こわい。イベントが問題なく終わることを祈るばかりだ。だからチケットはできるなら穏やかな大人に譲りたいと考えていた。
スマートフォンを起動すると、いつでも佐治くんがふんわりと柔らかそうな笑顔でこちらを見つめている。私はこの顔が好きだ。この口から発せられる声は、するりと胸に侵入して温めてくれる。彼の言葉は明るくて力強くて、でも強引ではなくて、いつだって他人の立場に立ってそっと背中をさする。純粋な意味での優しさを感じられる。佐治くんの存在は私の心や生活を明確に支えていて、どう考えても私は彼のことが好きだ。
改めて優花にチケットを他人に譲っていいかとメッセージを送る。既読のマークがついたがしばらく返信がない。
私のXのフォロワーは佐治恭介を軸に繋がったアカウントばかりで、いつでも誰かが彼のことを話している。息を吸うように容姿を褒める人もいれば、未だに『あの僕』を引きずって初恋の相手や佐治くん自身を貶す声もある。ライブ配信が休止になったことによりむしろヒートアップしているようにも見える。元も子もない。
鬱陶しいほど極彩色の声たちを眺めているうちに窓の外は真っ暗になり、晩ご飯どうしようかと考えはじめたところで、からあげから返信がきた。家族から了承を得たのでチケットを譲ってほしいとのことだ。優花からの返信を待たずに、いったん譲る方向で話を進める。当日は開場時間の三十分前に、会場前の山下公園にある電話ボックス前に集合することになった。
優花から返信がきたのは翌日だった。『譲るって言われるとなんかムカつくけど』と、是とも否ともつかない言葉にどっと疲れてしまう。『じゃあ譲っておくね』と返す。既読がつく。また返信がこない。それきり彼女とは会話がないまま時間はさらさらと過ぎていき、佐治くんの誕生日前日を迎えた。
仕事から帰るとすぐに晩ご飯を済ませる。スチールラックに橙色の布を敷いく。太陽みたいに朗らかな彼のイメージカラーとしてよく用いられる色だ。その上に佐治くんが表紙を飾ったファッション誌と写真集を立てて置く。その前にアクリルスタンドを飾っていく。まだ今ほど売れる前に全国チェーンの雑貨屋とコラボした時に発売したものだ。パジャマ姿のシークレットを含む全六種類を横一列に並べる。いわゆる祭壇の出来上がりだ。
祭壇をスマートフォンで写真に収める。それぞれの佐治くんに顔認証の四角い枠が当たって、彼が本当にそこにいるかのようで嬉しい。私はこうやって彼のグッズを眺めたり、雑誌の取材記事を読んだりライブ配信を観たりドラマ撮影の聖地を周ったりするだけで幸せだった。私はこの感情を恋と解釈してきた。
教室で斜め前の席に座る意中の相手の耳元を見つめて心拍数を上げるような恋なのだ。帰り道、クラスメイトに彼が好きだと打ち明けて盛り上がるように、私は佐治くんの素敵なところをXに投稿する。
『佐治くん、25歳のお誕生日おめでとう! 佐治くんという存在にいつも支えられています。生まれてきてくれてありがとう。 #さじきょー生誕祭』
日が変わった瞬間に祭壇の写真を投稿した。途端にタイムラインが賑やかになった。イラストケーキや佐治くんを模した手づくりのぬいぐるみや私より豪勢な祭壇など様々な写真が次から次へと流れてくる。もちろん文章だけで佐治くんへの想いを綴った投稿も多い。更新しても更新してもファンたちの声は止まらない。よかった。佐治くんのことを好きな人間がこんなにたくさんいる。数十分すると、『#さじきょー生誕祭』は国内のトレンドのハッシュタグにランクインしていた。いつまでも眺めていたかったが、翌日に支障が出ないよう布団をかぶる。
入念に歯を磨き髪を整えて家を出る。電車で浜松駅まで移動し、そこから新横浜駅まで新幹線でおよそ一時間半。新横浜駅の近くで昼食をとってから向かうと、会場のある桜木町駅に、先行物販開始のちょうどの一時間前に到着する。会場まではバスに乗ればすぐに着くが、私は、学生時代の佐治くんもこのあたりで遊んでいたのだろうか、と思いを馳せながら歩いて向かう。どの道を歩いていても茶畑が目に入るような田舎で育った私にとって、浜松でさえ建物が多くてびっくりするのに、横浜はもっとすごい。近代的で圧倒される。こんな都会で佐治くんは何を見て何を考えて生きてきたのだろう。
会場に到着すると、既に多くの来場客があたりに点在していた。先行物販に並ぶ行列を見つけて、私は急いで最後尾に並んだ。アクリルスタンド、アクリルキーホルダー、ステッカーセット、エコバッグ、スプーン(佐治の匙)、ランダムの商品は缶バッチとブロマイド。ミュージシャンやアイドルと違って、佐治くんはグッズを手に入れられる機会が少ないので、満遍なく購入する。
グッズをかばんにしまいながら山下公園に移動した。電話ボックスにもたれかかり、Xのタイムラインを見てからあげを待つ。イベントを前に高揚した空気が伝わってくる。『チケット取れた人羨ましすぎ』や、『来年はキャパ増やしてほしい』という声も多い。
「ナツメグさんですか」と穏やかな声がしてはっと顔を上げる。「からあげさんですね」と尋ねると、彼女は深々と頭を下げた。やはり丁寧な人のようで安心する。私よりもひと回りほど年上に見える。
からあげと一緒に会場に向かうことになった。「ご家族に了承されてよかったですね」と話題を振る。彼女は「夫には嫌な顔をされましたけどね」と肩を竦めた。
からあげは佐治くんのファンであることを家族には黙っていたそうだ。突然俳優のイベントに行くと言うので、彼女の夫は面食らったようだ。強く否定されたら諦めようと覚悟していたが、息子が気怠そうに言った「いいじゃん別に」という言葉に背中を押されて、どうしてもと押し切ったとのことだ。
「でも驚きました」とからあげは何の気なしに言った。「ナツメグさん、男性だとは思いませんでした」
「ああ、ですよね」と苦笑いを返す
付近は佐治くんのファンばかりで、そのほとんどが女性だ。私のような三十過ぎの男は見当たらない。男性がいたとしても、彼女連れか、娘と一緒に訪れた父親といったところだ。ましてや佐治くんに恋愛感情を抱いているなんて、自分でも変だと思う。「変ですよね」と声に出して質問してみたかったが、口は開かなかった。
会場に向けて歩きはじめたところで、「ナツメグ」と名前を呼ばれた。振り返ると、優花がいた。
「どうして」
尋ねると優花は舌打ちをした。少し腫れた目で私を睨んでいる。
「やっぱりムカつく。生誕祭にはあたしが参加する」
「譲るって伝えたはずだけど」
「だからやっぱり譲りたくないって言ってんじゃん」
優花の声が裏返った。周囲の視線を感じる。隣でからあげがおろおろと狼狽えている。
「そんなの勝手だよ」
「あたしやっぱり恭介が好きなの。恭介と会いたい」
「私だって佐治くんのことが好きだよ。今日ここに集まってるみんなが好きなんだよ」
「分かるけど、でも、ナツメグはガチじゃないでしょ」
「ガチってなに。ガチだよ。私はガチで佐治くんが好き」
「わかった。もういいよガチ恋で」と優花は吐き捨てた。彼女が呼吸を整えるたびに、ひぃひぃと喉が鳴る。そして金切り声で続けた。「なんでもいい。どうでもいいよ。でもナツメグもそのオバサンも、もういい歳なんだからさ、意味ないじゃん」
は?
頭にきた。図星だった。そりゃそうだ。佐治くんと同性のオジサン。こんなの叶わない恋なのだ。そんなことずっと分かっていた。
「なにそれ。私の魂の解像度で見た佐治くんは、もし、もしも、本当に好きになった相手なら、年齢なんて関係ないって言うと思う」
性別なんて関係ないって言ってくれると思う。
私は、性自認が女性というわけではない。同性愛者でもない。男性に恋愛感情を持ったことなんて佐治くんが初めてだ。こんなの自分でも変だと思う。違和感がある。でもどうしようもなく好きなのだ。佐治くんの顔を見るだけでどきどきした。力が湧いた。これに恋って名前をつけちゃダメなのだろうか。自分でもその答えが分からなくて、心がずっとうるさいものだから、私はずっと『ガチ恋』なんていう雑なような強いような言葉に気持ちを全部くるんできた。
「ナツメグ、前にあたしに、恭介の何を知ってて信じてるんだって聞いてきたよね」
「うん」
「そんなの知るわけないじゃん。話したことないんだもん。バカみたい。なにが魂の解像度だよ。お前じゃん、恭介のこと信じてやまないのは」
乱暴な日差しが肌を焼く。優花のミニスカートから伸びる太ももに塗られた日焼け止めがきらきらと眩しくて嫌になる。綺麗に巻かれた髪も、長いまつ毛も、春の色をした唇も、たしかに目を引くのだけれど、それでも、私の魂の解像度で見た佐治くんは、彼女には見向きもしないと思ってしまう。
「優花ちゃん、私、チケット絶対に渡さない」
行こう、とからあげに声をかける。私は会場に向かって歩きだす。かばんの中のチケットと佐治くんへの差し入れをすぐ取り出せるように用意する。背後で優花が何か叫んでいるが、それは言葉として私の耳には届かない。
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